ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が新潟市で公園カウンセリングなどを相談、研究しています

ステン・ベルクマン(加納一郎訳)『千島紀行』1992・朝日文庫-今から90年前の千島列島紀行です

2025年01月14日 | 随筆を読む

 2019年1月のブログです

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 スェーデンの生物学者ステン・ベルクマンさんの『千島紀行』(加納一郎訳・1992・朝日文庫)を再読しました。

 原典は1932年の本で、1929年から30年にかけての千島列島の調査紀行です。

 今から90年前の千島列島、自然が豊かです。

 動物が自由自在に駆け回っています。 

 千島列島の返還交渉が話題になっていますが、政治オンチ(?)のじーじにはあまり関係ありません。

 じーじは北海道生まれのどさんこですので、やはり北海道もそうですが、その近くの樺太や千島列島の自然に興味があります。

 北海道北部からは樺太が見えますし、東部からはクナシリ島が見えて、昔、北海道東部の斜里岳の頂上から見たクナシリ島の美しさは目に焼きついています。

 いつか行ってみたいな、と思っているのですが、生きているうちに行けるでしょうか、無理かな?

 そんなわけで、じーじの本棚には、樺太や千島列島についての本が何冊かあって、時々、取り出しては読んでいます。

 樺太ではチェーホフのサハリン紀行が有名ですし、千島列島では松浦武四郎の紀行文がいいです。

 さいわい、樺太も千島列島も、まだ本格的な開発の手が入っていませんので、時々、テレビで見る樺太や千島列島は自然豊かで素敵です。

 日本の大手開発資本が進出すると、すぐに大変なことになりそうで、やや複雑な心境です。

 これはじーじの妄想なのですが、千島列島はもともとアイヌの人たちが住んでいたところなので、アイヌの人たちに返還をして、アイヌの人たちの国にしてはどうか、と思います。

 アイヌ民主共和国、アイヌの人もロシア、日本の人も、住みたい人が住めて、自然を敬う国。

 いいじゃないでしょうか。

 きっと実現はしないでしょうが…。

 政治はともあれ、千島列島の豊かな自然は、世界の財産として大切に守っていってほしいな、と切に願います。            (2019.1 記)

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 2022年春の追記です

 戦争で奪い合ったりしないで、みんな仲良く住めるといいですね。          (2022.4 記)

 

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梅棹忠夫『実戦・世界言語紀行』1992・岩波新書-言葉を通して世界を見る

2025年01月09日 | 随筆を読む

 2019年1月のブログです

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 先日、梅棹さんの『モゴール族探検記』を読んで面白かったので、さらに本棚で梅棹さんの本を探してみたところ、『実戦・世界言語紀行』(1992・岩波新書)が見つかりました(梅棹さんの名著『知的生産の技術』も学生時代に読んで、どこかにあるはずなのですが、例によって(?)迷子になっていて、現在、捜索中です)。

 この本はまったく記憶になく(梅棹さん、ごめんなさい)、たまたま幸運にも見つけられたのですが、当然、中身も記憶がなくなっていました。

 しかし、今回、読んでみると、これがすごく面白い!

 梅棹さんが民族学者として、世界各地の民族をフィールドワークした時に、その民族の言葉を覚えた体験とフィールドワークでその言葉を使った体験などが、とても興味深く述べられています。

 そのフィールドワークで身に付けた言葉は、まだ学生時代の朝鮮語から始まって、チベット語、モンゴル語、ペルシャ語、スワヒリ語、スペイン語、フランス語、などなど、数十種類にのぼるほどのものすごい数になります。

 そして、フィールドワークの対象がめずらしい民族になると、習得する言葉もすごくめずらしい言葉になり、例えば、モゴール族のモゴール語やミクロネシアの各島々の言葉、アフリカの各部族の言葉、などなど、大変な数です。

 さらに、梅棹さんは世界共通語のエスペラントもしゃべれるということで、もうすごい!としか言いようがありません。

 もっとも、これだけの言葉をしゃべれるにはこつがあって、梅棹さんのモットーは日常会話ができる程度でよいとの割り切りがあります。

 あくまでも民族学のフィードワークに必要なレベルを目指して学習し、場合によっては1か月で習得ができるといいます。

 いくら京大出の秀才とはいえ、すばらしい能力です。

 語学もまったくだめなじーじにはうらやましい限りで、今ごろになってフロイトさんをドイツ語で読んでみたいと思っても、あとの祭りです(若い時には、語学の重要性はわからずに、面倒くさいなとばかり思いがちですが、やはり若いうちに少し頑張っておいたほうがいいかもしれません)。

