そんかとくか
人間のものさし
うそかまことか
佛さまの
ものさし
みつを
ものさし・・・
なにをものさしに?
どんなものさしに?
同じ事にあたっても
違う見え方がするのかもしれませんね・・・
以前・・・
ものさしは子ども・・・っていうフレーズで何度か
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100102 『 大自然のそろばんには、くるいがない 』・・・がPTA談義に!?(笑)
他にもいくつも出てきました。
先々代の教育長がいつも口にしていたフレーズなんです。
『ものさしは、子どもで・・・』
私は、『ものさしは、子どもの“こころ”で・・・』と理解しました。
とはいえ・・・
PTAという組織は、PとTのA(協働)の場面!?
大人が手と手を携える場面なのかなぁって
私は思っています。
大人が学ぶ・・・
大人が学び・・・
その学びを子どもへ
子どもの“こころ”へ・・・
本来は、改めて学ぶ場面って必要なく??
日々の生活の中で自然と家庭教育を通して身につくもの??
ところが??
家庭環境の変化?によって??
核家族化が進んだり・・・
家族の人数としての単位の減少も・・・
家庭の中での切磋琢磨や集団生活の予備軍的な体験?
そういったモノが少なくなってしまった!?
そんな現実があり、学ぶ機会が改めて必要に??
個の尊重・・・
個の充実・・・
いい意味での個の確立?が出来た成果として??
(実は・・・)代償として??(苦笑)
公というモノ、公共心というモノ、お互い様?というモノも
薄れてしまってきているのでしょうか??
学校という場面で子どもたちが学ぶこと
生きていくための“生きる力”の根っこの部分・・・
社会へ出るための集団生活という部分の根っこの部分・・・
その生きる力や人間力の一つの“形”として知識や知恵というモノがって
私は思っているんですが・・・(なので知識や知恵は自然と身についていく!?)
親という立場の保護者・・・
その子どもが成長していく過程で実は一緒に?
その“親力”を磨いていくのかなぁって思っています。
個としての人の成長というモノと
親としての人の成長というモノは
人と人との絆がそこに入ってくると・・・
同じ人間の成長の中でもちょっと違う??
特にそれが親子の絆という部分(無償の愛・・・)
過日の『おかあさん』の講演会でもそれを強く感じました。
親と子の関係の中では、まさしくものさしは、子どもであり
そこにそんかとくか?というものさしは存在しない??
ところが・・・違う親子や親同士あるいは子ども同士になると(苦笑)
ものさしは、子どもの“こころ”って
ふと思いました・・・
わが子の様にひと様の事を思いやることが出来る優しい“こころ”(目線?)
親も子もそんな“こころ”を一緒に育んでいければ◎ですね(*^_^*)