魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

わたしの健康状態

2011-10-23 13:30:45 | 日々のこと

結婚前、胃カメラを飲んだことがある。

喉元までなにかがきているような感覚がずっと続いていて、げっぷや胸焼けがひどかった

入籍前に検査してみようと思って行ったのだが、潰瘍のあとがあっただけで、逆流性食道炎ということですんだ。

最近、またこの喉元まできてる感覚がある。少しくどいものを食べたり、夕食が重かったりするとすぐだ

もう玄米と少しの野菜でも食べていれば良い年齢になってきたと言うことだろう。

わたしも来年は四十路・・・。

今、右あごが痛い。口を開けると軽い痛みと違和感が、顎の骨の蝶番にあたるところにある。

9月になって、そのうち治るだろうと思ってほっといたら、しばらくして軽くなったがまた最近痛み出した。

顎関節症かと見当をつけているのだが、ストレスが原因のことが多いらしい。

そういえば、娘が産まれてずっと寝ながら乳をやっていたら、同じ方を向いてあげていたので、そっちの奥歯のあたりが痛くなり、口内炎になったことがあったなあ。

また、娘が産まれた年の12月くらいに、夫にまたなんか細かいことを言われてやだやだ・・・と思ってトイレに行ったらカエルの卵みたいな便が出た。

そうとう驚いたのだが、こんなものが出てきても乳飲み子がいるから病院には容易に行けないし、薬も飲めない。

心配だったが放置していたら、ついにその透明な粘液に血が混じってきた

これはさすがにマズイと思って夫に頼んで病院に行った。そして検査。

腸カメラは、腸のなかをからにして(つまり大量の下剤を飲んで出して)、麻酔を打ってカメラを入れる。

ビロウな話だが、本当に腸のなかがカラになるまでトイレに行く。

それからの検査、自分の腸のなかの映像を、首をひねって見てみた。綺麗な色だったなあ。

でも、潰瘍があった。赤い炎症がぼつぼつと。驚いた。

麻酔で朦朧としていたら、娘を預かっている夫から電話がかかってきて

「まだ~?」

と言われたっけ・・・。麻酔ってすごいね、打ったらもうすぐ朦朧として口が回らなくなるんだもん

検査結果はしばらくたって聞きに行った。

「潰瘍性大腸炎」

これは・・・友達が以前なって、2ヶ月くらい入院して、その後も治療と検査に行っている・・・病気。

たしか完治しない病気。

良い時期があって、悪化する時期があって・・・ずっと付き合っていかなくてはならない・・・と言っていた。

友達に聞いてみたらやっぱりそうだった。

「新しい保険にはは入れないから」

とも言われた。持病があっても大丈夫ってやつしか入れないのかな~と思った。

どんな仕事についてもそこまで体調を崩さなかったのに、2年の結婚生活でのストレスでついに

さいわい、こないだも少し怪しいのが出たが、今のところ、ひどくはなっていないようだ。

発症してから4年、気をつけて悪くならないようにするのが肝心、とも聞いた。

検査結果を聞いて夫に話して、自宅に帰ってきた時、夫はわたしがうちでカラーした際にヘアカラーが付着してしまったお風呂場のドアノブを、

「これ、もう取れないからね!」

と言い放ったっけ・・・。

ほんと、泣きたい気持ちだったなあ・・・。

そして今年の急性涙嚢炎で入院。

その時も車を擦ったとかで落ち込んでて、わたしが痛がってても朝起きて開口一番「車を擦ったショックから少し立ち直ってきたよ!」だったもんなあ・・・

なんか次々と思い出したけど、この人、変わるんだろうか・・・。

最近はほんとに大人しい。朝起きると娘のおもちゃとか、きっちーんと片付けてあったり、洗濯機がもう回っていたり。

休みの日は娘を連れてバスや電車に乗りに行き、お昼に帰ってきてゴハンを食べたらまた娘を連れて出かける。

たまに一緒に食料品の買出しに行くが、そこでも娘を預かって別行動。

仕事の日は夕飯を食べるとぼーっとしないとダメな人なので(この時話しかけても頭が働かないので話が出来ない状態)、夫が食事を摂る前の、わたしが夕飯を準備しながらの時や、寝る直前くらいしか話すことがない。

