魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

10年ぶり2度目と3年ぶり2度目

2023-12-07 23:36:04 | 娘のこと

こんばんは

寒くなってきたと思ったら、また小春日和

自律神経も参っています

久々になってしまいましたが、本当に暑い夏をようやくやり過ごしたと思ったらいまだ暑い10月からの初冬に突入し

いつも最悪の事態が起きる11月。

その日は温かく、なんと半袖半ズボンの人がいて二度見したのを記憶している。

なんとなくちょっと熱っぽいかな?とお昼過ぎに感じて、これは・・・と思ったらがんと発熱し、ほうほうのていで家に戻り休憩。午後の仕事も解熱剤でなんとかこなし、帰宅してから完全にダウンしました

明日休みだからとなんとかやり過ごし、倒れ込んで寝ていたけど熱が39度越えてて、何も食べられないし、初めてうわ言を言いましたよ・・・寒くて寒くて、娘に湯たんぽを入れてもらったほど。そうこうしているうちに熱がどんどん上がってくる。

解熱剤を飲んでも熱は一向に下がらず「これはインフルエンザかコロナ」と思いましたが、うちにはコロナの検査キットしかなく。

インフルエンザには1度だけ罹ったことがあるのだけど、娘が幼稚園からもらってきたのを私にもうつったんですが、関節の痛みが尋常ではなく「これがインフルエンザか・・・」と思ったのを憶えている。

この感じは多分インフルだな・・・と思いましたが、キットを試せるような状態ではなく。

今度はワナワナするほど熱い。鼠蹊部と脇の下にアイスノンを投入しましたよ。

つらいのなんのって。トイレに行くのもフラフラ。

次の日、やっとの思いで検査キットをやってみたけどコロナは陰性。じゃあインフルだな・・・でもキットがない。

インフルなら仕事5日休まないとだし、ちゃんと調べないといけないので、Amazonでポチりました。

 

検査キットもお安くなったなあ・・・

次の日も熱が38度を下がらない状態なので仕事を休み、検査キットがきたのでやってみると、インフルA型でした。

まあ想定内。

3日目の午前中、37度に下がったと思ったら、午後からまた38度に上がってしんどくなってきて、到底仕事になんて行ける状態じゃない、立ち上がるのもつらい。

食べられないから経口補水液とウィダーインゼリーを飲むだけ。

そんな日が5日続きました。とにかくキツかった。

前回のインフルから10年ぶりくらい?もう歳だから治りが遅いの

結局10日目でやっと出社できました。

でもフラフラよ次の日、また悪寒がして午後からお休みもらいました。

2週間くらいダメだった。「身体がつらくない」となるまで11月末までかかりました。

そんな中、ベッドで一日中苦しんでいるのに娘は「お母さん、合唱コンクールで歌う歌、聴いて」と帰ってくるなりベッドの横で歌う、「ゲームやるからゲーム機貸して」「スマホの制限延ばして!」と・・・。

これが本当にしんどかった。

とにかく自分のことしか考えられない娘。

買い物を頼んでメモしてと言ってるのにしなくて、結局大切なものを買ってこない娘。

私が元気でコンディションが良ければ、自分でやるし、ゲームやスマホなどについてもコントロールするようにできるけど。

仕事にも行けなくて寝ている母に対しての気遣いなんてできるはずもなく。それが娘の特性だから仕方ないんですがね。

私が体調悪くて寝ているけど、朝は起こすんですが起きない。こっちもしんどいから一度起こして寝てると起きないからまた起こすんですよ。でも「もう間に合わないから親の体調が悪くて遅刻するって連絡して」と言われ、遅刻していくようになったんです。

そして私が仕事に行くようになってから参観日があったんですが、起こしても起きないから先に仕事に行き、何度も電話やアレクサで起こして、流石に行っただろうと思って昼前に学校に行ったら、上履きがある。

来てなかったんですね

さすがに涙が出ました。

仕事を抜けてきたから、家に戻ってみる暇がない。アレクサで観てもいるのかいないのかよく分からない。

登校している途中でいなくなったのかもしれない。

学校に連絡し、もし来たら連絡してもらうようにお願いした。

仕事の合間にアレクサで観たところ、まだ寝ていた。起こしてとにかく学校に行きなさい!と言った後に学校に電話したら「ああよかった!」と言われて泣けたその後、登校して先生にかなり絞られたらしいです。

家では私と言い合いになると、夜中でも構わず大声で喚くんですよね。そして外に飛び出して行ってしまう。

私は身体がつらくて探しに行けない。こんなこと前もあったな、と思ったんだけど、私が車に跳ねられて足骨折しているのに正月、飛び出して行ってしまい、骨折れてるのに探しに行ったなあ・・・。

