日ハム・小林繁コーチ急死 57歳、元巨人・阪神投手(朝日新聞) - goo ニュース
このオフは急すぎる別ればかりで心がもちません。。。
78年の江川問題と言えば、私も充分に野球がわかる年になっていたので、この事件は衝撃だったけれど、阪神に小林繁が来ると思うと、そっちの方が嬉しかった。
意外にクラスに巨人ファンが半数以上いた当時、この事件をきっかけに「巨人ファン辞めた」子が多かったのを覚えている。
不摂生体型の人が多かった阪神では、そのスリムな体型は不釣合いに思えたのだけれど(江本のスリムさとは全然違っていた)徐々に縦縞も馴染んで、阪神のエースになってくれた。
けれど、巨人に向かって行けば行くほど、「やっぱり巨人にいたかったんだよなあ・・」とも思えて、勝てば勝つほど悲痛に思えて見るのが辛かった。
それにしても57歳で心筋梗塞というのは私の父と同じだ。
コーチとしてこれからと言う時に・・・・
言葉も無いです。
このオフは急すぎる別ればかりで心がもちません。。。
78年の江川問題と言えば、私も充分に野球がわかる年になっていたので、この事件は衝撃だったけれど、阪神に小林繁が来ると思うと、そっちの方が嬉しかった。
意外にクラスに巨人ファンが半数以上いた当時、この事件をきっかけに「巨人ファン辞めた」子が多かったのを覚えている。
不摂生体型の人が多かった阪神では、そのスリムな体型は不釣合いに思えたのだけれど(江本のスリムさとは全然違っていた)徐々に縦縞も馴染んで、阪神のエースになってくれた。
けれど、巨人に向かって行けば行くほど、「やっぱり巨人にいたかったんだよなあ・・」とも思えて、勝てば勝つほど悲痛に思えて見るのが辛かった。
それにしても57歳で心筋梗塞というのは私の父と同じだ。
コーチとしてこれからと言う時に・・・・
言葉も無いです。
何だって、よりによってこの人が・・・
仕事しても何してても、つい考えてしまいます。
>山田投手
そうですか。山田投手が小林さんから指導を・・。
頑張って欲しいですね。
それにしても、1月は心臓疾患で亡くなる人が多いんですよね(うちの父もですが)。
家族はたまらないですよ。あっという間ですしねえ。。
お察しします。
巨人時代から、あの特異なフォームは、当時の野球少年
の恰好のモノマネのネタでした。
今年オリックスに入った敦賀気比高 山田投手は
少年野球時代に小林さんから指導を受けたとか。
山田君がプロで活躍すれば、小林さんも空の上から
「修義、いいぞ!」って笑ってくれるでしょうね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
アレからちょっとずつ勝てなくなったのかなあ・・・とは言え二桁は軽く勝ってたんですよねえ。。
>早すぎる
肝臓が悪そうな感じではあるのですが。。
家の父は破産を経験して心臓が悪くなったのですが、破産を経験するのってやっぱり心臓に悪いんでしょうねえ。。
去年暮れに一軍昇格云々の話を知って、久々にユニ姿観られるなぁと思ぅてたんですが・・・。
小林さんがタイガースに移ってきたのはまだ私も幼稚園児にも満たないほどの歳で、彼が元々ジャイアンツのエースだったことや江川騒動の詳細を知ったのは、引退後ずいぶん経ってからでした。
それでも幼い記憶にも強烈な印象として残ってるんですよね。
細い身体でマウンド上で仁王立ちしてるカッコエェ姿とか、開幕戦サヨナラ暴投で呆然と立ち尽くす姿とか。
そんなバリバリ活躍してる中で突然ユニフォームを脱いでしまって、幼いながらもショックを受けたのを思い出します。
そして人生のマウンドを降りてしまうのもあまりに突然・・・。
ナンボ何でも早すぎますって。
ここは阪神が何とかハムに話をつけて(言えば快諾が得られると思うのですが)甲子園に記帳・献花をすべきなんですが・・・