だからけんかすることもぐっと減った。

会わなければ喧嘩もしないのだ

でもそれでいいのか

最近、シフトに変更が多い。

休みが変更になったり、早く帰ってきたり。

同僚が手術することになった、とかケガして松葉杖をついてるからシフトを変更した、とか飲み会がなくなった、とかトラブルがあったから夕方2時間くらい出勤してくる、とか。

まあホントなんだろうけど・・・

 

余談ですが、昨夜テレビでAKB48のドキュメント映画がやっていた

飛び飛びでしか観られなかったのだが(娘が夜泣きするため)、みんな可愛いですねえ~。

それぞれ個性があって、自分の良いところをわかっていて、表現しているなと。

特にこれは大島さん、彼女は可愛いうえに、すごく見せ方が上手いなと。

高橋みなみさんからはすごいパワーを感じたし自分の持っているものを惜しみなく出して行こうっていう決意。「今なんだ」ってことが良く分かってる人だなって。

個別に認識している人はわずかなんですが可愛い若い女の子を観ているとこちらも元気が出てくるので、彼女達が出ていると観ることが多いのですが

彼女達のなかで「女優になりたい」とか将来的にビジョンを持っている人は少ないのかな?

では彼女達は何に向かって頑張っているのか?

「今」「AKBとして」「精一杯歌って踊って表現して、みんなに元気になってもらいたい」

という気持ち・・・なのかな、と。

「アイドルになりたい」

ってみんな思ってAKBに入ったのだと思うんだけど、「アイドル」ってどういうものなのか、みんなよく分かっているというか。

それって「夢を与える」ってことだなあって。そう感じました。

わたしが「若さってお金になるんだなあ」と初めて思ったのが、20歳の時夜中にやっていたSMAPの大阪城ホール新春ライブを観た時

いつの時代も、アイドルを必要としている。わたしの時はたのきん、おニャンコとか。明星の時代ですね・・・。

同じ秋元氏のプロデュースでもおニャンコとAKBの違いは、その時代のなかの使命感というものなのかな、と。端的に言うとやる気がすごくあるというか。

AKBの方が外向きというか、「こんな時代だけど、元気出して一緒に頑張ろうよ」というメッセージ性を感じます。

わたしだけかもしれませんが・・・。

 

 

 

 

 

 

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2歳児

2011-10-23 13:14:50 | 日々のこと

娘は2歳半になりました

今、「となりのトトロ」を観るのが好き。

わたしは「となりのトトロ」を自分の子供と一緒に観るのが夢だったのだけど、叶いました

引っ越してきてドングリが落ちてきて・・・というところが大好き

サツキとメイと一緒に「わ~~~~」と叫んでいます

DVDプレーヤーの操作も達者になって、好きな場面をリピートしてます

毎日新しいことばが増えてきて、鼻唄を歌ってる♪

今朝「バスのりたい」と言ってました。

2語が出るのは遅いほうだと思いますが、初めての2語は「パパ会社」でした。

まだたどたどしい娘、小さい娘。

「今が一番可愛いよ~」とよく言われますが、ほんとにそうかもな~って思います。

まだ抱っこしてもそんなに苦痛じゃないし(娘は軽い方かな。11キロないし)、ぺらぺらしゃべるまでいかないし。

わかってないんだろうな~と思っていますが、どうなんだろう?

娘はすごく活発で、気がつくとソファの背もたれの上に立っていたり、出窓からベッドにダイブしたり、キッチンのカウンターの上に立っていたりこっちははずみで蹴られたり、頭突きをされたり、眼鏡を飛ばされたり

先日もお風呂のふちに上って、ダイブしてきたので受けとめたときに親指を捻挫してしまった。

痛い・・・

湿布を貼ったけど、握れない。困った。

夜寝るとき娘に

「ママ怪我しちゃったよ。痛いからいろいろ出来ないよ。危ないって言ったらやめてね。わかった?」

と言ったら無言

「わかんない?」

と言ったら

「わかんない」

とはっきり言う。

ほんとはわかってんじゃないのか~~~~

子供はなんでも知っている・・・?

 

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最大の夫の育児協力とは?

