魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

お久しぶりです。

2018-01-30 15:30:56 | 日々のこと

お久しぶりです。

あっという間に一年以上たってしまいました・・・申し訳ありません。

この一年、何をしていたかと言いますと・・・来たボールを打ち返して、一年。

昨年アップさせていただいたブログのあと、父が肺炎になり、危ないところでしたが持ち直し・・・そしてまた年末年始に体調を崩し、入院しました。

父の不調から不調への対処、そして娘の学校との対処、そして私の資格取得。そんな一年でした。

一年なので、何を書いたらよいか分からないくらい、いろいろと目まぐるしい日々で・・・

しかし一番は父のことでした。

昨年末、一晩にして高熱が出てしまった父は、年明けに病院にかかったところ、肺炎になっていました。

しかし抗生剤が効き、幸い入院せず(というか、入院を嫌がったので)自宅療養をしていました。

そして父がある日

「ちょっと見てくれ」

と言うので行くと・・・下腹部からなにかがぽこっと出ている・・・

これ、鼠径ヘルニアだよ・・・腸がね、出ちゃったっていうか・・・

そして手術です。

すぐ近くの病院に入院して、手術をして、10日くらいでしょうか、退院しました。

その時、姉弟3人で手術中、病院で待機しながら話し・・・思い出していたのは母のことでした。

母が亡くなって、父も手術か・・・そういう歳になったんだな・・・

手術が終わって出てきた父は、なんとなく意識が混濁しているようでした。

入院中も、たまにどこだかわからない様子で、見当識障害が起こっているのかな?と感じました。

なので、できれば今回も入院させたくなかったのですが・・・

でも、パルスオキシメーターで75という数値が出て、父も苦しくて体を横にして眠れなくなり、ついに入院を承諾しました。

通常、95~100という数値なのに、70台というのは、相当苦しかったと思いますが、そこは我慢強い父

頑として入院したくない!と言っていました。

でも・・・入院を承諾して、酸素を付けたら苦しくない

やっと在宅酸素療法を承諾しました。

今は自宅で療養しています。

入院中、医師から呼ばれ、「癌の終末期と思ってください。これからは、通院も負担になるだろうので、在宅診療に切り替えた方が良いです。」とのこと。

となって、

となりましたよ・・・。

「もうここで出来る治療はありません」

そして、週末が明けたらすぐに「明日退院してください」と言われました。

父の肺の状態は、ずっとあまり変わらないのに、急にもう治療法はないから他に行け、というのは、父が罹患していたもうひとつの病気があり、

その手術をずっと病院側はしたがっていたのですが、今回在宅酸素療法をすることになり、もう手術をすることが出来ないので、ではないかな・・・

と私は思いました。父の病院は、ずっと姉がついていっていたので、私もついていっていたら良かった・・・と後悔しました。

父は「ここが俺の死に場所か・・・」と言っていたのですが。

嘘でしょ・・・と思う気持ちもあります。

でも希望は捨てていません。

自宅に帰ってきた父は少しずつ元気になって、ボンベを引いて外出することも考えています。

食欲も戻ってきましたし、酸素をつけていれば普通に生活できます。

父の住所を移し、介護保険などの手続き、諸々に奔走する日々です。

これからのことを考えると不安です。

でも私には支えてくれる家族がいますので、大丈夫です

いろいろなことがあった1年、少しずつ記録していこうと思います。

はまっていたのは「女城主 直虎」でしたし、夏には家族旅行も行きました。

また近いうちにアップしますね!

 

 

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