怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

ひと月かかる外国郵便

2016年08月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
一週間ほど前、日本からの航空便はがきが一ヶ月かかって到着したことを記事にした。8月21日記事
昨日はワルシャワから絵葉書が届いた。実家がワルシャワの女性が送ってくれたんだ。

日付を確認すると、あれれ!?

7月28日になっている!消印ははっきりしない。うーん。
自身で書く日付をテキトーに書くことはあまり考えられない。ワルシャワからここまで一ヶ月かかったのだろうな。
もしかして、船便?
ワルシャワからここまで船便って、ありえねぇ。
相次ぐ国際郵便はがきの激しい遅れ、いったい何なのだろう?
前回の記事のこの部分が当たっていそう・・・

「こいつら、旅行自慢だなっ、えーい、後回しだ!」
とか思いながら仕事しているのかもしれない・・・
大都市に住む在独日本人仲間にちらりと聞いたことがある話だが、郵便配達人に文盲がいることもあるらしい。
いや、正しくはアルファベットを正確に読めない人物が採用されて仕事をしているらしい。
そのせいで、配達が遅れている可能性もある。


遅れて届いた二通のはがきはほとんど重要でないものだから、その点は本当にラッキー。
封書に遅れが出てくると、ちょいと困るな。
ちゃんと働いてね、ドイツの郵便局職員の皆様!

黒い色は警戒される

2016年08月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
黒ごまペーストをもらった。ここでは白ごまや、白ごまペーストを手に入れることは可能だが、どういうわけか黒ごまは非常に高価で、ペースト状の製品は入手不可能だ。(もちろん、昨今はネットで世界中の物資を調達できるからこの記述は正確ではない。入手しにくい、という表現の方が適当か。私の場合、この街の店頭で手に入れることができる物資で生活するようにしているので、それ以外は「不可能」と書きたくなってしまう)
貴重なこの品は台湾からのお土産。食べる前に撮影しておけばよかったのだけれど、そのときはブログ記事にするつもりはなかったんだ。途中からその気になって、カメラを向けたけれど、なんだか汚らしい画像になってしまうので、諦めた。

中国語は外国語のはずだけれど、なんとなく意味はわかってしまう言語でもある。
「自然」「健康」などはまったく同じ意味だろうな。

この真ん中の文章、もしかして「日本統治時代に認められた唯一のごま製品」って意味だろうか。
そうだとしたら、台湾の日本に対する一般的な感情がよく出ていて興味深い。外国に支配されていた時代のことをこんな風に書くなんて、普通はできないだろう。

さて、私がおいしくこの黒ごまペースを食べていたら、義母が2,3度尋ねてきた。
「なにその真っ黒いものは!」
あきらかに不快感いっぱいの言い方だったので、言われるたびに驚いた。
「黒ごまをペーストにしたものですよ」
とちゃんと説明したのに、なんども気味悪がるのでさすがの私もへこんだ。
黒ごまの問題でなく、黒い色のものに対する偏見を感じたからだ。

以前、黒いレトリバーを飼っている人がこう言っていた。
「黒い犬は、白い犬より怖がられるのよね」
なるほど、と思ったものだ。同じレトリバーでも色によってヒトに対する印象が違うと。
黒い犬が白い犬より気が荒いとか凶暴だとかいう話は聞いたことがない。

これはテーマが別だけれど、同じく犬の色の話。
いつも嫁さんを苛めている近所に住むお姑さんが、嫁さんの飼っている黒いテリアをこう言ったそうな。
「まあ、どうしてこんな真っ黒な犬を飼っているの?」
嫁さんは負けずに「黒くても私たちにはとても可愛いの」と対抗してこの争いは嫁さんの勝ちになったそうな。

犬とごまの話だけで結論付けられないが、一般的に黒い色は警戒されるのだろうか。
では・・・
ここ数年でドイツに凄まじい勢いで増えたアフリカ系難民は、警戒されまくりだろう。
「ヒトと犬や食品は違う」
って普通は書くだろうけれど、私は疑わしく思っている。

私自身、先月、やってしまった・・・
街中で疲れてベンチに腰掛けているとき、前から黒人男が私に手を振って近づいてきた。
ネグロイドの人たちって、なかなか顔立ちの区別をするのが難しく、そのとき私には知らない人に見えたんだ。
すぐに警戒して、立ち去ろうとしたら、向こうから声をかけてきた。
「りすさーん!」
あれ、だれだっけ?
かなり近づいたところで、何年も前から親しくしているエチオピア人Aさんとわかった。
ごめんよー、逃げようとしちゃって!
エチオピア風の三回頬キッス挨拶をしながら、声を出さずに謝った。

黒い色への潜在的な警戒感は、他の動物にはない人類独特のものだと認識することも必要なのではないかと思っている。


フィリピン人からのお嫁さん

2016年08月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
隣の集落に住むフィリピン人R子さんと、ウチの裏の森を歩いた。
しっかりしたハイキングシューズ、水筒に飴、日焼け止めクリーム、タオル、と彼女の装備は万全だった。
 
ちょいと心配だったのは、彼女のハイキング能力が私より数倍高くて一緒に歩けないのではないか、ということだった。
やおら車からトレッキングステッキを取り出して「ひざが痛くてね、これがないと歩けないのよ」
と言ったので、ほっとした。
 
数年前からの顔見知りなのだが、こうして二人で話すのは初めてだった。
在独30年を超える。母国では中学校の教員を十数年していたと聞いて驚いた。きちんとした仕事を持っていたのに、そのキャリアを捨ててまでドイツに嫁に来た方がお徳だったのだろうか。
案の定、家庭の仕事だけでは人生がつまらなかったらしく、自分の小さい子供の面倒を見ながら介護・看護の資格を取り、定年まで高齢者の訪問介護の仕事をしていたそう。
三十数年前と言えば、日本では農村部で嫁になり手がなく、フィリピン人との婚姻が盛んだった時期ではないか?
ちらりとドイツ人男性から聞いた話では、ここでも一時期フィリピン人嫁が多かったことがあるのだそう。
R子さんもその流れの時代だったのだろうな。
10数年教員をやっていたということは30歳を超えて、地元で適当な配偶者を見つけるのも困難だったのかもしれない。

フィリピンの親族の数人が日本で働いているそうな。女が働き者の国、フィリピンとタイ。

二時間の散歩のあと、義両親たちと歓談した。

R子さんはここの方言もかなりできる。
「高齢者相手の仕事でしたからね、バイエルン語は必須でしたよ」

R子さんが数ヶ月前に始めてウチをちょいと訪問したとき、義母とちらりと挨拶を交わしていた。
ほとんどの人が、義母の第一印象を「非常に厳しいとっつきにくい人」と感じるらしい。
R子さんもそうだったようで、今回森の中で私を心配して尋ねた。
「お義母さんは意地悪ではないですか」
もう、この質問には慣れっこだ。
「彼女は、ああいう印象なんですよ。大丈夫。そりゃ、一緒に住んでいれば腹立つこともありますけど」
私自身も、夫と知り合って、旅行でここを尋ねたとき、義母の第一印象が悪かったことを覚えている。
あの頃は「日本とドイツの距離があるから、どんな性格でも全く問題なし!結婚する予定もないし、ね!」と楽観していたものだ。
誰かに義母について尋ねられるたびに、あの頃を思い出すぞ、あはははは。