2011-10-17 22:52:39 | 夫のこと

この間、テレビを見ていたら養老先生がこんなことを言っていた

うろ覚えですが

「夫の最大の育児は『奥さんのご機嫌取り』だ」

と。

対談相手のつるのさんが

「そうですよね、奥さんの機嫌が良ければ子供にもいいし!絶対そうですよ!」

という感じで絶賛していた。

このVTRを観ていたYOUさんが

「もうすぐ子供が産まれる小木さんが『いろいろ手伝おうと思ってるんですけどね』って言ったら

ピエール瀧さんが『お前のやることは嫁のご機嫌取りだよ!』って言ってて、それ正しいと思った」

というようなコメントを言ってました。

 

「ご機嫌取り」っていうと、なんか卑屈というか、あんまり印象良くないですけど

これ、わたしも正しいって思います。

パパがママのご機嫌を取る、つまり気分を良くさせる。ママが機嫌が良ければ、子供もご機嫌になります子供がご機嫌なら、ママも育児が楽になります。育児が楽になると、ママもパパに優しくする余裕が生まれます

そうするとすべてが良い循環に 

だったら優しい言葉をかけて、ママを気持ち良くさせていたら、とってもいいと思いませんか?

「いつもありがとう」

そのことばがどのくらい大きい力を持つか、ぜひやってみて欲しいです

「子どもを置いて出て行け」事件から、わたしは子供の前で涙が出てしまったこともあるし、悲しくて欝っぽく、平常心ではいられませんでした。

ほんとに死にたい気持ちだったし、崖の上から暗い闇を覗いているような心象風景が常に心のなかにありました。

娘はとても不安だったと思います。

ママが不安定だと、子供にもすごく影響します。

夫と接してイライラしたり、義両親のことを考えて落ち込んで黙ってしまったり、娘はずっと見ていたはずです。

夫とわたしの手を取って、まんなかに手をつないでいる時に、夫とわたしの手をくっつけたりすることが、一度でなくありました

子供心になにか感じ取っていたのでしょう。今までこんなことをしたこともなかったし、ちょっと落ち着いた今はそんなことはやりません。

夫はこの瀧さんのことばを知ったのか分かりませんが、最近はすごくわたしのご機嫌取りをします。

「お前が大変なのは分かってるよ」「よくやってくれてると思うよ」

と言葉をかけてくれますし、食事を食べると「美味しかった、ありがとう」と必ず言います。

今日は初めて昼ごはんを作ってくれてましたほぼ休みの日は娘を連れてでかけ、わたしの時間を作ってくれます。

(まあ逆に言うと、一緒に居ないようにしているんですが)

気持ち悪いくらい、優しい・・・浮気してんの?ってくらいです。

(瀧さんのことばを話そうと思って「最大の育児協力はなんだと思う?」と言ったら「寝ること」と答えられました

「もう眠いんだよ!」と言われ、話す気がなくなり、その後も「お前昨日ごちゃごちゃ言ってたけど眠いから寝ちゃったよ~」とか言ってるので、もう話さないと思います大事なところを逃すタイプだなあ・・・)

わたしたち夫婦の仲がちょっと落ち着いたからなのか。

だからなのか、娘が最近急にわがままになったような気がしたり

「魔の2歳児」って言いますが、「これがしたい!こうしたい!いつしたい!自分がしたい!」っていうのが、激しく出てきたというか・・・

本を読むにも、「このソファでこっち向きで、これを今、読みたい!」って指定があるんですよね・・・。

あと自分でやりたがる→まだ無理→出来ない→ママは手伝わないで!→キーッっていう流れ・・・

わたしも怒っちゃったりして、可哀相なんですが・・・

娘が産まれてから、ずっと夫と義両親といさかいが絶えず、本当に申し訳ないと思っています。

この影響がどこに出てくるのか、怖いです、正直。だから早いうちに離婚しようと思ってました。

リカバーは出来るのかな?心配です。今は夫との仲を修復することしかできないと思うのですが・・・。

 

 

 

 

