おはようございます!
辛うじてまだ雨が落ちてきていない今朝の@湘南地方です。
…午後は雨なのかなぁ。今のうちに走った方が良いのかなぁ。
と思いつつ、事務所で淡々とお仕事中。
4連休とか、GO TO とか、何それ美味しいの?状態。
さてさて、当ブログでは珍しく芸能関係。
こちらの記事。
大阪にいたころ(ちょうど世紀の変わり目あたり)、営業車の中でABCラジオ「こころ晴天」よく聴いていた。
何なら聴きたいから月曜火曜の午後に外訪予定入れていたくらいで。
この人の
パワハラ『芸』(敢えて「芸」という)は昔っからだものなぁ。
あの頃からは20年…その間に、世の中が大きく変わってパワハラに対する見方が著しく厳しくなり。
一方で本人も歳を重ねて熟成し、偉くなり、抑えは利かなくなり。。。
大物になるもんだから、周りからのマイナス情報が入ってこなくなり。
芸人さんなり芸能人のツラいところは、
時代の変化に応じてアジャストすることと自分のアイデンティティを維持することを両立して
それを人に晒し続けなければいけないところだよな、と思う。
ちょっと世間の「コード」から外れたら、とたんにバッシングにあう。
それも最近は秒速で。
最終的には「好き/嫌い」の話であって、嫌なら観たり聴いたりしなければよいだけのことで。
芸人が人として尊敬されるべき生き方をするなんて、それは期待のし過ぎなわけで。
むしろ根本は破綻的な人格が内在しているから芸人としてやっていける、という面もあると思う。
もっと俯瞰して見れば、
大なり小なり破綻的人格を、芸人に限らず人は皆内在させているものではないのん?
それをおおっぴらに開示するとここぞとばかりに叩かれてしまうから
それを恐れて良い子の顔をしているだけで。
そう。本件に限らずずっと思っているのは、
世の中の「何か」に迎合して自分の人格を丸めて型に嵌めて、或いは盛って繕って、
「こういう風に見られてるわたし」を目指して日々の行動を選択しているのって、
なんなん??? ということ。
私自身、このブログを書き続けている理由の一つとして
「公の場で発信するということを常にやっていないと、いざ本当にやらなきゃいけないときにうまくできないだろう」
という点がある。
このことはとりもなおさず、“こういう表現をしたらどういうリアクションがあるのだろう?”ということも意識している、という意味でもある。
どういう風に見られるか、は意識する。
ただ、「どういう風に見られるか」は意識するけど、
「こういう風に見られるわたし」は目指してない。自分は飽くまで自分。
人とのやり取りの中で自信を持ったり反省したり、というのはもちろんあるけど、
「どう見られるか」ではなく「どうあるか」に照準を合わせている。
だって「どう見られるか」なんて、最終的には受け手が決めること。
そこまで気を遣っていたらやってらんない。
オープンにしているのは自分の中のほんの、本当にほんの“氷山の一角”なわけだし。
人間てもっと入り組んでて複雑怪奇なものだと思うのですよ。
とまあちょっと脱線したので上沼恵美子さんに話を戻すと、
もともとあーいう芸風の方なので、今更あれこれいうのもどうかなぁ、と思っている。
本人も、世間とフィットしなくなったと思ったらスパッと辞めるんだろうし。
人気商売だから100%好き勝手やるわけにもいかんのだろうけども。