唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

チャイナ・シンドローム

2011年07月07日 | 好きな映画・良かった映画
チャイナ・シンドローム コレクターズ・エディション [DVD]
クリエーター情報なし
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント


今福島原発の問題もありタイムリーな映画です。
でも、実際の今起こっている事故は、この映画が警鐘しているものがことごとく現実になってしまった状態です。
そして、この映画でも利権がからんでいて、原発存続のために証拠隠滅や脅し、圧力がかかっていますが、実際にこうやって原発の危険性を覆い隠し、推進してきたのでしょうね。映画の最後も、泣ける終わり方にはなっていますが、反原発の勝利では終わっていません。戦いはこれからという終わり方です。
今回の福島原発の事故がおこって、それでも安全が確認されたと推進するのか、それとも、危険な物から撤退をしていくのか、そのせめぎ合いがこれからあるわけです。



九州電力のやらせ<九電>「原発賛成」やらせメール 関連会社に依頼
毎日新聞 7月6日(水)21時0分配信




やらせメール問題を受けて会見の冒頭に頭を下げる九電の眞部利應社長=福岡市中央区で2011年7月6日午後7時32分、矢頭智剛撮影

 九州電力の眞部利應(まなべとしお)社長は6日夜、同社内で会見し、玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開の是非を問うため経済産業省が6月26日にケーブルテレビで放送した県民向け説明番組に絡み、九電原子力発電本部の課長級社員が子会社に、再開を支持する電子メールを投稿するよう依頼していたと発表した。東京電力福島第1原発事故で原発の安全性に不安が広がる中、電力会社自らが「やらせメール」で番組の公平性を阻害したことで、原発再稼働の是非だけでなく、国の原子力政策への信頼を揺るがしかねない事態となった。

【国内の原発稼働状況の図入り記事】原発:夏前ありき「安全宣言」…再稼働要請へ(6月17日)

 眞部社長は企業トップとしての責任を認めたが、進退については「(言及を)控えたい」と明言を避けた。

 この九電社員は番組放送4日前の6月22日に▽西日本プラント工業▽九電産業▽西日本技術開発▽ニシム電子工業--の4子会社の社員4人にメールを送信。「発電再開容認の一国民の立場から、県民の共感を得るような意見や質問を発信してほしい」と依頼した。

 九電社内でも▽玄海原発▽川内原発(鹿児島県薩摩川内市)▽川内原子力総合事務所(同)--の3部署の中堅社員3人に同様のメールを送信した。番組にメールする際は九電関係者と分からないよう、自宅などのパソコンからアクセスするよう指示していた。

 子会社側から番組に何通届き、紹介されたかは把握していないという。子会社の社員は約2300人。番組中にメールが473件、ファクスが116件寄せられ、このうち11通が読み上げられた。再開容認の意見は4通含まれていた。

 眞部社長は事実関係を認めた上で、自らの関与は否定。「心からおわび申し上げる。責任は最終的に私が取る」と陳謝した。しかし、自らの進退を問われると「進退まで問われる事かどうか。国とも話し合いたい」とかわした。メールを流した社員への聞き取り調査は7日にも実施するという。

 この問題は、6日の衆議院予算委員会で笠井亮(あきら)衆院議員(共産)が取り上げた。海江田万里経産相が「九電がやっているなら非常にけしからん。しかるべき措置をする」と九電を批判し、同社の処分を検討する考えを示した。【太田圭介】




こんなとんでもない話も出ている国会です。利権を手放すまいと、あの手この手を使って原発を進めようとするのは映画と同じです。
政府も、自らが示した安全の基準、対策さえクリアーできてないものを「安全だ」と言い放って再稼働を申し入れる。なんて政府なんでしょうか。
チャイナシンドロームのなかのせめぎ合いは、現実の世界の日本でいま、繰り広げられているわけですね。


キック・アス

2011年07月07日 | 好きな映画・良かった映画
キック・アス DVD
クリエーター情報なし
東宝


ボランティアから、DVDも観る気になれなくて・・
けっこう日にちも経ちましたが、ひさしぶりに観たのがこの作品です。
そしたら面白かったです。

アメリカの病がヒーロー像にも表れています。
人を殺してすっきりする映画です。残忍さが普通なヒーロー。これがアメリカです。
よわっちいキックアス。よわっちい通りに悲惨な目にもあいます。それが現実。弱い立場の人間が反旗を翻してもつぶされるのが落ち。
身体能力や財力や、人と飛びぬけてないとヒーローになれないのか。
このよわっちいヒーローを通してよわい立場の人たちがおびえて生きている今の現実が描かれています。
弱いくせに立ちあがることこそが本当の勇気ですよね。

石巻に行ってきました

2011年07月07日 | My旅ネタ
6月26日~29日で、石巻にボランティアに行ってきました。ボランティアは実質27日と28日の2日間。

ボランティアを始める前に、来るまで被害の状況を見て回りながら説明されました。

津波で流された廃墟。人の生活がみえない、ただの廃墟になっていました。その光景をどう受け止めていいかわからないです。正直に言うと、思ったよりもショックではなくて、ただ、そこをみているだけという感じでした。自分にとっては、はじめての場所なので、かわる前の姿を見たことがなかったからかもしれません。

ボランティアから帰ってきて活動報告をしたときに、そこに参加されていた、石巻出身の親戚の方を亡くされた方が、震災直後に現地と連絡をとった時に『「お前の故郷が流されちゃったよ」と言われて…何にも言えなかったよ」と、その思い出ごと流されたつらさを話してくれました。
自分にはその思い入れがないこと、そこで生活している方たちの姿も見えていないので、冷めた感じになってしまったのかもしれません。

実際のボランティア活動では、野菜やお米、衣類などの救援物資を届けたときに、被災者の皆さんは物資を受け取りながら「ありがとうございます」と心からいってくれ、そこでボランティアの役割の大切さも感じて胸が熱くなりました。
でも、それでも何か違和感がありました。それは、自分自身が現地に行って、お金を払ってコンビニとか、食堂とかで何不自由なく食事ができていたからでした。野菜やお米なんか、東京にいるときはスーパーに行けば普通に買えるし、もしかしたら、現地でだって買えるかもしれません。お金があれば、普通に生きていけるだけのものはもしかしたらもう現地でも整いつつあるのかもしれません。津波の被害がなかったところでは、普通の暮らし戻っているのかもしれないし・・・。

お米や野菜をありがたく頂いて行く人たちと、自分の置かれている立場にものすごいギャップ・・・溝?を感じて・・・。

津波で財産すべて流されて、ヘドロに支配された町で暮らしている人たち。自分はそこで「生きること」という最低限のことが困難にぶつかっている人たちの前で、自分の存在のぬるさみたいなものを感じ、ちょこっといいことして自己満足してこの地獄からさっさと帰ってしまう自分って何なんだろうと考え…戸惑いながらボランティアから帰ってきました。

でも、ボランティアはそこを割りきって、同じ立場にならないことがボランティアの大事なことなんじゃないかと思いました。
そして、被災地のことを本当に大切に思うのならば、国や自治体にこのギャップを少しでも和らげさせる。自分の生きるベースである東京でその運動をすすめることなんだろうと思いました。

大小のトラブル、予期せぬ出来事も色々ありながら、2日間にいろんな経験をしてきました。

ボランティアに行く前の浮かれたブログの記事がちょっと恥ずかしいですが、今後の戒めでもあるので、そのまま残します。
あと、長々と報告をする気にもなれないので、この辺で。