 年寄りにも、若い人にも、興味をかき立てるいい本だと思います。         (2019.1 記)

 

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梅棹忠夫『モゴール族探検記』1956・岩波新書-懐かしい名著を読む

2025年01月08日 | 随筆を読む

 2019年1月のブログです

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 梅棹忠夫さんの名著『モゴール族探検記』(1956・岩波新書)を再読しました。

 このところ、なぜか旅行記を続けて読んでいるのですが、この本も本棚の隅っこにあるのを見つけて読んでしまいました。

 1956年の岩波新書(!)、もっともじーじが買ったのは2011年のアンコール復刊という、岩波ならではの粋な企画で出た本ですが…。

 1956年というと、なんとじーじが2歳の時の本、それが今読んでもおもしろくて、ワクワクできるのは本のすごさ、すばらしさです。

 梅棹さんはご存じのかたもいらっしゃると思いますが、元京大教授の民族学者で、国立民族学博物館長を務めたかた。

 じーじのような文科系の人間でも、学生時代には梅棹さんの『知的生産の技術』や『文明の生態史観』などをわからないながらも読んだものです。

 本書は、アフガニスタンがまだ王国だった頃に、モンゴル民族の末裔を求めて調査旅行をした際の記録。

 京大の言語学者や人類学者、考古学者らがチームを組んで、幻のモンゴル民族であるモゴール族の存在の有無を調査に行きますが、難航を極めます。

 今でもそうですが、民族間の対立、抗争に阻まれ、テント生活を続けながら、さまざまな困難にめげずに調査・研究を進めるその無骨な科学者らしさには感心させられます。

 ひとつ、ひとつの仮説の積み重ねと実証、これらを読んでいると、カウンセリングや臨床心理学の世界でも共通する厳しさを感じます。

 じーじは単に趣味というか、知的好奇心から読みましたが、名著として残るようないい本とは、やはりこころを揺り動かすような部分があるようです。

 すばらしい名著を再読できて、とても幸せな気分になれました。        (2019.1 記)

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 2021年5月の追記です

 深田久彌さんの『山岳遍歴』(1967・主婦と生活社)を読んでいたら、本書の解説文が出てきました。

 本書の面白さを絶賛されています。

 おそらくユーモラスなことがお好きだった深田さんの好奇心を刺激されたのだろうと思います。

 ちなみに、深田さんの本もとても面白く、特にどさんこのじーじには幌尻岳とトムラウシの登山の文章がとても楽しく読めました。        (2021.5 記)

 

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椎名誠『孫物語』2015・集英社-孫たちと,のんびり,ゆったり,遊ぶことの豊かさ

2024年12月30日 | 随筆を読む

 2015年のブログです

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 シーナさんの最新作『孫物語』(2015・集英社)を読みました。

 とっても面白かったです。

 シーナさんはじーじよりちょうど10歳年上の71歳。

 じーじは昔から10歳年上の先輩を見習うような感じでシーナさんの小説を読んできました(シーナさんは迷惑だと言いそうですが…)。

 シーナさんのお孫さんは3人,じーじの孫は2人で,孫とのつきあいかたがこれまた参考になります。

 シーナさんのお孫さんシリーズも,『大きな約束』(2009),『続大きな約束』(2009),『三匹のかいじゅう』(2013)と続いて,本書が4作目。

 シーナじいじいが静かに,しかし,大活躍をして,あいかわらず素敵な小説です。

 じーじは2人の孫娘たちが遊びに来ると,遊戯療法の練習(?)のまねごとをさせてもらっていますが,シーナさんは自然体でとてもいい接し方をしていると思います。 

 まさに宣伝コピーどおり,「イクジイ」です。

 じーじも対抗して「イクじーじ」をめざして頑張ろうと思いました。        (2015.4 記)

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 2019年春の追記です

 4年ぶりに再読をしました。

 やっぱり面白かったです。

 孫たちの相手をすることは、シーナさんの場合は、お孫さんたちに三人三様の個性があって、それを大切にされていることがよくわかり、とてもいいです。

 弱い者をきちんと守り、楽しく遊び、そして、尊重をしていく姿が心地よいです。

 じーじの孫たちの場合も、それぞれに個性があって、発見と驚き、感心の連続ですが、とても面白いですし、相手のしがいがあります。

 孫たちが、頼ってくれたり、相手になってくれるうちが花、もうしばらく楽しみながら、つきあっていきたいと思います。        (2019.4 記)

