徒然なるまゝによしなしごとを書きつくる

旧タイトル めざせ、ブータン

ブータン 貿易不振と外貨封鎖

2011年12月29日 | ブータン ライフ

 地元紙クエンセルによると、2011年度のブータンの貿易額は世界不況の影響を受けかなり不振だった様です。 http://www.kuenselonline.com/2011/?p=23996

 これを受けてか、新年早々よりブータン人、外国人共に外貨口座からのドル引き出しが封鎖されるようです。政府としては貿易不振の中、外貨を必死で確保しておきたいのでしょう。これにより、我々にもかなり深刻な影響が及ぶものと思われます。

 


インド 諸々

2011年12月27日 | 旅行

 インドで貰ったと思われるノロウイルスの呪いもだんだん解けてきて、体調は元に戻りつつあります。という訳で、おまけの写真をUP 

 

これは有名なダーシャシュワメード・ガートの傍にある給水塔に描かれている踊るシバですが、踏みつけになっている男はなんか他人ごとには見えない...

   

本格沐浴とは、このようにやるのです

ダージリン近くの車窓から見える広い広いお茶畑

  

力まかせに洗濯する男とベナレスの街角

 これはナイランジャラー川です。ブッダは菩提樹の下で悟りを開いた後、これを渡った対岸のシータ村でスジャータという娘から乳粥(ダヒ)を貰いました。

 この川には思い入れがあり、私も歩いて渡ってきました。約30年前ヒマラヤのツクチェ・ピーク(6920m)登山隊に参加し帰路立ち寄ったタトパニという温泉の出る場所でスルジェさんという日本人(平尾氏)と結婚した現地女性の宿屋に数泊しました。この二人の物語は”ヒマラヤの花嫁”という平尾さんの著書で当時有名でした。その本の冒頭に出てくるのが、このナイランジャラー川を平尾さんと友人が汗を垂らしながら渡渉するシーンです。彼はその後、ここからネパールに向かいスルジェと出会うのです。そのスルジェさんもタトパニの宿をたたみ、平尾さんと日本で生活されていたようですが数年前ガンで亡くなられたとの事です。ご冥福をお祈りします。

 素泊まり300Rs(450円)

   

 ナーランダは7世紀に玄奘三蔵が訪れた時は学僧一万人を超える当時、世界最大の大学でした。その後、12世紀にイスラムの焼き討ちに合い、またインドにおける仏教の衰退もあり廃墟となりました。現在は近くに国立大学があり学生が仏教学などを学んでいます。

 いったい、この菩提樹は何時から在るのだろうか


インド 旅で出会った人々

2011年12月25日 | 旅行

 ベナレス・ガートで花灯籠を売っていたペマちゃん。幾らか聞くと外国人価格20Rsをちょっと後ろめたそうに答えてくれた。

 

こちらも花灯籠売りのドサちゃん。もう流したから要らないというのに幾らで買ったか聞き出し、売りつけた挙句、お茶まで奢らされた。

 プーリー売りのオヤジには毎朝お世話になり仲良くなりました。

ブッダが悟りを開いた後、乳粥を受けたシータ村では、現在のスジャータ達の写真を撮ろうとすると恥ずかしがって顔を隠してしまいました。

 

宿で一緒だった子供たち。

   

はたらく人、歩く人

乗り物にも色々のりました。列車、バス、タクシー、オート・リクシャ、サイクル・リクシャそれからこのターンギ

  

ナーランダのバス停から遺跡まで往復7kmで乗ったターンギ使い。降り際にバクシスをくれと言うのでナヒーンと言うとちょっと悲しそうな顔をしていた

 


インド 食べ物

2011年12月25日 | 旅行

 インドは食べ物が旨くて安い。道端でこんなおじさんが揚げ物などを売っている。

   

これらが妙に旨い。値段はだいたい10Rs(16円)くらい。朝飯はいつも油で揚げたプーリーやサモサを頂いていました。

あと、チャイ(ミルクティー)は何処でも飲めて5Rs。これも香りが良くて甘くて美味しい。

   