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婚約期間

2011-10-17 22:24:49 | 日々のこと

先日、夫の従兄弟が結婚するというので、お祝いをかねたお食事を一緒にすることになった

従兄弟は30歳、彼女は1歳下。

お話は聞いていたのだけど、初めて会った彼女はとても感じの良い人だった

待ち合わせにも先に来ていて(つくづく第一印象って大事だな、と思いました)、彼がさっと彼女を紹介したのが、とてもさわやかだった

娘がいたので、夫と入れ替わりで話をするような感じになったのだけど、とても礼儀正しく、気遣いが出来て、笑顔がステキな女性だった。

従兄弟は聴覚に障害があるのだが、唇を読んでコミュニケーションをするのだけど、話に理解が及ばなかった時など彼女が彼に伝えてくれて、それもとってもほほえましかった。

出会いや、お互いの第一印象を聞いたりしていたのだけど、彼女は

「会った時に『友達になりたいな』と思いました。この人から学ぶことがたくさんあるんじゃないか、と思いました」

と言っていた。

なるほど・・・

そして聞かれた。

「旦那様に初めて会ったときは、どんな第一印象だったんですか?」

・・・

「・・・わたしの一目惚れだったんですよ。(ええ、そうでした

 この人に会った時に世界がカラーになった、って思いました。(ええ、ある意味極彩色になりました)

 もうすっかり忘れてました聞いていただいてよかったです。思い出しました・・・」

(「この人と結婚できるなら、この地方で頑張ろう」と思ったなんて、とても言えなかった・・・)

 

「初心忘るべからず」とは、初心は忘れるからそう言うんだなあ、とつくづく思いました

そう、わたしも婚約中、夫の実家に初めて挨拶に行って、サービスエリアで星を見上げ、後ろから彼に抱きしめられていた時、

「わたしは世界で一番幸せだ」

と目が眩む思いをしたものだった。

ほんと、目が眩んでいたのだけど

ああ、あの時よく見ておけば・・・義理両親のことも、彼のことも。後悔先に立たず、これも後悔は先に立たないから(以下略)

 

婚約中、既婚者(×1含む)におしなべて言われたものだ。

「今が一番いい時よ」

その時は「なんでみんな、そんな悲しいことを言うんだろう・・・わたしはずっとラブラブで幸せに暮らすんだもん、プン」なんて思っていた自分が、いかに甘かったことか・・・。

 

あれだけ好きだった人をね・・・今はね・・・

そんなに好きだった人と結婚できてもね・・・

ひとの気持ちは変わるのよ・・・。

いや、たしかに、あの時、初めて会ったときの気持ちのままでいられたはずなのだ。あんなにいろいろなことがなかったら。

まだわたしが27だったときに、彼がわたしの気持ちに応えてくれて、結婚までいったのならば。

わたしはそのままそこで頑張っていただろう。

でも、彼にわたしは今までにされたことのない扱いをされた。自分に価値がないと思うようになるようなことをされた。

それも一度ではなく。

それからわたしも変わった。自信を取り戻すために自分を変えていったし、仕事も変えた。

だから。

今のわたしがある。彼への気持ちもひっくるめた、今のわたしがいる。

そして変わったわたしだから、彼は結婚したいと思ったのだ。

だけど、変わってしまったわたしは、初めて会った時の気持ちは、もうなくなっていた。

「あなたを、何においても欲しかったリツコは死にました」

夫に言ったことがある。

出会った時のまま、彼を好きなままのリツコで、なんでいさせてくれなかったんだろう。

切ない。

彼と彼の親、それがわたしを大きく変えた。

そのうえで、彼をまた大切に想える日が来るのだろうか?

それは本当に分からない。

とはいえ、若い2人にはキラキラした未来しか見えていないだろうそれでいいし、それがいいのだ。

幸せな人を見ると、こちらも幸せになる。何かを思い出す。

「まあ、ほんとうにいろいろあるから」としか言えない、結婚4年目の妻でした。

 

印象的だったのが、夫が彼女が

「彼の家に行って食事したりしますけど、食べている気がしないです、緊張して

と言っていたよ、と話してきました。

「まあそういうもんなんだろうなあ」

としみじみ言っていたので、激しく同意しておきました。

 

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500円

2011-10-14 01:00:47 | 夫のこと

夫の休みの日、こども体操教室に行くためにでかけたのだけど、財布を忘れたわたしに夫が貸してくれた500円玉2つ。

それを持ちたがる娘に渡してしまったのが悪かった。(ぐずるのが嫌で、触りたいものを渡してしまうことはあって、それがキーケースとか免許証とかのことも、小さいときはあったな)

