モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

忍耐

2020-08-26 06:32:50 | 教義と聖約
「忍耐強くありなさい、それはわたしの知恵にかなうからである」教義と聖約9:3

主に従うとき”忍耐”が求められるのは決して特別なことではありません。
この世においても何かを求めるなら忍耐を求められるものです。

働いて給料を得ようとするなら忍耐が求められます。
受験に、子育てに、スポーツに、趣味に、パソコンのゲームでさえ、
求めるものを得ようとするときに忍耐が求められるのは普通のことです。

問題は”その結果に忍耐に見合う価値があるか”ということでしょう。
価値があると信じるなら、その忍耐は喜びにさえなります。

”主に従うことの価値”を知っているなら、”主に従うための忍耐”は喜びとなります。
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主を覚える

2020-08-25 06:10:50 | わたしに従って…
>深く考えるときに御霊の啓示を招くのです。わたしの場合、深く考えるとは、聖文を入念に読み、研究した後に考え、祈ることを意味しています。(アイリング管長)

大切な人から悩みを相談されたなら深く考えないでしょうか。
関心のあることについてヒントを得たら深く考えないでしょうか。
心の琴線に触れたことについて深く考えないでしょうか。
様々あるとは思いますが、人は興味のあることについて深く考えるようです。

「深く考える」という行為は、その物事に対する関心の度合いを量るものかも知れません。
”主を覚える”人はいつも主の教えについて思い、また深く考えるでしょう。

それは”意識的な行為”ではないのかも知れません。
「深く考えよう」と心に言い聞かせてもそれは難しいのですが、
御霊によって与えられたことは無意識のうちに深く考えているようです。

深く考える人は、一つの答えが与えられたなら、
その答えについてさらに深く考え、さらに深いものを求めるようです。
そのようにして人は”神の奥義”へと進んでいくのかも知れません。
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主の声

2020-08-24 06:06:59 | 教義と聖約
「わたしは初めからあなたに語った者である」教義と聖約8:12

わたしたちはこの世に生まれた時から主の声を聞いています。
それは親の教えにあったり、誰かとの会話の中にあったり、
世の中の道徳やマナーにあったり、様々な宗教の教えの中にあったり、
この世の至るところに存在するからです。

「わたしは…わたしの内にある御霊によって語る」2ニーファイ25:11
わたしたちが聞くのは御霊によって語られる主の声です。

御霊を理解しているなら判別できると思います。
主の教えに出会ったとき、御霊がそれを証してくれるからです。

御霊によって聞いた主の声は心に刻まれ、
必要とするときに御霊が思い起こさせてくれます。

それは誰もが経験しているものであり、
いつか主の前に立つとき、誰もがそれを認めることになるでしょう。
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真の決心

2020-08-23 09:41:26 | モルモン書
「悪魔の誘惑…は…心をかたくなにし…滅び失われるように仕向ける」1ニーファイ12:17

福音は人を神に近づくように誘い、悪魔は神から遠ざかるように誘います。
どちらも誘うだけで、選び行うのはその人自身です。

人生は”神に従う決心”をするためにあります。
「その決心が真のものである」と神に証明するなら、
神の王国に入ることが許されるようです。

福音を受け入れた人は、その心を証明するために、
一生涯、その決心が真実であるかの試しを受けます。

わたしはまだ”真の決心”を知りません。
悪魔の誘惑に心を揺さぶられ、惑わされているからです。

”真の決心”を心に持つ人を悪魔は誘惑することができません。
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知識

2020-08-23 06:53:11 | 今日の一言
知識は多い方がいいが
その使い方を知らなければ
活用することはできない
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