 

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沢木耕太郎『旅する力-深夜特急ノート』2008・新潮社-『深夜特急』の魅力

2024年12月23日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

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 沢木耕太郎さんの『旅する力-深夜特急ノート』(2008・新潮社)を再読しました。

 2008年の本ですから、ちょうど10年ぶりです(いい本なのに、沢木さん、ごめんなさい)。

 このところ、沢木さんの『深夜特急』を読んできたのですが、先日、本棚を眺めていると、下のほうの段にこの本を見つけてしまいました。

 こういう偶然があるから読書はやめられません(といっても、単に整理整頓が苦手なだけなのですが…。今も沢木さんの本はあちこちの本棚に潜んでいて(?)、時々探している始末です)。

 本書は、沢木さんの旅の記憶や体験、文章を書くことの経験やそれについて考えること、そして、『深夜特急』に繋がる旅とその文章化について、などなどが述べられていて、とても刺激的で、面白く読めます。

 テレビの大沢たかおさん主演の『深夜特急』についても書かれていて、興味深いものもあります。

 ひとつ、発見をしたのは、『深夜特急』において、沢木さんが写真を載せていない点。

 沢木さんは、写真でなく、文章で勝負をしたかった、と書きます。

 ここは、じーじのブログと全く同じです(?)(じーじの場合は、単にカメラがないというだけなのですが…)。

 表現力に大きな差がありますが、文章の力を信じている点だけは同じなのかもしれません(ちょっとおおげさですかね?)。

 しかし、じーじが、『深夜特急』以外にも、沢木さんのエッセイを好んで読んでいる理由は、この辺にもあるのかもしれません。

 学ぶことも多くあります。

 あまり意識はしていませんでしたが、家裁調査官時代にも実はこっそり文章を真似していたかもしれません(?)。

 その割に、お粗末な文章ばかり書いていますが…。

 これからも、沢木さんを見習って、じーじのひとり旅や孫娘シリーズをせっせと書いていきたい(?)と思っています。               (2018. 12 記)

 

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沢木耕太郎『深夜特急1-香港・マカオ』1994・新潮文庫-ひとり旅を読む

2024年12月21日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

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 沢木耕太郎さんの『深夜特急1-香港・マカオ』(1994・新潮文庫)を再読しました。

 ようやく全6巻読破です。パチパチパチ(?)。

 それも年末の大掃除前にできてしまいました。エッヘン(!)。

 行方不明の第1巻を大掃除の時に見つけようという計画(?)だったのですが、なぜか、先日、本屋さんで文庫本の棚を眺めていたところ、奇跡的に『深夜特急』の第1巻を見つけてしまったのです。

 値段も比較的安かったので(なんと490円です)、清水の舞台から飛び降りる覚悟で(ちょっと大げさですか)、大掃除の前に買ってしまいました(これはうちの奥さんには内緒です)。

 さっそく読んでみると、後の巻に比べて、文章がなんとなく初々しく、旅の出発にふさわしい印象を受けました。

 紀行文というのは、書いているうちに、少しずつ文章が変わってくるのかもしれません(おそらく、書き手の人間も変わっていくのでしょうね)。

 沢木さんの場合は、旅をした年齢のせいもあって、なんとなく大人になっていく青年を見ているような感じになります。

 しかも第1巻、最初はインドのデリーから書き始められています。

 デリーのお話から、そして、香港とマカオでのお話になるという展開で、旅のお話というのは、必ずしも時系列的でなくてもいいのかもしれません(これはじーじのでたらめな読み方の弁解をしているだけかもしれませんが…)。

 旅の思い出は螺旋的に出てきたり、その間にいろいろなお話が挟まったり、昔の思い出が語られたりして、重層的に豊かに語られるほどいいのかもしれません。

 じーじが買った第1巻は2018年8月20日発行の61刷。

 今でも読まれているのですね。

 沢木さんの『深夜特急』は、若者の自由な貧乏旅ですが、若い人たちにはもちろん、中年や老年のようなこころの旅が必要な人たちにも大切な本ではないかと思います。

 年末年始にゆっくりと味わうことをおすすめします。        (2018. 12 記)
 
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 2024年12月の追記です

 6年前の感想文です。

 沢木さんは今も素敵で、ダンディーですね。

 何が違うんだろう?

