おとついから私のいとこの子供たちと、またちょっと遠い親戚の子などが
あつまってきている。
いまではがらんとしているが、私の子供の頃は多い時間帯で20人ぐらい
人が出入りする家だった。
家が合宿所みたいになっているのでNoneも勉強は休みで親戚たちと遊んで
過ごしている。
私の世代ではいとこ同士仲がいいとは言えなくて、お金だけ親から
渡されて育児放棄されているような手合いは買ったものを見せびらかし
持っていないものを馬鹿にするし、お堅い家では由緒正しいような
生き方に固執していた。
在日系と純和風系にわかれたのだが、親が沖縄の私はどちらにもつけず
在日組のようにビジネスで成功していないので貧相だし、純和風みたいに
昔ながらのしきたりなんかも習っていなかったので仲間に入れなかった。
かんじんの親は父は呑み助で母は仕事にしばられていたし。
なにかと競争する傾向があったので、どちらからも馬鹿にはされないように学校の成績でがんばったものだった。
いまはあのときの諍いをこの子たちの世代で解消しようという雰囲気だ
わたしはこの家では親戚とあまりまともに話したことはなくて、親より
近い友人たちがつねにそばにいた。
ただ、その友達にも複雑な家庭の事情があったので今は行方不明とか
そんな感じのほうが多くなってしまったが。
Noneたちはきのう仲良くみんなでUSJに行ってきたらしい。
Noneは誰とも競争しないで自分のベストの状態を探るように勉強してきた。
私の時、血統とか財産とかで見下されないように勉強していた私とは
違う。
Noneの学校では持てる者持てない物、お勉強の好きな子嫌いな子
運動が得意な子、などなどはみんな個性として受容しているように
思える。
Noneは何かに負けないためにとか勝つためにとかで勉強しているのではない。
私が学んだもので、楽しかったもの、やりがいがあったものを私の
文化資本として相続しているのだ。
Noneのほうには私とちがって共存する知恵も教えていっている。
母は私を自慢の種にすることで生きがいを保っていたが、そうである
自分を保たなければならない私のほうは楽ではなかったし、自慢された
親戚からの風当たりも強く、皆ではないが私から何か仕掛けたわけでは
ないのに敵が多かった。
Noneが私の生きがいであることは私も同じだが、Noneが生活をする
範囲を狭めるようなことをできるだけしないでやっている。
通信簿をもらってきたNoneに私が言ったことは「うまく生きろ」
中学先取りより英語より優先してきたこと。
それでも、私たちのような人間はやはり「お勉強でがんばりました」という
人達といるほうが居心地がいい。
Noneはわりとそうでもないひとたちともうまくやれるように、私の反省から
ラフにつきあえるキャラになっているけど。でも仲良くしているのは
生真面目なタイプの方が多い。
いとこの子供たちはそれぞれにその親のキャラクターを受け継ぎながら
育っている。共通点はあまりないが、少子化世代共通の「親戚が少ない」
でつながっている。
こんな日にはブルデューの文化資本について誰かと話せたらいいのに
と思う。
ああ、せめて私が価値があると信じてNoneに教えていることが、Noneの
人生で実際に有益なことになりますようにと願ってやまない。
だいたいこんな感じです。

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あつまってきている。
いまではがらんとしているが、私の子供の頃は多い時間帯で20人ぐらい
人が出入りする家だった。
家が合宿所みたいになっているのでNoneも勉強は休みで親戚たちと遊んで
過ごしている。
私の世代ではいとこ同士仲がいいとは言えなくて、お金だけ親から
渡されて育児放棄されているような手合いは買ったものを見せびらかし
持っていないものを馬鹿にするし、お堅い家では由緒正しいような
生き方に固執していた。
在日系と純和風系にわかれたのだが、親が沖縄の私はどちらにもつけず
在日組のようにビジネスで成功していないので貧相だし、純和風みたいに
昔ながらのしきたりなんかも習っていなかったので仲間に入れなかった。
かんじんの親は父は呑み助で母は仕事にしばられていたし。
なにかと競争する傾向があったので、どちらからも馬鹿にはされないように学校の成績でがんばったものだった。
いまはあのときの諍いをこの子たちの世代で解消しようという雰囲気だ
わたしはこの家では親戚とあまりまともに話したことはなくて、親より
近い友人たちがつねにそばにいた。
ただ、その友達にも複雑な家庭の事情があったので今は行方不明とか
そんな感じのほうが多くなってしまったが。
Noneたちはきのう仲良くみんなでUSJに行ってきたらしい。
Noneは誰とも競争しないで自分のベストの状態を探るように勉強してきた。
私の時、血統とか財産とかで見下されないように勉強していた私とは
違う。
Noneの学校では持てる者持てない物、お勉強の好きな子嫌いな子
運動が得意な子、などなどはみんな個性として受容しているように
思える。
Noneは何かに負けないためにとか勝つためにとかで勉強しているのではない。
私が学んだもので、楽しかったもの、やりがいがあったものを私の
文化資本として相続しているのだ。
Noneのほうには私とちがって共存する知恵も教えていっている。
母は私を自慢の種にすることで生きがいを保っていたが、そうである
自分を保たなければならない私のほうは楽ではなかったし、自慢された
親戚からの風当たりも強く、皆ではないが私から何か仕掛けたわけでは
ないのに敵が多かった。
Noneが私の生きがいであることは私も同じだが、Noneが生活をする
範囲を狭めるようなことをできるだけしないでやっている。
通信簿をもらってきたNoneに私が言ったことは「うまく生きろ」
中学先取りより英語より優先してきたこと。
それでも、私たちのような人間はやはり「お勉強でがんばりました」という
人達といるほうが居心地がいい。
Noneはわりとそうでもないひとたちともうまくやれるように、私の反省から
ラフにつきあえるキャラになっているけど。でも仲良くしているのは
生真面目なタイプの方が多い。
いとこの子供たちはそれぞれにその親のキャラクターを受け継ぎながら
育っている。共通点はあまりないが、少子化世代共通の「親戚が少ない」
でつながっている。
こんな日にはブルデューの文化資本について誰かと話せたらいいのに
と思う。
ああ、せめて私が価値があると信じてNoneに教えていることが、Noneの
人生で実際に有益なことになりますようにと願ってやまない。
だいたいこんな感じです。
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