9/28に一畑電車大社線 川跡~高浜駅間の沿線の保育園に保管されている旧一畑電気鉄道デハ1形を撮りました。
1枚目は、高浜駅で下車して島根県道278号線が大社線をオーバークロスしている場所から撮った旧一畑電気鉄道 デハ3です。
デハ3は、1960年代以降に手動扉車を示していたオレンジ色に白帯の塗装です。
2枚目は、デハ3をアップで撮りました。
手前に大社線の架線があり、まるで現役さながらに走行しているような光景です。
3枚目は、里方5踏切から撮った旧一畑電気鉄道 デハ6です。
デハ6は、西武からの譲渡された自動扉車に採用されたクリーム色に青帯の塗装です。
4枚目は、里方5踏切で大社線を渡ったところで撮ったデハ6です。
5枚目は、大社線 川跡行きの車内から撮ったデハ3です。
一畑軽便鉄道は1914(大正3)年に非電化で開業し、1925(大正14)年に一畑電気鉄道に改称後、1927(昭和2)年に出雲今市(現在の電鉄出雲市)~一畑(現在は廃止)駅間が電化されました。
1927(昭和2)年の電化開業の際にデハ1形としてデハ1~5の5両が登場し、後にデハ4が忌み番としてデハ6に改番されています。
1952(昭和27)年にデハ2、デハ1はそれぞれデハ22,デハ23に、1953年(昭和28)年にデハ5がデハ24に改造されました。
観光需要の増大に対応するため、客扉の配置を両端に移動するとともに室内もロングシートからクロスシートに変更され、制御器に弱め界磁を設けて最高速度を75→85km/hrに引き上げられ、原形で残ったのはデハ3、デハ6の2両となりました。
デハ3、デハ6は1978(昭和53)年には大社線のワンマン化に伴って、自動扉、ワンマン化改造され、1998年に引退するまで大社線で活躍しました。
引退後は大社線 川跡~高浜駅間の沿線の保育園に保管され、毎日、園児さんや後輩の大社線の車両を見守りながら余生を過ごしています。
1枚目は、高浜駅で下車して島根県道278号線が大社線をオーバークロスしている場所から撮った旧一畑電気鉄道 デハ3です。
デハ3は、1960年代以降に手動扉車を示していたオレンジ色に白帯の塗装です。
2枚目は、デハ3をアップで撮りました。
手前に大社線の架線があり、まるで現役さながらに走行しているような光景です。
3枚目は、里方5踏切から撮った旧一畑電気鉄道 デハ6です。
デハ6は、西武からの譲渡された自動扉車に採用されたクリーム色に青帯の塗装です。
4枚目は、里方5踏切で大社線を渡ったところで撮ったデハ6です。
5枚目は、大社線 川跡行きの車内から撮ったデハ3です。
一畑軽便鉄道は1914(大正3)年に非電化で開業し、1925(大正14)年に一畑電気鉄道に改称後、1927(昭和2)年に出雲今市(現在の電鉄出雲市)~一畑(現在は廃止)駅間が電化されました。
1927(昭和2)年の電化開業の際にデハ1形としてデハ1~5の5両が登場し、後にデハ4が忌み番としてデハ6に改番されています。
1952(昭和27)年にデハ2、デハ1はそれぞれデハ22,デハ23に、1953年(昭和28)年にデハ5がデハ24に改造されました。
観光需要の増大に対応するため、客扉の配置を両端に移動するとともに室内もロングシートからクロスシートに変更され、制御器に弱め界磁を設けて最高速度を75→85km/hrに引き上げられ、原形で残ったのはデハ3、デハ6の2両となりました。
デハ3、デハ6は1978(昭和53)年には大社線のワンマン化に伴って、自動扉、ワンマン化改造され、1998年に引退するまで大社線で活躍しました。
引退後は大社線 川跡~高浜駅間の沿線の保育園に保管され、毎日、園児さんや後輩の大社線の車両を見守りながら余生を過ごしています。