 うらやましいです!         (2024.12 記)

 

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ジェイ・ルービン『村上春樹と私-日本の文学と文化に心を奪われた理由』2016・東洋経済新報社-村上さんを翻訳する(?)

2024年12月20日 | 随筆を読む

 2019年のブログです 

     *

 ジェイ・ルービンさんの『村上春樹と私-日本の文学と文化に心を奪われた理由』(2016・東洋経済新報社)を読みました。

 ルービンさんはハーバード大学の名誉教授、村上さんの『ノルウェイの森』や『ねじまき鳥クロニクル』などの翻訳で知られます。

 そのルービンさんの、村上さんとの出会いから最近の交流までを描いたエッセイです。

 面白いです。

 いろんな村上さんらしい逸話が出てきて、飽きません。

 例えば、ルービンさんのクラスで村上さんの『パン屋再襲撃』を取り上げた際、ルービンさんが、海底火山は何の象徴か?と学生にきくと、ゲストで来ていた村上さんが、火山は象徴ではない、ただの火山だ、あなたがたはお腹がすくと火山が思い浮かびませんか?僕は浮かぶんです、空腹だったから、と述べる場面が出てきて、象徴よりも物語を大切にする村上さんを描きます。

 また、村上さんが、夏目漱石の作品の中で『坑夫』が一番好きなこと、そして、『海辺のカフカ』の中で、カフカくんが、『坑夫』は何を書いたのかわからないという部分が不思議にこころに残る、と話す場面を挙げて、村上さんがやはり物語を大切にしていることを述べられていて、そういう村上さんを信頼している姿が印象的です。

 村上さんの小説の英訳についても、細かいことよりも、英文で読んで面白いかどうかを重視するという村上さんの姿勢に、同じようなものが感じられます。

 他にも、ルービンさんの『三四郎』の翻訳にまつわる村上さんとのできことや芥川龍之介の翻訳にまつわる村上さんとのエピソードなど、興味深い逸話が紹介されています。

 村上さんのエッセイと同じくらい、村上さんの世界が楽しめるいい本だと思います。         (2019.3 記)

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 2023年10月の追記です

 ルービンさんの挙げたカフカくんの言葉が気になって、その箇所を読んでみました。

 カフカくんが大島さんという青年と『坑夫』について話していて、この小説には体験からの教訓などが書かれていないことを挙げて、この小説はいったい何を言いたいんだろうって、でもなんていうのかな、そういう、なにを言いたいのかわからない、という部分が、不思議にこころに残るんだ、うまく説明できないけど、と述べています。

 また、次のところでは、彼にとって、自分で判断したとか選択したとか、そういうことってほとんどなにもないんです、なんていうのかな、すごく受け身です、でも僕は思うんだけど、人間というのはじっさいには、そんなに簡単に自分の力でものごとを選択したりできないんじゃないかな、とも述べています。

 不思議さを大切にして、人間の力には謙虚であるという村上ワールドが全開ですね。       (2023.10 記)

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 2024年12月の追記です

 じーじは、努力をすれば、夢は必ずかなう、という言葉が嫌いです(?)。

 他にもそう言っている方がいらっしゃいますし、じーじもそんな趣旨のブログを書いたことがあります。

 漱石さんの『坑夫』の主人公のように、夢に向かわない人生も拙いとは思うけれど、夢の向かいすぎるのも拙いような気がします。

 夢多き若者にはまことに申しわけないとは思いますが、人生、どんなに努力をしても、夢がかなわないことのほうが多いのではないかなあ、と考えています。

 しかし、夢は大切だと思いますし、それに向かっての努力も大切だ、と思っています。

 大事なことは、夢がかなわなかった時に、どうするかではないのかな、と思うのです。

 夢に固執してしまうのか、新たな夢に向かえるのか、そこが大きなポイントのような気がします。

 夢に押しつぶされずに、自由に頑張ってほしいと思います。        (2024.12 記)

 

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沢木耕太郎『イルカと墜落』2009・文春文庫-沢木さんのアマゾン河奥地紀行を読む

2024年12月11日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *   

 先日、テレビを見ていたら、なんと沢木さんが出てきました。

 アマゾン河の奥地に住む未接触人種の調査に行くというドキュメンタリーの再放送でしたが、テレビで見る沢木さんもなかなかかっこよかったです。

 そんな折、たまたま本棚を眺めていたところ、本書を見つけてしまいました(こういうことがあるので、じーじはユングさんが好きです)。

 墜落?、と思って、背表紙を読んでみると、沢木さんの乗った飛行機がアマゾン河奥地で墜落をしたらしいのです(再読なのに、その記憶が全然戻ってこないのが、我ながら、すごい!(?)と思ってしまいましたが…)。

