夜明けに出産してからずっと、夫が部屋にいた&電話で全く休めなかった1日目。
やっと電話が切れて、少し眠ったところ、部屋の中でゴソゴソと音がして、目が覚めた。
あさの6時。夫がいた
「ヒッ!」と思いましたよ。「起きているとまた面倒なことになる」と思った私は息を殺して寝たふりをしていました。
夫は私の様子を伺っていましたが、洗濯物が入った袋を持って、部屋から出て行きました・・・。
妖怪!産後休ませないじじい!
もうなんだか、私の中でぷっつり何かが切れてしまい、号泣しました。
3日前の夜中もお腹で赤ちゃんが活発に動いていて痛くてよく眠れなくて、次の日ももっと痛くて眠れなくて、1分間隔て一日中陣痛があって、そのあと夜通し苦しんで明け方にやっと産まれて、食事もほぼ固形物摂ってなくて、それから全然休めていない
泣きながら、東京にいた姉に電話しました。そしてどれだけ私が休めていないか、夫に電話して、病室に来ないように言ってくれ、と頼みました。
姉は夫に電話して、「入院しているということは、静養が必要だからしている状態であるし、リツコは妊娠高血圧症でもあり家族以外は面会謝絶の状態なのだから、しばらく病室には行かないで欲しい」と言ってくれたそうです。
姉の説明に、夫は了承したそうです。
でも、また昼に夫はやって来たのです、出生届を書けと言って。
私は再度号泣してしまいました。なんで分かってくれないんだろう?
姉はまた電話をして「私の言ったこと、聞いてますか?!」と姉にしては強い口調で伝えたそうです。(姉は他人に対して怒ることは滅多にない人で、姉を怒らせた人は今までいないくらいの人です)
そしたら夫はこう言ったそうです。
「お姉さん、僕のこと、嫌いなんですか?」
「・・・私の言ったこと、聞いてます?💢」
姉はその時、とても違和感を感じたそうです。この人、なんかおかしい人だって。
まあ姉の剣幕もあって、流石にその日はもう来ませんでした、夫。
やっとホッとしてゆっくり休めたのは、2日目の夕方でした
母は1日休んで、顔を出してくれました。
その際、「リツコの出産が終わって待合室の椅子で疲れて座っていたらあっちのご両親が来てお父さんが私を見て『見ろ、母ちゃんのびてら』って言われたんだよね。こっちはやっと出産のお手伝いが終わって精根尽き果ててたんだけどね」と言うのです。
義母に「リツコさん、孫をありがとうね〜!」と言われてモヤッとしたり(私はあなたの孫を産むために頑張ったんじゃないです)」、「痛いけど、可愛いから忘れちゃってまた産むのよね!」みたいなことを言われたり(今回丸2日苦しんだからもう出産は絶対無理と思ってる、死ぬかと思った)、入院中何度かお見舞いに来ても、飲み物一本差し入れてくれないのはなんでなん?と思ったり。
ここで義両親に対してマイナス感情が生まれた頃でもありましたね
さて、出生届ですが、夫が自分で書いて提出したそうです。出生届を出す際に一緒に申請すると、地元の新聞に赤ちゃんの名前が掲載されるのですが、私の退院後にそこから電話がかかってきて「ちょっと字が読めないんですが・・・」とのこと。
この「夫の字が読めない問題」は深刻で、仕事上ちょっとしたメモもパソコンからプリントアウトしていたようです。私は夫に字の練習をしてほしくて何度も教材を購入して頼んだのですが、三日坊主に終わりました。字が汚い、というか、力の入れ加減ができないんですよね。だから全てが「はらい」で構成されているというか。だから読めない。
今も夫は、あの字を書いているのでしょうか
3日に姉を送り、母を迎えに、父が車で東北からやってきてくれました。
でも父は母を連れて、早々に帰ってしまいました。家に泊まらせない、と言われたことで、温厚な父は遠慮したんでしょう。
マスクをして娘を抱っこしてくれた父。写真を撮って早々に帰ってしまった父。「もう帰っちゃうの?」と本当に悲しかった記憶があります。
初めて夫に怒鳴られたのが、妊娠中の悪阻で具合が悪くて寝ていたときの事。
モラハラ夫は逃げられないようになってから本性をあらわすと聞きますが、妊娠して、出産して動けなくなってから、夫のおかしなところは次々に出てくることになるのですね。
今、父も母も、もうこの世にはいません。
あの時、本当に助けてくれた母。その母の葬式にも来なかった夫。
