世の中には起源のわからない古代の遺跡というものがある。
これは郷里、北九州の山中にある神籠石と呼ばれている遺跡だ。先月帰郷した折に撮影してきた。
これは中世の城跡では無く、それより1000年ほど古い7世紀以前の遺跡であるらしいが、その目的や所以は良くわかってはいない。
どうも朝鮮式山城というのが定説のようだが、なぜ朝鮮の山城が北部九州に有るのか?
この遺跡の規模はかなり大きく、当時は山中に3kmの城壁が張り巡らせてあったようだ。その中には長期戦に備えて水を確保するための水門があり、食料を備蓄し長期間持ちこたえる準備をしていた。
稲作とともに渡来した人々は最初に北部九州に定着し、その勢力を南下あるいは瀬戸内海沿いうに広げていった。おそらく、この山城が有ったあたりはその勢力の重要な拠点であったと思われる。
この地域は豊前国京都郡と呼ばれる。豊の国、豊芦原瑞穂の国である。この遺跡の近くに稗田という地区がある。稗田阿礼の稗田だ。以前にも書いたが、記紀の天照大神は卑弥呼の事であり、その所在地は邪馬台国、東に海がありその向こうにも倭人の国がある位置。この遺跡はその条件に合う皇室の宗廟、宇佐神宮のそばに位置する。
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