 というような次第で、沢木さんのアマゾン河大冒険を読みました。

 イルカ、はアマゾン河で出合います。

 それも、ピンクのイルカで、沢木さんには相当印象深かったようです。

 船旅での現地の人々との交流に描かれる沢木さんは、『深夜特急』の時と同じで、自然体でユーモラスで、読んでいて心地よいです。

 そして、いよいよ飛行機に搭乗。

 おんぼろセスナ機に乗って、窓の外を眺めていると、なんと燃料が漏れ出し、だんだんと高度が下がり、機長が、荷物を捨てろ、と叫びます。

 沢木さんは偉そうにしていた機長のカバンを真っ先に外に投げて、沢木さんらしい(?)ところを見せます。

 と、なぜか、ここでじーじの記憶が戻ってきて、確かに、この部分だけは、読んだ記憶が…。

 記憶って不思議だな、と思いました。

 飛行機は結局、農地に墜落をするのですが、乗っていた人はみなさん、多少の怪我だけで済むという奇跡。

 機長が沢木さんに、俺のカバンを知らないか、と聞きますが、沢木さんは知らないふり。

 沢木さんらしさが爆発です(ここもなぜか記憶に残っていて、じーじはこういうお話が大好きなのかもしれません)。

 墜落の様子を沢木さんは克明にリポートして、さすがは名ルポライターと感心させられます。

 解説によれば、翌年、さらに調査を続行し、その時の未接触人種との遭遇がテレビ番組のメインになったようで、それをじーじは見たようです。

 未接触人種の二人が、最初は警戒しながらも、最後に沢木さんを招くシーンは印象的でした。

 いいテレビ番組といい本に出合えたことに感謝したいと思います。        (2018. 12 記)

 

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司馬遼太郎『北のまほろば-街道をゆく41』1997・朝日文芸文庫-「街道をゆく」を読む

2024年12月10日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *   

 司馬遼太郎さんの『北のまほろば-街道をゆく41』(1997・朝日文芸文庫)を再読しました。

 久しぶりです。 

 読むのは3回目くらいでしょうか。

 本書は司馬さんの1994年の青森の旅の紀行文。

 当時、『週刊朝日』に連載中に、なんと、三内丸山遺跡が発掘されるという大ニュースがあり、司馬さんは再度、訪れたりしています。

 まさに運命的な出会いですね。

 それまでにも、亀ヶ岡遺跡(宇宙人のような土偶で有名)や十三湖遺跡(アジアとも交流をしていた貿易港)を見て、古代の青森の偉大さに思いをはせていた司馬さんが、4500年前の縄文時代に栄えた大集落とその巨大な建造物を見て、さらに自らの考えを補強されたことは間違いありません。

 弥生人による米作中心の歴史が始まる前の、自然豊かな時代に青森を中心とする東北地方の縄文人はとても豊かな生活を送っていたことが実証されたわけで、画期的なことだったと思われます。

 しかも、そういう事実を何となく知っていたかのような記述をすでに江戸時代にしている菅江真澄も登場してきて、司馬さんの歴史観の確かさはすごいです。

 ちなみに、菅江真澄という人は江戸時代に北海道にも渡って、アイヌの生活を記録に収めており、じーじも大好きな旅行家・民俗学者・薬草家で、江戸時代の司馬さんみたいな人です。

 司馬さんのお話は縄文や遺跡に留まらず、いつものようにその博識ぶりは驚くばかりで、津軽、南部、下北のお話をくわしく展開されて、全くあきません。

 個人的には、戊辰戦争で負けて、下北半島に島流しにされた会津藩のお話が辛いです。

 戦争は人を悪魔のようにしてしまうということがよくわかります。

 じーじはなぜか敗者の歴史に共感してしまうきらいがありますが、いずれにしても戦争はよくありません。

 勝っても負けても、人が人でなくなってしまいます。

 青森の地に立つと、そういうことが実感できるのかもしれません。

 来年の夏は、北海道だけでなく、青森にも寄ってみたくなりました。         (2018. 12 記)

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 2023年12月の追記です

 その後、この翌年の2019年のゴールデンウィークに三内丸山遺跡などを訪れました。

 当時の拙い文章が、「ひとり旅で考える」欄にありますので、よろしかったら読んでみてください。        (2023.12 記)