そんな夫を大事にして、母を疎かにしてしまったその後悔は、ずっと私の中で残っています。
夫と離婚したから、父の介護が出来た。父には、恩返しが出来たと思います。離婚してよかった。本当に今はそう思います。
続きます。
私の陣痛は2日目になって1分間隔が丸一日続きました
もう本当につらく、夫に腰をさすってもらっても要領を得ず、飲み物を飲ませるとか気も利かない。はっきり言って役に立たない。むしろ邪魔。
いつもケアしてもらうことが当たり前な人は、出産に付き添うなんて、どだい無理な話だったのです。
俄然役に立ってくれたのは、母。
痛みが和らぐようにマッサージをしてくれたり、温めてくれたり、口に入りやすいゼリーなどを買ってきてくれたり。
なぜかまた義両親が来ていましたが飲み物一本持ってこず、ただ見て帰って行きました。(何のために来ていたんだろう・・・)
「やっぱりお母さんじゃないとダメだ」
そう思いました。つらい朝昼が終わり、夜になり、誰かひとり、付き添うことになりました。
私は迷わず「お母さん、お願いします」と頼みました。夫はさっさと帰宅して行きました。
夜11時くらいになり母も疲れ果ててしまった様子で、それを見た助産師さんが、「そろそろ分娩室に移って、お母さんはここで寝てください」と言ってくれました。
日中買い物に走ったり、腰をさすり続けてくれたので、母もベッドでバタンキューという感じ。
それから長い夜が明ける頃、やっと産まれる、と母が夫に連絡してくれました。でも、夫は1時間もたってからやっと生まれる直前になってやってきました。
うちから歩いて10分もかからない病院なのに、夫はシャワーを浴びて髪を整えてやってきたそうです
丸2日苦しんで、眠れなくて、食事もろくにとれない状態でやっと出産が終わり、部屋に帰った私。
でも、そこに夫が付いてきたのです。ずっと椅子にただ座っている。
「お前の母ちゃんが電話するのが遅いから、急いで来て病院の入り口で滑って転んで胸を打った」と言うのです。
どうも雨が降ったらしく、そこで滑ってしまったらしいのですが、ずっと肋骨あたりが痛い、と私に訴えるんです。
こっちはやっと出産が済んで眠ろうとしているのに、そばでうーんうーんと唸っている。なら病院に行ったら?と言うと「行きたくない、いい」と言う。うちに帰って湿布でも貼ったら?と言うと「お前の母ちゃんについててやれって言われた」と言う。だったらナースさんに言って湿布をもらって、と言ったら出て行って「ここでは湿布は出せないって言われた」とのこと。
そりゃそうですよね、ここ、産婦人科で整形外科じゃないし、あなたは患者じゃないし。
でもそこにずっといられても私も眠る事もできない
そもそも、なんで私があなたの心配をしなきゃいけないんだ?
夫は自分一人で病院に行かない人です。身重の私に付き添わせて食中毒で受診した時も、「奥さん妊娠してるのにこんなところに連れて来ちゃダメだよ!」と医師に怒られた人です。
もうだめだこりゃ、と思って私は苦肉の策、ナースさんに「頭痛がするから冷やすものを貸してください」とお願いして、それで夫にアイシングをさせました。
それで終わりではありません。
その後、夕方になり夫が「一旦帰って、出生届を書いてもらうから持ってくる」と言うのです。
は?産んだばっかですよ。しかも休めてないですよ?私。
自分で書けばいいじゃん、とお思いのみなさま。
夫は字が書けないんです。というか、字が汚すぎて、全ての書類は全部私に書かせるんです。
夫が帰ってやっと休める、と思ったのに。
恨めしく思いました。
一旦ホテルに帰った母が、戻ってきてくれていつも家族で行っていたお寿司屋さんからトロの握りを持ってきてくれました。
でも、私は妊娠高血圧で、出産時も光が目に入らないようにサングラスをかけ、産んだ後もカーテンを閉めた部屋で血圧が上がらないよう、病院食以外のものを食べないように言われていました。
私は食べられないよ、と言っても、母は「良いの、いいの」と言って冷蔵庫に置いていきました。
夫が戻ってきたら持たせよう、と思ったのですが、その夜夫が9時ごろ戻ってきて、医院のインターホンを鳴らしたのですが、開けてもらえなかったそうで、電話がかかってきました。
そして、その電話は2時まで続いたのです・・・
内容は主に「父親になっての感動」でした。それを延々と私に語る夫。
