魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

生まれた?

2010-02-08 18:48:58 | ママになれるかな編
出産編です。

分娩室に移ったわたし。

そこではなんと、光でも血圧が上がるので顔にタオルをかけられて、陣痛を耐えることに
陣痛…それは下に抜ける、経験したことのない痛み。ぎゅうっと身体が絞られる感じ。

いきみを最後に逃しながら耐える。
声を出したら痛みが散った感じだったので、我慢しないで声を出していた。

そしたら体力がなくなってきてしまった

「すみません、このいきみのがし、あと何回くらいやればいいんでしょうか?」
と聞いてみたら、
「う~ん、あと100回はしなくていいと思うよ」
というお答え

「すいません、食事もよくとってないので体力が持つかどうか…」
と弱音を吐く。
「だいじょ~ぶよ~
と軽くいなされるが、助産士さんもそう言うしかないだろう…と今は思う。
だって、3日前から痛いんだよ?ろくろく2日寝てないんだよ?しかも今日一日中痛いんだよ?
でも、もう辞めるわけにはいかないし、ここで帝王切開なんてやだ。

どうにかして最後まで体力を持たせる方法はあるか?

わたしは今まで読んだ出産本、たまごクラブの体験談、出産経験した友達の話を必死で検索した。
そうだ昨日、言ってた!
「声を出さないで、その力をいきみにまわすんだよ」

わたしは声を出すのをやめた。
あ、大丈夫かも。

手でつかまってるのも体力消耗するかな。
力入れない方がいいかな。
いろいろ考えながら試してとにかく体力を温存しようとし始めた。

なんかはさまってる…という感触がしてき始めたとき
「たまご大くらいに頭が見えてきましたよ~」
という声。
しかし「まだたまご大かよ…」と感動もない。
とにかく、ゴールが見えないから、必死だ
そして「こんなに力入ったら、血圧上がって血管切れることもありだろう」と思った。

なんか大分はさまって、局部が伸びていたたた…これ切れそうなんですけどっていうくらいになったとき、分娩台にチェンジ。
3人助産師さんが入ってきた。
この状態でようやく出産か…というところまで来る。
この時、多分4時ごろ。
黒い大きなサングラスが、ライトを遮るためにかけさせられた。
だから、出産の時の写真は、あぶない刑事のようになっている。

立会いなのに、夫は間に合うのか…

少しずつ、ほんとーに少しずつ、これはわたしが会陰切開を希望しなかったから、ゆっくりと出してくれていたのだが、赤ちゃんが出てくる。
局部は「もう無理です」ってくらい伸びてる感じ。

「旦那さん、まだかしら~?」
わたし、「間に合わなかったらいです、もう」
っていうか、もう早く出してくれって感じです。

そこに夫登場。
「水いる?」
「手を握ってようか?」
といろいろ話しかけてくるのだが、もうわずらわしい。
助産師さんたちの会話もわずらわしい位、集中していた。

というのも、もう体力がなくなりかけていた。
全身で陣痛の波をうかがい、とらえてそれに乗らないと、子どもを押し出す体力が、尽きかけていた。
もう少し、もうきつい、でもやるしかない。

「はっはっはってのがして」
と助産師さんの声。
これがきたら終わりだ

と思ったら
「あ、ごめんなさい、もう一回」

がっくーん

でもがくーんとしている場合ではない、もう一回。
波をとらえて押し出す。

「産まれました~
その瞬間、お腹がすっごくすっきりした。なかにあったものが、あたたかい水と一緒に出てきたのが分かった。
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お久しぶりですみません。

2010-02-06 17:03:53 | ママになれるかな編
いや~、育児って大変ですね

お久しぶりです、リツコです。

前回のブログ、生まれてないですよね…。すいません…。

実は、育児での寝不足か、はたまたこまけー夫との結婚生活のストレスか、病気になってしまいました、リツコです

しかも難病指定です。
内視鏡検査をして、組織検査の結果を聞きに行ったら。

あ、子どもが泣いてます。
ちょっとまた近々更新しますので、申し訳ありません!
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生まれた~!

