魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

救急車は2度目

2016-05-26 23:44:24 | 健康

「死ぬかもしれない・・・」

そう思ったのは、人生二度目のことだった。

鬱での希死念慮とは違って、物理的に「死」に直面したのは、大学生の時に被災した阪神大震災で箪笥の下敷きになった時の事。

今回は自分の頭のなかで何かが起こっている。

なんで?わたし、なにかしたっけ?

野菜も食べてるし、肥満でもない。

思いつくのは、寒い霙降るマンションの廊下で、野ざらしにして出されていた私と娘の荷物を段ボールに詰めて引越しをしたこと・・・。

姉と義兄が手伝ってくれ、業者も入ったけど、ずっと下を向いて作業していたし、水分も摂ってなかったかも。

でもまさか・・・脳血管障害だなんて。

 

引越しの次の日、朝、少し早く起きたので、日記をつけていた時に急に首が痛くなった。

そしてめまい。ぐるぐると高速で回る天井。

しばらく休んだけど、吐き気がきた。

今までに経験したことのない激しい嘔吐。

病院に・・・でも保険証を元夫に返してしまって手元にない。

吐いてからめまいもおさまった。

昨日食べた何かが悪くなってたのかも・・・そんなふうにごまかして、後ろ頭が痛む頭痛をやりすごしていた。

鎮痛剤が効かない、鈍い痛み。

でも明日は土日。父が心配するので自費でいいので近くのMRIを撮ってくれる脳神経外科へ。

結論は「脳も血管も細かくみたけど、きれいなもんだよ」と医師。

じゃあ脳じゃないんだ、一安心・・・と帰宅してから夕方、また吐いた。めまい。

病院で処方された薬を飲んで休んだ。

脳じゃないなら三半規管か・・・耳鼻科に行こう、と思って寝て、朝起きたら顔半分が下に下がっている気がする。片目がちゃんと開かないのだ。

おかしい。これはおかしい。

でも脳に異常はないってことだったではないか・・・

もう座れない。座ると右に倒れてしまう。

歩いても右に行ってしまう。

姉を呼んで、下まで付き添ってもらって病院に行こうと思ったのだが吐いてしまった。

これは異常だ、おかしい、なにかが起こっている、耳鼻科どころじゃない、外来してる場合じゃない。

「救急車呼んで」

と姉に頼んだ。

救急車はすぐ来て、車内で隊員にいろいろと確認される。

わたしは話せるし、意識もはっきりしてるし、手も足も上げられる。

「脳外科の先生にみてもらってるんですよね?」

と半信半疑という感じ。

でも絶対、この目が開かない、頬が下に下がってる感じはおかしい。

近くの病院に受け入れてもらえたのですぐに運んでもらう。

医師も半信半疑といった感じだったが、MRIなど検査に運ばれた。

MRIはほとんど意識なく、一回「もうちょっと撮りますね、大丈夫ですか?」と言われて再度、そして「もう少し大丈夫ですか?」と言われたときに「あ、これはなんかあるな」と感じた。

「おかしい」とは思ってたけど「自分の身に起こるなんて、冗談でしょ」っていう気持ちが吹き飛んだ。

脳に何か起こっている。

おいおいおいおい!昨日の夕方6時に何もないって言われたよ!

あとからよくよく考えたら、それから発症して処置が早かったから、今こうしてパソコンのキーを打ててる自分がいるわけです。

DVで通報、家出、離婚と、自分の身に起こったこととは思えないくらいのことが降りかかってきて、今度はなんなの・・・死ぬの?

そうなるとやっぱり娘のことが猛烈に心配になってきました。

困ったな、そしたら元夫に親権がいくんだろうか?姉の養子にしてもらえないだろうか・・・遺言書いておくんだった、遺言書いたらそれは有効になるのかな?とか。

でも、それからもう意識があまりありませんでした。

コメント (2)
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長い夢から醒めて

2016-05-26 23:01:08 | 離婚

こんばんは、お久しぶりです。

長らくご無沙汰しております。

昨年夏に母を亡くしてから、本当にいろいろなことがありました。

結論から言いますと、転居し、離婚しました。

夏に母が亡くなった時に、決定的なことが起こりました。

結果、警察を呼び、その次の日に私は娘と一緒に元住んでいたところに帰りました。

端的に言うと、逃げました。

警察にはよく注意するように言われ、保護命令を家庭裁判所に出してもらうようにすすめられましたが、弁護士が「それをすると逆上して交渉しづらくなる」と言われて断念しましたが、警察には「じゃあ弁護士が何かあったら責任とってくれるんですか?」とも言われ、かなり迷いました。

