愛すればこその苦言
妥協ばかりのぬるま湯では、人は育たない。
嫌われ役を演じてくれる人こそ尊い。
素直に改め、一回り大きく成長しよう。
家庭教育・・・
実は、人生の中で一番真剣に・・・
いつもいつも変わらぬ愛情で・・・
見つめてくれている?のって・・・
親(特に母親)なんですよね・・・
だから・・・
口うるさく聞こえる様にいろいろな事を・・・
あぁもうわかっているから静かにして!・・・
そう思う?感じ?その位いつも近くで?・・・
そこには、『愛』があったんですね。!?・・・
大きな愛が・・・
家庭教育・・・
その原点は、この『大きな愛』だったのかなぁって・・・
愛がそこにあった故に(まさに無償の愛)家庭での・・・
家庭教育というモノがどんな形であれ成立していた・・・
いろんな形の?家庭教育が言葉と共に存在していた・・・
共育、胸育、鏡育、みんな『大きな愛』を感じる?・・・
ゆとり教育・・・
このゆとりを文字通り受け取っていい意味での実践もあれば・・・
違う意味でのチャンス?差別化?という感覚で競育や狭育も・・・
その後家庭教育を学校教育へ委ねるような感覚?も登場して・・・
結果?モンスターペアレントという言葉の登場へつながった・・・
私が見てきた10数年の本部役員(+顧問、相談役)関わり・・・
学校と家庭と地域でのその変遷を目の当たりにしてきました・・・
強育、恐育、狂育、凶育・・・いつの間にこんな言葉が!?・・・