2009-11-13 22:55:02 | ママになれるかな編
っていうか、6月だったんですね・・・更新したの
すみません
すごい間、あいてしまいました・・・。

赤子も生後6ヶ月をこえ、大分赤ちゃんから幼児へ・・・。
この半年間、忙しかった・・・。

この2ヶ月、実は赤子の股関節に問題があり、「臼蓋形成不全」と診断され、コルセットを着けているのです。
これが赤子、いやでいやで・・・いまだに着けるとき泣くんですよ。
そして夜、夜泣きをするようになってしまったんですよ
それとのたたかいで、なかなか壮絶な日々・・・。
この症状、遺伝が大きいとのこと。
しかも、それってわたし・・・わたしも赤ちゃんのとき、同じだったんです。
赤ちゃんのときにちゃんと治せば問題ないのですが、やっぱり自分の方の遺伝で・・・っていうとへこみますわ
かわいそう・・・って親がへこんでる場合じゃないんですけどね。
ちゃんと治るんだし。
でもちょっと夫婦仲もぎくしゃくしたりしました。

ちょっとちゃんと最後まで出産の顛末、書きますね。

3日目夜。
実は実母と夫はあまり折り合いが良くなく、結構わたしは気を遣って疲れてしまっていたんですね。
夫の手前、母が突然来たことに対して感謝できずにいたのですが、やっぱり実母。
いざという時は頼りになるというか。
マッサージも夫より母のほうがうまいし、いろいろと頼みやすい。
だからふたりで張り合うようにいてもらっても、結構板ばさみでつらかった。

そこに助産師さんから
「どちらか帰ってもらって、ひとりがベッドで休んでもらって、リツコさんは分娩室に移ったら」
という提案が。
「やっぱりお母さんの方がいいと思うわ」
と言ってくれ、夫に帰ってもらうことに。
動きがあったら連絡するということで。

すっごくほっとしました。
しかもこの助産師さん、マッサージしてくれたらほんと痛みがやわらいで、シャワーも浴びることもできたほど。
助産師さんのアドバイスにしたがって、分娩室に移ることに。

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妊娠中毒症

2009-06-30 00:06:27 | ママになれるかな編
退院してから、偶然観たニュース番組。
「妻はなぜ死んだのか」
という特集。

それは、40歳で初産だった妻が、夕方5時に入院し、8時に出産、その後次の日の8時に病院から呼び出されて行った時にはすでに亡くなっていた、というもの。

奥さんは血圧が高く、出産中に降圧剤を投与し160台に下げたのに、また上がってしまい、出産後も要注意としてナースセンターの近くに、自動血圧計を着け入院していたそうです。
それなのに、2時の巡回を最後に、7時まで巡回が行われず、おそらく4時頃に脳内出血を起こし、そのまま気付かれずに亡くなってしまった。

妊娠中の高血圧は、そのくらい危険なものだったのです。

夜も血圧を測りに来る助産師さんに、「おおげさっすよ」なんて思っていたわたし。
でも、わたしも高齢・初産で高血圧。テレビを観て、ひとごとじゃないな、と思いました。
要注意の妊婦だったんだろうと、今は分かります。
そして出産が済んでもこのまま高血圧が定着してしまうこともありうる。
高血圧は自覚がないので、突然脳梗塞や心筋梗塞を起こす。
高血圧の怖いところです。
なので、出産後安静にして、後遺症が残らないようにしなければなりません。

わたしはそういう妊婦だったのです。

先生は
「うーん、血圧見ながら、自然分娩か帝王切開か」
とのこと。
「できれば自然でお願いします」
というわたし。
しかしあとになって後悔することになろうとは・・・。



入院二日目。

一日目の夜は、
「あいたたた」
というくらいの痛み。
図書館で借りていた林真理子のエッセイを読んでしまおう。
そんな余裕がありました
読んでると痛みがまぎれるので。

次の日は定期的に痛みが来ました。
朝の内診で
「子宮口は3センチ開いてるね」
とのこと。
「これから最短で12時間でお産が始まる」
え~半日もあるの
なんて思いましたが・・・甘かった
半日どころじゃありませんでした。
「まだまだお産の顔になってないよ」
という先生。