探しに行けないから「23時までに帰らないと警察に探してもらうよ」とLINEしたら帰ってきた。その次の日のこと。

期末テスト前、ゲームのイベントがあるからテスト前の週末もゲームを一日中やると言って毎日毎日寝ている私を責め立てるために、あんまりにもつらくて、もう死にたくなってきた。

見兼ねた姉が自分のうちに泊まるように言ってくれて、私は姉の家に避難したんですが。

このまま娘と家にいても、大喧嘩になるか私が参って死んでしまうと思ったので、離れたんです。

帰宅して、私が帰ってこないとゲーム機の場所が分からない。ゲームができないから鬼電してくる娘。

でも私は出ない。姉にかけて罵倒する娘。

なんと警察に電話し、「育児放棄されている」と通報したのです

自分が児童相談所に保護されるとも知らずに。

アレクサから通話した彼女はとても得意げでした。「帰ってこないからこういうことになるんだよ」と。

当然、警察から連絡が来て、私はどういう事情がお話ししました。

3年前にも同様なこと(ゲーム中毒)で警察と児童相談所のお世話になっていること。

私がもうつらくて、喧嘩になるのを避けるために家に帰らないことをお話ししました。

「事情は分かりました。でもお母さんが帰らないなら、こうして通報があって未成年が一人で置いておけないので、児童相談所で保護してもらうことになりますが、どうしますか?」

と聞かれました。私はお願いしました。

そのあと、アレクサで娘に「警察が来るから着替えなさい」と言いましたが、彼女は学校の体操服と短パンを着ていて。私に「もうすぐ警察が行くから!」と私が警察に連れ戻されて、ゲームが出来ると信じていました。

22時半ごろ、娘はパトカーに乗せられて行ったようです。

笑えない。

連れて行かれたのは土曜日の夜。

日曜日の朝、警察に電話し、娘が確かに児童相談所に保護されたことを確認。

児童相談所に電話してみましたが留守電。「お世話になっていますが、よろしくお願いします」とメッセージを残しました。

泣けてきました。でも土日、私はとても静かに生活できました。

娘の部屋のベッドメイキングをし、散乱した服を畳み、しまい、制服をかけ、掃除をしました。

部屋の隅からカップラーメンを食べた後のゴミや体操服が出てきました。

綺麗に整えて、しばらく娘が不在になるだろうとぼんやり思っていました。

3年ぶり2度目の児童相談所での保護。

期末テストに賭けて、個人指導の塾のコマ数を増やして勉強させていたのにな・・・

でもこの機会に規則正しい生活を送れるように、またデジタル・デトックスが出来ればいい。

期末テストを棒に振ってもその方が良いのかもしれない。そう思いました。

内申がこの保護によってどうなるか分からない。

何より私の精神状態が限界。

悪いのは全て親。親は自分の楽しみを全て潰そうと思っている。そのためにわざとゲーム機を与えて取り上げてる。

すごい認知の歪みです。

娘はすごいですよ、Switchを制限しているんだけど、なぜか制限が解除されている。

暗証番号を変えてもやっている。

娘のスマホの任天堂のアプリを見たら、私のアカウントでログインして、暗証番号入力してましたよ

私のスマホからスクリーンタイムパスコードを盗み見る、4桁のパスコードを予想して破る。

そんなことにばっかり時間を使い、嘘をつく、騙す、約束を破る。

児童相談所の先生もびっくりでした。

そのうちね、私がもうつらくて無理になってきたんですよ。

娘のゲーム・スマホ中毒をどうにかしないとと、本人と話し合ってやることをやったら何時間、というように話し合って約束しても、いつも破られて。

「やるから先にやらせて!」と前借りみたいなことをごねて、泣き喚いて、根負けしてやらせても、やらない。

嘘つかれて騙されて。逆切れされて罵倒されて、家を飛び出して行って。寝ているのに3時まで起こされてスマホ・ゲームやらせろって。

ふたりだけの家族なのに、私だけ、いつも要求を飲まされて、私のお願いはやってくれない。

尊重されない、ということにもう疲れてしまった。

本当に、これは元夫が私にしてたことにそっくりなんですよ。

恐るべし、DNA

管理が悪い娘が物をなくした時に、ついに「お母さんが隠したんでしょ」と言われた時は、「お、同じ〜」って思いました。

よく物をなくす元夫は、それを全部私や娘のせいにしていた。

ある日、小さい娘がエアコンのリモコンをお風呂にポチャンしてしまって。そしたら烈火の如く怒った元夫は私に「本当はお前がわざと落としたんだろう!」とも言われました。なんでそんなことすんねん・・・しかもあんまり怒るから次の日子ども連れて注文したらその日の夜には乾いて直っていたし。