ハイになっていたんでしょうね、自分の子どもが生まれて。
でも本当につらかった
そして食べられなかったお寿司は、結局無駄になってしまいました。
お母さん、本当にごめんなさい。あのお寿司を食べなかったことは、ずっと後悔しています。
目の前が海の旅館に泊まった夜、母と夜中まで話をした。
母は自分が舟をこいでいるのに、私の肩や腕をマッサージしてくれた。
長い時間話をした。
両親と会えなかった間に、夫との間にあったこと。
これからの仕事のこと。
たくさん、話した
母と話して、夫と離れたところに来て、はっきりわかったこと。
「わたしはいつまた殴られるか分からない人と一緒にいたくない。そういう人と一緒にいるのは怖い」
「わたしが働いて、何とかしても、夫は変わらないだろう」
「わたしがずっと、頑張っていくしかないんだろう」
「わたしは夫に信頼されてないし、わたしも夫を信頼していない。築き上げられなかった」
そして思うのが
「なんでわたしはこの人に出会ったときからずっとこんな扱いをされないといけないんだろう?」
ということ。
もし、わたしの娘がわたしと同じ目にあっていたら、わたしは娘を引き取るだろう。
結婚する時に、母は反対した。
母の見る目があったのだろう。
わたしには、見る目がなかった。
これは本当だ。
ちゃんと見てなかった。
目をそらしていた。
目が眩んでいた。
そして、目が覚めた気がした。
「夫から逃れよう」
いや、時には逆に
「夫との生活を、自分がどうにかしなくてはいけない」
と、自分ひとりでどうにかできる筈もないのに、ひとりでどうにか出来ると思い上がって、馬鹿なことをたくさんした。
もがいてもがいて苦しんでいた。
義理の兄も一緒に旅しているのだが、夫のような付き合いづらさを感じない。
なぜなんだろう?
夫とわたしは、決定的なところが違うのだ。
大事にしているものが違う。
それでやっていけるのだろうか?
海から実家に移動して、着いたのは夜。
実家の玄関はうちのリビングより広い・・・田舎のうちは広いのだ。
高い天井は、冬には寒いそうだ。
長い廊下の先のトイレを、娘は怖い、と言う。
田舎の夜は真っ暗だ。
夜は両親の間に、娘と寝た。
次の日にはもう東京に帰る。
朝になったら、父が庭の菜園からトマトやきゅうり、とうもろこしなど姪と娘に取らせてくれた。
庭の池の鯉に、並んで餌をあげた。わたしも小さい頃、たくさんのいとこたちとやっていた。
昨日、市場で買った海の幸と、父が作った野菜の朝ご飯。
たくさん食べ過ぎて、義兄は人生最大体重になった、と笑った
両親と別れる時に、メロンやブドウなどたくさんお土産をもたせてくれた。封筒に入ったお金も。
涙が出た。帰りたくなくて、切なかった。
「なにかあったら、すぐに連絡しなさい」
と父が言ってくれた。
さよなら、また会える日まで。元気で。
面接の前に、市の無料DV相談に行って見ました。
もう、シュウカツもそうなんですが、とにかく動かないと欝っぽくなって、どんどん動けなくなって、夫にまた怒鳴られて・・・
それが怖くて、とにかく動けるうちに動かなくちゃ、と。
すぐ面接の時間だったので、スーツを着て行きました。
冷房の効いた部屋に通されて、中年のふくよかな女性と話を始めました。
「ここで話したことは一切他に出ることはありません。ここだけの話です。」
と前置きをはなしてくれて。守秘義務ですね、カウンセラーの。
わたしは思いつくままに話しました。
暴力の程度、そこにいたる経緯・・・。
結婚前におかしいな?と思ったこと。
最初に手が出たこと。
おかしい、なんかおかしい、と思い続けて、もしかしてアスペルガーなのかもしれないと疑問に思ったこと。
夫の特徴を話すと「うーん、アスペルガーの特性がありますね」と。
ざっと何があったか、日付と出来事をメモしてきたのですが、まあよくこんなにあったなあ・・・
という奇行が次々と出てきますね。
出産手伝いに来た母をうちに泊めない、授乳中の娘を奪って部屋に篭城、娘の髪をいきなり切ってしまう、
ものを落とすと検証する、ひとより車が大事・・・などなど。
カウンセラーの方はうなずき、繰り返し、話を聴いてくれます。
最近の「履歴書を書いてみて」と言ったら「じゃあ働かなくてもいいよ」というくだりで初めて
「自分の都合でやれと言ったり、やらなくていいと言ったり、矛盾ですね」
