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人間もゲノム編集される時代なんですかね?
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EUのベステアー上級副委員長は米マイクロソフトとオープンAIの提携関係を調査すると表明した
=ロイター
【ブリュッセル=辻隆史】
欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会は28日、米マイクロソフトと米オープンAIの提携関係について、競争法(独占禁止法)違反の疑いで調査を検討していると明らかにした。
生成AI(人工知能)大手がマイクロソフトと組み、急成長する市場の競争を阻害することを懸念する。
EUのベステアー上級副委員長(競争政策担当)が同日の演説で表明した。
IoTアナリティクスによると、生成AIの基盤技術やサービスのシェアはオープンAIが39%、マイクロソフトが30%を占める。巨大テックが有力な新興企業の技術やデータを囲い込めば市場支配力は強まる。
欧州委は1月、両社の提携関係に関し、EUの合併規制の調査対象になるかどうか検討していると発表した。
EUの合併規則は域内の公正な競争を妨げるおそれがある場合、欧州委がM&A(合併・買収)を評価できる。
ベステアー氏は検証の結果、マイクロソフトがオープンAIを支配しているとの証拠がなかったため検討を取りやめると明言した。その代わりに競争法に基づく対応を模索する考えを示した。
欧州委は5月にマイクロソフトに対し、違法コンテンツ対策を義務付けるデジタルサービス法(DSA)に基づいた情報提供を要求した。
生成AIがもたらす偽情報などのリスク管理体制を調べており、企業の対応が不十分な場合には制裁金を科す。
6月25日には、マイクロソフトによる会議アプリ「Teams(チームズ)」の他製品とのセット販売が競争法に違反しているとの暫定的な見解を示した。
欧州委はマイクロソフトなどの寡占を強く警戒しており、複数の法律を活用して締め付けを強める。
ベステアー氏は演説で、スマートフォン分野での米グーグルと韓国サムスン電子の連携も競争法上の調査対象となるか検討しているとも明かした。
サムスンはグーグルの基盤技術「Gemini(ジェミニ)」をベースにAI機能を開発した。
スマホに初期設定として有力企業のAIが搭載されると、新興企業の新規参入を妨げるおそれがあるとみているもようだ。
ベステアー氏は「企業や消費者が(AIの)基盤モデルの幅広い選択肢を確保できるよう、流通チャネルを監視している」と語った。
欧州委は3月、音楽ストリーミング配信市場で支配的地位の乱用があったとして米アップルに18億ユーロの制裁金を科すと発表。
昨年にはグーグルにインターネット広告事業で競争法違反の疑いがあると警告するなど、巨大テックのビジネスモデルに厳しい態度を示している。
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日経記事2024.06.29より引用
資産の99%超を慈善事業に寄付することを表明しているウォーレン・バフェット氏=ロイター
【ニューヨーク=伴百江】
米投資会社バークシャー・ハザウェイを率いる著名投資家ウォーレン・バフェット氏は28日、自社株53億ドル(約8520億円)相当をビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団とバフェット氏の3人の子供たちが運営する慈善団体に寄付すると発表した。
93歳の同氏は死後の遺産約1300億ドルはすべて子どもたちの財団に寄付することも再確認した。
今回の寄付はバークシャー・ハザウェイ株B株約1300万株からなり、27日の同株終値ベースで算出すると総額約53億ドル相当となる。
ゲイツ財団には993万株、死別した最初の妻の名前を冠し子供たちが管理する財団に99万2025株、同じく子供たちによる3つの財団にそれぞれ69万5122株を寄付する。
バフェット氏はこれまで18年間にこれら5財団に総額550億ドルを寄付してきた。
今回の寄付に加え、バフェット氏は死後の遺産相続の詳細を再確認した。
米ウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューで、ゲイツ財団への寄付は死去した時点で終了し、遺産は子供たちが運営する4財団にすべて寄付すると表明。
現在、バフェット氏の資産の99%にあたるバークシャー株A株1300億ドル相当を4財団が引き継ぐことになる。
バフェット氏は、3人の子供であるスージー、ハワード、ピーターの3氏が将来の寄付金の配分を全会一致で決めるよう指示し、「私たちほど幸運でなかった人たちを助けるために」使うべきだと語った。
23年11月に発表した書簡で、バフェット氏は3氏を自身の遺言執行人と4財団の管財人に指名した。
さらに3氏がバフェット氏の遺産の99%超を財団を通じて相続し、その後10年ほどの間に遺産を慈善目的ですべて寄付するように指示した。
「財団は少人数で低コストで運営するように」と、持ち前の効率経営も付け加えた。
バフェット氏は今回の寄付の発表文で、「バークシャーでは特別なことは何も起きていないが、長期にわたる資本投下と米経済の追い風による複利効果で私の現在の富を生み出した」と表明した。
