立山の砂防工事資料館にポスターが貼ってありました、「魚津歴史民族博物館で米騒動の特別展やってます!」だって。こりゃ、絶対に見に行かなくちゃダメだな。と、地図を頼りにやって来ましたが、廃墟温泉ホテルの裏山にある淋しい博物館(しかも別館)で入っても大丈夫なんでしょうか。なんか、「金物は外せ」とか「耳にクリーム」とかそんな雰囲気なんですけど。ちゃんと米騒動の特別展はやっておりましたが、ぴらにあたちの他にお客さんは一人もおりませんでした・・・
【魚津米騒動とは?】
今から100年前の1,918年(大正7年)、魚津の漁師さんの奥さんたちが港に集まって、北海道に送る米を積み込んでいた船の米を自分たちに売ってくれと交渉したという事柄が、な~んでか暴徒が米を強奪したり米蔵を焼き討ちにしたり(魚津ではそんな事実はありません)、「越中女一揆」とか新聞が面白おかしく伝えたために、全国に騒動が広がってとうとう内閣が総辞職に追い込まれたという怖~いお話です。原因は米価の高騰にあるんですけど、では実際にどれくらい高騰したのか計算してみました・・・
【まず、どうして米価が高騰したのでしょう?】
ぴらにあの研究によりますと大きく4つの原因があります・・・
1.全国的に第一次世界大戦の好景気で米に限らず物価が高騰していた。
2.都市部に労働者(工場勤務)が集まったため、地方では米が品薄になった。
3.農家がリッチになったため、農村部でも主食が雑穀から米食になってきた。
4.シベリア出兵の準備で大規模な売り惜しみ(投機目的)が発生していた。
【どれくらい米価が上がったのでしょう?】
今と当時ではお金の価値が違いますので一概には言えませんが、一応頑張って計算してみました・・・
1.まず、1,918年のお米1石(150Kg)あたりの金額が出てきました。
1月 15円
7月 30円
8月 50円(なんと半年ちょっとで3倍以上!)
2.当時と今の給料を元に米価を比べてみましょう。
1,918年の平均月収 20円
2,018年の平均月収 30万円(15,000倍になってます)
3.給料の増加率を元に米価に当てはめてみますと。
50円(8月の価格)×15,000=750,000円(1石・150Kg)
わかりにくいので、10Kgに換算してみます。
750,000円÷15=50,000円(10Kg)
もう、この時点でムチャクチャ(今の10倍!)ですよね・・・
4.一家4人で1ヶ月分として計算してみました。
ぴら家でだいたい1ヶ月10~15Kg消費しています。
ぴら家はあまり高いお米は食べてませんが、それでも4,000~6,000円ですね。
これは、だいたい一日ひとり1合(150g)平均の計算になります。
今はお米の他にもパンとか麺類とか、おかずもたくさんありますので、そんなモンでしょう。
しかし、米騒動の当時はほとんど米飯メインなので、だいたいひとり3合(450g)~5合(750g)、
肉体労働者だと10合(1.5Kg)の米を食べていたそうです。
まぁ、平均4合食べていたとして一家4人だと1ヶ月40~60Kgになりますので、
現在のお金に換算すると、なんと1ヶ月20~30万円という値段になっちゃいます。
そりゃ、港で詰め寄るくらいするわな・・・
【米騒動その後・・・】
1,918年8月にムチャクチャだった米価ですが、国の介入でも全く下がる気配を見せず、米騒動は全国に飛び火(どんどんエスカレート)していきます。しかし、その年の暮れにはすっかり全国の米騒動は収まってしまいました。つまり、新米が取れて米不足が解消されちゃったんですよね・・・
