球児のストレートは「火の玉ストレート」と称される
これは清原が藤川との対決で(三振した後)つけた名前だ。
清原らしい命名だけど、ちょっと違うな・・と感じていた
あのストレートは火の玉の様なマッチョなイメージではなかった
先発投手として伸び悩んでいた藤川球児が急激に台頭したのは2004年の後半、もう優勝がほぼ決まっていた時期だったと記憶している。
2004年は阪神の歴史としては珍しく中継ぎ抑えに苦労した年だった。
打つ方も優勝の翌年で戦力はあったのだが
中心選手の怪我や不調、ルーキーの鳥谷がショートにほぼ固定されるもプロのレベルにはまだ遠く、
戦力がまだ上手く配置されず整っていない部分では今と似ているのかもしれない
そんな中現れた鋭い氷粒が飛ぶようなストレート
糸を引くとよく言われるが、藤川の球の軌道には色がついて見えた
私は実は共感覚といわれる、音やにおいや振動や形などに色を感じる感覚を持つのだけど(印刷物の色指定くらいしか役に立たない)球児のストレートにも色があった
球児のストレートの色はガスの炎の一番端っこの様な青白い光の色で、星でいうとシリウスやプロキオンの様な色温度が高い(色温度は炎の色の温度と同じ)冷たさすら感じる鋭く儚い色光だった。
雪の女王が放った氷の粒の様なイメージ
球児のストレートの色は年々オレンジになったり黄色くなったり赤になったりした。
打たれる時はたいていオレンジみの赤い色だった。
2008年
2010年
ここぞというときに打たれた球の色は赤かった。
球児のあの冷たい脆く儚い球は20代のしなやかな弓の様な体からピュンっと鋭く放たれる
なのでどんなに鍛えてももうあの鋭い尖った光は戻らず、蘇るのだとしたら他の投手のように老練な投球術を身に着けて蘇ると思っていた。
メジャーに行った時はもう戻ってこないと思っていたので
戻ってきた時は石井一久みたいな老練な投球に変わると思っていた。
そうしないと手術した後の40代を目前にした投手の復活などあり得ないと思ったから
2016年に戻ってきた時は彼は先発だった
失敗続きだったけど、彼のリスタートには先発として一度はやってみる必要があったのではないかと感じていたので大して反感も無かった
ほどなく調整しなおして中継ぎに徹した。
金本監督になった当初、ブルペンはうまく稼働していいなかったのだけど、再調整した球児がブルペンに入ってからブルペン陣がまとまりだしたと私は確信している。
金本さんの三年間から去年の一年間ブルペン陣を12球団1に仕上げたのは藤川球児の「阪神のブルペンのプライド」のなせる業だと私は考えている。
昨シーズン、矢野阪神一年目
藤川球児は春先はずっと不安定だった。
どの試合だったかもう年なので覚えてないのだけど、(覚えてる人教えてください)
僅差リードで迎えた終盤、球児は自ら制球を乱し満塁のピンチを迎えていた
普通はここで交代・・・なんだけど
ベンチで腕組みをして仁王立ち。びくとも動かずマウンドを凝視する矢野監督
満塁で押し出しになると同点とかそういう場面だったんだけど、3-2になっても動かない
ワンアウト、動かない
ツーアウト、動かない
マウンドにも行かない
「球児の事は俺が一番わかってるんやから」
結果切り抜けた球児はそのままもっと不安定だったドリスに代わって守護神として復活したわけだが・・
2019年の球児のストレートは細く鋭く儚く青白い光を放っていた
そしてその光は強烈にまばゆかった
花火が燃え尽きる直前の光に似ていた。
球児の投球を見るたびに
脆さと儚さを感じていたので
そうで無ければ良いなと考えない様にしていたのだけど・・
考えない様にしていたのだけども・・・