徒然なるまゝによしなしごとを書きつくる

旧タイトル めざせ、ブータン

李白と自然

2012年01月31日 | 文学

 李白が求めたのは仙境だろうかそれとも酒か、此処に彼の有名な二首を掲げる (因みに李白の様にかなり酔っ払っています...)

早発白帝城
朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山

早に白帝城を発す
朝に辞す白帝彩雲の間
千里の江陵一日にして還る
両岸の猿声啼いて住(や)まざるに
軽舟已に過ぐ万重の山

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このスピード感はどうだ、  千里の江陵一日にして還る...

 

次はこれだ、

峨眉山月半輪秋
影入平羌江水流
夜發清溪向三峽
思君不見下渝州

峨眉山月半輪の秋
影は平羌江水に入って流る
夜 清溪を發して三峽に向ふ
君を思へども見えず渝州に下る

 

 

 

思君不見下州 

君は愛しの君か、或いはあの空に架かる月か... 

李白は全く素晴らしい


李白と酒

2012年01月27日 | 文学

 李白は無類の酒好きだったらしく、こんな詩を残している。

兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來

両人対酌すれば山花開く
一杯一杯また一杯
我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ
明朝意あらば琴を抱いて来たれ

 

 

 

 

良い酒である、酒はこの様に飲みたいものだ。 

 李白の酒にまつわる逸話は多い。強かに酔っているとき玄宗に呼ばれ、宦官に支えられて墨をすり、筆をとって考えるや否や十篇たちどころに書き上げ、加筆するところなく筆跡は優れ鳳の舞い竜の踊る勢いであったという。また、酔っ払って宦官の実力者、高力士に靴を脱がせたという逸話も残っている。

 しかし、皇帝の前で酔っ払うのは、いかに唐の時代でもまずい。玄宗は気にせず三度李白を官に命ぜんと欲するも、卒に宮中のとどむる所と為りて止む、とある。このような事が繰り返されるにつけ宮中での風当たりは強くなり、結局下野することになる。

 この時期、李白は日本から遣唐使で来ていた阿倍仲麻呂とも交流があり、仲麻呂が日本への帰国の際に遭難したと聞き”晁卿衡を哭す”という詩を詠んでいる。また下野の後、李白44歳のとき、まだ無名の杜甫(33歳)と出会って一年ほど交遊している。二人で風光明媚な地を巡り、酒を酌み交わしたようだ。杜甫は生前は評価されず、後の宗の時代になって名声が高まり詩聖と呼ばれるのだが、李白はすでに最初から杜甫の才能を見抜いていたようだ。また、杜甫も李白を評して、”筆落とせば風雨を驚かせ、詩成れば鬼神を泣かしむ”と激賞している。

 李白は62歳のとき病に倒れるのだが、伝説では船の上で酔っ払って、月を取ろうとして水に落ち溺れた、と膾炙されている。


大学までの通勤路

2012年01月25日 | ブータン ライフ

 冬休みはあと一週間でやっと終わり待望の新学期が始まります。こんなに休みが終わるのが待ち遠しいのは生まれて初めてです。休み中は暇なので、ほぼ毎日散歩がてら大学まで歩いていました。今日はその道を紹介します。(全然面白くないと思いますが、家内のリクエストなので...)

まず、自宅のアパートを出て坂道を下っていきます。

しばらく行くと昨年9月18日のシッキム地震で土砂崩れが起こった場所を通ります。

通勤路はプンツオリン市街を横断します、ここらは住宅地

左が郵便局、右がバンク・オブ・ブータン本店

最近出来た綺麗なチョルテン

プンツオリン市街に水を供給している浄水場

お屋敷にはブーゲンビリアが咲いています

川沿いの道を歩いていきます

橋を渡って

しばらく行くと

山道に入ります

山道を登って

昼なお暗いジャングル

階段道に合流

休憩所

休憩所からの眺め

ここも9・18地震でがけ崩れ。かなり危ない

こんなのどかな家の横を通って

がたがた道を登っていくと

ここは弓矢の試合場、はるか谷の向こうに的があります。休日はここで良くやってます。

国道一号線を横切って階段は続く

この上には軍属の家族が住むアパートがあります。

もう少し登っていくと

大学の裏手に出ます

ここが僕の部屋、パソコンと机しかありませんが... ここまで約一時間弱、けっこう良い運動になります。


静夜思

2012年01月25日 | 文学

 ブータンに来るに際して、荷物の重量が20kgに制限されていたので必要最小限のものしか持ってきていません。まあ、大抵のものはこちらで購入すれば済む話なので大して不便はありませんが日本語の本だけは入手出来なくて困ります。教科関連を除けば数冊しか持ってきていない本の一つが中国唐代の詩人・李白の本です。