と言われました。
本当に、そう。
ずるいなあって思う。
話しているうちにこう思ってきた。
「もしわたしがこれで働いてなんとかしても、夫は変わらないだろう。
これからもそれがずっと続くのだろう」
と明確に分かりました。
「殴られたあとに『暴力を誘うのが上手いよね』って言われました」
と言ったら
「それは違いますよどんなことをしたって、暴力を振るわれるようなことなないんですよ」
と強く言われました。
そう、だから戦争はいけないのだ・・・なんて涙が流れる頭でぼうっと考えてました。
「義母はアバラにひびが入るほどの暴力を受けても離婚しないでいるし、もっとひどい暴力を受けている人もいるし。
夫は『自分にたて突くからだ』って言うので、私が悪いのかもしれません。私も完璧な人間じゃないから」
と言ったら
「それが洗脳なんです。暴力を振るう人間は、『自分は悪くない、怒らせるお前が悪い』と言うんです。典型的です。
いいですか、あなたは悪くない。暴力を振るわれるような悪いことはしてないんです。それだけは分かってください」
と言われました。
「光が・・・見えないんです。頑張っても頑張っても、光が見えないんです」
と私は泣いてしまった。
「仕事さえ決まれば、何か突破口になるかもしれない・・・夫も働けば文句を言わなくなるだろうし。
とにかく今は仕事を決めたいんです。」
と言ったら
「今は頑張って頑張って、ちょっと疲れているように見える。心療内科でカウンセリングを受けてみては?」
とアドバイスされました。
そして、暴力を振るわれたときは警察に連絡すること。
なにかあったら逃げること。
私は、いつも8月は何かあるので、怖くなっているのです。
一度だけでなく、何度もあったわけだから、またあるかもしれない。
エスカレートするかもしれない。
そしてわたしの中の気持ちが、夫が憎い、帰ってこなければいいのに、というマイナスの感情があふれて来ている。
自分が変わっていくのも怖い。
追い詰められていました。
早く、姉のところへ、両親の元へ行きたい。
「久しぶりの里帰りをして、ご両親にも話してきたら良いのではないかな。
充分あなたは頑張ったのだから、ちょっとゆっくりしていらっしゃい」
カウンセラーの方はそう優しく言ってくれました。
話し始めて、3時間近くたっていました。
こんにちは
楽しい連休を過ごされておられることと思います
さて、「リモコンなくて叩き起こされた」事件は、その後2時間ほど話し合って終わりました。
「わたしが起きてなくて食事が出されてなくて頭にきたのなら、その旨を起こして伝えれば良い。
『リモコンがない』と見当違いなことを言って起こして怒鳴るとはおかしいではないか。
あなたは結局『怠けやがって』とわたしのことを思っていて、信頼していないから、そういう態度になるのだ。
それがわたしには悲しくて情けない」
と伝えました。
最近コーチングで習った「アイ・メッセージ」、つまり「わたしはこう感じた、こう思っている」と伝える方法です。
感情的に責めるのではなく、「こういうことをされてわたしはこう感じた」と伝える。
こういう伝え方をすることで、夫も変わってきたと思います。
「これからはそういうふうに言うようにするよ」
と。
結婚して5年。
わたしは夫にひっどいことをたっくさんされましたが、もう
「これは次の転生に必要な功徳を積むための修業だ」
「この課題をクリアするために、この生を生まれてきたのだ」
などとすでに夫との生活は自分にとっての修業、と思うようにしました。
そうしないとやってられません
今日は夫と娘が、娘のプレ誕生日祝いで義理実家に行っています
今朝、出発する前にプリンターの故障が分かったのですが、これを夫に言わなければ良かった・・・
分かってからパソコンで検索して調べ始め・・・もちろん今日は祝日なのでカスタマーサービスセンターはお休み、説明書を出してきて調べたのでわたしは「これは電話しなくちゃわかんないな」って思っていたのですが・・・
まあもちろん、結局直る方法も見つからず、ようやく予定を大幅に遅れ、出発したのですが。
「こうしたい」と思ったら、もうてこでもやらないと気がすまない夫・・・義理実家も待っていたと思うのですが
昨夜は娘の寝かしつけで寝オチして、1時半くらいに起きてトイレに行ったら、夫がまだ起きていて、パソコンやってる。