痛みの合間に食事を取りました。
病院の食事は口コミにあった通り、美味
減塩・カロリー制限があるものの、とっても美味しい。薄味とは感じない。
2分間隔くらいの陣痛がありました。
たまに
「うう
という痛みがある。おまけに子供が動く。これは痛いです。

友達が顔を出してくれました。
ベビモという雑誌を持ってきてくれ、
「話せるくらいだったら大丈夫だね
というので
「もっと痛いの~?あいたたた
と聞くと
「もう口きけないよ
と言う。
「いきむ時は声を出さないで、その分のエネルギーをいきむのにまわすといいよ」
というアドバイスをしてくれました。
この友達のアドバイスが後にとても役に立つのです。

そしてその夜。
うとうとするのですが、痛くて眠れません。
陣痛というのは痛いのは1分。必ずインターバルがあります。
そのインターバルにうとうとうするのですが、痛みがきて寝ていられません。
それが一晩中続きます。
結構へとへとで、夜が明けました。

入院三日目。
朝、げっそりして内診です。
先生は
「大分、お産の顔になってきたね」
と。もうわたしは
「痛いですう」
と言うしかなく先生の言った意味がわかりました。
内診で
「子宮口は6センチだね」
まだ6センチかあ
全開にならないと、産まれない。全開とは10センチ。まだ6割。
寝てもいないわたしはげっそり。
そしてその日一日、さすってもらわないと耐えられない陣痛が続いたのです
もう、自分ひとりで我慢してやり過ごせる痛みは超えました。
夫と、急遽来てくれた母が交代で腰をさすってくれました。
さすってくれないと、耐えられない痛み。
下に抜ける、初めて経験する痛み。
陣痛は1分間隔で丸一日。
痛さに汗が出てくる。
そのまま夜になりました。

こんなにも長くかかるなんて、想定外でした
周りは
「入院して半日だった」
とか
「12時に入院して、子宮口開けてもらって19時に生まれた」
とか。
こんなに時間がかかった人なんていない。
たまごクラブで
「2日かかりました」
とかの人のことは人ごとだと思ってた。

助産師さんは
「これで朝になったらきっと促進剤投与するなりになると思いますよ」
と言ってくれたが。
「これでまた夜耐えるのか
と思うと、きついなあ~もつのかな、と不安になりました。
1分ごとにくる陣痛を、また夜明けまで。
その後、促進剤で進んでも、そこからお産ができる体力がのこっているのか。

付き添ってくれた夫と母も疲労がたまってきてました。
一日、陣痛が来るたびに腰をさすってくれていたのですから。

終わりが見えない出産。
「もう切ってくれ~」という気持ちになってました。
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ママになりました。

2009-06-29 23:43:23 | ママになれるかな編
長らく更新せずにすみませんでした

おかげさまで、5月上旬、なんとか出産できました
帝王切開にはならず、自然分娩で女の子を出産しました。
その後、ほんと~にいろいろあって
出産も三日かかり、その後もすごいごたごたがあり、姉の所に行っていたりしてのびのびになってしまいましたすみません

「リツコ、死んだんじゃねーか」
と思っていた方、いらっしゃったかな~。

死にはしませんでした。
でもね、人生で一番つらい日々でした。
出産して、こんなにつらいなんて、思ってもみませんでした。
もちろん、出産後の体のつらさ、それもありましたが、
両家の常識の違い、子供にたいする思い、他者に対する気遣い。
そういうものが「出産」というイベントにおいて、
こんなにも出てくるものとは、わたしはまったく思ってもいなかったのです・・・

出産とその後において、わたしの夫への愛情はまったくなくなってしまいました。
それだけのことがありました
そして、夫の両親はこの間まで孫に会えませんでした。
いろいろな事情があり・・・それは自業自得、といってしまえば言い過ぎと言われる方もいるかもしれません。
これはおいおい書けたらと思います