まあやらないでしょうね・・・
親会社の本社は大阪市、関西にファンも多いことだし、同じような事をやってくれてもいいと思うのですが。
あの当時は小学生でしたが、アホな男子がアホな言い合いをしてました。
巨人ファンの男子が大嫌いになったり、色々と波紋が多すぎた事件でしたよね。
記帳とかあるとしたらやっぱり北海道ですよね・・・・(--;)
今、角さんが「一人だけカッコよかった」って言ってましたもん。
>空白の一日
あの日を境にアンチになった人も多いと思います。
しかし、何だってあの時クジを引き当てるかなあ・・阪神(^^;
うちは57で、同じ1月でした(急に寒くなると心不全起こしやすいのですわ)。
親を早く亡くすと、自分がその年でどうなるのか凄く気になります。
お酒のCM、あれやっといて良かったと思います。やらないまま亡くなられたら色々と悔いも残ったと思いますし。。
あの事件の頃は、友人といろいろ議論したものです。ええ、ほんといろいろと…。
あのお酒のCMは、なんだか息を詰めて見てしまいましたねぇ…。
あのフォーム、ピッチング、きっと忘れないでしょうね。なんかうまく言葉になりません。
まだまだ、できること、やりたいことがあったでしょうに、残念の一言です。
ルックスと言い、言動と言い、非の打ち所の無いかっこええヒーローでした。
思えば、あの「空白の一日」から、巨人を悪の権化みたいに考え出したな~
(今は阪神フロントを・・・w)
57歳・・。
私の父は55でしたからそこを乗り越えたら・・っていう境界線みたいなものがわかればいいのですがね。
多分、今の記者さん世代でも大黒屋さんみたいな感覚なんじゃないかと思ってます。
アンダースローが流行って(水島漫画の影響もあって)甲子園の投手がアンダースローだらけだったり(いい時代だ)、影響力大な選手でした。
心筋梗塞って突然のようで、何かと前兆があるんですよね。
だいたい筋肉痛とか呼吸器の疾患と間違えるんですが・・・。
巨人戦以外は阪神と言えど、なかなか中継も無かったので(当時はサンテレビが映りにくくてVHFだよりだったので)阪神がメチャメチャ強いチームと勘違いしてました(他でめちゃめちゃ負けてたんですが)。
あの時は6年生で、小林がエースとして阪神で活躍した時は私は中学でソフトボールを始めていました。
近鉄とハムでコーチとして2度優勝に貢献してるんですよね。
近鉄と言えば、「プロ野球ここだけの話・近鉄バファローズ」を録画してやっと見たんですが(^^;
大阪近鉄時代の話はこれっぽっちも出ませんでしたが、還って私の知ってる時代の話ばかりで大爆笑したばかりでした。
小林氏とは関係あるようなないような感じですが、縁を感じてまた見直してます。
江川事件を知って理解したのはずっと後の話・・・
なので僕にとっては現役時代が短い選手でしたが、子供が見ても分かる周りとは違う男前っぷりと、その独特のフォーム
を駆使しての活躍もあって掛布と並ぶヒーローでした。
さんまの物真似もインパクト大でしたね・・・
まだまだこれからの人だっただけに残念です。
心からご冥福をお祈りしたいと思います。
優勝から遠ざかること17年経って迎えたシーズン、最終的には4位でしたが、大いに盛り上がったシーズンでした。
小林さんが勝った翌日の朝の教室が、『勝ったな』『小林、よかったなー』と笑顔であふれていました。
ファイターズのコーチとしても、八木と江尻を故障から復活させ、実績なくくすぶっていた菊地を1軍戦力に育て、ルーキーの糸数を終盤の1軍戦力に間に合わせ…結果を出していただけに残念です。
小林さん、天国でのんびりと野球を楽しんで下さい。
つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。