なんかまたネットサーフィンしてる・・・。
「昨日は何調べていたの?夜遅くまで起きてたね」
と聞いたら、無印のテレビボードを見ていた、と・・・うちのテレビボードはわたしが独身の時に買ったもので、かれこれ15年くらい前のもの。
大分くたびれてきていて、3年位前から買い換えたいとは思っているものの、娘が小さくてガラス戸がベタベタ~だったりしたので、見合わせていたのですが、いろいろ取れたり外れたりし始めたもので・・・
通販のカタログを見て、消費税が上がる前に・・・と検討していたものなのですが。
無印のスタッキングキャビネット、いいな~と思って見ていたのですが何しろお値段8~9万円、しかも自分で組み立てるの~という代物で。
うちにはたっかいお買い物です
「今、ネットで買うと10%オフになるんだって」
と明るく言われて・・・でもさ、そのお金、どこから出るの・・・。
車検いつ?と聞いたら「7月」。だいたい10万出て行きますね。
そして今月、お給料を下ろしたら、残高がごそっと減って、なにと思ったら、自動車保険が天引きになっていて・・・
うちは税金関係、ボーナスで払わないとムリな家計なのですが、ボーナスは年々目減りしていまして
月々も幼稚園代出すとかなり厳しい・・・もちろん、わたしが働かなければ家計はアウトというところまできています。
でも夫はブルーレイレコーダーを「事故の修理代が浮いたから」と強行購入してしまい・・・彼はいつも新しい電化製品のパンフレットをもらってきては隙を見て・・・つまり
「これだけ今なら安いから!」
「これを買うのをやめたから、こっちを買う!」
「モデルチェンジで安くなったから、今!」
と新しいものを買いたがっています
家電量販店に行くと必ず携帯・デジカメ・プリンター・テレビなどのパンフレットをどっさりもらってきて、そんなもので彼の部屋はあふれていますわ。
夫の年収は、わたしが働いていたときとほぼ同じ。
今は夫の妹の方が高給取りになってしまったと嘆いてましたが、嘆きたいのはこっちのほうです
夫は事務方から営業になって、同期に等級を追い越されたとショックがっていました。
周りは2,3年に一度は異動があり、それぞれの場で頑張って等級を上げてきた。
夫は12年間異動がなく、上司が変わった途端に営業に異動して3年。
今でも事務方に戻りたくて戻りたくて、未練たっぷりです。そして「上がらないのは上が悪い、周りが悪い」と。
わたしに言わせれば、そんなに事務方に居たかったら、事務のスペシャリストになって資格を取って異動させられないようにすればよかったじゃないか、漫然と同じ仕事をしていて、周りが上がったと言ってるのは怠慢じゃないの?と。
そしていつも誰かのせいにしている。
わたしが夫の事がいやなのは、一番そこなのです。
あまり昇格した同期のことを言うので
「ひがむな」
とびしっと言ってしまった
でもそのあと、
「パパにもいいところがあるんだから、そこを見てくれる人がいるよ」
とフォローしたら、
「拾う神あれば捨てる神ありだよな」
と夫。
逆だよ、逆拾って捨てられたらダメでしょ拾ってくれないでしょ、だれも
あ~あ、って思います。
アホだな~
まあ、働くのは好きなので働きますが・・・結構幼稚園行ってからずっと咳と鼻水が出ている娘。
熱がなければ、大抵登園させるものみたいですねだから伝染ってきてずっと治らないんでしょうが
「最初はそんなもんよ~」
と先輩ママは言うので、そうなんでしょうが、これでは仕事って難しいかも
でもそんなことは言ってられないので・・・
夏に二人目が生まれる、サークルで一緒のママたちに
「リツコさんにぜひ上の子を見て欲しい」
と言われているので、出産前後はファミリーサポートでお手伝いする予定もあり。
ボランティアで知り合ったNPOからも声をかけてもらっているし、FPの2級も取りたいし、ひとつ資格を取る予定も来月末にあるし・・・。
もう少し落ち着いたら、仕事のこともいろいろはっきりするかな?と思います。
しかし夫には、もうちょっと緊縮財政をわかってもらいたいものだわ~
何かというと
「なんとかなる」
って言うのだけど、夫の「なんとか」は親のお金をあてにしているわけで・・・
でも、何千万も持っているわけではないのだし、男のくせに親のお金をアテにしているって、どうなの?