さて、管理入院になってしまったリツコ。
入院する予定の朝4時半、トイレにいったらおしるしが。

おしるし。
これは出血があるのですが、これがあるとすぐ~一週間の間にお産が始まるという前兆です。
姉はこれがあったあと、一日たたずに産まれてました。
だから、わたしもすぐに産まれるものと思って入院したのです。

それから、あんなに時間がかかる苦しいお産が待っているとも知らず・・・

本当に、出産というのは個人差があります。
今回、7人出産したある人が言っていましたが
「お産は十人十色」

ほんとにそのとおりだと思いました。

姉は、夕方5時におしるしがあり、病院にいったら帰されてしまって一晩苦しんで朝方入院し、昼12時前には産まれていたという安産。
だからわたしもそのコースだと思っていたんです。

しかし。
わたしは高血圧症。
つまり、妊娠中毒症だったのです。

「妊娠中毒症」
これになると大変、とどの本にも書いてあったので、ならないようにしようなんて思っていたけど、ばっちりなってしまったのですね。
高血圧症、と聞いていたのでばかなわたしは自分は中毒症ではないと思っていたのですが、なんてことはない、呼び名が変わっただけのこと。
そして怖いのが、中毒症で出た症状、
つまり高血圧をはじめ、尿蛋白、つまり腎臓障害など、妊娠が終わったあとも後遺症として残ってしまうことがあることです

それを避けるためにも、出産後は十分に体を休めなければなりません。

わたしの場合、入院してすぐ、血圧を測りました。
そして部屋はカーテンが引かれ、薄暗い。
これは血圧が、光を浴びただけで上がってしまうからなのです。
定期的に血圧が測られ、常に「目がちかちかしたり、頭痛はしませんか?」
ときかれました。
わたしは
「なんかおおげさだな~」なんて思っていたのです。(馬鹿・・・

夫がちょうど休みなので、付き添ってくれ、食事もふたりでぱくぱく食べていたわたし。
入院一日目は
「あ、いたたたたた」
くらいのもので、まだ余裕だったのでした

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新しいステージ

2009-05-03 15:18:18 | ママになれるかな編
ずっと更新していず、誠に申し訳ありません
季節はもう春から初夏にうつってしまい・・・
いろいろあった妊娠生活も、もう終わりに近づきました。

実は予定日が間近に迫っているのですが、妊娠中毒症になりかけていて、ついに明日から入院、となってしまいました
高齢出産、恐るべし・・・です。
蛋白が出たな~と思っていたら、通常上が100、下が60くらいの血圧が、130-80を越えてきて、おおと思っていたら
「明日から入院ね
みたいな感じで・・・。

ここのところ
「子どもが産まれたら何も出来ない
という焦りから、いろいろやりたいことを詰め込みすぎて動きすぎたのでしょう・・・。
臨月だっつーのに換気扇の掃除してみたり・・・普通、里帰りしてのんびりして「太っちゃった~」なんて言ってる時期なんですが、わたしは里帰りしないもんで、普通に家事して夫の世話して、赤ちゃんのスタイとか手縫いで作ったり(ミシンないもんで)根をつめてたんですね
まさか妊娠中毒症になりかけてるとも知らず・・・。

減塩の食事をしたり気をつけたんですが、また蛋白が出てしまい、まああと少しで予定日なので、経過をみながら・・・という感じの入院になったのでしょう。

夫は、ふたりの生活がそろそろ終わりということが寂しいらしく、しきりに甘えてきていたのですが、わたしの方はお腹は重いは好きなものは食べられないわ、しんどいわであまり気にしてなかったんです。
「もう少し2人でいたいなあ・・・」
なんて可愛いことを言っている夫。
しかしもう父になってもらわなくてはいけません。

でもさすがに今日、入院を言い渡され、今日で最後、と思うと帰り道泣けてきました
まだやりたいことがあったような気がする・・・。
夫との時間をもっと大切にすればよかった・・・。

そんな気持ちが湧きあがってきました。
もっと食事に気をつけていればよかった・・・。
自然分娩できるかな・・・。
陣痛促進剤を使うのかな・・・。
最悪、帝王切開になっちゃったらどうしよう・・・。

