魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

その後。

2009-03-14 14:06:27 | ママになれるかな編
あの騒ぎから、一ヶ月がたちました。

その後、わたしは三日夕飯を作らず、夫の世話を一切しませんでした
起き上がる気力もなく、食事もほとんど摂らず、2キロ痩せました。
赤ちゃんには申し訳ないことをしたと思います。ほんとに可哀相だった
三日たって、夕飯を作って夫を待ちました。普段通りの日々が始まりました。

夫のことは、
「こんな人なんだ」
と思うようになりました。

あきらめでもなく、冷めたのでもなく、単に「こういう人なんだ」と。

育ってきた環境も、親も違うのだから、感じ方や接し方が違うのは当たり前なんだ。
交際期間が短かった分、知らなかった面がたくさんあり、3歳年が上でも男の人は結構こどもなんだ、と分かりましたし。

出勤前に話した時間は、約1時間くらいでした。
夫は謝って出勤していきました。

「ここにいたくなかったら、元に住んでたマンションでお姉ちゃんのそばに帰ってもいいよ」
と言いました。
「気持ちがなくなってしまったのは仕方ない」
とも。

メールで
「再会したリツコが、僕が出会った女性の中で一番だった。素晴らしい愛情を僕に注いでくれた。
 もう僕への愛情がなくなってしまったとしても、しようがないじゃなくて、今後そんな気持ちにさせないようにしなければならないよね。
 傷つけてしまったことは本当にすまなかった。結婚してからの日々でよかったと思えるように、これから頑張ります。」
と送ってきました。

夫は優しい人だと思います。

夫はわたしを大切にしてくれていると思います。

話せば理解する努力をしてくれる人だと思います。

ただ、とても無邪気な人なんだと思います。
わたしと違って。
とても幸せに、とくに、お母さんに無条件に愛されて、どんなことでも受け入れられて、許されて育ってきた人なんだと思います。
幸いなことに、ほとんどの女性が、同じように彼を扱ってきたのだと思います。お母さんほどではなくても。

そして今、彼はお母さんと同じように、自分を愛して許してくれる妻を手に入れたと思っていたのでしょう。
でも、そんな人はいないんだと思います。

それは、わたしが「自分の両親のように」わたしを愛してくれる夫を求めても、そんな人はいないように。

夫と自分は違うのだ。

そういうことがほんとに分かってなかったのは、わたし。

人は同じではない。
ひとは一人で生まれて、ひとりで行く。
どこまでいってもそれは変わらないんだと思います。
たとえ夫婦になったとしても。

それをふまえた上で、夫と今後夫婦としてやっていくことを考えていけば、と思います。

とても冷たい夫の一面を、今回も見ました。
でも、それがひとというものなんだろうな、と思います。

夫婦ってなんなんでしょう。
どこまで分かり合えるものなのでしょう。

友達にちょっと話したら、
「それは恋人から家族になったんだよ」
と言われました
なるほど。

今も、夫に対する気持ちはちょっと変化したまま、戻っていません。

冷静に、見ています。
「こんな人だから、こうしていかないと」
という気持ちで見ています。

それは、考えてみたら
「こどもが生まれたら、家族として共同体としてやっていかなくてはいけない」
という準備なのかな、とも思いました。

ほんと、触るのもいやだったけど、今はそこまでではなく、普通に接しています。

「夫が一番好き
だったら、悪いことはないけど赤ちゃんは「それじゃあママ、困る」と思ったのかな?

あながち、妊娠したことが今回の気持ちの変化とは無関係ではないと思います。
妊娠中のブルーってあるみたいだしね。

なんにせよ、わたしたち夫婦も、違うステージに上がったようです。

追記
出産まであと二ヶ月足らずになりました。
しかし、ふたりの間にあったことを思い出す作業が、意外にもつらく、思わぬ余波もあったりして出産までに書ききれるかな~?と心配になってます。
胎教に悪い~