※米騒動のデータ及び考察はあくまでもぴらにあ独自の研究によりますので、公式なモノでは一切ありません・・・(笑)
【小娘さんの持ち上げてた米俵は4斗俵(0.4石)で60Kg、昔は女の人でもヒョイと肩に担いだそうですが、ぴらにあは10cmしか持ち上げられませんでした。海岸線の児童公園に米騒動の説明書きがひっそりとあります・・・】
【米騒動の当時から存在した倉庫(現物)が残ってました。この前の道路は蜃気楼見物で何度も通ってるんですけど、25年間気がつかなかったなぁ・・・】
【またこれが控えめな石碑・・・】
【ここで何度か幻の蜃気楼を見たはずなんですけどねぇ。実際に北海道行きの船にお米を積み込んでいた場所だそうです・・・】
【本日のお宿は魚津駅前のビジネスホテルを予約しておきました。最上階なので眺めよし(しかし大雨)、引き込み線にラッセル車(DE15の先っぽ?)が停まってるのがなんとも日本海っぽくてステキ・・・】
【晩ご飯は富山駅まで行ってみましょう。あいの風とやま鉄道線(旧北陸本線)って名前が面倒くさいだけじゃなくて、鬼の青春18キップ使用不可区間です。でもSuicaは使えます、小児運賃のピヨピヨがやたら大音量です・・・】
【富山駅前のプレハブみたいな定食屋ですが、ここが富山湾の幸が安くて美味いんですな。白エビの天ぷら、地魚のお刺身、昆布締め、鯖の焼き魚を堪能しました・・・】
【ディナーの食堂は地元のお醤油が4種類使い放題なのが面白いんですな。で、腹ごなしの市電には乗りませんでした。C国の団体さんが無理して渡ろうとして轢かれそうでした・・・】
【帰りもあいの風とやま鉄道線の521系で戻りました、途中で見た413系にも乗りたかったなぁ。魚津市のゆるキャラはミラたんです、ミラージュ(蜃気楼)のミラたんだそうです・・・】
【ホテルのロビーには湧き水があって、何回も飲んできました。大浴場にも湧き水の水風呂(メッチャ冷たい!)があって、何回か心臓が止まりそうになりました・・・】
【やっぱ富山はカマボコですよね。赤いグルグルのヤツも夜食にいただきました・・・】
【ナゼか魚津の街路樹に姫リンゴがたくさん、野生動物(10ちゃい児)が2つばかりもぎ取って食べてました・・・】
【魚津米騒動とは?】
今から100年前の1,918年(大正7年)、魚津の漁師さんの奥さんたちが港に集まって、北海道に送る米を積み込んでいた船の米を自分たちに売ってくれと交渉したという事柄が、な~んでか暴徒が米を強奪したり米蔵を焼き討ちにしたり(魚津ではそんな事実はありません)、「越中女一揆」とか新聞が面白おかしく伝えたために、全国に騒動が広がってとうとう内閣が総辞職に追い込まれたという怖~いお話です。原因は米価の高騰にあるんですけど、では実際にどれくらい高騰したのか計算してみました・・・
【まず、どうして米価が高騰したのでしょう?】
ぴらにあの研究によりますと大きく4つの原因があります・・・
1.全国的に第一次世界大戦の好景気で米に限らず物価が高騰していた。
2.都市部に労働者(工場勤務)が集まったため、地方では米が品薄になった。
3.農家がリッチになったため、農村部でも主食が雑穀から米食になってきた。
4.シベリア出兵の準備で大規模な売り惜しみ(投機目的)が発生していた。
【どれくらい米価が上がったのでしょう?】
今と当時ではお金の価値が違いますので一概には言えませんが、一応頑張って計算してみました・・・
1.まず、1,918年のお米1石(150Kg)あたりの金額が出てきました。
1月 15円
7月 30円
8月 50円(なんと半年ちょっとで3倍以上!)