会社のUSBがなくなって、結局自分の脱いだ服のポケットから見つかった時も娘のせいにしてて、「妻の体調が悪いから遅刻します」って嘘ついてた。

さっき、私のブログで「リモコン」って検索したら、出てきた日記がモラハラそのものでした

よく私、一緒にいたな・・・。

https://blog.goo.ne.jp/ritsuko-11

ぶつけるから車を使わせないとか(しかもぶつけてる自分だし)、これ虐待だよ

脱線しましたが、娘が元夫の言動と激似なのが本当に・・・

元夫は他人だから離婚したけど、娘とは離婚できません。

児童相談所には大変お世話になりましたが、娘がとにかく帰りたい、期末テスト受けたい、というので面談ののち、月曜には引き取って帰宅しました。

とにかくつらかったらしい、寒くて

でも娘の態度は変わらずでした。「お家さいこ〜フウ〜」とか言って「お母さん、スマホは?」って。

もう死にたいですよ・・・

どうしたかって?児童相談所の方にも遠回しにすすめられたのですが、メンタルクリニック受診しました

今はお薬もらって飲んでます

子育てって、大変ですね

本当に、児童相談所のみなさま、ありがとうございました

 

 

 

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小学2年の時にあったこと。

2022-03-27 21:23:12 | 娘のこと

こちらの続きを書かせていただきます。

2年生の2学期ももうすぐ終わろうとしていたところでした。

あと少ししたら冬休みだから、あと少し頑張れるかな?本人は学校に行きたくないとは言ってないから、大丈夫かな・・・そんな時でした。

 

 

 

学校から呼び出されてあわてて駆けつけました。

「娘さんが3階の窓から飛び降りようとしました」

親として、正直ここまで娘が思い詰めていたとは感じ取れませんでした。

話を聞くと、下校のために廊下に列に並んだ娘が、また先日揉めた友達から何かを言われ、廊下に突っ伏してしまったそうです。

そしてそのまま娘を残して、クラスのみんなは下校しました。

ただ3人ほど用事があって残っていたクラスメイトがいたそうです。

廊下にいた娘が起き上がって、廊下の窓を開けてそこによじ登っていくのを、娘より身体の大きい子がいち早く止め、他の子も一緒になって娘を引き摺り下ろし、ひとりは先生を呼びに走ってくれたそうです。

この話を聞いた時に、ゾッとしました。

娘を放置して引率していった先生とクラスメイト。

躊躇わず止めてくれたクラスメイト。

この時、教室にこの3人が残っていなかったら、週末お葬式だったかもしれません。

おそらく、娘の中で下校の時に言われた言葉で、いっぱいになってしまった衝動が溢れ、突っ走ってしまったのでしょう。

ひとは、決定的な事件が背中を押すのではなく、他人から見たら些細かもしれないですが、小さく傷つけられたヒビが、積もり積もって割れて壊れてしまうものなのかもしれません。

娘は保健室で先生と一緒に居させてもらっていました。

思ったより落ち着いていてほっとしたのを憶えています。

しかし、いくら衝動性があるとはいえ、8歳の子どもを飛び降りまでしようと思わせてしまうこと。それを考えると胸が苦しくなります、今も。

次の日、飛び降りようとした廊下の窓を開けられないようにした、と仰っていた教頭先生と現場に行きましたが、何もされていず、慌てて針金で固定していたのを見て、覚悟が決まりました。

娘を登校させない。学校ととことん話す。

次の日から娘を休ませ、子どもから聞き取った出来事、それについて担任に相談してきた日にち、こちらの要望、その返答、それについてどうなったか、時系列にして事細かに文書にし、メールで送り、プリントアウトして持参しました。

それを元に、担任からも話を聞き取ってもらい、これからの対応を話し合い、要望を出しました。

喧嘩ではなく、努めて淡々と。

相当時間と頭を使った気がします。

結果から言うと、学校は配慮をしてくれましたが、担任は代わりませんでした。

「悪いのはあくまで娘、自分は適切な指導をしてきた」という姿勢を崩しませんでしたし、説明や謝罪もありませんでした。そしてそのまま定年を迎え学校を去りました。

どうしたか?変わったのはこちらの方でした。

医師に相談し、インチュニブを処方してもらうことになりました。

そして以前にやっていたWISCの結果が出たのですが、これが担任の態度を変えました。

娘は言語理解で平均100のところ、140以上という数値を出していました。これは「ギフテッド」と言って良いほどの数値でした。

しかし、4つある中で一番高い言語的理解と一番低い処理能力の差は50以上。これは「その差が20あればかなり本人はつらい」と言われるのに、50以上あるというのは、娘はこのアンバランスに相当苦しんでいたのではないかと思われました。

