雄孔雀の羽はなぜあんなに美しいのだろう? 生殖機能の無い働き蜂や蟻はなぜ存在するのだろうか? ダーウィニズム、適者生存原理は進化のメカニズムを理解しやすい形で説明する。しかし孔雀や働き蜂は適者生存で説明できるのであろうか?孔雀の羽は性淘汰という括りで説明される。つまり、あの美しい羽はメスをひきつける物であって、生存に有利な為に発達したものでは無いと。その場合、メスをひきつける意味・理由はなんであろうか? R.ドーキンスはその著書、利己的な遺伝子(Selfish Gene)で驚くべき主張を展開し多くの生物学者はしぶしぶそれを受け入れ、そして失望した。
生命は原始地球の海の中で発生した。最初の生命は単純な自己複製を行う分子であった。その分子は競合する他の分子より生存に有利なようにタンパク質を合成して、より有効な代謝を行うようになり、そのうちに細胞という殻を作ることを覚えた。そして細胞は集合し多細胞生物が生まれ人類に至っている。この自己複製を行う分子がDNA、遺伝子である。ドーキンスの主張は、DNAは遺伝を伝達する生命体の装置ではなく、DNAこそが生命の本体で、それを包む細胞や生命体と見えるものは実はDNAを運ぶ車(Vehicle)に過ぎない、と。
適者生存原理は正しいのだが、ダーウィンが間違えたのはその適用単位である。一見、適者生存は種単位で起こっているように見えるが、実はそれは遺伝子のレベルで起こっているのだ。 遺伝子は親から子に伝播し、その寿命は突然変異が起こらない期間、つまり10万年以上ある。生命個体は生と死を繰り返すが、遺伝子はその間をジャンプしながら生き延び、自己複製を繰り返し、増えようとする。
孔雀の羽が美しい理由は、美しい羽の雄の子孫は美しい羽を持ち、メスをよりひきつけ子孫をより多く作ることが出来、遺伝子は増殖の可能性が増える。それだけの理由だ。遺伝子にとって生命個体の生存適用性など眼中には無く、己の増殖のみを目的としている。これが利己的な遺伝子と呼ばれる所以だ。働き蜂や蟻のケースも同様で蜂や蟻固体には意味が無く女王蜂(蟻)を中心としたコロニー全体として遺伝子増殖を達成すればよいのである。
この考え方は、自己の存在認識を変える。生命個体は、遺伝子の儚い借りの住まいなのである。 ただ、ドーキンスは著書の最後に遺伝子に対抗するミームという情報子の概念を示した。我々の脳みそに蓄えられた知識は遺伝子の束縛から解放されている可能性があると...