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くどいと思うけど。

2009-03-14 13:41:48 | 夫のこと

「どうするつもりなの?」

そう言われたわたしは、
「わたしは、メールで聞いたことに答えて欲しい」
と言いました。

「あなたの両親は、結婚してくれるなら誰でもよかったんじゃないの?」
と。

そしたら
「そんなこと知るか」
と言ったんです

これで完全に、あったまきた

それで、
「他の人にも同じメール送ってたでしょう」と聞いたんです。
そしたら
「送ってない」
と言うので。
前の携帯持ってこさせて、そのメールを捜し出して突きつけました。

そんなこと、忘れていたのか、しらばっくれていたのか・・・。

「・・・送ってたね」
だってさ。

それから段々、低姿勢になってきた。

この際言ってしまえと思い、
「悪いけど、一年位前に携帯のメールを見た。
その時に、お義母さんへのメールで前の彼女から鍵を返してもらったってあった。
でもわたしにはそんなことはなかった、押しかけられたって言ってたよね?
そういう嘘を突き通して、それで信用できると思うの?
わたしが、どういう気持ちでずっと暮らしてきたか、あなたには分かるの?
そんな人を信頼できると思うの?
『裏切りは許さない』とか『嘘をついた』とか、ひとによく言えたもんだね」
と言いました。

涙が流れた。
流産したその日、嘘が分かった。
寒い、寒い3月だった。
11月の夫の誕生日が予定日だった。生まれていたら、4ヶ月だった。
何を信じたらよいか、分からなくなった。
そして、嘘を突き通された。
それでも、好きだったから心に蓋をした。

この人に、心はないのか?

嘘をつくことに、良心の呵責はないのか?
人を傷つけたら、その人の「人を信じる力」も殺してしまうことが、分からないのか?
なんでこんな言葉が出てくるの?

自分の選択が、まったくあやまっていたんだろうか?
でも、もうお腹に子供がいる。
ここにこの人の赤ちゃんがいるのだ。

彼が口を開いて、
「こういうメールを送っていたことは忘れていた。
 当時、破談になったあと、実家を出てひとりで暮らしていて、本当に寂しかった。それで誰かと一緒に生きたいと思った。
 それでリツコに連絡を取ったのだけど、それは誰でもよかったわけじゃない。
 再会した時、やっぱりこの人と生きて行きたいと思ったから、結婚したんだ。」
ということをつとつとと語った。

「嘘を言ったことは、心配させたくなかったから。もう終わったことだし、わざわざ言うことでもないと思ったから。」
 とも言った。

それは分かるんだけど。
でもね、嘘をつくってことが、信頼をなくすってことなんだよ。
細かいことを言ってるって、自分でも思うよ。
だけどね、わたしたちは会って、何もない状態で結婚しましょうってなったわけじゃないよね?
わたしだって、努力して、今のあなたへの気持ちがあるんだよ。
それを当たり前だと思えるの?

それはあまりにも想像力がない、能天気な考えではないだろうか。

わたしはそう思うのだ。

わたしだって人間だ。
いくら好きだからとて、傷つくし、考えも変わるだろう。

今まで←こういう状態だったのが、←こういう状態になった時だった。
夫を、冷静に見る目が出てきたのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失ったもの。

2009-03-14 13:18:45 | ママになれるかな編
夫と出会って10年。

その間、何があっても、何をされても変わらなかった「好き」という気持ち。

それがある日、まったく無くなってしまった。

一日、わたしは混乱し、泣いていました。
そして夫にメールを送りました。
「ずっと根本にあったことを言います。
 あなたとあなたの両親は、結婚してくれるなら誰でも良かったのではないですか?
 結婚したいから、昔関係があった人に当たってみて、それでわたしが来たのではないですか?違うと言えますか?
 
 3回もお別れして、破談にもなりかけて、結婚してからも嘘をつかれ、それでも人は盲目的に信頼し愛せると思いますか?
 あなたが求める、自分を許し、愛してくれる女は、最初にあなたをただただ好きだった昔のわたしでした。
 でも愛すること、信じること、自分を大事にすること、すべて粉々になった。それを長い時間をかけて集め、修復していくことを支えてくれたのは、家族や友人たち、そしてわたしを愛してくれた人たちでした。
 あなたに会わなかった年月、わたしは必死になって生きてきました。
 
 この一年、あなたへの信頼を築く接着剤となったのは、尽きることのないあなたへの見返りのない愛情と、あなたの優しい心遣いと夫婦としての生活でした。
 それでやっと一年が過ぎ、子供も授かった。
 わたしがあなたを愛する努力をせずにきたと思いますか?
 まっさらな気持ちで、あなただけを単純に愛せてきたと思いますか?
 