2.当時と今の給料を元に米価を比べてみましょう。
1,918年の平均月収 20円
2,018年の平均月収 30万円(15,000倍になってます)
3.給料の増加率を元に米価に当てはめてみますと。
50円(8月の価格)×15,000=750,000円(1石・150Kg)
わかりにくいので、10Kgに換算してみます。
750,000円÷15=50,000円(10Kg)
もう、この時点でムチャクチャ(今の10倍!)ですよね・・・
4.一家4人で1ヶ月分として計算してみました。
ぴら家でだいたい1ヶ月10~15Kg消費しています。
ぴら家はあまり高いお米は食べてませんが、それでも4,000~6,000円ですね。
これは、だいたい一日ひとり1合(150g)平均の計算になります。
今はお米の他にもパンとか麺類とか、おかずもたくさんありますので、そんなモンでしょう。
しかし、米騒動の当時はほとんど米飯メインなので、だいたいひとり3合(450g)~5合(750g)、
肉体労働者だと10合(1.5Kg)の米を食べていたそうです。
まぁ、平均4合食べていたとして一家4人だと1ヶ月40~60Kgになりますので、
現在のお金に換算すると、なんと1ヶ月20~30万円という値段になっちゃいます。
そりゃ、港で詰め寄るくらいするわな・・・
【米騒動その後・・・】
1,918年8月にムチャクチャだった米価ですが、国の介入でも全く下がる気配を見せず、米騒動は全国に飛び火(どんどんエスカレート)していきます。しかし、その年の暮れにはすっかり全国の米騒動は収まってしまいました。つまり、新米が取れて米不足が解消されちゃったんですよね・・・
※米騒動のデータ及び考察はあくまでもぴらにあ独自の研究によりますので、公式なモノでは一切ありません・・・(笑)
【小娘さんの持ち上げてた米俵は4斗俵(0.4石)で60Kg、昔は女の人でもヒョイと肩に担いだそうですが、ぴらにあは10cmしか持ち上げられませんでした。海岸線の児童公園に米騒動の説明書きがひっそりとあります・・・】
【米騒動の当時から存在した倉庫(現物)が残ってました。この前の道路は蜃気楼見物で何度も通ってるんですけど、25年間気がつかなかったなぁ・・・】
【またこれが控えめな石碑・・・】
【ここで何度か幻の蜃気楼を見たはずなんですけどねぇ。実際に北海道行きの船にお米を積み込んでいた場所だそうです・・・】
【本日のお宿は魚津駅前のビジネスホテルを予約しておきました。最上階なので眺めよし(しかし大雨)、引き込み線にラッセル車(DE15の先っぽ?)が停まってるのがなんとも日本海っぽくてステキ・・・】
【晩ご飯は富山駅まで行ってみましょう。あいの風とやま鉄道線(旧北陸本線)って名前が面倒くさいだけじゃなくて、鬼の青春18キップ使用不可区間です。でもSuicaは使えます、小児運賃のピヨピヨがやたら大音量です・・・】
【富山駅前のプレハブみたいな定食屋ですが、ここが富山湾の幸が安くて美味いんですな。白エビの天ぷら、地魚のお刺身、昆布締め、鯖の焼き魚を堪能しました・・・】
【ディナーの食堂は地元のお醤油が4種類使い放題なのが面白いんですな。で、腹ごなしの市電には乗りませんでした。C国の団体さんが無理して渡ろうとして轢かれそうでした・・・】
【帰りもあいの風とやま鉄道線の521系で戻りました、途中で見た413系にも乗りたかったなぁ。魚津市のゆるキャラはミラたんです、ミラージュ(蜃気楼)のミラたんだそうです・・・】
【ホテルのロビーには湧き水があって、何回も飲んできました。大浴場にも湧き水の水風呂(メッチャ冷たい!)があって、何回か心臓が止まりそうになりました・・・】
【やっぱ富山はカマボコですよね。赤いグルグルのヤツも夜食にいただきました・・・】
【ナゼか魚津の街路樹に姫リンゴがたくさん、野生動物(10ちゃい児)が2つばかりもぎ取って食べてました・・・】