サブジ(野菜)市場ではブロッコリーが旬です。

毎日、毎日食べていたのが上のターリー(定食)25Rs(40円)。食べ放題でご飯が無くなればいくらでも追加してくれる。もちろん右の素手で食べます。


体調不良

2011年12月25日 | ブータン ライフ

 インドから帰ってきた翌日にJICAの会議出席のため6時間バスに揺られてティンプーに行き、翌日にとんぼ返りしてきました。ところが帰ってくると、どうも熱っぽく体がだるい感じがしてなんか変だなと思っていると、かなり酷い下痢が始まりました。水様便ですが血便では無いしお腹もほとんど痛くないのでアメーバ赤痢等では無く、おそらくはノロウィルス感染だと思われます。

 朝になってようやく治まってきたので、ORSとグルタミン酸補給しながらしばらく安静にしています。

 


インド 列車の旅

2011年12月22日 | 旅行

 インドから今日帰ってきました。インドを列車で旅をするのは日本では経験できないようなハプニングの連続で大変疲れますが車窓の風景はとても美しいです。

   

 AC2(一等エアコン寝台車)はこんな感じで天国です。

   

 一般二等車はこんな感じで地獄です。日本の敗戦直後のヤミ列車はこんな感じだったろうと思わせる、棚の上にも足元にも右も左も人々... デッキでは溢れて外に掴まっています。でも、みんな隙間を作って一人でも多く座れるよう配慮しているのが良くわかります。インドの大衆は本当に親切で優しい人ばかりです。

 

 今インドは冬で寒いです。インドが寒いなんて思っていなかったので比較的軽装で行ったのですが間違いでした。昼間は陽の光で暖かいのですが、日没後すぐ冷え込んできて明け方から午前中にかけて霧で覆われ冷え込みます。この霧が列車運行に悪影響を及ぼしダイヤが乱れまくりです。おかげで行きの列車が6時間遅れで乗り継ぎが出来なくなりベナレスで足止めをくうし、帰りの列車はなんと16時間遅れで、たまたま早めに駅に行ったら一日前の列車が止まっていたのでそれに乗り込んで帰ってきました。

 

 


インド旅行へ出発

2011年12月12日 | 旅行

 明日から10日間ほどインドを旅行してきます。主な行き先はバラナシ、カジュラホ、オーランガバッド(エローラ、アジャンタ)、ムンバイ、コルカタです。これらを列車と一部飛行機で回ってきます。列車の予約は6列車中4列車は予約が確定、1列車がRAC15、最後の一つがWL/2のままです。RAC15に関してはもともとRAC60位から順位を上げてきてますし、出発駅なので問題ありません。WL/2については途中駅なので若干の心配は残ります。ただ、過去のデータを見ているとWL/5位までは何とかなっているようなので、よほど運が悪くない限り席はとれると思います... また、バックアップとしてこの列車に乗れなかった場合は翌日の別ルートの列車を予約確定しているので最悪スケジュール変更をして旅は続けられます。インドの列車がオーバーブックになるのは皆が私と同様にバックアップを予約するからだと思います。そして直前になって確定した人からキャンセルが始まり玉突きで締切直前に落ち着くところへ落ち着くと言うわけです。

 ちなみに、今後プンツオリンからインドへ旅行する方への情報ですが、最寄駅;HASIMARAへはジャイゴン・ゲート近くのオートリキシャで行けます。値段は乗合で15-20Rpと格安です。明日はこれで駅まで行く予定です。

 ということで、10日間ほどブログ更新はお休みしますので悪しからず。


カマ・ワン(Kama wang) トランスヒューマン

2011年12月11日 | ブータン ライフ

 昨日は未明から夜中までブータンと国外のインターネット回線が切れてしまった。自宅から大学のサーバーや、一部ブータン政府サイトにはアクセスできるのだが日本やその他の国にはアクセスできない状態が一日中続いた。銀行業務もシステムストップしてATMも止まったようだ。地元紙によるとティンプーとプンツオリン間の光ファイバーの接続ミスが原因のようで、12月6日頃からインターネットの調子が悪かったのと関係があるらしい。http://www.kuenselonline.com/2011/?p=22709 実は来学期から、ブータンで初めてのオプトエレクトロニクス講座を開講するわけだがうーん、これはなかなか重責であるぞ。