医師の話では「多分娘さんは私たちが話していることは全部理解出来ている。本も大人の小説を読んでも理解できる。理解できても実際自分で出来るかというと出来ない。頭の中と実際の自分の出来ることの差がありすぎてつらいだろう」ということでした。

検査結果を見せたところ、担任の態度が変わりました。

「この子は天才だから、周りとは合わないんですね。それなら仕方ないです。」そんな感じのことを言われました。そして娘に対して当たりが柔らかくなったのです。

薬のせいもあり「娘さんはとても落ち着いて、人の話も聞けるようになって、穏やかにお友達とも仲良くできている」とも言われました。

娘はこの時から薬を飲んでいます。

これが良かったのか、今でも分かりません。

自分なりに学校と担任から娘を守るために闘いましたが、今振り返ると、変わったのは、変わらざるをえなかったのは、娘の方ですね。

娘は、友達も増えて、親友と呼べる子もできました。

そして3年からは30代の中堅の学年主任の先生が担任になり、この先生がとても良い先生で、娘は今でも先生のことを慕っています。

発達障害のことも知ったかぶりせず、都度、相談してくれました。

決して感情的になることなく、しかし愛情深く接してくれる先生を、クラスのみんなは大好きでした。

一度落ちてしまった先生への信頼を、この先生のお陰で取り戻した娘。

次の4年から6年まで、今度は喜怒哀楽がはっきりして生徒たちが大好き!と伝わる先生に替わってからもずっと、先生を信頼して来られました。娘のことをよくわかってくれている先生に、卒業までの3年間お世話になりました。

2年生の事件は、いわば自殺未遂と言えます。

悪くすれば、私は娘を失っていたかもしれません。

発達障害の二次障害というものは、その特性のために周囲と上手くやれなくなり、鬱病などになってしまう。娘もそう言えるかもしれません、8歳でしたが。

子どもにとって、先生から受ける影響がこれだけ大きいものであるということを、私は自分が子どもだったにも関わらず、思い至れませんでした。

そのために、それからは毎年次の学年に上がる前には教頭先生と面談してお願いしていました。

先生に関しては、それからは幸運であったと思います。

娘にとっては高学年になってから、また違った悩みが出てきて、学校に行きたくない、ということもありましたが、なんとか卒業まで来られました。

改めて、娘は幸運だった。そう思います。

助けてくれた3人のクラスメイトには、後日お礼を伝えました。

その子たちもすっかり大きくなって、私より背が高くなった子もいました。

卒業おめでとう。

本当にありがとう、大きくなってくれて、ありがとう。

「また事故にあっちまえ!」なんて、車に跳ねられてやっと歩けるようになった親に言い放つようになったとしてもね・・・(絶賛反抗期)

 

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いろいろありましたが卒業式。

2022-03-24 22:38:34 | 娘のこと

こんばんは

先日、娘の卒業式が終わりました。

6年間、長かったような短かったような・・・

幼稚園に入園してから9年か・・・ひとつ言える事は「就園・就学すると早い」ってことですかね

体感としては、就園までの丸3年の方が長くて大変だった気がします。

24時間365日、ずっと一緒にいたのですから

こんなにひとりの人とずっと一緒にいたことないでしょ、24時間365日。娘とほぼ一緒だった4年近くの年月はかけがえのないものでしたが、めっちゃ大変でしたよ・・・

娘は幼稚園の時にコミュニケーションに遅れがある、と先生から受診を勧められ、自閉症スペクトラムの疑いと診断されました。

そのことが分かった時に父親である元夫は

「なんだ、欠陥品じゃねえか」

と言った事。私はずっとその意味を考えています。今もずっと。

その後は通院などにも協力的でしたが、娘を近くにある国立大学の附属小学校を受験させたかった元夫は、娘の発達障害の疑いを隠して受験させようとしましたが、私はその事を学校側に伝えました。もし合格してからそれが分かった時に、いろいろな意味で学校に迷惑をかけることになると思ったからです。