男のくせにとか言うのはアレだけど、お金を出してもらったら、当然口も出してくるし、もっと言えばこっちの手を貸さないわけには行かなくなるわけだし
そして介護なんかはやるのは、当然夫ではなくわたしになるわけで
まあやりますけど、贅沢してぜんぶかぶるのは妻かよってことで。
「あなたの『なんとかなる』は全部親のお金をあてにしているのでしょう。
『なんとかなる』でなんとかなったことはありません!」
とはっきり言ったらにやにや笑っていました・・・まあ、図星だったんでしょうねえ・・・。
彼は両親と叔父さんからの財産をあてにしているのでしょう。
まあこれだけいろいろ書いてきても、こういう人を選んだのは自分なのだから、どうにかやっていくしかありません修業です、修業。
人間性って大事ですよ?
これから結婚する人たちは、よくよく両目を開けて相手を見て、さらに相手の親もしっかり見て、結婚を決めてくださいね
その晩、夫が帰宅してから、話をしてみました
彼女と旦那さんのことを大まかに話し、自分でもとても考えたこと。
彼女の話を聞いて、自分が傲慢だったと思ったこと。
「わたしも完璧な人間ではないから、受け入れて理解する努力をしないとと思う」
と言いました。夫は
「じゃあ離婚届破棄して」
と言いましたが、それはうやむやにしましたあれは「保険」ですから。
まあそこに話をもっていくところが、夫の「ないわ~」と思う部分なのですが
まだまだ油断は出来ません。
夫に「リツコは自分を特別だと思ってる」とも言われました。話をしていく過程で。でもそれは違います。
「わたしは自分をそんな風に思ったことはない。でももしなにか違うのだとしたら、それは状況に不満があったら、変える努力を死に物狂いでやってきたことだと思う」
と返しました。
大学受験、姉をサポートしての学生生活、神戸の地震で被災したこと、待遇・状況への不満からの転職、その時やりたいことが実現できる会社に就職できたこと。
そして今は仕事をするにあたって、育児生活からのリハビリもかねて資格取得の勉強をしています。
仕事再開のとっかかりになれば、という気持ちと、頭を切り替えていけるか、という自分を試す意味で。
もしこれに合格したら、次に取りたい資格があるのでそれの取得にはずみをつけたいという挑戦です。
しかし思った以上に勉強する時間がとれず、子供が寝てからしかできませんね、やっぱり
その上、せっかく勉強する時間、と思っていると夫が帰宅して夕飯の支度・後片付けなどなど・・・。夫は次々話しかけてくるので、いい加減一喝する場面もしばしば焦ります
先日、ネットで40歳男性の年収・業界別順位というものを見たのですが、見事に夫の業界最下位
地方の会社なんて書いてある年収の8割にも満たないです。大体の平均の6割。
つまりわたしが4割を稼ぎ出さないと厳しい経済事情です
本当に申し訳ないけど仕事において転職してスキルアップと収入アップをはかってきた私は「あなたはその年までなんで資格を取るなり転職するなり手を打ってこなかったの?!」って思ってしまいます
その埋め合わせをするのは他ならぬわたしであり、わたしを働かせる気は満々です、夫
わたしは働くのは好きだし、働きに出るのは全くイヤではありません。でも暴力振るう夫の埋め合わせのために働くのはイヤです
生活を切り詰めれば、働かなくてもいいかもしれません。でも夫は「新しくブルーレイレコーダーが欲しい」「りおにipad買ってあげたい」とか、物欲はキリがないですわたしに臨時収入がある、なんていえばあてにする人です。
以前、臨時収入があったとき「繰り上げ返済よろしくね」と言われたことがあります。
そしたらさ~、こっちの公務員さんとか銀行勤務の女性で産休取れるような人と結婚すればよかったじゃないの~と思います。わざわざわたしが仕事辞めて来させることなかったじゃん・・・。
あとは母親と妹に2日に1回はメールするのも、わたしからすると「ないわ~」ですね。
なんかふと気付いてしまったんです。彼女の話を聞いてから。旦那さんが縁もゆかりもない土地に、結婚のため転職して生活していく中のストレスがあった、と聞いてから。
