奈良県橿原市今井町にある河合酒造へ行ってきました。
近鉄御所駅集合なので通常ならば、あべの橋駅から近鉄南大阪線で行くのだが、柏原駅から近鉄道明寺線を経由しました。
2両編成のワンマン電車に乗って柏原駅から道明寺駅へ向かいました。

道明寺駅から準急河内長野行8両編成に乗り換えました。

古市駅に到着すると、前の5両は河内長野行、後ろ3両は橿原神宮前行に変身しました。
分割するなら最初から案内して欲しかった。



尺度駅に到着し、ここで御所行に乗り換えしました。


集合時間まで時間があったので、一つ目前の忍海駅で降りて御所駅へ歩きました。



御所駅に到着すると既に受付は始まっておりました。


御所の商店街を抜けて行きました。


JR和歌山線の踏切を渡りました。


酒のあべたやでは「油長酒造」の日本酒を取り扱っています。

葛城公園で休憩です。






梅が満開でした。


ここから橿原神宮を目指して歩きました。






シャープの工場が見えてきました。





捨篠神社(弁天神社)に到着しました。
その隣には捨篠池がありました。



この池には以下のような伝説があります。
昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を養っているとき、夏のある朝、池の中にまつってある神社に詣でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光った蛙がいました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしまいました。さして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙となって浮いてきました。そして五色の霧も消えてなくなり、一茎二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいとの前兆ではないかとして、朝廷に献じられたこともあったそうです。この異変ののち、この池は捨篠の池と命じられたといいます。
刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりました。母を亡くした小角は、心に誓って修験道をひらき、吉野山に入って蔵王権現をあがめ、蛙をまつって追善供養をしました。
以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって来て、香華を献じ、蓮池の蓮(108本)を摘み、それを大峰山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。
「大和高田市史」より




さらに橿原神宮を目指して歩きました。

京奈和自動車道を抜けて行きました。


忌部山が見えてきました。


しだれ梅がとても綺麗でした。

橿原神宮西口駅を通過しました。

やっとのことで橿原神宮に到着しました。
ここで昼食休憩でした。







小学校3年生の時の遠足以来33年振りの橿原神宮でした。
不思議のあの時の思い出が蘇りました。











神武天皇稜を通り過ぎました。


大和高田バイパスを通り抜けました。


やっと今井町に着きました。







やっとのことで、河合酒造に到着しました。







しぼりたてと原酒を試飲さえていただきました。



店内にはろいろなお酒が展示されていました。



甘酒のふるまいも頂きました。




八木駅に向かっ最後の力を使いました。






八木西口駅に到着しました。

八木西口駅から近鉄大阪線への短絡線です。
ほとんど電車が通らないので錆ついていました。



大和八木駅に到着しした。


河内国分駅から急行に乗って帰りました。

天気はよかったが、黄沙、花粉、おまけに2.5PMのおかげで空はどんより霞んでいる感じでした。
近鉄御所駅集合なので通常ならば、あべの橋駅から近鉄南大阪線で行くのだが、柏原駅から近鉄道明寺線を経由しました。
2両編成のワンマン電車に乗って柏原駅から道明寺駅へ向かいました。

道明寺駅から準急河内長野行8両編成に乗り換えました。

古市駅に到着すると、前の5両は河内長野行、後ろ3両は橿原神宮前行に変身しました。
分割するなら最初から案内して欲しかった。



尺度駅に到着し、ここで御所行に乗り換えしました。


集合時間まで時間があったので、一つ目前の忍海駅で降りて御所駅へ歩きました。



御所駅に到着すると既に受付は始まっておりました。


御所の商店街を抜けて行きました。


JR和歌山線の踏切を渡りました。


酒のあべたやでは「油長酒造」の日本酒を取り扱っています。

葛城公園で休憩です。






梅が満開でした。


ここから橿原神宮を目指して歩きました。






シャープの工場が見えてきました。





捨篠神社(弁天神社)に到着しました。
その隣には捨篠池がありました。



この池には以下のような伝説があります。
昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を養っているとき、夏のある朝、池の中にまつってある神社に詣でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光った蛙がいました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしまいました。さして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙となって浮いてきました。そして五色の霧も消えてなくなり、一茎二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいとの前兆ではないかとして、朝廷に献じられたこともあったそうです。この異変ののち、この池は捨篠の池と命じられたといいます。
刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりました。母を亡くした小角は、心に誓って修験道をひらき、吉野山に入って蔵王権現をあがめ、蛙をまつって追善供養をしました。
以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって来て、香華を献じ、蓮池の蓮(108本)を摘み、それを大峰山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。
「大和高田市史」より




さらに橿原神宮を目指して歩きました。

京奈和自動車道を抜けて行きました。


忌部山が見えてきました。


しだれ梅がとても綺麗でした。

橿原神宮西口駅を通過しました。

やっとのことで橿原神宮に到着しました。
ここで昼食休憩でした。







小学校3年生の時の遠足以来33年振りの橿原神宮でした。
不思議のあの時の思い出が蘇りました。











神武天皇稜を通り過ぎました。


大和高田バイパスを通り抜けました。


やっと今井町に着きました。







やっとのことで、河合酒造に到着しました。







しぼりたてと原酒を試飲さえていただきました。



店内にはろいろなお酒が展示されていました。



甘酒のふるまいも頂きました。




八木駅に向かっ最後の力を使いました。






八木西口駅に到着しました。

八木西口駅から近鉄大阪線への短絡線です。
ほとんど電車が通らないので錆ついていました。



大和八木駅に到着しした。


河内国分駅から急行に乗って帰りました。

天気はよかったが、黄沙、花粉、おまけに2.5PMのおかげで空はどんより霞んでいる感じでした。