そのためなのか、ほぼ全入するその試験に落ちました。

その時、夫と話し合って娘には「パパが書類を出さなかったから落ちちゃったんだということにしよう」と伝えようと決め、私はそう娘に言いました。

そしたら娘は「パパが『りおが病気だから落ちちゃったんだよ』って言ってたよ。りおは病気なの?」と言うのです。

夫は、話し合ったこととは違うことを娘に告げていたのです。娘を傷つけないように相談したにも関わらず。

彼とはよくこういうことがあって、ちゃんと相談して決めたことを覆してご破産にしてしまうのです。

そしていつも「なぜそんなことをしたのか」を聞いても答えない。

おそらくですが、彼は「自分が書類を出さなかった」とされたことが嫌だったのか。それとも娘が憎くて本当のことを言ったのか。

今考えても、よく分かりません。彼のすること、考えることは、私には理解できませんでした、ずっと。

もしかして、彼にも分かってないのかもしれません。

ただその時「自分がやりたいからやってしまう」という衝動がとめられない。そうじゃないかな、と思います。

それは、今、娘を見ていて感じることです。

娘は離婚して私と首都圏に戻ってきて、新しい病院で診断が出ました。

「ADHD症状を伴う自閉症スペクトラム」

それが娘の診断名でした。

ただWISCという検査の結果では知的には問題ないということで、普通級に進学することになり、小学校側にも事前に面談し、医師から学校に配慮して欲しいこともお伝えさせていただきました。

担任の先生も女性のベテランの学年主任の先生になりました。

娘は小学校入学して初めての授業参観で、椅子に寝そべっていました。

もうびっくりしました

授業中に立ち歩いてゴミを捨てに行ったりして、もう自由。フリーダム。

私は「授業中には座っていること、勝手に立ち歩いてはいけない」とは教えてなかったですが、まさか娘がそんなことをしているとは思いもしませんでした。

それから友達に掴みかかるわ、友達の物を投げて壊すわ、何度謝罪の電話や手紙、弁償の品を用意したことでしょうね・・・

あるお母さんには「お薬飲ませてるんですか?!」と言われたこともありました。本当に、あの時は申し訳なかったですし、私もつらい1年間でした。

1年生の先生はりおのことをあえてクラスメイトには言わない、という選択をされました。それは「いろんな子がいて、それを受け入れていくことを学んでほしい」ということからでした。

そして学年末には「りおちゃんはこういう子だから」と受け入れてくれる様になり、りおも受け入れてくれるクラスメイトに対して、穏やかに接する事ができるようになっていました。

娘は積極的に自分の考えを表現する子なので、よく発言して、代表にも立候補する子になっていました。

しかし、1年生の担任の先生は転任してしまい、次の2年生の担任の先生は同じく定年間近のベテランの先生でした。1年生の時に他のクラスの担任をしていて、その先生のクラスはいつも給食を完食していることが少し気になっていました。

りおは感覚が過敏で、音や匂い、食感が苦手なものがあると耳を塞いだり、気持ち悪くなって吐いたりしてしまいます。また、睡眠障害で夜眠れなくて、眠れる薬をもらっていたのですが、そのため日中居眠りすることがありました。

それも文書にしてお渡ししていたのですが、無理に給食を口の中に入れられる、掃除の時間も食べるまで残されるなどされるようになりました。

校外学習では他の生徒さんの迷惑にならないように、私は休みをとって引率ボランティアに付き添いました。

担任の先生とも何度も面談して、娘の特性と、それについてこういう対処をしていただけたら子どももやり遂げることができますと説明してお願いしてきました。

娘はそれでもめげずに授業中に発言したり、係りに立候補したりしていたようですが、それを先生に馬鹿にされたり笑われたりしていたようです。

そしてある日、先生から電話がかかってきて「今日、班長決めでやりたい人に手を挙げさせたんです。そこでりおさんが班長に立候補したんですが『授業中寝たりしているあなたにできるわけないでしょう』と言ったんです。その授業が終わった後に、○○さんにそのことをからかわれたらしくて、りおさんが手を出したのです」と言われたのです。

私はいつものように平謝りしたのですが、その電話をそばで聞いていた友達に「その先生がおかしいんじゃない?だって誰でも立候補できるように挙手させたんでしょ?じゃあなんでりおちゃんが立候補しちゃいけないわけ?それで『あなたはちゃんとしてないからなれない』っていうのおかしくない?」と言われたんです。

あ、そうだよな、と思いました。

先生がそういう態度を取って、りおを貶めるから、他の生徒さんもそういうことをしていい、と思ってしまうんだろう。

そう思いました。それをやんわり先生に伝えましたが、全く響いていないようでした。

それでも、先生によって娘の学校生活が左右されてしまうため、モヤモヤしつつ、日々過ぎて2学期がもうすぐ終わる頃、大変なことが起きました。

次回に続きます

 

 