「わたしも、ずっと一人だったんだな」
と。両親にも会えず、実家にも帰れず、年に2回ほど姉と弟に会えるけど、ずっと寂しかった。
最初から、他の人に送ったコピペメールで釣って、前の彼女が来ていたうちに嘘ついて呼んで、義母に「孫置いて出て行け」と言われたり、殴られたり暴言吐かれたり。そのなかで育児して。
頼りになる人、味方なんていなくて。
ずっとそんな中で結婚してから5年暮らしてたんだ、って。
そしたらすごく悲しくなってしまって。
寂しいとか、認められなかった。気付かないようにしていたんだって。
それで夫に
「一ヶ月に2回は実家に帰って親に愚痴って甘えて休んで、妹も近くに住んでて、自分が居ないのに『遊びに来い』なんて気軽に呼んで、わたしがいないのにわたしが勝手に自分の弟呼んであなたとご飯食べてって言ってるんだよ、わかる」
と言いました。例えを出さないと、というか自分の身に置き換えて話さないと分からない人なので。
「パパにわたしの気持ちなんて分からないよ!」と。
わたしは寂しいです。
夫が味方じゃないから。わたしを一番の家族と思ってないから。夫が支えでも、頼りでもないから。
でもそれはわたしも同じではないか?
そうも思います。
だから、これから仕切りなおしなんです。
やっと現状を認められた。
わたしは夫を信頼していない。夫もきっとそう。
だからまたイチから積み直しです。
ひとって、優しくあたたかい関係になれたら、ずっとずっと幸せな毎日が続くと思いませんか?
コーチング講座を受けたのですが「何を言われたか」ではなく「誰が言ったか」が重要なんですって。
信頼している人の言葉は聞ける。信頼している人に話すのは安心する。
夫にはないわ~
だから、「理解する努力を継続する」
これは結婚式の際に誓ったことばでもありました
次の日、彼女と娘ちゃんと久しぶりに会いました
公共の遊び場で会ったので、子供たちが遊びまわるなか、あっちいったりこっちいったり、話も途切れ途切れだったりしましたが彼女は
「昨日話したので、なんかすっきりした」
と明るかったです。
旦那さんがどういう人で、どんなことがあったか、少し話してもらえました。
ご家族は暴力的な方ではなく、旦那さんも過去に暴力を振るったことはなく、ただ怒ると家族と2年ほど口をきかなかったことがあり、根に持つというか、忘れないタイプだとか。
そしてこう言っていたそうです。
「俺も完璧な人間ではないから、そんなに言えないかもしれないが、お前のそのだらしない生き方に嫌気がさした。もう無理だ」と。
それで彼女は実家に帰れ、と言われ、でも実家には帰れずしばらくホテルに泊まったとか。切ない・・・
多分殴るきっかけとなったのが「自分が考えて対策をして買ってやったのに、なんでお前は忘れるんだ」という怒りが噴き出したのだろうな・・・と思います。
でもそれも「自分がやってやったのに」ということに焦点が当てられているような気がするんですよね。
「自分がやってやったことが無にされた、頭にきた」と。
彼の怒る理由は分かるのだけど・・・わたしはやはり「殴られるような悪いことをしたわけではない」って思います。
彼女は旦那さんを悪く言いません。わたしに話してすっきりしたようです
2人で「こういう子供連れで遊びに来ているママたちを見ていると、『なんで自分はこんなに揉めているんだろう、こんな想いをしているママなんていないんだろうな』って気持ちになるよね」と話しました。
そう、みんな子供を可愛がって、幸せそうで、なんの心配もなくて・・・そうわたしたちの目には映るのです。
でも、わたしも彼女も、実は同じ問題を抱えていた。人間って分からないものですよね
わたしは、彼女と別れたあとに、いろいろな考えが頭に去来しました。
「自分だって完璧な人間ではない」
旦那さんが言った言葉。そして思いました。旦那さんはわたしだ、と。そして彼女は夫だ、と。
いろいろな違いはありますが、旦那さんの言っていることなど、とても理解出来たのです、不思議なことに。
わたしは夫のことをとても責めた。「なんでそうなの?なんで出来ないの?なんで普通じゃないの?」と。
でも、わたしは言えるような完璧な人間か?