その後いつの間にか見当たらなくなった500円玉ひとつを捜して、車中を大捜索。

公園の駐車場で「お前達、しばらく降りてろ」と言われ、夫はさらに捜そうとしていたけど、お昼なので娘に昼ごはんを食べさせないといけないと言ってやめてもらった。

その後も

「大切なものは触らせるな!」

とねちねち言うので、

「悪かったよ、ごめんね」

と謝ったのだけど、

「リツコはものを大切にしない」

とねちねちやめない。

子供が小さいときは「あれがない」とかしょっちゅうだ。子どもを連れて買い物から帰ってきて、重い荷物を冷蔵庫にしまわないといけないのに子どもがぐずって片付かない、鍵もキッチンに置きっ放しになっててあれ?どこいったっけ?なんてことはしょっちゅう。

(でもなくても捜せばあとから出てきていた。今まで気をつけててなくさなかったのに、先日ついに免許証が出てこず、再発行した。これも気に食わなかったらしい。)

悪かったけれど、ぐずられるのも嫌だったから渡してしまった。

でも500円でそんなに責めるのか。

じゃあ娘がお風呂に落としたリモコン、次の日直っていたのに壊れたと思って注文したの6000円。

わたしが留守中こっそり買い物をしたものたち、

使わない手帳カバー15000円、

2個もあったけど危ないからお金を払って処分した電機ストーブをまたなぜか買っていた4000円、

未だに値段を明かさないリモアのスーツケース・・・。

細かいものなら使わない照明のリモコン。一回も使わないシュレッダー(アマダナ)。半年で壊れたのにまた同じ水筒を「纏め買いだと安くてサービス品もついてるから」と2個も購入。しかもサービス品がついていなかったらしく「サービス品がついているから購入した」とクレームのメールを送っていた。←正しいけどせこくないですか?

ほかにもあげたらきりがない。しかも使わないものばっかり!

それを言ったら「そこをせめるか・・・」と苦笑していた

「たかが500円でねちねちねちねち・・・」

と言うと

「そういうことじゃない

と怒っていたけど。なんとなく夫の言いたいことは分かる。

お金は大事だ。500円でも大切だ、粗末にしてはいけない。

でもそこまで責めることなのだろうか?謝って、「次から気をつけてね」ですまないほどのことなのだろうか?

しかも自分の無駄遣いを棚に上げて。

そして夫はしょっちゅう何かがないとほぼ毎日言っている。

外出から帰ってきて「小銭入れがない」(車のなかに落としていた)

会社から帰ってきて「小銭入れがない、誰かに取られたか?」(自分の置忘れだった。小銭入れ多いんです!)

うちのなかで「携帯がない」はしょっちゅう。

「○○がない!」となると、ずっと気に病んでいる。せっかく出かけてもずっとくよくよしている。

以前、朝USBメモリーがない、仕事で使うのに!と言い出して、

「よく思い出してみて」と言っても「わからない!」とパニック。終いには「りおがどこかに持っていたんだ!」と言い出す。

結局、着替えたときに脱いだフリースのポケットに入っていた。

会社には遅刻し、「妻の具合が悪くて」と言い訳の電話も。

驚いたのはそこまで大騒ぎして見つかったUSBメモリーを、娘の手が届くダイニングの机の上にまた置きっぱなしにしていたことだった

この間も寝室のアナログテレビにチューナーを、夫がつけたのだけど(わたしはテレビはいくつもいらないと思っているので処分したらいいと思っていたけど)そのテレビカードを娘が抜いたらしく、なくなっていて夜中に大捜索。

「もう寝せないといけないのに、いいかげんにして!」

と怒った。わたしは喘息のケがあるので、埃が立つと咳が止まらないのだ。

そしたら次の日、ベッドの下、マットと板を外して大捜索。でも見つからず。

「いつかここ?っていうところから出てくるよ」

と言っていたら、夫の部屋から次の日出てきた。

こんなことの繰り返しである。

毎回うんざりだけど「次気をつけてね」と言って来たけど、一向に改善はされない。

だから夫の部屋を大幅に片付けて、いつも使うものはすぐ分かるように場所を決めて他にものを置かないように変更した。そしたら忘れ物がなくなった。

リビングの机にいつも出しっぱなしの夫の書類なども全部夫の部屋に置き場を作り、そこに置くようにした。「○○がない」が大幅に減った。

「モノが大事」

な夫と、大きく価値観が違うことは分かっているけど。

わたしが「モノを大切にしない」と言われるけど、わたしは「大抵のモノは代わりがきく。でも人はそうはいかない」と思っている。

そして傷つけたことばは戻らないこともわかっている。

どっちもどっち?な夫婦なのかもしれない。

 