 いさかいがあるたびに、いつも心の底で思っていました。
 昨日、何があったか訳ではないけど、もう何も感じなくなりました。
 わたしは、あなたにされたことを許せないのかもしれない。

 結婚したら・・・子供が生まれたら・・・きっとなくなるだろう、と思って言わなかったけど、心の底にある思いは消えないまま、何かあるたびに浮かび上がり、築いたものを壊す。
 これがわたしの気持ちです。」

 それに対しての返信は

「ぼくはきっと病気なんだね。
 たくさん傷つけてごめん。ぼくはダメな人間だね。
 すべて中途半端なのかな?メールありがとう」
というものでした。

夫の顔も見たくなくなってしまった日、夜、ご飯は作りませんでした。

夫は帰宅して、自分でインスタントラーメンを作って食べてました。
わたしにもおにぎりを買ってきてくれてました。
そして、夫はこたつで寝ていました。

次の日の朝、夫はいつもより一時間ほど早く起き、もう出勤できる支度を済ませて、わたしが寝ている寝室に来て言いました。

「それで、ご飯も作らず、何もしないで、これからどうするつもりなの?」

言った言葉がこれでした

わ~お。
家事やらないなら、どうするの?
ってこと?

全然分かってないし、応えてくれない。
この人と、一緒にいる意味はあるんだろうか・・・。

そう思いました。
目の前が暗くなっていくような気がしました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豹変3

2009-03-07 11:42:09 | ママになれるかな編
そしてもう一つ、わたしの心の底にあったもの。
それは
「彼は結婚したかったから、結婚してくれるのなら誰でも良かったのではないか」
ということでした。

なぜわたしがそう思うようになったか。

それはやっぱり展開がすごく早かったこと

彼は5年近くまったく音信普通だったわたしに電話をかけてきたのが7月あたま。
そして入籍したのは11月でした。

一度破談になって、家を出て一人暮らしをしていた彼は、相当寂しかったんだと思います。そして、家事をやってくれる人が欲しかったんだと思います。

1年位前、わたしは彼の古い携帯メールを見たことがありました。
それで前の彼女のことについての嘘も分かったのですが。
彼が他に昔かかわりがあった女性に送っていたメールがありました。
それは、わたしに連絡を取る前の1,2ヶ月前に送信していて、かなりの部分、わたしに送ってきたメールと同じ文面のものだったのです。

それを見た一年前。
「ああ、誰でもよかったのか・・・結婚したかったんだな。結婚してくれる人を、彼は探していたんだな」
と思いました。
そこでわたしが引っかかってきた。
東京に行って、テレビでも取り上げられるような仕事をするようになっていた。
これはいい、と思ったんでしょう。
でも、あとからいろいろ、母のこととか面倒なことが出てきて、破談になりかけたけど、まあここまできたら仕方ない、と思ったのか結婚にこぎつけた。
二度も破談は世間的にもまずいし。

そう思いました。

でももう結婚してしまったし

何より彼のことが好きだったから。

それでもいいと思っていた。

「結婚してくれるなら、誰でも良かったんだ」
という思いは、ずっとそれからわたしのなかにあったのです。

でも、今、夫と、夫の両親が憎くて仕方なくなってしまった。
誰でもいいなら、別に私じゃなくていいなら、わざわざ大事なものをすべておいて来ることなんてなかった。
そういう思いがわき上がってきたのです。

夫は、わたしが携帯をみたことも知りません。
普段は夫の携帯なんて、まったく興味がないので見ることもないです。

忘れていた、忘れようとしていた思いが、表面に出てきてしまった。

不思議なことに、夫への変わることがないと思われた愛情が、わたしのなかから消え失せてしまったのです。
まるで、最初からなかったもののように。

夫の姿は何よりも愛しいものだった。
夫が寝ている顔を、なんとしても守りたいと思った。
夫が喜ぶ顔が見たいと思った。
夫の喜びが、わたしの喜びだった。
それが、わたしの生きていく、行動する基準だった。
生きていくうえの、決してなくなることがない気持ちだった。