かつて、ブルーレイ・ディスクなど光ディスクは記録用メディアで主流だった(08年)
ソニーグループはブルーレイ・ディスク(BD)をはじめとする光ディスクなど記録用メディア事業で250人をメドとした希望退職を募る。
事業子会社の人員の約4割が対象となる。データの保存手段がクラウドに置き換わり、光ディスクの需要縮小が続く。生産の段階的な終了も検討する。
仙台テクノロジーセンター(宮城県多賀城市)で光ディスクなどを開発・製造する子会社で希望退職を募る。
応募した社員の一部をソニーグループの別の子会社などで受け入れることも検討する。
光ディスクの新規開発を終了し、生産も順次終了する構えだ。販売は当面継続する。
法人向けBDは作り置きをして販売を続ける。個人向けは量販店などと協議して今後終了時期を決める。
人員整理や再編に伴う費用はソニーグループの25年3月期の連結決算に計上する。業績への影響は軽微になる見込み。
仙台テクノロジーセンターは1954年、ソニーの前身の東京通信工業時代に初の地方工場として設立した。ソニーの社長を経験した中鉢良治氏の出身拠点でもある。
2011年の東日本大震災では、被災した中小企業に空きスペースを無償で貸与した。
光ディスクを巡っては、2000年代にソニーなどが推すBDと東芝、NECなどの「HD-DVD」の間で規格争いが起こった。
各陣営は米映画大手など有力なコンテンツを持つ企業の囲い込みに動いた。08年に米映画大手のワーナー・ブラザースがBDを単独支持すると発表し、BDに軍配が上がった経緯がある。
7月3日、新しい紙幣の発行が始まる。
新5千円札に肖像が使われる津田梅子は津田塾大学の前身の女子英学塾を創設し、女子高等教育の先駆者として歴史に刻まれている。
実は2度目の米国留学で生物学を学び、研究者として将来を嘱望されていたことは知られていない。生物学者を選べず、教育者として生きた背景には何があったのか。
1894年、英国の学術誌に梅子の論文が掲載された。
米ブリンマー大学で指導を受けた准教授(当時)のトーマス・モーガンと、カエルの受精卵が細胞分裂する際に生じる溝や肛門のもとになる組織と色素の位置関係を調べた。
大阪医科薬科大学の秋山康子非常勤講師は「遺伝子やDNAの存在がわかっておらず、実験手法も確立していない時代に丁寧に観察し、分析している」と感心する。
当時、海外の学術誌に日本人の論文が載るのは珍しく、女性としては初めてだ。モーガンは「梅子のおかげでまとめられた」と語った。
梅子の担当した部分はほぼそのまま使われた。秋山氏は「論文はこんな風に書くのだなと改めて感じさせるような文章」と話す。
梅子は71年、6歳で日本初の女子留学生のひとりとして渡米した。17歳で帰国すると、英語教師として華族の子女に教えた。
しかし、良妻賢母を育てる学校の方針などに不満を抱き、再留学を目指す。女性でも学問ができるのか、試したいという思いがあった。
89年、東部のブリンマー大で2度目の留学生活を始めた。最初は教育法を学ぶつもりだったが、勃興期にあった生物学と出会う。
梅子は最初の留学時、高校でも数学や物理、天文が得意だった。科学史家で日本大学教授などを務めた古川安氏は「農学者の父親の影響もあった」とみる。
関係資料を調べた古川氏によると、モーガンをはじめブリンマー大の教授陣は梅子の研究や学問への姿勢を激賞していた。
手先が器用で分析力が高かったという。講師だったフレデリック・リーは「非常に優れた知性と科学的才能を発揮した」と評価している。
帰国前、梅子は大学に残って研究を続けるよう打診される。古川氏は「残っていれば、奨学生となり、モーガンの下で博士号も取得しただろう」と指摘する。しかし、申し出を断る。
梅子の学友で、後に来日して女子英学塾を支えたアナ・ハーツホンの手記よると、ブリンマー大幹部は「信じられないという反応を示し憤慨していた」という。
教師を休職し、国費による留学で、我が道を行くことは難しかっただろう。
女性の地位向上には高等教育が不可欠と考えていた梅子にとって、米にとどまるという選択肢はなかった。古川氏は「梅子のモラルが許さなかった」と分析する。
当時、日本では女性が科学者となる道は閉ざされていた。帰国すれば科学の道をあきらめることになる。葛藤はあったようだ。
帰国後も東京帝国大学教授の箕作佳吉の助言を得ながら、しばらく研究を続けている。モーガンにも状況を伝える手紙を書いた。その返信でモーガンは「米に戻ってこないか」と誘っている。
モーガンはその後、コロンビア大学に移り、ショウジョウバエを使った染色体の突然変異の研究で1933年のノーベル生理学・医学賞を受賞する。弟子や孫弟子のノーベル賞受賞者は8人にのぼる。
梅子の同級生らは、女性科学者の先駆けとして活躍した。古川氏は「梅子もそれなりに大成しただろう」と話す。
もうひとつの道を選んでいたら、女性科学者のパイオニアとして紙幣の顔になったかもしれない。しかし、日本社会にこれだけ影響を及ぼすことはなかっただろう。
モーガンは後に、コロンビア大時代の弟子で京都大学教授の駒井卓に皮肉っぽく語っている。「梅子があれほどの名声を得られたのは、生物学と完全に縁を切ったからだ」
梅子は女子英学塾での科学教育にも意欲を持っていたが、資金難で存命中は実現しなかった。
それから1世紀、女子の高等教育の環境は大きく改善した。とはいえ、理工系の大学に進む女子の比率は先進国では最低だ。社会も保護者も生徒も意識を変える必要がある。梅子もそれを望んでいるだろう。(編集委員 青木慎一)