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しつこい怒りが消えてなくなる本

2011-10-10 17:43:01 | 夫のこと

そういう本を読みました。

でもまだわたしのこころの怒りは消えません。

実は、先々週、義母が突然来て、謝られました。

「夫婦のことに深く立ち入りすぎた、悪かった。申し訳ない。もう口出しはしない」

と涙ながらに謝られました。

わたしは、わたしだけでなく、義両親の口止めのために実家の両親も姉も弟も苦しんだ、と告げました。

夫とは、今は一応落ち着いているけれどこれからも分からない、何度も同じことの繰り返しだから、どうなるか分からない。

またやるんじゃないかと思っているけど、今は頑張ってはいる。

そう言いました。

そしたら

「今日は謝りに来ただけだから」

と話を切り上げ、お茶にも手をつけず、娘の冬物の洋服と、大量のペコちゃんのほっぺを置いて帰っていきました。

マンションの下にいた夫に、

「リツコさんは離婚したいと言ってる」

「お前のせいで謝りにくる羽目になった」

「すべてお前のせいだ」

そう言って帰ったそうです。

その話を聞いて

「もう口出ししないって・・・早速してるじゃないのね~

と思いましたし、夫のせいばかりじゃないだろう・・・と思います。

 

この謝罪で心が晴れたか?

答えは否です。

かえってもやもやとしています。

「謝ったんだから許せばいい」

そう思うのですが、そうできないんです。

苦しいです。

どうにも流せないのです、わたしの心が狭いせいなのでしょう。

「義両親に電話しようかな」と思う日もありますが、「このまま接触をしないほうがきっと精神衛生上ずっといいだろう」とも思うと、実行できません。

夫は家出の件から、両親には冷たくされているのですが、

先日も別件で、仕方なく夫が義母に連絡したのですが、レスはなく、再度連絡し、やっとかかってきた電話で

「今ゴルフ行って帰ってきたところだから忙しい」

と早々に切られてしまいました。

どうしたらいいだろう?

ずっともやもやしています。

許したい、許すなんておこがましいけど、「人を77回許しなさい」とか「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」とか、昔習った聖書の教えを思い出さなければ、到底平常心には戻れません。

こうして吐き出すことで、少し救われています。

気持ちも整理できています。

こんな駄文・くだらないことを読んでくださって、感謝しています。

ありがとうございます。

家出からどのような経緯で帰ってきたか、随時書けたらアップしていきたいと思います。

 

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「これから実家に電話するからな」

2011-10-10 17:28:26 | 夫のこと

携帯に電話してきた、夫の第一声がこれでした。

やっと姉の家に着いて、ほっとしてきょうだいが迎えてくれたとき、夫の帰宅時間でした。

携帯に出たわたしに

「お前、どこにいるんだ?これからお前の実家に電話するからな」

夫はそう言いました。

わたしは娘を姉に抱いてもらい、別室に移動しました。

「書置き見たの?」

夫は見てない、今帰ってきたばかりだ、とのこと。

それ見てから電話してきて、と言いましたが夫は電話を切らず、

「お前がしてること、お義父さんたちに言うからな」

などとまくしたてました。

「両親に言うと大事になるよ、それこそ『帰って来い、離婚しろ』って言われるよ」

と強く出たら、やっと黙りました。

今は大事にしたくない、離れたほうがいい、そう思ったから出て行った。

時間をおいて考えたい。だからしばらくそっとしておいてほしい、そう言いました。

夫は

「いいか、休みになったら迎えに行くからな、りお渡せよ」

と捨て台詞を吐いて電話を切りました。

暗い顔をして戻ったわたしに

「どうした?大丈夫?」

と声をかけてくれた姉の、携帯がすぐに鳴りました。

夫からでした。

姉はまた別室に行き、応対してくれました。

「まあ、今子供が小さくて大変な時だから、ちょっと離れて冷静になって・・・」

「わたしも子供小さいとき、主人としょっちゅう喧嘩してましたよ~」

なんてなだめる声が聞こえました。

姉はいつも主人を責めたりしません。めったに人に対して怒ることはない人です。

でも夫は姉を怒らせたことがありました。

わたしが出産た日の深夜の電話、早朝から病室に来たこと、それにまいって姉にわたしが泣いて電話して、夫に来るのをやめてくれと言ってほしいと頼んで、姉が電話したのです。