 ところで近所のトルサ河のこの間まで,なにも無かった川原が大変なことになっている。

ブータン中から大変な数の人々が集まってきているのだ。

 大学学長の意見では人数4万人らしい。4万人と言えば総人口70万人のブータン人の5%以上です。日本で言えば500万人が九州の筑後川あたりの川原に集まる様なものですよ!これはカマ・ワンという宗教行事でここに集って日がな一日、高僧の話を聞いたりお教を唱えたり周りの人とおしゃべりしたりして過ごしている。ざっと見て横200人、縦200人くらいは居そうなので4万人はあながち誇張ではなさそうです。(学長は極めて真面目な信頼に足る方です。)

 実はこれは宗教行事にかこつけてはいますが、高地の人たちが避寒のために低地に移動するトランスヒューマンという生活様式なのです。人々は生産活動は一切せず、こうやって12月初旬から3月頃までここで過ごします。なかなか優雅なものですね、生活に余裕がなければなかなか、こんなことは出来ないでしょう。

 出店もあります、トイレも川に張り出した立派な水洗便所が設置されています。

   


成人病と低体重新生児

2011年12月08日 | 生命

 

 成人病、特に糖尿病は飢餓をくぐり抜けてきた人類が、いままで接したことの無い飽食という状況下で不適合を起こしている典型症例だとばかり思っていた。しかし、事実はそんなに単純ではなかったのだ。

 成人病胎児期発症説というのがある。http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/science_111205.htm

 つまり、妊娠中母親が食事制限等をして胎児が飢餓状態になるとエピジェネティクス(遺伝子DNAの配列は変化せず、環境により生ずる遺伝子発現の制御システム)の変化が起こり飢餓適応の子供、つまり糖尿病などに成りやすい子供が生まれてくるというものだ。これは、小さく産んで大きく育てるという流行が将来とんでもない厄災をもたらすことを示している。

 遺伝子は主に発生時に関与する。個体発生は系統発生を繰り返すという、ヘッケルの反復説は真実を含んでいる。発生は遺伝子のコードをトレースしながら進む。そのコードは進化の順番を保っているはずだ。そうでなければ生体機構の継続性が成立しない。ただ、発生環境に反応しエピジェネティクス適合は起こる。生命の歴史の中で飢餓期間をどう乗り切るかという事は最大のテーマだったろう。その機序が胎児に働き、母親の妊娠ダイエットを飢餓と勘違いする...

 成人病が気になる方は、ご自分の出生時体重を母上にお尋ねになるが宜しいかと存じます。

 


政治家について

2011年12月06日 | 経済

 Euroに関するドイツとフランスの合意が成立したようだ。http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJE7B401C20111205 これが9日のEU首脳会議で採択され、それに市場がどう反応するかを注視しておかなくてはならないが、サルコジ氏とメルケル女史は政治家としての職責を果たしたといえよう。

 今にして思うと、この決断は早すぎても国内世論の支持を得られないし、遅すぎると取り返しがつかない所まで事態は悪化してしまう。今回は正に崖っぷちぎりぎりの絶妙のタイミングであったと思う。おそらく両氏は最初からこの時点を見極めていたのかもしれない。何れにせよ選挙民に忍苦を強いる決断をする場合はそれが必要であることが選挙民の腹に落ちることが必要で、いくら頭でそうわかっていてもそれだけでは駄目で”納得”してもらう必要がある。そのために政治家は拙速な対応で失敗するのを避けるため、柿の実が熟してポトリと落ちるのを待つがごとく、機が熟すのを待つ必要がある。管さんや鳩山さんにはこれが出来なかった。

 日本では消費税10%の議論が進んでいるが世論としては”止む無し”の傾向にあろう。野田さんは最初は大丈夫かなと思っていたが、どうやら機が熟すのを待てる政治家のようで、なかなか期待できる。

 さて、わが日本に目を移すと不景気な話しか聞こえてこない。しかし、世の中は欧州も米国もそして間違いなく中国もこれから不景気のどん底に入っていく。そうなると既に20年近く不景気が続いている日本は相対的に影響が小さいともいえる。これに関して信州大の先生が面白いことを書いているので御参照ください。http://diamond.jp/articles/-/15208 意外とこれからの10年は日本が復活するチャンスかも知れませんよ。


EUROの兆し

2011年12月05日 | 経済

 危機的状況に陥っているEURO、最終決断を下すEU首脳会議(12/9)まで残すところ4日となりました。しかしここにきて明るい兆しも見え始めています。その一つがイタリアの赤字削減のための緊急措置決定です。http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LVP4K46KLVR401.html

