いつもは1/72の飛行機ばかり作っていますが、昔はかなり陸軍のミリタリーも作製していて、1/35でしたが、兵士達を作り込んでいました。自分が陸自に所属したせいか、今はあまり陸軍物は作らず、憧れの空を舞台にしたモデルが多くなっています。しかし今回は軟派なモデルを作ってみました。
プラモデラー界ではリアルフィギュアがややブームで、各種のリアルな造形の模型が発売されています。元々ミリタリーのジオラマで現実感を出す工夫は30年前から行われていましたが、ガンダムやガールズパンツアーなどややお宅系からのリアルフィギュアや、3DCGでいかに本物に近づくかという流れなども合体している様に思います。正統な美術界でも生島浩や島村信之といった写実派がブームです。そんな中、2020年10月に老舗田宮模型からCampus Friends set IIが発売されてその精巧さからモデラー達をざわつかせていました。IIというからにはIがあって、それは1980年代の後半バブリーだった時代に「大学生はファッショナブルでなきゃ」と言わんばかりのフィギュア5体セットが「ミリタリーの田宮」から発売され、恥ずかしながら拙も購入してわくわくしながら作製したのでした。
新規発売のCampus Friends set IIと1980年代のSet I 服装や背景に時代を感じさせます。
今回30年ぶりのシリーズIIですが、時代を反映した今時の大学生達(コロナ前ですが)を良く現していると評判です。1/24縮尺で、本格的な技巧派の諸兄はもっと作り込んだ表情や色合いを出してくるようですが、私の技術としては拡大レンズを覗き込みながら瞳などを書いてまあこれが精一杯でした。
自撮りの女性と被写体の女性は健康的なお色気が少ないので短パン化と膝上スカートにして膚の露出を多くしてみました。リアルフィギュアは膚の色味や質感をいかに出すかが大事とされるのでこの方が良いと思います。金属ヤスリなどで削って形を出してから電動リューター(安価な田宮製を購入)で整えて着色します。フレッシュ(肌色)を塗ってから細筆で赤を加えて薄く伸ばす様にすると実際の膚感が出る様です(青やオレンジも上手く使うと良いと指南書にはありました)。
自撮りする女性と一緒に写る友人 改造して膚の露出多めにしました。 写真も自然光の方が肌色が綺麗に撮れるので窓際で撮影。 昭和の男子乱入(set Iから)
原付(ヤマハveno)は山吹色の新色が出たのでそれにしました。ヘッドライトは透明プラを自作で嵌めて、ブレーキなどのケーブルを追加してみました。女性のフィギュアは原作のままです。
スクーターの作りも流石に田宮模型は精巧です。 フィギュアは改造なし。ジーンズの色はグレーを塗ってから青を薄く上から加えます。
リュックの女性は少し驚いた様な表情になりました。30年前のCampus Friends Set Iの男性が残っていたので作製して並べてみました。Iの女性達は当時作って既に散逸してしまったのですが、同年代のイケテル男子のフィギュアを当時作る気になれなかったので残っていた物を今回タイムスリップした感じで作りました。シャツの裾をズボンの中に入れている所が時代を感じさせます。
リュックの女性は山ガール風でもある。 集合写真(大学生よりは少し上の年代にも見えますね)
集合写真では私のレベルで作ってもやはりSet Iの時代から田宮のフィギュアモデルを作る実力は大した物だと感じさせる出来映えだと感じました。
自撮り女性の服の色が渋柿色で今一つだったので少し明るい色に塗り替えてみました。rakitarou(故)に変わった新参者「ちゅら」(沖縄産)も乱入
え??て感じのフィギュアとメーカー。キャンパスですか……。
先生は教鞭もお取りだから、そのリアルさがピンとくるのでしょうね。
うーむ…バブル期の学生ってどうだったかなぁ?