でも夫はやめませんでした。

姉に「わかりました」と言って、すぐその日の昼も夜も来たのです。

それで姉が切れて夫に電話したことがありましたね・・・姉を良く知る、わたしの以前勤めていた会社の社長が「え?切れたの?めずらしい・・・よっぽどだね、だんな」と驚いていましたっけ。

上手く姉に慰められたようです。

「あんたも大変だね~

と姉が出てきました。

「あんなことして、出て行かないと思っているのか?」

とわたしは思いました。相当甘く見られているのでしょうか。

 

こうして書いてきていると、「ほんとにひどいな~」って思います。

今、夫は大人しく、休みになると娘が好きなバスや電車に乗せて、連れ出してわたしに時間を作ってくれます。

でも、3人一緒では出かけないのです。

一緒にいるとイライラするから、それがよく分かってるんでしょう。

 

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家を出る。

2011-10-10 16:09:39 | 夫のこと

「子どもをおいて出て行け」と言われたわたしは、急に怖くなりました。

娘から引き離されるかもしれない。

そう思い始めました。

明日は夫は仕事。次の日はまた休み。

だったら明日、出て行くしかない。

夫にも、義両親にも分からない、追ってこられないところに逃げなければ。

そう思いました。

本当に、あのときは怖かった。

次の日、夫が出かけてから荷物を詰めたり、当座必要な額のお金を用意したり。

でもずっと怖かった。

今逃げなければ、この人たちから逃げなければ。

萎えてしまいそうな気持ちを奮い立たせて、とにかく大宮まで出て、どこに行くか考えよう、そう思いました。

 

