モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

分かっちゃいるけど…

2022-08-21 06:28:35 | 福音について
喜びの便り 8月21日
「分かっちゃいるけど、やめられない」とき、どうすればいいのですか?


キリストの教えが正しいことは分かります。
教えに従いたいと確かに望んでいます。

ところが思いばかりで感情が追いついていません。
感情(怒り、不安、情欲…)をコントロールできないのです。

祈りが足りないのでしょうか
信仰、望み、本気が足りないのでしょうか。

福音を学び始めて、一番の悩みでした。


理解は御霊によってもたらされます。
心の変化も御霊によって与えられます。

理解は比較的簡単かもしれません。
心の変化には‟長い時”を要します。

御霊によって理解が与えられ
心の変化の途上にあるとき
そのように悩むようです。

ひとつ確かなのは
「分かっちゃいるけど…」
そのとき御霊の助けを受けて
心が変化しようとしています。

となれば、心の変化を喜べるまで
諦めるわけにはいきません。

そう思いませんか?
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幸福の本質

2022-08-21 06:10:16 | モルモン書
主の道 8月21日
「この世で神なしに生き…神の性質に反して行動してきた…彼らは幸福の本質に反する状態にある」アルマ41:11


神を信じていなくても幸福に見える人もあります。
信じていても幸福には程遠いように見えることもあります。

「幸福の本質」とは何でしょうか。
キリストを信じるならこう言うのでしょうか。
「主の愛の内に生きることです」


主の愛を感じるとき、主を近くに感じます。
その幸福感は自身で経験した人しか理解できないでしょうね。

主の愛を感じられないとき、主から離れています。
幸福から遠ざかっています。

そのように感じることはありませんか?
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裁く

2022-08-20 05:57:52 | 福音について
喜びの便り 8月20日
対立の原因は何でしょうか?


対立について考えるとき、誰のことを思うでしょうか。
‟自分ではない他の誰か”であるなら
そこから対立が始まっているかもしれません。

「『まさか、わたしではないでしょう』 イエスは言われた。『いや、あなただ』」マタイ26:25

ユダがその言葉を受け入れたなら状況は一変したことでしょう
わたしたち一人ひとりが受け入れたならどうでしょう。

分かっているつもりでも
「あの人が…」と考えている自分があります。
それを‟裁く”といいます。

キリストを信じていても意見の相違はあります。
それでも、互いを受け入れ合い、裁き合うことがなければ、
そこに対立はあり得るできるでしょうか。


理屈では分かっているんですよ
理屈では…

「分かっちゃいるけど、やめられない」
昭和中期の流行語です w
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幸福

2022-08-20 05:50:02 | モルモン書
主の道 8月20日
「悪事は決して幸福を生じたことがない」アルマ41:10


人それぞれに思いは違うので
決めつけることはできませんが、
幸福とは何でしょうか。

ジョセフ・スミスの生涯について考えるとき、
彼が幸せであったと思えるでしょうか。

迫害され、打たれ、捕らえられ、
追い出され、ついには殺されました。

彼に従った人々も
多くの苦しみに遭いました。

それでも幸せであったのでしょうか。
彼のような人生を送りたいと望みますか。

その苦しみを思うと、勘弁してほしいですね。
その幸福を思うと、彼のように生きたいです。

彼のように生きるとは
その苦しみをも受け入れるということになるのでしょうか。
悩ましいですね。

幸福とは何でしょうか。
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キリストの教会

2022-08-19 05:48:07 | 福音について
喜びの便り 8月19日
‟キリストの教会”とは何ですか。


モンソン大管長は言いました。
「主の前に出たら何を話しますか。
わたしは聴きます」

サムエルは言いました。
「しもべは聴きます。お話しください」サムエル上3:10

キリストの教会とは、‟主に聴く”人であり、その集まりです。


怒りがあるとき、
聴くことができるでしょうか。
信仰に頼っているでしょうか。
その心は主を信じているでしょうか。

聴く耳があるなら
信仰に頼るなら
主を信じるなら
その心は怒りを治めています。

…と思います。
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