それが、ある朝、わたしにとって、夫はただの男になってしまったのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豹変2

2009-03-07 11:15:03 | ママになれるかな編
でた~!
夫の
「やってやってるのに」

これも喧嘩の原因のひとつ。

わたしも黙ってなくて
「じゃあ言わせてもらうけど」

妊娠してから8ヶ月、いくらわたしが妊娠に関する本を読んで欲しいと言っても「そういうのはお前が考えてやってくれ」
子供の名前を考えてと言っても
「試験があるから、それ終わったらやる」

でも、ネット・オークションだけは睡眠時間削ってもやってるよねと。

別に、何が重要かをジャッジするのはその人だと思う。
だからわたしの体のことを考えたり、子供の名前を考えたりすることより、オークションが大事なら、それはもう仕方ないと思う。

確定申告のようなことは、夫がやればいい。
わたしは彼がやらないことをやっている。
それで何がいけないの?責められないといけないの?

自分はよくて、わたしはだめ。
「ジャイアンか、お前は

そうしたら反省していた。
別に、謝って欲しいとは思わないけど。
「子供の名前も考えるし、妊娠の本も読む。産後に備えて料理の勉強もしたいから、教えて」
と言ってくれた。

この人の好きなところは、改善するキャパを持っていること。
いつもここに落ち着いて終わる。

しかし今回は違ったのです。

口論の途中で
「子供の名前なんて俺が決めるんだ。お前の実家にいろいろ言われたくない」
と言われた事なのか
「すぐ実家に帰るとか言って、恥ずかしくないのか」
と言われた事なのか。
(わりと頭に来ていると、夫はすごいことを口にすることがあります。
長男様、で相当好き放題なことを言ってきたんだろうな、それが許されてきたんだろうな、と思います。)

夫が謝ってきてからも、なんだか怒りがおさまらないのです。

そして次の日の朝。

わたしはいつもと違うことに気づきました。

起きて、夫の朝の食事と支度を手伝うためにキッチンで用意をしていたのですが。

夫の顔を見たくない。
夫のためになにもしたくない。

そういう気持ちがこみ上げてきたのです。

いつもの口論でした。
でもいつもと違った感情が湧き上がってきた、というか・・・いや、夫への気持ちがまったくなくなってしまったのです。

夫が、始めてみる人みたいに見えました。
なんでわたし、この人と住んでるんだろう?結婚したんだろう?

あんなにひどい目に合わされたのに。
3回も別れて、破談にもなりかけて、捨てられかけたのに。

「なんでこんな人を信じられたんだろう?」

そういう気持ちが、生まれていた。

「何があっても夫が好き」

という、長年わたしのなかに絶対になくならずにあった気持ちが。
自分の身のように、夫を愛して大事に思っていた気持ちが、どこにもなくなってしまったのです

何をするにも、ベースにあったもの。それが夫への気持ちでした。
何があっても、絶対になくならないと思っていたもの。
それが、一夜にしてまったくなくなってしまったのです。

夫の顔を見たくなくて、食事を出したら寝室に戻ってベッドに入りました。
夫は顔を出して
「行ってくるね」
と出勤しました。

おかしい、なんでだろう、どうしたんだろう?
わたしはベッドの中で混乱しました。

考えても考えても、夫がわたしにしたこと、夫の両親がわたしにしたこと、そういうことが思い出されて、悲しくて、悔しくて、涙があとからあとから溢れてきました。

夫と結婚するにあたって、わたしのなかで
「この人を信じていいのだろうか?」
ハードルがありました。

それを越えられたのは、彼の優しさと、自分の彼への気持ちでした。
だけど、信頼というものはレンガを積むように、ひとつひとつ築いていくものであって、一日にして出来るものではありません。

夫との、1年に及ぶ結婚生活の中でようやく培われたものだったのです。わたしのなかで。

逆に、夫は自分のことを思い続けてきてくれたわたし、というものに全体重をかけて甘えてきます。
それはそうでしょう。だって、10年、あんなにひどいことをしても気持ちは変わらなかった女は、わたしくらいなものでしょうから。