とにかく夫とは接触しないようにしていましたが、携帯を急に止められたり、メールが来たり、いやがらせは続きました。

夫に会ったのは離婚が成立し、自分と娘の荷物を取りに行ったときだけでした。

その時も部屋に入れてもらえず、私と娘の荷物と家具が、霙降るマンションの廊下に出されていました。

離婚に至る交渉は、弁護士を挟んでのものでしたが、とにかく私が憎くて仕方ないんだな、という気持ちが伝わってきました。こちらが誠実に対応しても無視やごまかしでとにかく話が進まず、娘のことも一切話がありませんでした。

すっかり「ああ、この人と離れてよかった!あんな地獄から逃げてよかった!」と心から思わずにいられませんでした。

逃げてきた日は「ありのままに」を非常階段で歌いましたよ。

離婚届けを出した時の解放感といったら、人生の中でこんなにも「自由だ!」という気持ちを味わったことがないくらいでした。

本当に、いろいろないやがらせは度々今も続いており、私の親にまでされています。小さな、本当にいやらしいものです。

そして娘の誕生日に、娘がパパと話したい、というので電話しましたが出ず、メッセージを残してもコールバックがありませんでした。

娘は「冷たい・・・」とつぶやいていました。

私はこれで、もうこのまま夫とは関わらないようにしようと思いました。

本当に、夫の憎しみはすさまじいもので、「この人、仕事してるんだろうか・・・」と心配になるレベルでした。

よくこんな人と8年も暮らしてこれたものだと思いました。

もともと、こういう人だったのか、変わったのか・・・どちらでもいいです、もう他人ですから。

今も娘のことで「あのまま我慢していたら良かったのだろうか」とふっと思うことはありますが、やはり何度考えても「暴力はだめ」ということに返ります。

今、娘はお友達に手を出してしまうようになってしまっています。就学した直後は授業中の立ち歩きや、お友達と揉めることが激しくて、今はかなり落ち着きましたが、支援学級にうつることも視野に入れて、専門各所や学校と話し合っているところです。

本当に、早く離れれば良かったと痛恨の思いです。

娘に対しては、これからずっと、可能な限り償っていくつもりです。

私の8年にわたる結婚生活は終わりました。

長かった私の想いも、通じることなく終わりました。

あんなに好きだった人が大嫌いになることってあるんだな、と思います。

そして愛情が通じない人もいるんだな、と思いました。

夫と暮らしていた時の、自分が記号のように扱われる感じ、自分の言っていることを聞いてもらえない、あの感じ。

本当にぞっとします。

「NO」を「NO」と聞いてもらえない、人間扱いされない感じ。

今は家族といて、そんなことはなく、本当に人間に戻った気がします。

離婚は本当に大変です。

でもあのままいたら、私は死んでたな、と思います。それか刺すか刺されるかしていたでしょう。

元夫は、私の友達の家まで押しかけて「ここにいるでしょう、妻を出してくれ」と詰め寄り、いないと分かると「DVはなかった、誤解させた、ここに自分が来たことは妻には言わないでくれ」と口止めし、恐怖を感じた友達は私に連絡してくれ、警察にも動いてもらいました。

娘が行くはずだった小学校にも「DVではない」と電話したり、私の学校にも来ていたことが分かっていますし、多分幼稚園にも行ってるんだろうと思います。

本当に恐ろしく感じます。

夫がそんなことをしてどうしたいのか、はっきりとしたことは分かりません。

私には彼の気持ちは理解できません。思考回路も理解できません。

本当に、全く違う星の人と話しているかのようです。

夫はこのブログも突き止めて見ていました。それでかなりの記事を見えないようにしました。

今も見ているのでしょうか。

私は元夫がどう生きようと、もう関心がありません。

娘のことも含め、本当に、離れて良かったと思います。

私は私の人生を取り戻しました。

元夫は、私の人生から完全には消えませんが、私の人生は私のものになりました。

完全に、夢から醒めました。

全部ではありませんが、少しずつ、記事をアップしていけたらと思います。

継続してご覧いただいている方は、本当に感謝しています。

私が独身時代から結婚、離婚に至るまで、実に10年をこえたこのブログ。

覚醒ののち、わたしの人生の後半、どうなっていくか記録していきたいと思います。

これからもよろしくお願いいたします。

 

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