 

 

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沢木耕太郎『246』2014・新潮文庫-2歳の娘さんへのお話とおとなへのお話たち

2024年12月09日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *    

 沢木耕太郎さんの『246』(2014・新潮文庫)を再読しました。

 以前読んだ時に、いい本だな、と思った記憶があったのですが、今回、読んでみると、すごく面白くて、そして、いい本でした。

 すごく面白い理由の一つは、沢木さんが当時2歳の娘さんが寝る前にしてあげるお話のせい。

 読んでいて、とてもほのぼのします。

 ここでは沢木さんは童話作家(?)。

 ノンフィクション作家としてより才能があるかもしれません(冗談です。沢木さん、ごめんなさい)。

 本書は、1986年1月から9月までの沢木さんの日記風エッセイ。

 1986年というのは、沢木さんの『深夜特急』が出た年で、そのことがまず書かれています。

 ちなみに、246、とは国道246号線のことで、当時、沢木さんの仕事場があった場所だそうです。

 沢木さんが、自宅から仕事場に行こうとすると、娘さんが、いかないで、と言って、沢木さんが仕事を休んでしまうシーンもあり、微笑ましいです。

 とっても面白いお話、興味深いお話、真面目に考えさせられるお話と、結構厚めの文庫本は中身が充実していますが、じーじが個人的に面白かったのは、みつばち農家を取材したお話。

 福音館書店の『たくさんのふしぎ』という本に『ハチヤさんの旅』(のちに1987年5月号として掲載)というお話を書く仕事の取材で、みつばち農家に同行するのですが、ある時、小さな女の子がいる農家さんのご希望で沢木さんの2歳の娘さんも一緒に行くというできごとがあり、案の定、とんでもないドタバタ劇になってしまいます。

 しかし、それもある程度想定をしての父子での取材旅(?)は、とっても楽しいお話でした。

 そして、そこで取材がかち合ったテレビ局クルーの過剰演出をさらりと批判する沢木さんもなかなか素敵です。

 いろんなことを考えさせられ、また、楽しくなれる、いい本です。        (2018. 12記)

 

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沢木耕太郎『深夜特急2-マレー半島・シンガポール』1994・新潮文庫-ひとり旅を読む

2024年12月07日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *   

 沢木耕太郎さんの『深夜特急2-マレー半島・シンガポール』(1994・新潮文庫)を再読しました。

 これまでに書いてきたようないきさつで、なぜかジグザグに出発点に遡るような形で読んでいますが、じーじの場合、これもまたいいのでしょう(?)。

 この巻では、海外へのひとり旅に出ることになったいきさつやその前の大企業に就職が決まっていたのに一日でやめてしまったエピソードなどが語られ、沢木さんの破天荒ぶりにびっくりしますし、なるほどそういうことだったのか、と改めて了解ができるようなことが書かれてます。

 旅の仕方も後の巻に比べるとまだまだ初々しいですし(?)、ニュージーランドから来た同じような若者たちを先輩づらをする沢木さんも初々しく感じます。

 意識してそう書いているわけではないのでしょうが、そういうことがわかるって、文章の面白いところでしょうし、人生にも通じることなのかもしれません。

 そして、沢木さんの魅力は、へんな偏見がないところでしょうか。

 娼婦のいるホテルに長逗留をして、娼婦だけでなく、そのヒモさんたちとも友達になったり、食べ物は現地の人たちが食べるものが一番おいしいと言ったり、構えずに庶民的です。

 なかなかできることではありませんが、理想です。

 なお、今回の巻末対談のゲストは、なんと、高倉健さん。

 沢木さんがモハメド・アリの試合のチケットを高倉さんから譲ってもらい、そのレポートを高倉健さんに手紙で書いて送って以来の仲だそうですが、健さんが本当に信頼して、気を許している様子が窺えて、ほほえましいです。

 そして、お二人がお好きな国がポルトガル。

 やはり、ポルトガルはいい国のようです。

 じいじいのじーじでも、チャンスがあれば行ってみたくなりました。

 さて、残るは第1巻。

 年末の大掃除で見つかるといいのですが…。

 かなりの恥ずかしがり屋さんのようで(?)、上手にかくれんぼうをしていますので、どうなりますやら…。         (2018. 11 記)

 

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沢木耕太郎『深夜特急3-インド・ネパール』1994・新潮文庫-ひとり旅を読む