とても傲慢に聞こえることだと思いますが、夫への信頼と、夫の私への信頼は、まったく違った経緯を辿っているものなのです。

あれだけいろいろあって、その上で信頼を築いてきたのに、それを当たり前だと思っている、夫の脳天気さに、怒りを感じたのです。

そして、前の彼女のことで嘘を突き通したこと。
これも許せませんでした
流産した直後、夫の嘘が分かり、追及した時に最後まで嘘をついたこと。
そうやって騙していて、信頼に値する人間なの?
そういう怒りもわいてきたのです。

夫が、憎くてたまりませんでした。

なんで、好きだっただけなのに、こんなに苦しまなくてはいけないのか?

そういう思いで頭がいっぱいになってしまいました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豹変。

2009-03-07 10:47:55 | ママになれるかな編
前回のブログ、1月でしたね
す、すみませぬ・・・
もう三月だし

実は訳があります。

過去のことを書いていくにあたり、昔の日記など読み返していたのですが。
結構つらい記憶でしたわたしにとって。

そのせいか分からないのですが。

2月にはいって、夫と口論になりました。
いつもとかわらない、夫が不機嫌になって怒り出し、わたしが反論して口喧嘩になり、夫が謝る、という。
なぜいつも夫が謝るか、というと、
2人の人間が一緒に生活しているうえで生じる「やり方のちがい」というもの。
それをわたしはあまり指摘しないんですね。

人に迷惑になることは言いますけど

わたしの家でもあるけど、夫の家でもあるから。
以前ひとりで住んでいたマンションとは違うのだから。
そして2人で住んでいても、個人なのだから、ひとりで何かやっている時は干渉しない。

だけど夫は結構言うんですね。
なんでも一緒にやりたい人なので

そして結構自分がやってないのに、人には言う

それでわたしが
「じゃあ自分はどうなの?わたしはこうこうしてやってるけど、いろいろ理由つけてやってないよね?」
って言うと、大体我にかえって謝る
その繰り返し。

今回は夫が確定申告を自分でやる、と言ってて、数字を調べて入れてきたものを「見て」
って言われたんですね。
でもさっと目を通して見ても、まあこんな感じ。というわけですぐ置いといたわけです。
そしたら
「やってやってるのに、協力する気がない」
と怒り出したわけです。

「やってやってる」
これは夫の口癖。
わたしは悪い癖だと思っているのです

これを言い出したらキリがない。
わたしも以前は「こんなにわたしがやってあげてるのに!」と思う気持ちを持っていた。
でも、
「やってあげたいのは自分の気持ちであって、それに対して感謝されたいとか見返りを求めるのは違うのでは。
やってあげたい自分の気持ちが済んでるのだから、それでいいじゃないか」
と思うようになってから、無理に人の都合に合わせたりすることなく、自分の余裕がある時にやれることをやる、というスタンスに変わりました。
だから
「やってやったのに」
という言葉は出ない。
むしろ
「自分にさせてくれて、ありがとう」
という気持ちが出てきた。
不思議です。

それでもたまに
「やってあげたのに」
という気持ちが出ることも、ありますけどね

実は
「こんなにやってやった」
というと
「台無しだ」
と言っていたのは父なのです。
父はそういうことは美しくない、と思っているところがあり、一切自分が骨折ったことは人には言いません。
損してるよな~と思う娘でありますが、いさぎよいな、と尊敬しています。
逆に「やってやったのに」という言葉が多かったのは、母なのです。

人は往々にして「やってもらったのはその人が余裕があるから。」と思いがちだし、人にしてもらったことについてどんなに大変だったかなんて思いをはせることがあまりないものです。
たんに「ありがとう~☆」で終わってしまうのはそのせいだと思います。
たまに察してくれる人もいますが。
そのため、母はいつも
「私はあんなにやってあげたのに、あの人は何もしてくれない」
という愚痴をこぼし、恨みに思っていたりすることがありました。

それを見て、そういう風に言うのはやめよう、と思ったのも事実です。
教師・反面教師。

つづきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする