Que ma vie est belle!

私とは、美しいもの、美味しいもの、楽しいものの集合体。

日曜午後のコンサート@ロイヤルフェスティバルホール、ロンドン

2010-04-11 20:30:00 | コンサート

日曜午後のコンサート。ユライ・ヴァルクーア指揮、フィルハーモニー管弦楽団。曲目も親しみやすく、スメタナ「わが祖国」から「モルダウ」、ベートーベンのPf協奏曲第4番、ドボルザークSym No.8。しかし、客の入りは6割程度-しかもA席が相当空いている。今日の演目など、値段設定を下げて、家族コンサートとでも銘打てば、収入総額は変わらないか上がるだろうし、クラシックファンを増やすきっかけにもなって、良いと思うのだけれど。

さて、「モルダウ」。親しみやすい曲でつい聞き流してしまうけれど(私だけ?)、演奏の仕方によっては芸術的に完成度の高い曲にすることも可能なはずだ。何が良い演奏と平凡な演奏を分けるのか-例えばホルンが刻む8分音符。ただ漫然と等間隔に演奏すると、無味乾燥で凡庸に聴こえる。これに微妙な揺らぎが入ると-フルトベングラーのブラームスSym. No.1の冒頭のティンパニのように-名演になるように思うのだけれど。あれはどうしたら出来るのだろう。指揮者の指示か演奏者の勘か?

ベートーベンのPf協奏曲。調も拍子の違うのに、聴く度にブラームスのピアノ四重奏曲第2番の冒頭を思い出してしまう。ごめんなさい、でもちょっと眠くなるような演奏だった。

後半のドボルザーク。これも大変に親しみやすいメロディに満ちている。国が違っても、人間の中にある「望郷の念」がこの曲をポピュラーなものにするのだろうか。あるいは「民謡」というものは、世界共通に「望郷レセプター」を刺激する何かが含まれているのだろうか。日本を思って音楽を作るとしたら、私はどんな曲を創るだろう。

メリハリのある、なかなか良い演奏だった。ホールの残響がもう少しあれば、このメリハリの効果がさらに高まったのではないかと残念。第4楽章のトランペットのファンファーレは、このデッドなホールにも拘らずとても美しい音で響いていた。今日は指揮者にも演奏者にも努力賞をあげよう。

ヨーロッパは、生の芸術に安く触れる機会に満ちている。もし子供が居たら是非ロンドンで育てたい。無料の美術館と安いコンサート。しかも世界のトップともいえるような作品や演奏家も多い。本物の芸術を見て育ったら、芸術家にならずとも子供は物の本質を理解できるようになるに違いない。