久しぶりにぎっくり腰をやってしまった。床の新聞を取り上げようとして屈んだとたん、ガキッとかバキッとか音がしてヤバイと思ったら腰が固まってしまった。固まったと言うか、動かすと悲鳴を上げるような例の一突きが来るので、怖くて動かせなくなる。一説によると、この腰痛はヒステリーの一種で脳が痛みの幻影を作り出しているという話がある。それを起こしている問題を自覚すると痛みが消える、という訳だが私の場合はいくら考えても痛みは消えませんでした。
ということで、3日間ほど動けずに暇だったのでジュリアン・ジェインズの大著、”神々の沈黙”を読破してやった。
この本は読んでよかった。これを読む前と後で、古代史に対する認識、宗教、神、意識といったものの見方が180度変わってしまうような、恐るべき内容を含んでいる。
人とチンパンジーの祖先が分離したのが700万年前。この時点で人類に意識が無かったのは明らかだ。この間のどこかで意識が芽生えたのだが、ジェインズはそれをほんの3000年前だと主張する。
彼の文明・意識進化論を俯瞰すると、まず人類は共同で狩猟を行うための話し言葉を会得し、その後、右脳の発する言葉による指示に従って行動する二分心(Bicameral Mind)モードに移行する。そして文字が発明され、文字による物語が形成されると同時に二分心は崩壊し意識が成立した。
二分心における右脳の発する言葉は神の声として記録されている。ギリシャ叙事詩イーリアスにはそれが明確に記述されており、アキレウスなどの登場人物は自分の意思で行動するのではなく全て神の指示に基づいて闘ったり逃げたりしている。この時代の人類には意識が無く、右脳の言語野に相当する部分の発する言葉に従って自動人形のように行動していた、というのが二分心の時代だという訳だ。
神はこの二分心の時代に実在した。皆が神の声を聞いて其れに従っていた。ここには何の疑いも迷いも無い、完全な服従があった。というより、意識が無い以上考える主体が存在しなかったわけである。
紀元前6世紀頃、一斉に世界宗教が花開いた。プラトン、ソクラテス、ゾロアスター、ブッダ、孔子... 旧約聖書の原典が成立したのもこの時期だ。アダムとイブの失楽園ではこう書かれている。
”ヘビは約束する、おまえは善悪を知る者となる。そして知恵の実を食べたところ突然、二人の目は開いた。そして、彼等は自分達が裸であることを知った。”
まさにこれは、二分心から意識をもつ人間への変容を示している。そしてこれ以降ヒトは神の声を直接聞くことが出来なくなった。意識ゆえ神の国を追放されたわけだ。
地中海文明において、この意識の萌芽は紀元前10世紀頃に見られる。叙事詩イーリアスの後、オデッセイの前である。しかしその他の地域、例えば中南米のマヤやインカにおける意識の芽生えはもっと遅く、例のピサロの150名の兵士がインカ帝国を打ち破ったときインカ人は二分心であった為、あれほど脆く敗れ去った。古代文明を理解するために、この二分心を知らなければ決して本質には迫れない。
個人的な経験だが、最近行ったカンボジアでは20年ほど前、ポルポトが300万人とも言われる大虐殺を行った。国民の1/3を殺した勘定になる。この時のカンボジア人は二分心に戻っていたのでは無いかと思う。ポルポト時代の話をするときカンボジア人ガイドの目が妙に空ろになるのが印象的だった。
600ページを超える分厚い本の内容を、簡単に紹介するのは無理と言うものだが、古代史の謎や神、意識という事柄に興味があるなら、この本は必読と言える。フロイトやダーウィンに匹敵する人間性理解の為の重要な著作だと思います。