2024年12月02日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *  

 沢木耕太郎さんの『深夜特急3-インド・ネパール』(1994・新潮文庫)を再読しました。

 先日、ロンドンに着いた第6巻を読んだ後、次はどこに行こうか(?)どっちを読もうか、と迷いましたが、結局、第3巻の本書を読むことにしました。

 沢木さんのインドの旅は、忘れっぽいじーじでも、なんか悲惨な印象が薄っすらと残っていて、やや敬遠していたのですが、ネパールの旅に興味があって読んでしまいました。

 読んでみると、やっぱりインドの旅はかなり悲惨で、しかし、それを冷静に描写する沢木さんのすごさを感じました。

 インドの悲惨さの中で、唯一、希望が感じられたのが、アシュラムという孤児院の存在。

 日本からボランティアで来ていた大学生らとのインドの子どもたち相手の生活は、その地の自然の美しさとともに印象深いものでした。

 希望を失い、無感動になっている子どもたちが、だんだんと子どもらしくなる姿は感動的です。

 特に、小さな女の子が、小さな髪飾りを見て、生き生きとして感情を取り戻していくさまは素晴らしいものがありました。

 おとなが逆に子どもに、大切なものを教えられるところがすごいですし、それを文章にできる沢木さんの感受性がすばらしいと思いました。

 一方、ネパールは予想どおり、日本に似て、インドに比べると温和な土地のようですが、あまり大きなできごとはなく、通過します。

 そして、再度のインド、やはり強烈です。

 しかし、病気で倒れ、宿がなく、やむなく安宿の女性用の部屋で寝ていた時のできごとは美しいです。

 沢木さんを心配したフランス女性が静かに眠るために向こうのベッドで洋服を脱ぐ場面は、映画を観るように美しい描写で、じーじでもその想像の美しさに息をのんでしまいました。

 旅はやはりハプニングがあるから面白いですよね(もっとも、じーじのひとり旅では、財布を落とすような事件はあっても、美しい女性との思い出などはまったく起こりませんが…)。

 また、旅に出たくなりました。

 その前に、第2巻を読まねばなりません。

 そして、行方不明の第1巻を探さねばなりません。

 年を取っても、結構忙しいじーじの毎日です。        (2018.11 記)

 

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木田元・計見一雄『精神の哲学・肉体の哲学-形而上学的思考から自然的思考へ』2010・講談社

2024年11月29日 | 随筆を読む

 2015年のブログです

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 じーじが大好きで尊敬をしている哲学者・木田元さんの対談本『精神の哲学・肉体の哲学-形而上学的思考から自然的思考へ』(2010・講談社)』を読みました。

 木田さんはハイデガーさんを研究しながら,その著『存在と時間』の未完さを指摘し,従来のいわゆる西洋哲学全般の限界にも論及をして,「反哲学」を唱えた人。

 ギリシャ哲学からデカルトさんに至る西洋哲学をもっと広い視野から捉えなおした哲学者といえると思います。

 そして,本書でも紹介をしているニーチェさんやメルロ・ポンティさんなどの西洋哲学を超えようとした哲学者の考えを「肉体」の哲学として捉え,本書の中で紹介し,その本質に迫っていると思います(これで間違っていないと思うのですが…)。

 これは従来の心身二元論の限界から新しい総体的,総合的な一元論への見直しということになるのかもしれません(何を根源とするのかは議論がありそうですが…)。

 とにかく,これまでの哲学をいくつもの新しい視点から捉えなおしていて,とても知的刺激にあふれた内容になっています。

 また,対談者の計見さんも精神医学の立場から鋭い視点を提供していて,小気味よい本です。

 とはいえ,素人哲学ファンの悲しさ,読み込み不足は明らかで,これからも何回も読み込んで,考え,勉強をしていく必要がありそうです。          (2015.5 記)

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 2021年2月の追記です

 ここのところ、木田さんの哲学の本が気になっていて、年末からずっと読んできました。

 1冊くらいは感想文を書きたいと思っていたのですが、やはり理解不足らしく、なかなか書けずに本書にいたりました。

 6年ぶりの再読です。

 本書も、前のブログに書いた概要を超える感想は書けませんが、やはり大切なことが述べられているらしいということはわかる気がします。

 木田さんは、ご存じのかたもいらっしゃるかもしれませんが、海軍兵学校の時に間近で原子爆弾を体験、その後、「闇屋」になりそこねて(?)、ハイデガーさんを読みたくて東北大哲学科に入ったというかた。

