モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

疑問

2022-08-19 05:38:55 | モルモン書
主の道 8月19日
「教義のある点について罪を犯すという危険」アルマ41:9


改宗したばかりの頃、アダムとエバの物語について学びました。
誰も疑問を持っていないことを不思議に思いました。

色々な人に質問しました。
返答はどれも似たようなものでした。

わたしの中には今も福音に対する多くの疑問があります。
福音について学び、理解が広がるほどに疑問が増えます。

一つの答えが見つかったら、そこから新たに疑問が生まれる
といった具合にいつも疑問だらけです w


あるとき尋ねられました。
「キリストを信じていますか。
 「はい、信じているので疑問があります」
「それなら大丈夫です」

罪とは‟キリストから離れること”です。
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対立があるとき

2022-08-18 05:27:11 | 福音について
喜びの便り 8月18日
教会の中に対立があるとき、どうすればいいですか?


ジョセフの時代、教会の中には対立がありました。
聖書の時代にもあったようです。
そして今も同じです。

お願いが一つあります。
対立の当事者にならないでください。

できることが一つあります。
自分自身がキリストの教会であることです。

一つの祈りがあります。
「わたしの願いはキリストの教会に集うことです。
わたしにできるのは主に従うために心を尽くすことだけです。
すべてを主に委ねます」

毎日祈ります。
祈りに頼らなければ、心を治めることのできない自分があります。
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2022-08-18 05:21:11 | モルモン書
主の道 8月18日
「道は用意されており、望む者は誰でもその道を歩いて救われるようになっている」アルマ41:8


「他にも道があるはず」という声を聞くことがあります。
他の道があるのなら、それを歩むのも自由です。
わたしはこの道以外に知らないので、この道を歩きます。

他の道に誘われることもあります。
残念ながら(というべきか)心は向きませんでした。

だからわたしはこの道を歩きます。
そしてこの道を勧めます。

残念ながら、この道に心を向ける人は少ないようです。
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怒りの心

2022-08-17 06:48:24 | 福音について
喜びの便り 8月17日
なぜ‟怒る”のでしょうか?


怒りの心は‟自分の思いに反すること”に
向かっているようです。

怒るとき、こう考えていないでしょうか。
「これは相手の問題であり、自分の怒りは正当だ」

‟自分の思いが正しく、法である”かのように
勘違いしているかもしれません。

その思いに御霊はありますか。
その怒りは主の認めるものでしょうか。

「何に対して、なぜ、何を、怒っているのですか?」
自分の内に怒りを感じるとき、問いかけてみます。
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自分で判断する

2022-08-17 06:42:38 | モルモン書
主の道 8月17日
「人々は善を行うか悪を行うか自分で判断する」アルマ41:7


過去に多くの罪を犯してきました。
それが悪であることを知らなかったのでしょうか。

そのときには‟ウソぶいて”いました。
「大した問題ではない」
「バレなければ問題ない」
「誰もがしていることだ」

悪であることを知っていました。
知りながら行っていました。


ある日、考えました。
「このような状態から抜け出したい」

どうすればいいの分かりませんでした。
助けてくれる人はいません。

相談できる相手を見つけることさえできませんでした。
おそらく相談しても「そのくらいのこと…」で終わったでしょうね。

悩み考えていましたが、自分の罪の結果であることに
気付いてさえもいませんでした。


そんなときに宣教師に出会いました。
彼らの話に救いを求めました。

不思議ですが、彼らの話すことが
‟救い”であることを知っていました。
その確信は今も日々強められています。
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