きゅうぎゅうのいちもう。清水寺の森貫主の書です。
意味は、「たくさんの牛のたった1本の毛」ということですから、「取るに足らないもの」「つまらないもの」ということらしいです。
でも、「そんな意味なら揮毫することないじゃん???」と思って調べてみたら、
たくさんの牛のたくさんの毛も、1本1本の毛からなっている
逆に考えると一本一本の毛がなければ、九牛も存在しない
日日の小さなことの積み重ねが大切
小事を疎かにするものは、大事を成すことはできない
ということみたいです。ふぅむ、納得
思えば、今ここにいる私も両親がいて、その親がいて、またその親がいる。
10代遡れば2の10乗。。。1,024人の先祖様がいるんだよね。その1,024人にもまた両親がいるんだね。
その一人が欠けても、この私がいない訳で、なんだか不思議な気がします。(ちょっとパラドックスがあるけどね…)
とはいえ、一人ひとりの命は、多くの人たちの命を乗せているんだなぁ
ちなみに、さらにこの言葉の出典を調べてみたら、司馬遷が友人に宛てた手紙でした。
こちらは、また感動的なんだけど、また後で。。。
意味は、「たくさんの牛のたった1本の毛」ということですから、「取るに足らないもの」「つまらないもの」ということらしいです。
でも、「そんな意味なら揮毫することないじゃん???」と思って調べてみたら、
たくさんの牛のたくさんの毛も、1本1本の毛からなっている
逆に考えると一本一本の毛がなければ、九牛も存在しない
日日の小さなことの積み重ねが大切
小事を疎かにするものは、大事を成すことはできない
ということみたいです。ふぅむ、納得
思えば、今ここにいる私も両親がいて、その親がいて、またその親がいる。
10代遡れば2の10乗。。。1,024人の先祖様がいるんだよね。その1,024人にもまた両親がいるんだね。
その一人が欠けても、この私がいない訳で、なんだか不思議な気がします。(ちょっとパラドックスがあるけどね…)
とはいえ、一人ひとりの命は、多くの人たちの命を乗せているんだなぁ
ちなみに、さらにこの言葉の出典を調べてみたら、司馬遷が友人に宛てた手紙でした。
こちらは、また感動的なんだけど、また後で。。。
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