こんにちは。
ISISに捕われていた2人の方の消息について、昨夜遅くに報道がありました。
私はツィッターを見ていて知りました。
遠い国での出来事だったのが、突然隣にやってきた、というか。
世界が変わってしまった気がしました。
70年続いた平和が、いよいよ終わりになるかもしれないな、と感じます。
私には5歳の子供がいるのですが、この子を無事に大きく育てるために、今までとは違う注意を払って行こうと思います。
どうか、後藤さんは生きて帰ってきてほしいと祈っています。
先週、亡くなった21歳の猫のお葬式に、行ってきました。
弟夫婦のうちに、新幹線を乗り継いで着いたのは、お葬式の2時間前でした。
和室に、ふかふかなクッションの上に横たわっている猫を見ました。
周りにはお花やご飯の缶詰などが供えられていて、弟夫婦、特に奥さんの優しい気遣いに感謝しました。
私が持ってきたお花をそえて、猫を撫でた時、冷たくて、固くて、ああ、死んでしまったのだ!と事実を突きつけられ、涙が溢れました。
それから子供たちが再会してにぎやかに遊ぶ声を聴きながら、最後のお別れをさせてもらいました。
綺麗なピンク色だったお花と肉球は、少し色褪せていた。
丸い頭は冷たくなっていたけれど、首の後ろの毛はふさふさで、ああ、変わらない、と嬉しくなった。
閉じられた瞳が少し見えた。緑の瞳はもう開く事がない。
触ると怒るので触れなかった、真っ直ぐなシマシマの尻尾。
横たわっているのであまり触れないが、白い胸毛。
肉球は、生涯家猫であったので、すべすべのままでした。
いつまで触っていても、飽きる事なく、この綺麗な猫が、もう失われてしまうのか、と思うと涙が止まらず。
ごめんね、ごめんね、ありがとうね。
生きているうちに、最期のお別れをしたかった。
でもこうして来られてよかった。
うつが悪化するかも、と危惧したけれど、実際見ずにいる方が良くなかったと思う。
わたしが拾った小さな命。ここに終わった。
ずっと一緒にいて、守ってくれた。小さな身体で。
ありがとう、ありがとう、と繰り返した。
弟が万事手配してくれていて、みなで一緒に車に乗って、斎場へ向かった。
途中、少し迷ったら弟が
「ルカちゃん、まだ一緒にいたいのかもね」
と言った。
風の強い、青い空だった。
「天国ってどこにあるの?」
「空のずっと上の方だよ」
「今日は風が強いから、ルカちゃん流されてっちゃいそうだよね。」
「どうやって天国に行くの?」
「タタタター!って走っていったんだよ」
子供たちはタタター!と繰り返して笑った。
そう、気の優しい猫だった。外に出たら、5匹の猫に囲まれて、弟に助けを求めて鳴いていた。
斎場に着いて、綺麗に飾られた。一通りの仕来りが終わり、最期に撫でて、お別れをした。
娘がぽろぽろと大粒の涙を流していた。
いよいよお別れの時が来て、扉の向こうに消えた。
1時間ほど待っているときに、猫と人間の年齢対比表を見たら、20歳以上の猫は
「国宝級」
とあり、本当に長く生きてくれたんだな、と思った。
真っ白なお骨になった猫。
頭に黒い部分があり、もしかしたら麻痺が出たのは、何か悪い物が頭にあったのかもな、と思った。
食べなくなって1週間ほど、寝付いたのもわずかな期間だった。
急に悪くなって、あっという間に逝ってしまった。
あんなに元気だったのに、なぜ?という悔いが、今回お弔いに参加した事で腑に落ちた気がする。
心の整理が少し出来た。
小さな骨壺になって、猫は帰ってきた。受け取った弟の涙が止まらなかった。
一番長くいた、弟。深夜に帰宅した弟につきあってくれたのは、猫だった。
「ただいま」
と声をかけて、ああ、もういないんだな、と思った。
ずっと声をかけ続けた生活が、終わったのだな、と。
それから、弟夫婦と猫のことを語り合った。
元気だった頃から、最期の様子を聴かせてもらって良かった。
最期の治療や、お弔い、というのは、つくづくあとにのこされた人たちが悔いなく悲しみを日常に慣らして行くためのものなんだな、と思う。
今回の事をお友達に話したら、
「動物って、病気やけがを代わりに持って行ってくれるって聞くよ」
と言われたんだけど、今回のことは、両親が避寒にくるために猫の環境を変えてしまった事、それに当たるかと思った。
両親の寿命を伸ばした事が、猫の寿命を縮めてしまったのだろう。
そして、11月末に私が1週間、猫と一緒にぬくぬくと過ごしたことで、わたしの病いも癒してくれた。
優しく、美しい猫だった。
いろいろな想いはあるが、小さな猫に支えてもらった私たち家族。
ひとつの歴史が、彼とともに終わった。
そして、猫がいない世界が始まった。
わたしが泣いていると、娘が気遣って言ってくれる。
「天国で、また会えるよ」
さようなら。また会おうね。