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初めての延長保育

2013-06-11 13:05:43 | 娘のこと

こんにちは大分夏らしくなってきましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

娘が幼稚園に入園して、先月末初めて高熱を出してお休みしました

娘はめったに熱など出さないのですが、その週は私が資格取得のために、延長保育を6時までしていた3日間がありまして、娘は疲れたのだろうと思います

一日目は平気だったのですが、二日目の夜、なかなかうんうん言っていて寝ない娘が突然

「えんちょうほいく、やだ~みんなかえっちゃってさびしかった~

と寝ながら叫んだのです

「わかったよ、ごめんね、がんばったんだね」

と声をかけて、抱っこをして、一時間ほどかかって寝かしつけたのですが。

延長保育をしたことは初めてだったので、これからも、おそらく私が仕事をし始めたら・・・こういうことが起きるだろうと思います。

でも保育園にもっと小さい頃から通っている子、毎日お迎えが7時の子もいて・・・我が家はわたしが仕事をしなければ回っていかないだろう経済状況で・・・だから娘にも頑張ってもらわないとならないのです

夫に話したら

「仕様がないだろう、仕事始めたら、預けないとだめだろう」

とさらっ・・・と言われましたよ。

しかし娘は丈夫な方なので、幼稚園を休んだのも初めてだったのですが、もっと休んでる子もたくさんですね。

なかには一週間・・・という子もいて。

そしたらフルタイムで仕事なんて出来るのかな・・・と不安ですうちは誰も手伝ってくれる人はいない。

だから娘が具合悪くなったとしても、仕事を休めない。その日がちょうど夫の休みだったらいいけど、看病なんて出来るのか、夫に

でもやらなきゃいけないし

お陰さまで資格は取得できたので、これで単発で仕事をしていきたいし、またFP2級の講習にも通い始め、これも取っておきたい。

そしてもうひとつ取りたい資格があって・・・もし順調に取れるなら再来年の1月・・・。

夫は

「いますぐでもパートの仕事なんていくらでもあるから、働きにいけ」

みたいなスタンスなんですが、実際、こうやって朝から晩まで娘を預けて、帰ってきて家事・・・というのは大変だなあ~って思います朝、お弁当から夕飯の支度までやっていかないといけないですからね

実際、フルタイムで仕事をしている妻の方は、休む間もないんでしょうね・・・。

さらに子供の習い事なんて・・・どう時間をやりくりしているのでしょうか?

本当に大変だと思います

私がこれから仕事をするとしたら、夫には今まで以上に「出来ること」を増やしてもらって・・・例えば食事を作ること、娘のお世話、などなど・・・そして「自分がやりたいこと」より「今して欲しいこと」をしてもらわないと難しいだろうなあ・・・と感じます

申し訳ないけど、20代30代のひととは違うので、体力的にも厳しいのは仕方ないです

今まで以上の知恵をしぼって、頑張らなければ

これから結婚する方は、歳をとっていけば、体力もなくなるし、親も年老いるし、育児と介護のダブルパンチも予想されることを想定して、計画はお早めに

そして、いつでも復帰できるような資格と足場を作っておくことをおすすめします

 

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入園しました。

2013-04-15 10:52:03 | 娘のこと

お久しぶりです!

すっかり春ですね

娘がこの春、幼稚園に入園しました

春生まれなので、産まれてから4年近く、ようやくこの日が来ました

お陰さまで毎日楽しく登園しています

母は・・・嬉しいです

一人で身軽に歩ける喜び・・・集中して家事を片付けられる喜び・・・。

4年間ぴったり寄り添って、やり切った感があります

まだ午前中で帰ってきてしまうのですが、それでも・・・。

3時間であれやりたい、これもやらなきゃ、って思って休む間もなく動いていて、かえって疲れちゃうんですけどね

近いうちに家庭訪問もあるし

娘にとっては長い学校生活が始まったわけで・・・朝起きると行くところがある生活が、これから15年ほど続く訳ですね。

わたしにとってもお弁当作りの日々が始まるわけです。

早寝早起きの徹底・・・リズムが出来て良いです

さて、昨夜は早めに寝せようと、「八重の桜」も録画セットして、八時半には娘を寝かしたのですが、疲れてわたしも寝オチしてしまったのです

そしたら残業して帰ってきた夫に起こされました。

何事かと思ったら

「テレビのリモコンがないから起きて捜して」

・・・ブルーレイレコーダーのリモコンでもテレビ観られるよね?

そもそもリモコンどこ置いたかなんて分からない。

「分からないよ」

と言ってもしつこく捜して!と言われて「そんなの分からない!」って言ったら怒鳴られました。

「ちゃんとやれよ

・・・怖い・・・そう感じました。

疲れて寝ている人をわざわざ起こして、テレビのリモコンがないから捜せっていうのは、普通なのでしょうか?

つづく

 

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もうすぐ幼稚園!

2013-02-17 00:00:49 | 娘のこと

わたしが住んでいる同じマンションには、娘と同学年のお子さんを持つママが、何人かいます

寒くて、雪が降っていて、外に行けない日はマンションのなかで行き来して、遊ばせて貰ったりしてます

入園の準備って結構いろいろあるんですよ

幼稚園グッズを用意、持ち物ひとつひとつ(例えばクレヨン一本一本)に名前とクラスを書く、とか。制服の丈つめもやらないといけないし

そしてトイレや着替え、ひとりでお弁当を食べる習慣をつけるってことも、徐々にしていかなくてはならないこと。

娘はトイレはひとりで出来るのですが、紙で拭いたり、パンツを上げたりってことを自分でちゃんとできるようにしなくては

トイレトレーニングが済んでいない子もいるので、ママはちょっと焦ったりしている人もいたり

娘はパジャマのボタンは出来るのだけど、制服のボタンは生地が硬くてまだ出来ないし、お箸もまだです

まず「食べること」への興味が薄いので、そっからなんだなあ・・・

お弁当だって、自分で袋から出して蓋開けて、お箸箱から出して、食べて、蓋してしまって・・・というとこも練習しなくっちゃ・・・。

「園にお任せ」っていうことも、考えとしてはひとつだと思うのですが、4月の入園まで出来るだけやってみようと思っています。

入園したら、何しようか?とママたちと話に花が咲きます

「寝たい

「ランチ行きたい

「美容院行きたい

とか、夢は膨らむ・・・

それもこれも、あとわずか・・・

反面、娘とぺったりくっついている時間も、あとわずかです。

娘は春生まれなので、4年近く、ずっとぺったり過ごしました。

人生でこんなに長く一緒にいた人は彼女が初めてなんじゃないでしょうか・・・当然ですが

2人目、3人目がいるママは、子供と過ごして5年、6年・・・自分の時間がない毎日を過ごすことになっているわけで・・・。

すごいなあ・・・と思います

先輩ママに聞くと、

「幼稚園に入れた後は、なんかぽっかり寂しかった」

と。

「でもそのあと羽が生えて飛んでいったけどね

うーん、わたしもその口かもしれない

幼稚園に行ったら何しようかな。

部屋を片付けたいな~、いろいろ整理したい!

運動もしたいな~、ヨガまたやりたい!

自転車乗って、どっか行きたい、ママチャリじゃなくって。

お茶したい、散歩したい、映画観たい、ママたちとおしゃべりしたい

「ワンピース」一気読みしたい!

やりたいことは、いっぱいある

仕事もしなくちゃいけないけど、少しだけ休ませてほしいな

そして徐々に社会復帰頑張るぞ!

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今年の今日。

2012-04-14 00:07:06 | 娘のこと

娘はもうすぐ3歳になります

赤ちゃんだったのがこんなに大きくなって・・・

毎日楽しい発見がある

気に入らないことがあると、手近なものを

「なげるよ~・・・」

とママの携帯まで

遊びから帰る時に

「たのしかったね~」

と言う。

1日パパと遊んできて、疲れたパパに怒られて帰ってきて

「パパ、かいしゃ(に行け)」

と泣きながら言う

実を言うと、赤ちゃんの頃はもちろん可愛かったんだけど、今は違った意味でまた一番可愛いかも

つたないことばで喋る、2歳の頃。

まだママから離れない。でももうすぐ。

先日、スーパーでお会計をしていたら、いなくなってしまってあわてて捜していたら、ママ友が連れてきてくれた。外に出てしまっていたのだ

わりと、面白いものがあるとぱ~っと走っていってしまう

娘を連れての買い物はやめよう

本当に、日々成長でびっくりする

この頃は毎日トイレでおしっこをするようになったし。

2歳の今日のこの子は今だけ。

かけがえのない毎日なのだ。

子供はひとりと決めた今、わたしの最初で最後の育児の日々は続く。

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何歳だっけ?