 李白は漢人ではなく胡人だったらしく、生涯を旅に過ごしています。一時は玄宗皇帝に取立てられ、宮廷で楊貴妃の美しさを詠う漢詩などを残していますが、その後失意のうちに王宮を去り放浪の生活に戻っています。

 李白の詩は生活苦を多く詠った杜甫と違い、稀有壮大にして仙境に遊ぶが如く、の晴れ晴れとした詩が多いのが特徴です。しかし、静夜思のような詩もあり、夜中に一人でこれを読んでいる我が身を振り返り、心に沁みるようなしみじみとした気持ちになります。

 

静夜思

牀前看月光
疑是地上霜
擧頭望山月
低頭思故郷

牀前月光を看る
疑うらくは是地上の霜かと
頭を挙げて山月を望み
頭を低(た)れて故郷を思う


冬休みもあと二週間

2012年01月15日 | ブータン ライフ

 大学の冬休みも残すところ二週間です。とにかく、インドから帰ってからこちら、プンツオリンではやることがなくて、時間を持て余しています。国境の町なのでインド側にはおいそれとは行けないし、町から出ようにも町外れのチェックポストからティンプーまで150kmの山岳道路があるだけで面白くもなんとも有りません。じっとしていては体が鈍るので、用も無いのに大学まで往復二時間弱を、ただ歩いたりしています。

 とは言うものの、新学期が始まれば以前書いたとおりオプト・エレクトロニクスとデジタル・エレクトロニクスの講義を始めなくてはなりません。その為の準備をボツボツ進めてはいるのですが、なんせ私の好きな言葉(モットーでは有りませんが...)は ”明日できる事は今日するな” なので夏休みの宿題同様、直前にならないとなかなか気合が入りません。

 こちらに来て学生の授業や試験を見ていて、やや可哀想に感じるのはどうも学生達がフォアグラのガチョウのように、死んだ知識を無闇やたらに詰め込まれているような感じを受けることです。私は公式や暗記した知識は社会に出るとほとんど役に立たないと思っています。と言うより、そんなものはマニュアルを見れば書いてあるし、必要なら公開ソフトがインターネットで直ぐに手に入ります。実社会で必要なことは問題を解くことではなく、問題を作ること=問題提起能力では無いでしょうか?必要は発明の母といいますが何が必要か? が明らかになれば問題は半分解けたも同然です。オプトやデジタル技術は日進月歩で技術革新が進んでいる、とてもエキサイティングな分野です。ぜひブータンの学生達にも、この分野の面白さと技術的進歩を支える先人たちのアイデア、創意工夫を伝え出来得るなら問題提起力をつける様な講義にしたいと思っています。


奇妙な建物

2012年01月08日 | ブータン ライフ

 暇なので、散歩がてらトルサ河を二時間ほど遡ってみた。すると、広い川原に奇妙な建物が、一体これは何でしょう?ほぼ直線上に3つのコンクリート基礎と一つの建物がレイアウトされている。建物への上り口は無い。高さは約10m。橋脚?取水塔?観測所?はたまた軍のトーチカ?

 まあ、ブータン人がこんなモノを造るとも思えないのでインド人だと思いますが、何でしょうか??

   


プンツオリン新年会

2012年01月03日 | ブータン ライフ

 早速プンツオリン在住日本人で新年会を開催しました。本日のメニューはスキヤキ! それも、ただのスキヤキでは無く、なんと手作りコンニャク入りです。コンニャクは以前帰任したSVから貰ったコンニャク粉があったのでそれで作りました。たったの40gの粉から1.5kgのコンニャクが出来ます。昔、白土三平の漫画・サスケで風上からサスケがコンニャク粉を撒いて追っ手を窒息死させる印象的な場面を子供心に覚えていて、こんにゃく粉の膨潤は知っていましたが確かに凄いですね。


乾麺・ほしうどん

2012年01月02日 | ブータン ライフ

 12月31日の大晦日はプンツオリン日本人会で盛大に越年を祝いました。(と言っても3人ですが...、M会長は帰国中) チキンを丸ごと買ってきて、市場で仕入れたカボス?と醤油でポン酢を作り水炊き、なかなか結構なお味でした。醤油があれば百人力ですね。

 ついでに、みんなでウドンを打ちました。小麦粉1kgを打ったのですが、とても食べきれないので余った分をハンガーに吊るして乾麺にしました。(上写真) 一晩で見事な干しうどんの出来上がりです。

 今晩はこの乾麺と牛肉で盛大に、すき焼き新年パーティーを予定しています。勝負はあの硬い牛を、いかに薄く切れるかにかかっています... 包丁、研いどこ