弁理士『三色眼鏡』の業務日誌     ~大海原編~

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見積もる。

2007年10月25日 19時48分11秒 | 趣味・その他諸々の雑記
よく自分の仕事を「漫画家みたいなもんです。期限までに作品仕上げないとだめなんで。」なんて説明することがある。

でも、“良い仕事”をしようと思ったら、期限ギリギリで間に合わせる、というスタンスでは、ダメダメ。

昨日今日と、同僚の担当する提出書類の証拠作成支援にかりだされた。
その同僚は、これほどのボリュームの案件を扱うのが初めてだったこともあり、スケジュールの見積りが甘かった。

10日ほど前から、折を見ては「大丈夫?間に合う?何か手伝おうか?」と声を掛けてはいたのだが、「大丈夫です。」の一言。事務担当の女の子とも“このペースだと、ぎりぎりで炎上しそうだよね”とは話していたのだが、果たしてその通りに。。timecharge万円単位の私が計7時間にわたって証拠作成作業に従事。

もちろん、本人は”良い仕事”をしようと一生懸命であったのは傍で見ていて判っていたので、責めるつもりは一切ない。今回の経験を次に生かしてくれれば良いと心から思う。

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食肉偽装と商標【ちょっと考察】

2007年10月25日 00時08分21秒 | 知財記事コメント
比内地鶏と称して廃鶏の加工肉を販売していた偽造が明るみになったかと思ったら、今度は宮崎県産地鶏と銘打ってブロイラーが販売されていた、とのニュースが。

非難を承知の上で、偽装した企業の立場から考えてみる。

おそらくは食肉加工業者として、経営的にもジリ貧だったのであろう。
偽装は、いわば麻薬のようなものだ。「比内地鶏」と表示しさえすれば短期的には売上を押し上げる効果があるが、依存度が高くなり、やがて常態化する。ブランドによるプレミアムのうまみを知ってしまって暴利をむさぼる、というよりは、それで何とか延命している、というところだったのだろう、と推測される。生き延びるためにはやるしかない、という状況だったものと思われる。ミートホープもこのパターンだったのであろう。

宮崎の件。TV報道を信頼するかぎり、販売したデパートは「単純なミスだ」としているが、これだけ偽造が騒がれている状況で、品目を取り違えた、「過失」という意味での「ミス」であるはずがない。ありえるとすれば、知っていて間違いを正さなかった「判断ミス」であろう。これは、組織の中の意思決定のあやがもたらした結果なのかもしれない。

いずれの事件においても、報道機関がハッキリいわないことがある。
「消費者の甘さ」だ。(自ら視聴者を敵に回す愚を犯すマスコミもいるまい。)

しかし思う。
いずれの事件も、消費者の眼によるチェックがしっかり働いていれば、無知な買い手をあざ笑うかのような所業はなされなかったであろう。
事件が発覚してから“けしからん”ということは誰でもできるが、裏を返せば、それを見抜く慧眼を持ち合わせた消費者が余りに少ない、作り手にとって“ユルい”状況の存在が最大の原因ではないか?

業務上の信用にただ乗りする行為の卑劣さを容認するつもりは毛頭ない。

しかし、「ブランド」の説明省略機能を過信して(場合によってはだまされていることに気が付きつつも気が付かない振りをして)購買行動を起こしていないか?作り手の良心に対する信頼が行き過ぎていないか?コンプライアンスやら「べき」論に頼って、自分で自分の身を守る、というもっとも基本的重要事項を置き去りにしていないか?

「信用」というものは、片務的に発生するものではない、と思うのである。保護されるべき「需要者の利益」も、需要者の質に応じて変わってくるのではないか?といったら言い過ぎだろうか?

何を「信用」するのか。
付された商標や表示なのか、その商品自体なのか。
メーカーや小売業者なのか、自分の眼なのか。
見る眼を備えてこそ、初めてモノもいえる、そんな当たり前のことが置き去りにされたまま、偽造に手を染めたモノが本源的に悪意のかたまりで、最初から人をだまそうとしていた“絶対悪”である、という非難ばかりをしている、そんな構図に見えてしまうのである。

繰り返しになるが、偽造業者をかばう気は微塵もない。が、個々の消費者の意識の薄さ、脇の甘さが集積されて、こうした業者が後を立たない状況になっているようにも思えるのである。

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