怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

芝刈りの様子

2016年08月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
ウチの芝刈りの様子。
延々と一時間以上続く。直射日光の下での仕事は大変だとはわかっているが・・・
う る さ い
もっとエンジン音の低い製品を開発してくれ、とか思ってしまう。


どこの製品かしら、と思って見たら・・・

あ。
日本メーカーのね。んじゃ、多少うるさくても許しちゃおう!

難民交流会開催お知らせ

2016年08月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
ウチの集落の集会案内状。
「カフェ インターナショナル」
同じ名を持つ集会が、街中でも開催されている。
難民と一般市民の交流の場として、今年から定期的に開催されている。
「カフェ」などと名前が付くと、コーヒーなどを飲ませる飲食店のように考えてしまうが、ここでは何かの集会に「カフェ 〇〇」と名づけたものが多く存在するのを見てきた。

とうとう、人口15000人のこの集落でも難民理解を求める場が作られたか、と思った。

集落の中を運行するバスの中でのできごと。
前方に二人の若者が座っていた。ドイツ語でない言葉を使っていたが難民かどうかは判別不能。
その後ろに6名ほどの年齢層の違うドイツ語を話す人たち(おそらくドイツ人)と私が座っていた。
若者二人が下車した後、その他6名は、お互いに知り合いではないのに、何かを話し合い始めた。
「難民」という言葉がところどころに出てきて、なにやら深刻そうに語り合っていた。
もしかして、さっき下車した二人のことを話しているのか?
バスのエンジン音が大きくて、なかなか聞き取りが難しかったのが残念だ。
その若者二人は、大きな音で音楽を聴くとかおしゃべりをしていたとか、そういうわけではなった。
いったい、何が気に入らなかったのか。
あるいは、この集落にいきなり増えた難民について、この二人がきっかけになって話し合っていたのか。
いずれにせよ「難民が来て嬉しい」という話題でなかったのは、彼らの話っている声の調子や表情で明らかだった。

以前、二度ほど、私が難民かどうか、尋ねられたことがあった。
一人は子供、もう一人は酔っ払いだった。
このバスの中では、誰も私を難民だと思わなかったのだろう。
最近は、見かけで中国人と日本人の区別ができるドイツ人も多い。
私の前で難民の悪口を言ってもいい、と判断したのかな。

街頭広告の進歩

2016年08月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
布のようなものに描かれた広告が、数秒ごとにくるくる巻き上げられたり下げられたりするこれ。
見慣れるまでは、とても原始的に感じたものだ。


以前はこの場所にこれがなかった。
お金の余裕ができて、これが造られたのだろうな。
ヨーロッパ人はこうした原始的なものが好きなのだろうか。
あるいは、この街がちっちゃいから、こうした物しか造れないのかな。
もしかして、日本にも存在するのだろうか?

ちょいと検索したら、ちゃんと欧州にもこういう先進的なバス停の広告があったぞ!


高そうだなぁ。
やっぱり、この街には無理かも・・・