ぐるぐる、後悔が回りますが、もうどうしようもありません。

夫は赤ちゃんを迎える準備にとても協力的でした。
お風呂掃除や洗濯など、休みの日にやってくれて、ベビーベッドも組み立て、部屋を整え、足りないものを買出しに行ってくれました。
ここまで協力的にしてくれるとは、正直思ってなかったです

わたしたちは晩婚なので、双方の両親も若くなく、わたしの実家も遠方なので基本、自分たちでやらないといけない、と覚悟しています。
地方であるわたしたちの住む場所は、実家が近くても里帰りし、産んだあともなにくれとなくお嫁さんの実家に世話になるか、もしくは夫の実家と同居・または近くに住み両親に助けてもらい、夫はあまり家事・育児に協力しないという土地柄です
そんななかでわたしのケースは珍しいと思います。
なので夫には「ふたりで育てると思ってほしい」とよくよく言ってあります。
ふたりの子どもで、近い将来、両親に頼るどころか介護が待ってる、それが遅く結婚したわたしたちの場合だから、と。

彼の良いところは直す余地があるところだと思います。
話せば分かってくれるところが多い。
柔軟性があるところ、基本、素直な人です。

今日まで、大きいお腹を触り、話しかけ、病院に何回も付いてきてもらい、エコー映像を見て成長を見守ってきました。
むくんでお化粧もしていないわたしを「お前、かわいいなあ」と言ってくれ、一緒にお風呂に入り、背中を流し合い、いろいろなことを話しながらベッドに入り、寝顔を見ながら眠りました。
そんな穏やかな日々は今日で終わりです。

子どものことで諍いになることもあるかもしれない。
ふたりだけのことだけを考えていれば良い時期は終わり、今度は「父」「母」としての役割がはいってくるのです。

わたしたちは次のステージに進みます。
どんな日々が待っているでしょう?
子どもが無事に生まれること、それがまず第一の、何よりの願いです。

今までもなかなか更新が遅いブログでしたが、これからちょっと難しくなるかもしれません
でも続きもきっと書いていきたいと思っています。
読んで下さっている方、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします
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その後。

2009-03-14 14:06:27 | ママになれるかな編
あの騒ぎから、一ヶ月がたちました。

その後、わたしは三日夕飯を作らず、夫の世話を一切しませんでした
起き上がる気力もなく、食事もほとんど摂らず、2キロ痩せました。
赤ちゃんには申し訳ないことをしたと思います。ほんとに可哀相だった
三日たって、夕飯を作って夫を待ちました。普段通りの日々が始まりました。

夫のことは、
「こんな人なんだ」
と思うようになりました。

あきらめでもなく、冷めたのでもなく、単に「こういう人なんだ」と。

育ってきた環境も、親も違うのだから、感じ方や接し方が違うのは当たり前なんだ。
交際期間が短かった分、知らなかった面がたくさんあり、3歳年が上でも男の人は結構こどもなんだ、と分かりましたし。

出勤前に話した時間は、約1時間くらいでした。
夫は謝って出勤していきました。

「ここにいたくなかったら、元に住んでたマンションでお姉ちゃんのそばに帰ってもいいよ」
と言いました。
「気持ちがなくなってしまったのは仕方ない」
とも。

メールで
「再会したリツコが、僕が出会った女性の中で一番だった。素晴らしい愛情を僕に注いでくれた。
 もう僕への愛情がなくなってしまったとしても、しようがないじゃなくて、今後そんな気持ちにさせないようにしなければならないよね。
 傷つけてしまったことは本当にすまなかった。結婚してからの日々でよかったと思えるように、これから頑張ります。」
と送ってきました。

夫は優しい人だと思います。

夫はわたしを大切にしてくれていると思います。

話せば理解する努力をしてくれる人だと思います。

ただ、とても無邪気な人なんだと思います。
わたしと違って。
とても幸せに、とくに、お母さんに無条件に愛されて、どんなことでも受け入れられて、許されて育ってきた人なんだと思います。
幸いなことに、ほとんどの女性が、同じように彼を扱ってきたのだと思います。お母さんほどではなくても。

