書評 日本の統治構造 飯尾潤 著 中公新書1905 2007年刊
07年の段階で政権交代のない日本の戦後自民党政権における三権分立の実態を判りやすく解説した良書。小泉政権が従来と同じ議院内閣制であったのに強権政権であったこと、民主党政権が官僚からの独立を目指して政党主体の政治を目論んでいることなど、どのような視点から理解すれば良いかが本書を読むことでクリアになった感がありますので正に時宜を得た本とも言えましょう。
まず「はじめに」の所で大統領制と議院内閣制ではどちらが権力集中が可能か、という命題に日本では大統領制の方が権力集中的と理解されがちだけれど、「議会と大統領が別の選挙で選ばれる点で権力分立的であって議会と行政府の双方をコントロールできる内閣の長である首相の方が本来大きな権力を持つ」のですと説明、小泉政権の強権政治を思い出して「ああそうか」と読者を引き込んでゆきます。もともと自民党が一党独裁の55年体制を維持しながら営んできた日本の戦後政治は本来の議院内閣制の姿からは逸脱した独特な形であったと著者は説明します。それは政党政治家を内閣の主体と考えず、各省庁の代表者(大臣)が集まって内閣を構成する、しかも省庁の代表は形だけの大臣が代わる代わる就いているだけで実質は事務次官を長とする「官僚内閣制」」でありそのため首相が強権を発動して行政に思い切った改革ができないしくみになり、権力分散型になってしまっていた、と解説します。
政党による内閣運営は戦前からあったように見えますが、実際はさほど機能していたわけではなく、元老による内閣首班指名による天皇への助言によって内閣が決まっていたにすぎません。明治憲法では内閣の権限が明文化されていなかったこともあり、また主権者の天皇の責任も銘記されていなかったために開戦や戦争遂行上の決定・運営をする権力者が曖昧なまま、つまり権力集中がなされないままずるずると戦争をしていたというのが諸外国との決定的な違いだとも解説されています。ヒトラー、チャーチル、スターリン、ルーズベルトらに比べて戦争遂行の青写真をきちんと東条、或いは天皇が撮っていたかと言うとそれは全く否定的です。漠然とした「軍部」が個人を特定せず「独裁」状態だったというのが日本の戦前だったのです。
第3章では「政府・与党二元体制」と題して官僚が政治的な決断を下すようになる一方で政治家が地元の行政に関して権力を持つようになるという倒錯状態の説明がなされます。
議院内閣制の本来の姿は健全な政権交代により政策の変化がおこることですが、自民党の長期独占によって政権交代がないまま自民党の党首が別派閥に代わることで首相が変わってそれが政権交代的な雰囲気を日本に与えてきました。小沢氏が作ったとも言われる小選挙区制は二大政党による政権交代を容易にする選挙制度だったのですが、小沢氏がまいた種がやっと昨年実った感があります。政権交代が頻繁に起こるようになると、今度は民意による政策転換を容易ならしめるために衆議院・参議院の二院体制の是非が問題になります。つまり現在のような多数派のねじれ現象があると政策の変化を実現し難い状態になるわけです。しかも日本に特有とされる会期制度(国会会期内に成立しなかった法案は廃案になる)ことも健全な政権交代による政策の変化を妨げるもとになります。二院制を廃止するのは憲法改正が必要になり実際的ではありませんが、参議院のありかたを運用上制限するような慣習作りが必要という提言は納得できます。
こういった説明から今回の民主党による政権交代というのは日本の民主政治にとっては極めて重要な出来事であることが判ります。官僚内閣制からの脱却や正しいマニフェストの遂行には是非とも全力を尽してもらい、今後の日本の民主政治の発展につながるよう注目してゆかねばならないと感じます。
07年の段階で政権交代のない日本の戦後自民党政権における三権分立の実態を判りやすく解説した良書。小泉政権が従来と同じ議院内閣制であったのに強権政権であったこと、民主党政権が官僚からの独立を目指して政党主体の政治を目論んでいることなど、どのような視点から理解すれば良いかが本書を読むことでクリアになった感がありますので正に時宜を得た本とも言えましょう。
まず「はじめに」の所で大統領制と議院内閣制ではどちらが権力集中が可能か、という命題に日本では大統領制の方が権力集中的と理解されがちだけれど、「議会と大統領が別の選挙で選ばれる点で権力分立的であって議会と行政府の双方をコントロールできる内閣の長である首相の方が本来大きな権力を持つ」のですと説明、小泉政権の強権政治を思い出して「ああそうか」と読者を引き込んでゆきます。もともと自民党が一党独裁の55年体制を維持しながら営んできた日本の戦後政治は本来の議院内閣制の姿からは逸脱した独特な形であったと著者は説明します。それは政党政治家を内閣の主体と考えず、各省庁の代表者(大臣)が集まって内閣を構成する、しかも省庁の代表は形だけの大臣が代わる代わる就いているだけで実質は事務次官を長とする「官僚内閣制」」でありそのため首相が強権を発動して行政に思い切った改革ができないしくみになり、権力分散型になってしまっていた、と解説します。
政党による内閣運営は戦前からあったように見えますが、実際はさほど機能していたわけではなく、元老による内閣首班指名による天皇への助言によって内閣が決まっていたにすぎません。明治憲法では内閣の権限が明文化されていなかったこともあり、また主権者の天皇の責任も銘記されていなかったために開戦や戦争遂行上の決定・運営をする権力者が曖昧なまま、つまり権力集中がなされないままずるずると戦争をしていたというのが諸外国との決定的な違いだとも解説されています。ヒトラー、チャーチル、スターリン、ルーズベルトらに比べて戦争遂行の青写真をきちんと東条、或いは天皇が撮っていたかと言うとそれは全く否定的です。漠然とした「軍部」が個人を特定せず「独裁」状態だったというのが日本の戦前だったのです。
第3章では「政府・与党二元体制」と題して官僚が政治的な決断を下すようになる一方で政治家が地元の行政に関して権力を持つようになるという倒錯状態の説明がなされます。
議院内閣制の本来の姿は健全な政権交代により政策の変化がおこることですが、自民党の長期独占によって政権交代がないまま自民党の党首が別派閥に代わることで首相が変わってそれが政権交代的な雰囲気を日本に与えてきました。小沢氏が作ったとも言われる小選挙区制は二大政党による政権交代を容易にする選挙制度だったのですが、小沢氏がまいた種がやっと昨年実った感があります。政権交代が頻繁に起こるようになると、今度は民意による政策転換を容易ならしめるために衆議院・参議院の二院体制の是非が問題になります。つまり現在のような多数派のねじれ現象があると政策の変化を実現し難い状態になるわけです。しかも日本に特有とされる会期制度(国会会期内に成立しなかった法案は廃案になる)ことも健全な政権交代による政策の変化を妨げるもとになります。二院制を廃止するのは憲法改正が必要になり実際的ではありませんが、参議院のありかたを運用上制限するような慣習作りが必要という提言は納得できます。
こういった説明から今回の民主党による政権交代というのは日本の民主政治にとっては極めて重要な出来事であることが判ります。官僚内閣制からの脱却や正しいマニフェストの遂行には是非とも全力を尽してもらい、今後の日本の民主政治の発展につながるよう注目してゆかねばならないと感じます。