たぶん2016年ころのブログです
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精神科デイケアでボランティアや勉強をさせてもらっています(メンバーさん、スタッフさん、ありがとうございます)。
メンバーさんとお話をさせてもらったり、メンバーさんの相談ごとに耳を傾けさせてもらったりしながら、一緒にいろいろなことを考えさせてもらっています。
スタッフのみなさんも、毎日のプログラムのほかに、メンバーさんからの相談ごとや悩みごとをお聞きしたり、それらへの助言などで、毎日忙しそうです。
そんな中でひとつ気になったのが、メンバーさんからの頻回の電話相談や頻回の面接相談の依頼です。
メンバーさんがとても不安な時に、気軽に電話で相談をしたり、面接相談を依頼できるということはとても大切なことだと思うのですが、一方で、それがあまりに過度になると、本当にメンバーさんの自立や成長につながるのだろうか、と少しだけ心配になります。
昔、じーじが家庭裁判所で働いていた時にも同じようなことがあって、頻繁に電話をかけてくる人や予約なしに頻繁に訪ねてくる人たちがいて、対応に苦慮しました。
その時には、頻回の電話には、時間を指定したり、通話時間を決めるようにして、約束の中での安定した電話相談にするように工夫をしたり、また、突然の面談についても、時間を指定したり、面接時間を決めさせてもらって、やはり、約束をした中での安定をした面接相談にするように工夫をしたりしていました。
これらは、不安にかられて行動化をしてしまう人たちに、時間や方法をできるだけ「構造化」をして安定をしてもらい、不安をおさめてもらうという私なりの工夫だったと思います。
不安をしずめることや行動化をおさめていくことはそう簡単なことではないでしょうが、少しずつでも約束の中での安定をした「相談」にしていくことが大切ではないかと思っています。
これからももっともっと勉強が必要です。 (2016?記)
わたしは昨年暮れより精神科通院を中断していますので、話し相手、(メールや電話も含め)は母以外にいません。
最近は「いのちの電話」に週に3~4回電話をして、話をしています。
その中で、「ああ、わたしはこういう相談員にはなれないな」と感じました。その一番大きな理由は、予め時間を決めておくことも、また話の途中で「申し訳ないけれど、そろそろ時間だから…」と会話を中断させることも出来ないと感じたからです。
自分が逆の立場なら、ものすごく厭だろうな、と思うからです。自分がされて厭なことを人にすることはできない。
かといって、際限なく話を聴いてあげることもできない。そういうことで、聴き手としての「能力」以前に「相手との時間」という点に於いて、わたしは「いのちの電話」に限らず、相談員にも、またカウンセラーにも向いていないと感じました。
随分以前、ある会社のサービスセンターに勤めていたことがあります。客の評判は良かったのですが、
トップが、○○はあまりに丁寧過ぎて時間がかかる、もっと捌け捌けと注意されました。
わたしは時に人を裁きますが、相談してくる人を捌くことはできませんでしたので、そこを辞めました。
大事な問題ですよね。
カウンセリングの場合は、そういうこともあるので、最初に時間を話し合って決めることになっています。
時間の中でしゃべりきれないことにも意味がある、と考えますので、そこのところをまた一緒に考えていく作業が大切になると思います。