そして今、彼はお母さんと同じように、自分を愛して許してくれる妻を手に入れたと思っていたのでしょう。
でも、そんな人はいないんだと思います。

それは、わたしが「自分の両親のように」わたしを愛してくれる夫を求めても、そんな人はいないように。

夫と自分は違うのだ。

そういうことがほんとに分かってなかったのは、わたし。

人は同じではない。
ひとは一人で生まれて、ひとりで行く。
どこまでいってもそれは変わらないんだと思います。
たとえ夫婦になったとしても。

それをふまえた上で、夫と今後夫婦としてやっていくことを考えていけば、と思います。

とても冷たい夫の一面を、今回も見ました。
でも、それがひとというものなんだろうな、と思います。

夫婦ってなんなんでしょう。
どこまで分かり合えるものなのでしょう。

友達にちょっと話したら、
「それは恋人から家族になったんだよ」
と言われました
なるほど。

今も、夫に対する気持ちはちょっと変化したまま、戻っていません。

冷静に、見ています。
「こんな人だから、こうしていかないと」
という気持ちで見ています。

それは、考えてみたら
「こどもが生まれたら、家族として共同体としてやっていかなくてはいけない」
という準備なのかな、とも思いました。

ほんと、触るのもいやだったけど、今はそこまでではなく、普通に接しています。

「夫が一番好き
だったら、悪いことはないけど赤ちゃんは「それじゃあママ、困る」と思ったのかな?

あながち、妊娠したことが今回の気持ちの変化とは無関係ではないと思います。
妊娠中のブルーってあるみたいだしね。

なんにせよ、わたしたち夫婦も、違うステージに上がったようです。

追記
出産まであと二ヶ月足らずになりました。
しかし、ふたりの間にあったことを思い出す作業が、意外にもつらく、思わぬ余波もあったりして出産までに書ききれるかな~?と心配になってます。
胎教に悪い~



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失ったもの。

2009-03-14 13:18:45 | ママになれるかな編
夫と出会って10年。

その間、何があっても、何をされても変わらなかった「好き」という気持ち。

それがある日、まったく無くなってしまった。

一日、わたしは混乱し、泣いていました。
そして夫にメールを送りました。
「ずっと根本にあったことを言います。
 あなたとあなたの両親は、結婚してくれるなら誰でも良かったのではないですか?
 結婚したいから、昔関係があった人に当たってみて、それでわたしが来たのではないですか?違うと言えますか?
 
 3回もお別れして、破談にもなりかけて、結婚してからも嘘をつかれ、それでも人は盲目的に信頼し愛せると思いますか?
 あなたが求める、自分を許し、愛してくれる女は、最初にあなたをただただ好きだった昔のわたしでした。
 でも愛すること、信じること、自分を大事にすること、すべて粉々になった。それを長い時間をかけて集め、修復していくことを支えてくれたのは、家族や友人たち、そしてわたしを愛してくれた人たちでした。
 あなたに会わなかった年月、わたしは必死になって生きてきました。
 
 この一年、あなたへの信頼を築く接着剤となったのは、尽きることのないあなたへの見返りのない愛情と、あなたの優しい心遣いと夫婦としての生活でした。
 それでやっと一年が過ぎ、子供も授かった。
 わたしがあなたを愛する努力をせずにきたと思いますか?
 まっさらな気持ちで、あなただけを単純に愛せてきたと思いますか?
 
 いさかいがあるたびに、いつも心の底で思っていました。
 昨日、何があったか訳ではないけど、もう何も感じなくなりました。
 わたしは、あなたにされたことを許せないのかもしれない。

 結婚したら・・・子供が生まれたら・・・きっとなくなるだろう、と思って言わなかったけど、心の底にある思いは消えないまま、何かあるたびに浮かび上がり、築いたものを壊す。
 これがわたしの気持ちです。」

 それに対しての返信は

「ぼくはきっと病気なんだね。
 たくさん傷つけてごめん。ぼくはダメな人間だね。
 すべて中途半端なのかな?メールありがとう」
というものでした。

夫の顔も見たくなくなってしまった日、夜、ご飯は作りませんでした。

夫は帰宅して、自分でインスタントラーメンを作って食べてました。
わたしにもおにぎりを買ってきてくれてました。
そして、夫はこたつで寝ていました。

次の日の朝、夫はいつもより一時間ほど早く起き、もう出勤できる支度を済ませて、わたしが寝ている寝室に来て言いました。

「それで、ご飯も作らず、何もしないで、これからどうするつもりなの?」

言った言葉がこれでした

わ~お。
家事やらないなら、どうするの?
ってこと?

