日本の皇室は三種の神器を祭祀しています。 剣と鏡と玉です。これは王権の象徴でこの3点セットを持つものが王の権威を得る事になります。八尺瓊の曲玉、八咫鏡・草薙剣ですね。
さて、この3点セットですが実は日本がオリジナルでは有りません。韓国西部の忠清南道に錦江という大河があり、その流域の遺構から細型銅剣と天河石半環式飾玉および粗文鏡という3点セットが幾つも見つかっており、おそらくこれが皇室の3種の神器の源流だろうと思われます。
この錦江流域出土品の年代は戦国初・中期(BC5-4世紀)と見られる古いものです。そしてその3点セットは日本で最も古い弥生遺跡・王墓である福岡市の吉武高木遺跡からも見つかっています。ここで発見された多紐細文鏡は朝鮮半島で作られたもので、この遺跡自体は朝鮮半島から来た渡来人の王族のものであろうと考えられています。
そして、この3点セットが畿内で見つかるのは古墳時代以降の事になります。そして、それは現在の皇室に引き継がれている。
ちなみにこの3種の神器を祭祀とするのは大和系渡来人だけで、出雲系の人びとの祭祀したのものは銅鐸であり、縄文系の人々のそれは土偶である。この祭祀に使われる神器は思いつきや偶然で選ばれるものではなく、その一族が継承する最も重要な宝でありその一族の歴史を物語るものなのです。
この3種の神器をたどることで見えてくる日本列島における農耕化とそれに伴う王権の確立は以下のように考えられます。
中国では紀元前5世紀ごろ国が乱れ戦国時代に入ります。その余波は朝鮮半島に及びその戦乱を避ける、或いは戦に負けた人々は強い圧力に晒され対馬経由で北九州地方に移住し稲作と共に定住した。この最終形が卑弥呼を女王とする邪馬台国でしょう。
そして、勢力を拡大し瀬戸内海経由で畿内に侵入して大和王権を確立した。それまで近畿一円で栄えていた銅鐸文化つまり、出雲系渡来人の文化は3世紀末ー4世紀初頭の北九州勢の侵入で一掃され一気に剣・鏡・玉を象徴とする文化に切り替わった。
古事記・日本書紀に記されている高天原は恐らく出発点である朝鮮西部地域であり、神武東征、出雲国譲り(征服)などは実際に起ったことだと思います。
ただ、記紀の問題点は正史編纂にあたって下手な下心をだして日本の歴史を中国に伍するよう古く見せかけるよう改竄した点にあります。つまり嘘を入れ込んだのです。下記のような寿命は事実とは考えられません。
安本美典氏の説によると歴史上確認の取れている天皇の平均在位年数は13年でそれを下記の帝紀にかけるとちょうど天照大神と卑弥呼が3世紀中葉で一致するとされています。
つまり、現在の皇室の源流は朝鮮西部にあり、そこから戦乱を逃れて北九州に移住し卑弥呼を女王とする邪馬台国をつくり畿内に侵入して大和王権を確立した、というのが大まかなプロットではないでしょうか。ヤマタイー>ヤマトですね。そして、卑弥呼は神話上天照大神として記録されたという訳です。
補足 歴代天皇の寿命
天皇名 『日本書紀』 『古事記』
神武天皇 127歳 137歳
綏靖(すいぜい)天皇 84歳 45歳
安寧(あんねい)天皇 57歳 49歳
懿徳(いとく)天皇 77歳 45歳
孝昭天皇 113歳 93歳
孝安天皇 137歳 123歳
孝霊天皇 128歳 106歳
孝元天皇 116歳 57歳
開化天皇 115歳 63歳
崇神(すじん)天皇 120歳 168歳
垂仁(すいにん)天皇 140歳 153歳
景行(けいこう)天皇 106歳 137歳
成務天皇 107歳 95歳
仲哀天皇 52歳 52歳
応神天皇 110歳 130歳