お久しぶりです。
あっという間に一年以上たってしまいました・・・申し訳ありません。
この一年、何をしていたかと言いますと・・・来たボールを打ち返して、一年。
昨年アップさせていただいたブログのあと、父が肺炎になり、危ないところでしたが持ち直し・・・そしてまた年末年始に体調を崩し、入院しました。
父の不調から不調への対処、そして娘の学校との対処、そして私の資格取得。そんな一年でした。
一年なので、何を書いたらよいか分からないくらい、いろいろと目まぐるしい日々で・・・
しかし一番は父のことでした。
昨年末、一晩にして高熱が出てしまった父は、年明けに病院にかかったところ、肺炎になっていました。
しかし抗生剤が効き、幸い入院せず(というか、入院を嫌がったので)自宅療養をしていました。
そして父がある日
「ちょっと見てくれ」
と言うので行くと・・・下腹部からなにかがぽこっと出ている・・・
これ、鼠径ヘルニアだよ・・・腸がね、出ちゃったっていうか・・・
そして手術です。
すぐ近くの病院に入院して、手術をして、10日くらいでしょうか、退院しました。
その時、姉弟3人で手術中、病院で待機しながら話し・・・思い出していたのは母のことでした。
母が亡くなって、父も手術か・・・そういう歳になったんだな・・・
手術が終わって出てきた父は、なんとなく意識が混濁しているようでした。
入院中も、たまにどこだかわからない様子で、見当識障害が起こっているのかな?と感じました。
なので、できれば今回も入院させたくなかったのですが・・・
でも、パルスオキシメーターで75という数値が出て、父も苦しくて体を横にして眠れなくなり、ついに入院を承諾しました。
通常、95~100という数値なのに、70台というのは、相当苦しかったと思いますが、そこは我慢強い父
頑として入院したくない!と言っていました。
でも・・・入院を承諾して、酸素を付けたら苦しくない
やっと在宅酸素療法を承諾しました。
今は自宅で療養しています。
入院中、医師から呼ばれ、「癌の終末期と思ってください。これからは、通院も負担になるだろうので、在宅診療に切り替えた方が良いです。」とのこと。
となって、
となりましたよ・・・。
「もうここで出来る治療はありません」
そして、週末が明けたらすぐに「明日退院してください」と言われました。
父の肺の状態は、ずっとあまり変わらないのに、急にもう治療法はないから他に行け、というのは、父が罹患していたもうひとつの病気があり、
その手術をずっと病院側はしたがっていたのですが、今回在宅酸素療法をすることになり、もう手術をすることが出来ないので、ではないかな・・・
と私は思いました。父の病院は、ずっと姉がついていっていたので、私もついていっていたら良かった・・・と後悔しました。
父は「ここが俺の死に場所か・・・」と言っていたのですが。
嘘でしょ・・・と思う気持ちもあります。
でも希望は捨てていません。
自宅に帰ってきた父は少しずつ元気になって、ボンベを引いて外出することも考えています。
食欲も戻ってきましたし、酸素をつけていれば普通に生活できます。
父の住所を移し、介護保険などの手続き、諸々に奔走する日々です。
これからのことを考えると不安です。
でも私には支えてくれる家族がいますので、大丈夫です
いろいろなことがあった1年、少しずつ記録していこうと思います。
はまっていたのは「女城主 直虎」でしたし、夏には家族旅行も行きました。
また近いうちにアップしますね!