こちらの続きを書かせていただきます。
2年生の2学期ももうすぐ終わろうとしていたところでした。
あと少ししたら冬休みだから、あと少し頑張れるかな?本人は学校に行きたくないとは言ってないから、大丈夫かな・・・そんな時でした。
学校から呼び出されてあわてて駆けつけました。
「娘さんが3階の窓から飛び降りようとしました」
親として、正直ここまで娘が思い詰めていたとは感じ取れませんでした。
話を聞くと、下校のために廊下に列に並んだ娘が、また先日揉めた友達から何かを言われ、廊下に突っ伏してしまったそうです。
そしてそのまま娘を残して、クラスのみんなは下校しました。
ただ3人ほど用事があって残っていたクラスメイトがいたそうです。
廊下にいた娘が起き上がって、廊下の窓を開けてそこによじ登っていくのを、娘より身体の大きい子がいち早く止め、他の子も一緒になって娘を引き摺り下ろし、ひとりは先生を呼びに走ってくれたそうです。
この話を聞いた時に、ゾッとしました。
娘を放置して引率していった先生とクラスメイト。
躊躇わず止めてくれたクラスメイト。
この時、教室にこの3人が残っていなかったら、週末お葬式だったかもしれません。
おそらく、娘の中で下校の時に言われた言葉で、いっぱいになってしまった衝動が溢れ、突っ走ってしまったのでしょう。
ひとは、決定的な事件が背中を押すのではなく、他人から見たら些細かもしれないですが、小さく傷つけられたヒビが、積もり積もって割れて壊れてしまうものなのかもしれません。
娘は保健室で先生と一緒に居させてもらっていました。
思ったより落ち着いていてほっとしたのを憶えています。
しかし、いくら衝動性があるとはいえ、8歳の子どもを飛び降りまでしようと思わせてしまうこと。それを考えると胸が苦しくなります、今も。
次の日、飛び降りようとした廊下の窓を開けられないようにした、と仰っていた教頭先生と現場に行きましたが、何もされていず、慌てて針金で固定していたのを見て、覚悟が決まりました。
娘を登校させない。学校ととことん話す。
次の日から娘を休ませ、子どもから聞き取った出来事、それについて担任に相談してきた日にち、こちらの要望、その返答、それについてどうなったか、時系列にして事細かに文書にし、メールで送り、プリントアウトして持参しました。
それを元に、担任からも話を聞き取ってもらい、これからの対応を話し合い、要望を出しました。
喧嘩ではなく、努めて淡々と。
相当時間と頭を使った気がします。
結果から言うと、学校は配慮をしてくれましたが、担任は代わりませんでした。
「悪いのはあくまで娘、自分は適切な指導をしてきた」という姿勢を崩しませんでしたし、説明や謝罪もありませんでした。そしてそのまま定年を迎え学校を去りました。
どうしたか?変わったのはこちらの方でした。
医師に相談し、インチュニブを処方してもらうことになりました。
そして以前にやっていたWISCの結果が出たのですが、これが担任の態度を変えました。
娘は言語理解で平均100のところ、140以上という数値を出していました。これは「ギフテッド」と言って良いほどの数値でした。
しかし、4つある中で一番高い言語的理解と一番低い処理能力の差は50以上。これは「その差が20あればかなり本人はつらい」と言われるのに、50以上あるというのは、娘はこのアンバランスに相当苦しんでいたのではないかと思われました。
医師の話では「多分娘さんは私たちが話していることは全部理解出来ている。本も大人の小説を読んでも理解できる。理解できても実際自分で出来るかというと出来ない。頭の中と実際の自分の出来ることの差がありすぎてつらいだろう」ということでした。
検査結果を見せたところ、担任の態度が変わりました。
「この子は天才だから、周りとは合わないんですね。それなら仕方ないです。」そんな感じのことを言われました。そして娘に対して当たりが柔らかくなったのです。
薬のせいもあり「娘さんはとても落ち着いて、人の話も聞けるようになって、穏やかにお友達とも仲良くできている」とも言われました。
娘はこの時から薬を飲んでいます。
これが良かったのか、今でも分かりません。
自分なりに学校と担任から娘を守るために闘いましたが、今振り返ると、変わったのは、変わらざるをえなかったのは、娘の方ですね。
娘は、友達も増えて、親友と呼べる子もできました。
そして3年からは30代の中堅の学年主任の先生が担任になり、この先生がとても良い先生で、娘は今でも先生のことを慕っています。
発達障害のことも知ったかぶりせず、都度、相談してくれました。
決して感情的になることなく、しかし愛情深く接してくれる先生を、クラスのみんなは大好きでした。
一度落ちてしまった先生への信頼を、この先生のお陰で取り戻した娘。
次の4年から6年まで、今度は喜怒哀楽がはっきりして生徒たちが大好き!と伝わる先生に替わってからもずっと、先生を信頼して来られました。娘のことをよくわかってくれている先生に、卒業までの3年間お世話になりました。
2年生の事件は、いわば自殺未遂と言えます。
悪くすれば、私は娘を失っていたかもしれません。
発達障害の二次障害というものは、その特性のために周囲と上手くやれなくなり、鬱病などになってしまう。娘もそう言えるかもしれません、8歳でしたが。
子どもにとって、先生から受ける影響がこれだけ大きいものであるということを、私は自分が子どもだったにも関わらず、思い至れませんでした。
そのために、それからは毎年次の学年に上がる前には教頭先生と面談してお願いしていました。
先生に関しては、それからは幸運であったと思います。
娘にとっては高学年になってから、また違った悩みが出てきて、学校に行きたくない、ということもありましたが、なんとか卒業まで来られました。
改めて、娘は幸運だった。そう思います。
助けてくれた3人のクラスメイトには、後日お礼を伝えました。
その子たちもすっかり大きくなって、私より背が高くなった子もいました。
卒業おめでとう。
本当にありがとう、大きくなってくれて、ありがとう。
「また事故にあっちまえ!」なんて、車に跳ねられてやっと歩けるようになった親に言い放つようになったとしてもね・・・(絶賛反抗期)