2012-03-04 11:29:28 | 娘のこと

さっき書類を書いていて、

「あれ?今平成何年?娘が生まれたのが平成21年だから・・・

と思って

「ねえ、何歳だっけ?」

とふと何の気なしに娘に話しかけたら

「2さい」

と言われました。びっくり

特に教え込んでるわけではなくて。

よくちゃんと名前とか、年齢とか言えるように教え込んでいてエライ子、いますけど。

周りの子のいうこと聞いていて憶えたんでしょうね。

最近はびっくりすることが多いです。

ほんと、スポンジみたいに吸収していく。

やたらなことで、夫とケンカしないようにしなくては

そしてちゃんと教えていかなくては・・・。

子どもを人間にするって、気長な仕事ですね。

よく母が「動物の子供はいいわ~、生まれてすぐに歩くし、1年後にひとり立ちするし」と言ってましたが

安心できるのは結婚した時かななんて考えています。

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夜の悪魔

2012-02-25 14:02:33 | 娘のこと

娘は春で3歳になります

男の子は夜ぐっすり、と聞くことが多いですが、女の子に多い寝ぐずり、夜泣き。

娘は赤ちゃんの頃から絶対に夜起きるのですよ

今も目をつぶったまま

「うーたんみるー

「もういっかいもういっかいやる

とか言いながら泣き出すのです。

わたしは娘を「夜の悪魔(笑)」と呼んでいます

産まれてから朝まで寝たことは1回だけ。

1歳前の一番ひどかった時は、2時間ずっと泣き叫びっぱなしとか、明け方まで寝たり泣いたりの繰り返し、とか、本当に娘を投げたくなったことがありましたが、今は峠を越えて、3歳くらいまでかな・・・と思っています。

わたしが側にいる時は声をかけて抱いたりしてなだめて寝かしつけます。

たまにリビングにいたりすると泣き声が聞こえ、娘が寝たからとて自分の時間が確保出来るわけではないわたしの子育て人生です。

寝かしつけたとて、そのまま寝つくこともなかったりして、しばらくするとまた突然

「メーコブ

とか始まるわけです(うーたんもメーコブも教育テレビのキャラクターなのですが、これがオールスター出て来るときもあります)

さて、ずっとこんな夜の育児を続けてきて、夫は去年の夏まで違う部屋でひとりで寝ていたのですが、節電もあり、3人で寝るようになりました。

そこで夫は本格的に娘の夜の生活を知ることになるのですが

以前も夜泣きをしていて、それがうるさかったらしく部屋に怒鳴り込んできたことがありましたが、やっぱり同じ部屋にした今、夫は娘に対して怒鳴ることがあります。

先日、ぐずる娘の耳元で

「うるさい

と突然怒鳴った夫。

そして昨夜も

「りお!うるさくて寝られない

と突然怒鳴り、わたしもびくっとしました

娘は目を固く閉じたまま黙りました。

わたしが

「ちょっと!急になによ!怒鳴らないでよ

と怒ったところ、

「お前が大変だと思ってさ」

とまた同じことを言う。

「わたしはそんなこと頼んでないからやめて!そんなにうるさいなら耳栓もあるんだから耳栓すればいいでしょ

と言ったら夫は起き上がって

「じゃありおバイバイ」

と笑いながら言って部屋を出て行きました。

そしたら娘はしくしく泣き出して、なだめて寝付かせました。

横になりながら、夫のことを考えました。

夫はいつも「わたしが大変だから」怒鳴ったという。

でもわたしは「夫が娘のうるささにイラついて怒鳴っている」と思う。

自分の機嫌がいいときは娘にうるさいくらい寄ってきて、

「いやだ」

と言っても離さない夫。(これは夫の父親も同じ接し方をする。嫌がるのを見るのが好き、という傾向があるんだと思う)

そして自分の機嫌が悪いと、意識がなく寝ている状態でも怒鳴りつける。

こういうことをしていて、娘は安定した情緒を育むことができるのだろうか。

夫が娘に接する感じが、ペットにしているように思える。

すべてを受入れてくれる親の存在を感じて育てるのだろうか?

そして夫は小さいことでも嘘をつく。

攻められそうになったりすると、嘘をついてはぐらかす。

小さい嘘、大きな嘘。無数の嘘を、ずっとつかれてきた。

だからわたしは夫を信じていない。

夫は、何かあった時、たとえば地震が来たときとか、わたし達をおいて逃げるのでは、と思っている。

夫は娘を可愛がっているし、わたし達を大事に思っているとよく言う。

でも・・・と思う気持ちがある。

良い時はいいのだ。

でもそうでない時、言ったことば、行動、されたこと、そういうものがひどすぎる。

されたことが積み重なって、今は一切夫の言葉は信じられない。

普段あんな愛妻家みたいなことを言っていても、本音はコレだな、と分かったから。

こんな夫婦で、子どもを育てていくことが出来るのだろうか?

夫はわたしに隠し事や嘘をつくので、わたしも夫に対して言わないことがある。

こんな夫婦関係で、この先やっていけるのだろうか?

暗い部屋のなかでじっと考える。

夫はそんな風に思っていないだろう。わたしがそんなふうに考えているなんて思いもしないだろう。

時々考える。

これでいいのか?

土台が崩れている上に、家庭というレンガを築けるのか?

たまに、真っ暗い谷底を覗いている気持ちになる。

 

コメント
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