何しろ私はフィギュアの人達の年齢の時は、掩体を掘ったり、
匍匐前進時は踵を立てるな!と叱られたりしておりまして(笑)。キャンパスライフてのが解りませんので。
まぁ街角で見かける普通の若者像なのかなぁ…くらいの反応。
看護学校も東洋医学の専門学校も、ケーシー着用か制服でしたから。
ユニフォームて意味では自衛隊と似てましたから(笑)
そうそう、私が看護師となりビックリしたのは、階級章があることでした。
婦長や主任のナースキャップは階級章の二本線、一本線がありますね。
ドクターには階級章がないのに、ナースにはある。
他に民間で階級章がある仕事とは、武道の師範か、警備員か、
後は武官か極道くらいのものと想うのですね(笑)
教官のナースキャップを見たときに、「また兵隊稼業かよ!」と舌打ちしたのを覚えています。今はナースキャップが所属医院では廃止されていますのと、もはや半分以上が農民なので、階級章から離れましたが(笑)
なるほど大学生には階級章がないんですね(笑)
たしか…メル・ギブソンの刑事映画でシャツの裾を出していて、
それは拳銃を隠し、すばやく抜く為であると想うのですが。
その頃からシャツを出して歩いていた気がするのです。
私が、開発途上国ビジネスのグレーゾーンを歩いたせいではありますけれど。たしかメル・ギブソンの刑事ドラマ…人間兇器みたいな英単語の題名でしたが……は、その次の主演が「エア・アメリカ」でしたから、
コントラ事件の後の事は確かです。
現在の大学(医学部しか知りませんが)も15年くらい前と現在とは雰囲気が大分変わりました。管理主義が行き届いたせいか真面目になったなあと。
本当ならば、先にコメントしたいと考えていて、はからんや越されて、嬉しい偶然ですがコメントをいただきました。
貴ブログを読んで、まず「陸自」の単語が目に入り、何よりも思い浮かんだのだが、東京の三宿にある世田谷公園に面した某病院でした。
今年のコロナ禍は件のダイヤモンド・プリンセス号の横浜寄港から始まりました。その後、いろいろありまして、その某病院において夫婦で重症だった外国人夫婦のドキュメンタリーを見たことがあります。
重篤にちかい症状に関わらず、病院スタッフの献身的かつ手厚い看護の話はもちろんありました。でも、そのご夫婦の病院へ感謝の弁が、なんとも印象的で忘れることができません。
その的確かつ機能的なホスピタリティは、外国人にとっては驚異的にサイエンスフィックかつ心のこもったものだったと、その病院のすべての人に感謝をもって語っていました。
30代のころ、その病院の周辺で生活していたので、余計に記憶が増幅されて甦って思いだされました。
フィギュアの一つひとつが、私にとっては彫琢された過去のイメージを彷彿とさせます。不思議なノスタルジーを喚起させるのですが、現代のsnsではあたりまえの自撮りする女性もいる。
スクーターはヴェスパですか? バブル時代からこそ復権した往年の愛すべきスクーターですよね。
小生はあの時代には、ヤマハの原チャリを乗っていまして、妻に乗り方を教えていたのですが、その初日に妻が見事こけ、いろいろな方に助けていただいた。そこが病院の正門前だったのです。
失礼な物言いかもしれません。rakitarouさまの、つまりはオタク的な美意識はもちろんパーソナルなもので、フィギュアがもつ深遠さをおこがましくも共有できる器でもありません。
でも、ここまで縷々個人的なエピソードを書いてしまうのは、竹下節子さん風に解釈すれば、小生の「共感力」だということにしてください。
ともあれ、ここまで駄文を書き連ねてきた愚挙を笑ってください。
このコメント欄にふさわしきではないと判断されたなら、即刻削除されんことを望みます。
いや、この駄文をみとめた時点で、rakitarouさまだけにお読みいただければと願うのみであります。
(ただ、この感情の流れ、文意の推移を拙ブログにおいて別のカタチにして復元したい野望のようなものもあります。ご斟酌いただけますでしょうか)
某病院は駆け出しの頃4年間を過ごしました。その頃やはり卒業したてで一緒に働いた看護師達が今や部長級になって今回の対応にあたったということを側聞し、心強く思っています。