こんにちは。
先日、小沢健二さんのライブに行ってきました。
お台場に行くのもえらい久しぶり、チケットが取れたものの、行けるのかな・・・と心配でしたが、幸い同行者が見つかり、無事に行ってこられました。
2000年になる前に、姿を現さなくなっていた小沢さんは、2010年にオペラシティで、2012年にツアー、4年後の今年、またツアーを開催しました。
2012年の「ひふみよ」ツアーのCDが発売され、その頃、母の病気が分かり、私はこのCDをずっと聴いてました。
20年前に聴いていた彼の曲のなかの「強い気持ち強い愛」を泣きながら何度聴いたことか。
社会人になってから、同じ会社の同僚が「LIFE」を貸してくれ、どはまりしたわけですが、それからずっと彼の音楽はわたしのなかにありました。
貸してくれた彼女はフリッパーズのライブにも行っていて、大いにわたしを羨ましがらせたわけですが、彼女もこのツアーを観たでしょうか。
20年、わたしを支え続けてくれた歌が、それを作った人の口から歌われる。
テレビでしか観たことがなかったその人は、40代後半になってもその姿は変わらず、お父さんになっていました。
髪をかき上げるしぐさ、ほっそい白い腕、はにかむ笑顔、上目使い、たまに外れる音。
人って変わらないんだなあ、と思いました。
新曲はすごく文学的で、これこそ歌詞を反芻しながら何度も考えたいもの。はやく音源化をのぞみます。
「それはちょっと」を、結婚し、息子をもうけた彼が歌っているのは感慨深かったです。
そして分かったのが
「わたしはわがままだから!」(離婚したんだ)
ってこと。そう、わたしはわがままだから。(元夫に言わせると)だから結婚に向いてなかったんだって思いました。
嫁でなくて、パートナーとして結婚した。ひとりの、自分の足で立ってる人と思い、結婚した。
「両性の同意があったから」結婚した。だけど「結婚」はそれだけではなく、それ以上のものをわたしに差し出せと言ってきた。
(正確には元夫とその家族が)
でもわたしは「わがままだから」。無理でした!って唐突に思って歌った。
「わがままだから~!」
そう、死ぬまでわたしはわがままだから。
彼の口から「僕はずっとひとりで生きるのかと思ってたよ」と聞くのは感無量でしたね。
人は変わるんだ。
彼はとても生きるのが楽そうだったし、楽しそうだったし、幸せそうだった。
良かった、と思いました。
長い階段をのぼり生きる日々は続くし、大きく深い河を渡らなきゃならないし、涙がこぼれてはずっと頬を伝うだろうし、冷たく強い風はこれからも吹き付けるだろうし。
それでも生きていく。
その日にSNSで知り合った方に、病気になったことを話していて、つくづく「幸いだったな」と思いました。
入院した時に「あーライブどうしよう、行けるのかな」って思ったことを思い出しました。
でもこうして来られた。
そしてまたもしかしたら再発することもあるかもな、と思いました。
わたしの脳の中で裂けた血管が、また同じところが裂けないとも限らないし、もしくは違う細い血管が裂けるかもしれない。
そんなこと言っていたらもーなんにもできないよ、とも思いますが、脳梗塞になったから、わたしは娘の学資保険もかけられなくなってしまったわけです。
それは治ったとはいえ、まったく今までなったことのない人と、一度血管裂けてしまった人では保険会社も感じるリスクは違うだろうな、と思うのです。
まあそういうことがまたないかもしれないし、あるかもしれない。
だからこそ、彼のライブに行きたかった。
ここまでわたしの支えだった彼の生の歌声を聴いてみたかったし見てみたかった。
・・・いやー、歌詞とか、すごい憶えているもんですね。彼が間違ったところも分かったし笑
素晴らしかったです。
そして、これからは、会いたい人には会っておこう、行きたいところには行っておこう、「いつでも会える、いつでも行ける」はわたしには少ない確率になってしまったから。
わたしは好きが長続きしないので、何かをずっと好きでいられるって、すごい才能だと思えます。
自分の幸せを我慢しても相手が幸せに感じてくれるかなんて保証できないけれど、自分が幸せでいたら、少なくとも自分1人は確実に幸せなのだから、自分優先でいいのだと思います。
旦那さんやそのご家族も、過去の記事に登場するたび、相当自分勝手に行動していた気がしますが、それにしては不満だらけで全く幸せそうには感じられませんでした。
ならばリツコさんはワガママ優先で幸せになっちゃってください。
お母さんがいつも幸せそうでいてくれたら、子どもはそれだけで生きることを幸せに感じられると思うのです。
本当に、私は幸せではなかったです、でも今は本当に幸せです。
娘も、家族もいる。
それだけで幸せです。
これからは自分をもっと大切にします。