 その経歴と同様、気さくで率直なかたで、専門書はともかく、エッセーなどは気軽に楽しく読めます。

 いずれご紹介できればな、と思っていますが、もう少し学びを深める必要がありそうです。           (2021.2 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通う。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事する。

 1995年頃、調査官でも落ちこぼれ、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間際に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事 個人開業で、心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区

 mail  yuwa0421family@gmail.com  

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大沢たかお『深夜特急』’96熱風アジア編・’97西へ!ユーラシア編・’98飛光よ!ヨーロッパ編

2024年11月24日 | 随筆を読む

 2022年11月のブログです

     *

 大沢たかおさんが主演をした『深夜特急』(1996~1998)をかなり久しぶりに観る。

 20数年ぶりだ。

 大沢さんがとても若くて、はつらつとしている(当然かもしれないが…)。

 きっかけは、先日、沢木耕太郎さんの『深夜特急』の感想文を再掲した時にいただいたある方からのコメント。

「ブログを読んで、大沢たかおさんの『深夜特急』の動画を観てみたらとても面白くて、本も読んでみたくなりました」とあった。

 なるほど、そういう観方もあるんだ、と目からうろこで、さっそく観てみたら、懐かしさもあって、不覚にも(?)はまってしまった。

 例によって、なんとなく雰囲気だけは、おぼろげながらところどころ記憶があったが、ストーリーや映像はまったく覚えておらず、新鮮に(?)楽しんでしまった。

 とてもいい映像で、今観ても色あせない素敵な番組ではないかと思う。

 大沢さんの魅力が全開ですごくいい。

 旅のエピソードも、なかなか素敵で、大部分は原作にもあったかどうか記憶が定かでなかったが(主人公が風邪でダウンした時のフランス女性とのエピソードだけはなぜか(?)しっかりと覚えていた)、楽しかった。

 改めて、原作と映像は別物だと思ったし、それぞれの良さが感じられて、面白かった。

 じーじの場合、映像を観てから原作を読んでもあまり失望をすることはないが、原作を読んでから映像を観るとどうも不満を感じることが多いが、良い作品はやはり両立するものらしい。

 昔の映像の楽しみ方を教えていただいたので、記憶に残っているドラマやドキュメンタリーを少しずつ楽しんでいきたいなあと思う。     (2022.11 記)

 

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沢木耕太郎『深夜特急6-南ヨーロッパ・ロンドン』1994・新潮文庫-ひとり旅を読む

2024年11月23日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *    

 沢木耕太郎さんの『深夜特急6-南ヨーロッパ・ロンドン』(1994・新潮文庫)を再読しました。

 とうとうゴール!といいたいところですが、なぜか、5、4、6巻と読んでしまいました。

 次は3巻を読むか、2巻を読むか、まだ決まっていませんし、1巻に至っては本棚の中で行方不明になっていて、お正月までに見つかるかどうかもわからない始末です。

 なんででしょう?

 昔から、おかずはおいしいものを最後に食べるタイプなんですが、本は面白そうなものからつい読んでしまうタイプなのです、エヘン(?)。

 もっとも、じーじのひとり旅も最近はそんな感じで、計画性も何もなく、行きたいところから行く、という感じになっていますね、ハイ。

 ということで、沢木さんの南ヨーロッパ、イタリア、スペイン、ポルトガルとロンドンの旅。

 だんだん都会が多くなって、自然が大好きなじーじには少し物足りないのですが、ポルトガルはすごく面白いです。

 人々に人情味がありますし、風景や食べ物も日本に近い印象を受けます。

 このことは、先日読んだ司馬遼太郎さんの『街道をゆく-南蛮のみち』でも同じような印象を受けました。

 ユーラシア大陸の東端と西端、何か関係があるのかもしれません。

 さて、ゴールはロンドン、と思いきや、沢木さんはさらにバスチケットを買います。

 どこを目指すかは、読んでからのお楽しみ。

 なお、巻末のゲスト対談は、なんと井上陽水さん。

 ひとり旅が好きだという井上さんとすごく面白い対談が展開します。

 こちらも一冊の本にできるくらいの分量で、読み応えがあります。

 できれば、年末年始にみかんを食べながら読みたかった、というのが、贅沢な反省です。

 明日からは、2巻のマレーシアでしょうか、3巻のインド・ネパールでしょうか。

 それは明日になってみないとじーじにもわかりません。         (2018.11 記)

 

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