全然分かってないし、応えてくれない。
この人と、一緒にいる意味はあるんだろうか・・・。

そう思いました。
目の前が暗くなっていくような気がしました。



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豹変3

2009-03-07 11:42:09 | ママになれるかな編
そしてもう一つ、わたしの心の底にあったもの。
それは
「彼は結婚したかったから、結婚してくれるのなら誰でも良かったのではないか」
ということでした。

なぜわたしがそう思うようになったか。

それはやっぱり展開がすごく早かったこと

彼は5年近くまったく音信普通だったわたしに電話をかけてきたのが7月あたま。
そして入籍したのは11月でした。

一度破談になって、家を出て一人暮らしをしていた彼は、相当寂しかったんだと思います。そして、家事をやってくれる人が欲しかったんだと思います。

1年位前、わたしは彼の古い携帯メールを見たことがありました。
それで前の彼女のことについての嘘も分かったのですが。
彼が他に昔かかわりがあった女性に送っていたメールがありました。
それは、わたしに連絡を取る前の1,2ヶ月前に送信していて、かなりの部分、わたしに送ってきたメールと同じ文面のものだったのです。

それを見た一年前。
「ああ、誰でもよかったのか・・・結婚したかったんだな。結婚してくれる人を、彼は探していたんだな」
と思いました。
そこでわたしが引っかかってきた。
東京に行って、テレビでも取り上げられるような仕事をするようになっていた。
これはいい、と思ったんでしょう。
でも、あとからいろいろ、母のこととか面倒なことが出てきて、破談になりかけたけど、まあここまできたら仕方ない、と思ったのか結婚にこぎつけた。
二度も破談は世間的にもまずいし。

そう思いました。

でももう結婚してしまったし

何より彼のことが好きだったから。

それでもいいと思っていた。

「結婚してくれるなら、誰でも良かったんだ」
という思いは、ずっとそれからわたしのなかにあったのです。

でも、今、夫と、夫の両親が憎くて仕方なくなってしまった。
誰でもいいなら、別に私じゃなくていいなら、わざわざ大事なものをすべておいて来ることなんてなかった。
そういう思いがわき上がってきたのです。

夫は、わたしが携帯をみたことも知りません。
普段は夫の携帯なんて、まったく興味がないので見ることもないです。

忘れていた、忘れようとしていた思いが、表面に出てきてしまった。

不思議なことに、夫への変わることがないと思われた愛情が、わたしのなかから消え失せてしまったのです。
まるで、最初からなかったもののように。

夫の姿は何よりも愛しいものだった。
夫が寝ている顔を、なんとしても守りたいと思った。
夫が喜ぶ顔が見たいと思った。
夫の喜びが、わたしの喜びだった。
それが、わたしの生きていく、行動する基準だった。
生きていくうえの、決してなくなることがない気持ちだった。

それが、ある朝、わたしにとって、夫はただの男になってしまったのです。
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豹変2

2009-03-07 11:15:03 | ママになれるかな編
でた~!
夫の
「やってやってるのに」

これも喧嘩の原因のひとつ。

わたしも黙ってなくて
「じゃあ言わせてもらうけど」

妊娠してから8ヶ月、いくらわたしが妊娠に関する本を読んで欲しいと言っても「そういうのはお前が考えてやってくれ」
子供の名前を考えてと言っても
「試験があるから、それ終わったらやる」

でも、ネット・オークションだけは睡眠時間削ってもやってるよねと。

別に、何が重要かをジャッジするのはその人だと思う。
だからわたしの体のことを考えたり、子供の名前を考えたりすることより、オークションが大事なら、それはもう仕方ないと思う。

確定申告のようなことは、夫がやればいい。
わたしは彼がやらないことをやっている。
それで何がいけないの?責められないといけないの?