 こんなことは大したことはない、と思われるかも知れませんがイタリアの前首相(ベルルスコーニ)の元ではこれが真面目に取り上げられたのか極めて疑問です。彼については、本ブログで以前取り上げた事がありますが極めて人徳の低い政治家でした。http://blog.goo.ne.jp/pgpilotx/e/474b1065683dac18008bd3ebc5d44eaa

  

 ドイツのメルケル首相は彼が大嫌いで、彼が首相である限りドイツは決してユーロ債の発行は認めなかったでしょう。ところが、そのドイツの意向もありイタリアの首相はマリオ・モンティ氏に変わりました。そして今回彼の内閣は国民に忍苦を強いることになる緊急経済措置を閣議決定し、議会に提出します。その記者会見で彼はこういっています。

 「イタリアの巨額の公的債務は欧州の責任ではなく、イタリア国民の責任だ。われわれは将来のイタリアを担う若者の幸福について十分に注意を払ってこなかった」

 このイタリア人の言葉に、ドイツ人が頷いてくれればEUROは生き延びる可能性が出てきます。 今、EUROは買い、かもしれません。


インド人の理髪師

2011年12月03日 | ブータン ライフ

 昨日で大学の全ての試験が終わり、学生達は冬休みに入る。ほとんどの学生は帰省し来年の二月まで大学はガランとなる。ということで、こちらも本当に暇になるのだが来学期の時間割が発表されて、2教科で週に5時間の講義と4時間の実験実習および1時間のチューターと結構忙しい。週に10時間しか働かないのか、と言われるかも知れませんが5時間の講義には10時間以上の準備が必要なのですよ。

 ブータンに着任して早二ヶ月が過ぎ、髪が随分と伸びてきた。最近気がついた頭頂部の薄さに比べ、後頭部や耳の上などの髪はせっせと伸びる。そこで意を決して床屋に行ってきた。散髪椅子が6脚ほどある床屋に入り、髪を切ってくれと言うと、そこに座れと顎でしゃくられ、どれだけ切るのだと問うので手で自分の髪をつかみこれくらいと言うとミディアムカットだなと洒落たことを言う。

 それからは別の無口で小柄なインド人がハサミをシャカシャカ言わせながらバサバサと髪を切ってくれた。時々両手でぐいっと首の角度を決められ、その姿勢でじっとしていると上手に切ってくれる。日本では1500円の床屋に行っているのだが、その3倍くらいの時間をかけて実に丁寧に上手にカットしてくれる。生え際も使い捨てカミソリでスッキリ整えてくれた。

 やっと終わりかと思ったら、マッサージもやるか、と聞くのでついでにやってもらった。これがまたすごい。頭をポコポコ言わせて叩いたり頭皮を思いっきり頭頂部に向けて引き上げたり、腕を取ってありえない角度にねじ上げてもみ上げ、首を左右にゴキッと言わせたりと、うぎゃーと声が出るようなインド・ヨガ式マッサージをトックリとやってもらった。おかげで随分と頭や肩首が軽くなった。それやこれやで1時間ほど色々やってもらった挙句値段を聞くと80Nuとおっしゃる。日本円でなんと120円ですよ。一物一価の原則は明らかに間違っていることが良くわかりますね。

 このインド人の理髪師、仕事中は少々怒ったタカのような真剣な目付きで淡々と手を動かしていたが、最後にこちらも満足してありがとうと言うと、ニコッと相好を崩し実に人間的な表情を見せてくれた。インド人も日本人も同じ人間ですね。

 ということで、とても満足して何時ものチベットオヤジの店に昼飯を食べに行くと、オーずいぶんハンサムになってブータン娘にモテモテだな、などと冷やかされた。こんなに安くて気持ち良くなれるのだったら毎月散髪に行っても良いな、と思う今日この頃です。


EURO危機

2011年12月01日 | 経済

 いま欧州経済と世界経済は破滅の崖っぷちに立っています。これからの10日間でその結果がでます。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/31144

 問題は、ドイツがインフレリスクを犯してもECBの増資を認め、その見返りとして主にフランスがEUの国家主権への介入を飲む、という妥協が成立するかどうかです。この二つは各々の国内で強烈な反対があり、それをうまく逸して妥協ができない限り、EUROは崩壊し世界経済は破局に向かうでしょう。他人事でも無いのですが、欧州政治指導者の老獪なお手並み拝見です。