その時、姉から電話が来たのです。

わたしは、つい夫と義両親のことを話してしまいました。

「もう出て行くよ。どこに行くか決めてないけど、とにかくここを出ないと」

と。

そしたら姉が

「明日からわたし達は両親の家に行くし、1週間後に弟夫婦も帰省するから、とりあえずうちにおいで」

と。

だれもいないから、犬はいるけど、ゆっくりしたら?と。

その時は、もうこのまま家を出て、死んでしまおうかとも考えていたので、夫への置手紙にも「姉のところにも行かない」と書いていました。

でも、姉が

「大事にする前にちょっと離れて考えてみたら?」

と言ってくれました。

「お母さん達には内緒にしておくから」

と、姉は本当に両親は何も知らないと思って、ずっと隠し通してくれていたのです。

それで、わたし達はようやく姉のところに行くために新幹線に乗りました。

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10分の間で。

2011-10-10 15:59:00 | 夫のこと

娘がひどく泣いていたので、わたしは「やめてよ」とお風呂場に入り、押し問答になりました。

夫はわたしを突き飛ばし、風呂場に鍵をかけました。

それなのでわたしは再度、義実家に電話しました。

義母が出て話しました。

「急に電話して、申し訳なかった。

わたしはいいけれど、娘が『パパはわたしよりモノが大切なんだ』と分かったとき、取り返しが付かない。それが嫌だ。」

「なんとか夫とやっていこうと、自分の実家にもここ3,4ヶ月連絡をしていない。だから今回のことは両親は知らない。」

と伝えました。

義母は少し落ち着いていて

「あれは病気じゃない、ああいう人はいる。自分が勤めていた会社にもいた。だから病気じゃない。

りおちゃんのことも考えてあげて」

と言われました。

のちに友達にその話をしたら「会社にいるくらいならいいけど、そういう人とずっと暮らしていかなきゃならないのはどう思うんだ」と言っていました

しかし、この風呂場での10分の間に、義両親はわたしの両親に即電話をし、

「離婚を勧めているって本当か」

と裏を取っていたことが判明するのです。

それを知らないわたしは、両親に心配をかけないように、ずっと黙っていたのです。

でも、両親は「リツコがそういう状況にいる」ということだけしか分からず、やっと連絡を取った2週間、ずっと心配していたのです。

突然電話がきた両親は驚き、

「そんな話は聞いていないし、ずっとリツコとは連絡を取っていない。

だけどそんな状況になっているのなら、これから迎えに行きます」

と言ったそうです。

そしたら義両親は

「それならいいです。リツコさんには内密に」

と言って切ったそうです。

なので、両親はわたしに連絡も出来ず、きょうだいたちもずっと黙っていた。

そういうことがあったことが、ずっとあとに分かるのです。

義両親の気持ちも分からないでもないですが、自分達のことしか考えない夫・その両親の考え方がよく分かりました。

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子どもをおいて出て行け。

2011-10-10 15:36:29 | 夫のこと

さきの家出のさいに、夫と義母から言われたことばです。

家出の詳しい経緯は、ここに書いてなかったですね

もう2ヶ月前くらいになります。

でもなかなか自分のなかで消化できないというか、どうにも気持ちが沈んだり、頑張ろう、と思ったり。

本当にダメージが大きかったです。人への信頼を、またわたしは失いました。これで二度目。それもまた夫と、義理両親によってです。

一度目は夫に会った11年前。

その時は、自分の大切な友達や家族、その後に付き合った人たちによって、徐々に「人を信じること、愛すること」を取り戻していったのです。

でも、時間はかかりましたよ

今回は、いろいろなことが重なって、「負けるかもしれない」と初めて思いました。

「負ける」とは人生を降りることです。

これは、神戸の震災で、死ななくてもよい人が、たくさん亡くなった時に「自分で自分の命を絶つことは絶対にすまい」と決心したことですが、今、本当に負けそうなときがあります。

ただ、引き留めているのは娘の存在です。

そして東北の人たち。

歯をくいしばり、踏ん張って、静かにやり過ごして。

今はそうして行くしか、わたしにはどうしたらいいか、分かりません。

 

家出をするきっかけになった「娘が味噌汁をこぼした」事件。

この時、これに怒って、自分のシャツを脱いで拭き始め、怒鳴った夫。

こういう時に、すごいひどいことを言うのです。

「メシもつくらねえ」「山形に帰れ」「お前の親に言ってやる」等々・・・。

まあいつもその後土下座で謝ってくるんですが。

それで「もうこんな馬鹿みたいなことで喧嘩になるなんていや」と叫んだわたし。

止めて欲しくて、親から言って欲しくて、夫の実家に電話したのです。

思えばこれが悪かったんですよね・・・諌めてくれるはずがないのに。

 

娘が味噌汁をこぼしてまた怒っている。

もうこういう神経質さに堪えられない。離婚したい。わたしの両親も、去年暴力があった時に話している。

帰ってきなさいと言われたけど、その時は「帰っても解決にならないから」と言って帰らなかった。

 

わたしはそう言いました。

以前にもこういうことがあって、電話したときに義母は「夫婦のことだから、自分達で決めればいい」と言いました。至極当然のことですが、わたしには冷たい、と感じました。

今回は違いました。

「お義母さんは以前彼の神経質さを愚痴ったときに『わたしも困っていた。結婚して出て行ってくれてほんとに良かった』と言っていたじゃないですか」

と言ったら

「そんなことは言ってない!結婚してくれて良かったとは言ったけど、そんなことは言ってない!」

と怒り出しました。

わたしは「ああ、そう思ってんならもう言うことないや」と思って「そうですか」とだけ言いました。

いろいろやりとりがあったのですが、いつもは起きていない義父が電話に出てきて(9時くらいですが、いつも義父は7時に寝るのです)

「そんな話は電話でするな!だったら昨日来て話せばいいじゃねえか!」

(前日、義理実家に行っていたのです。でも、娘を可愛がってくれる義両親の姿を見ると、いつも言い出せませんでした)

とすごい言葉遣いで「お義父さんなんて呼ぶな!」と言われました。

義父に代わる前だったか、あとだったか・・・。

義母が言ったのです。

「離婚するならりおちゃん(娘の名前)を置いていって出てってください!」

何回も言われました。

 

夫がそのあと代わり、わたしの悪口を義母に言っていました。

メシを作らない、金がないだの生意気なことばかり言いやがって、と。スピーカーフォンにして話していたので、義母のことばも聞こえました。

ひどいなあ・・・と思って聞いていました。

「これから迎えに来てくれ。りおを連れてってくれ」

と言ってました。

電話を切って夫が

「お前、ひとりで親のところに帰れ」

と言いました。何度も。「りおは実家に連れてくから」と。

でもそれは脅しだったようです。

それは家出してから分かりました。

 

それから娘を風呂に入れるからと、夫は娘をうばってお風呂場に入りました。

乱暴な夫に、娘は泣き叫びました。

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