自分はよくて、わたしはだめ。
「ジャイアンか、お前は

そうしたら反省していた。
別に、謝って欲しいとは思わないけど。
「子供の名前も考えるし、妊娠の本も読む。産後に備えて料理の勉強もしたいから、教えて」
と言ってくれた。

この人の好きなところは、改善するキャパを持っていること。
いつもここに落ち着いて終わる。

しかし今回は違ったのです。

口論の途中で
「子供の名前なんて俺が決めるんだ。お前の実家にいろいろ言われたくない」
と言われた事なのか
「すぐ実家に帰るとか言って、恥ずかしくないのか」
と言われた事なのか。
(わりと頭に来ていると、夫はすごいことを口にすることがあります。
長男様、で相当好き放題なことを言ってきたんだろうな、それが許されてきたんだろうな、と思います。)

夫が謝ってきてからも、なんだか怒りがおさまらないのです。

そして次の日の朝。

わたしはいつもと違うことに気づきました。

起きて、夫の朝の食事と支度を手伝うためにキッチンで用意をしていたのですが。

夫の顔を見たくない。
夫のためになにもしたくない。

そういう気持ちがこみ上げてきたのです。

いつもの口論でした。
でもいつもと違った感情が湧き上がってきた、というか・・・いや、夫への気持ちがまったくなくなってしまったのです。

夫が、始めてみる人みたいに見えました。
なんでわたし、この人と住んでるんだろう?結婚したんだろう?

あんなにひどい目に合わされたのに。
3回も別れて、破談にもなりかけて、捨てられかけたのに。

「なんでこんな人を信じられたんだろう?」

そういう気持ちが、生まれていた。

「何があっても夫が好き」

という、長年わたしのなかに絶対になくならずにあった気持ちが。
自分の身のように、夫を愛して大事に思っていた気持ちが、どこにもなくなってしまったのです

何をするにも、ベースにあったもの。それが夫への気持ちでした。
何があっても、絶対になくならないと思っていたもの。
それが、一夜にしてまったくなくなってしまったのです。

夫の顔を見たくなくて、食事を出したら寝室に戻ってベッドに入りました。
夫は顔を出して
「行ってくるね」
と出勤しました。

おかしい、なんでだろう、どうしたんだろう?
わたしはベッドの中で混乱しました。

考えても考えても、夫がわたしにしたこと、夫の両親がわたしにしたこと、そういうことが思い出されて、悲しくて、悔しくて、涙があとからあとから溢れてきました。

夫と結婚するにあたって、わたしのなかで
「この人を信じていいのだろうか?」
ハードルがありました。

それを越えられたのは、彼の優しさと、自分の彼への気持ちでした。
だけど、信頼というものはレンガを積むように、ひとつひとつ築いていくものであって、一日にして出来るものではありません。

夫との、1年に及ぶ結婚生活の中でようやく培われたものだったのです。わたしのなかで。

逆に、夫は自分のことを思い続けてきてくれたわたし、というものに全体重をかけて甘えてきます。
それはそうでしょう。だって、10年、あんなにひどいことをしても気持ちは変わらなかった女は、わたしくらいなものでしょうから。

とても傲慢に聞こえることだと思いますが、夫への信頼と、夫の私への信頼は、まったく違った経緯を辿っているものなのです。

あれだけいろいろあって、その上で信頼を築いてきたのに、それを当たり前だと思っている、夫の脳天気さに、怒りを感じたのです。

そして、前の彼女のことで嘘を突き通したこと。
これも許せませんでした
流産した直後、夫の嘘が分かり、追及した時に最後まで嘘をついたこと。
そうやって騙していて、信頼に値する人間なの?
そういう怒りもわいてきたのです。

夫が、憎くてたまりませんでした。

なんで、好きだっただけなのに、こんなに苦しまなくてはいけないのか?

そういう思いで頭がいっぱいになってしまいました。



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