そう思った時に、何かが変わったのです。
そして彼女と旦那さんのこと、わたしと夫のことをずっと考えていました。
夫と話さなければ、と思いました、つよく。
続きます。
津波警報、解除されたみたいですねよかった
雪や地震など、ちょっと心配な事が続きますので、備えをしっかりして生活しようと思います。
寒い時期の地震は本当に切ないです。
関西の1月は、東日本よりは寒くなかったですがあたたかいものを食べられない&あたたかいお風呂に入れないつらさはひとしおでした
どうか大きな地震が来ませんように。
阪神の地震に遭ってから、なぜか地震があった時刻には目が覚めてしまうということがずっと続いていたのですが、ここのところの妊娠・出産・育児での細切れ睡眠で、気が付いたらなくなっていました。
しかし未だに当時の写真を観る事は出来ないです。
震災当時、わたしは大学生だったのですが、わたしの仲の良い友達が、卒業を前にして大学入学当時から付き合っていた彼から振られてしまいました
彼からの熱烈なアプローチで始まった交際は、大学を卒業して家業を継ぐ彼とのその後の生活まで考えたお付き合いをしていて、彼らの結婚をうたがってもみませんでした。
だって交際期間中、彼らが会わなかったのは彼が県外の合宿に行っていた時以外、一日もなかったのですから。
でも、彼が卒業間際、後輩の女性と浮気をして、そのまま破局に至りました。
彼女は彼としか付き合った事がなく、「彼がいない生活なんて考えられない」と憔悴しており、わたしも「なぜ?」という想いがあり・・・彼とは友達としても付き合っていましたので、貸していた本を返してもらうことを口実に、一度会いました。
「なんで?あんなに仲良かったじゃない」というわたしに対して彼が言ったのが
「りっちゃんは、ひとと真剣につきあったことはあるか?」
という言葉でした。
当時、わたしは彼はいたのですがまったく淡白な関係で、彼氏がいた方がいい、という考えでちょうど良い男子を見つけ、院試のために一ヶ月に一度会うくらいの彼氏がいました。
とても真剣につきあっているとは言えませんが
「真剣かは分からないが、真剣に取り組みたいと思っているひとはいるよ」
と答えました。彼は
「りっちゃんも、ひとと真剣につきあったら、分かると思う」
とだけ言い、深くは話しませんでした。彼女のことを悪く言うこともなく。
その言葉が、わたしのなかでずっと残っていました。
そして最近、その言葉がわたしのなかで甦った出来事がありました。
それは、育児サークルのメンバーで、年末から連絡が取れないママがいて、わたしが様子伺いのメールをしてみた事から始まりました。
最近、周りのママたちのおめでた続きだったので、もしかして・・・?なんて思っていたのです。
「連絡ないけど、お元気ですか?」
というメールをしてから、しばらくたって、そのママから着信がありました
その日はちょうど夫と娘が義理実家に行っている日でした。
「元気?心配したのだけど、大丈夫?」
「ちょっと取り込んでて、サークルに行くこととか考えられなかったの、ごめんなさい」
「もしかして、二人目とか?」
「いや、もうその反対の事。離婚騒動だったの」
とのこと。びっくりしちゃって・・・でも分かるー、うちも夏、そうだったよ。そんな時はサークルどこじゃないよね。
わたしもちょっと夫との事を話しました。
そしたら彼女も「同じ!」という感じで話を始めました。
話を聞いてみると、彼女のだらしなさに旦那さんが激怒し、もう一緒にやっていけない、と言われてしまったと。
でも彼女のだらしなさって聞けば「電機のスイッチを切り忘れた」とか「調味料のふたを閉め忘れた」とか「携帯忘れた」とか、そんなことでした。
まあひとによって許せないことはいろいろと違うので・・・
で、さらに「うちは夫が神経質でね」などと話していくうちに、「これ、内緒にしておいて欲しいんだけど」と前置きがあり、
「殴られた」
と。
ああ、やっぱり・・・そう思いました。
二度目で、平手で叩かれ、倒され、蹴られそうになった、と。
「うちもだよ」
とわたしは、うちも二度あって、8月にあった、今度やったら離婚だと離婚届書いてもらったよ、と言いました。
「何が理由だったの?」と聞いたら「友達の家に携帯電話を忘れちゃったの。わたしがしょっちゅう携帯忘れるから、旦那がボディバッグに入れて忘れないようにって買ってくれたんだけど、それを外して私がかばんのとこに置いとけば良かったんだけどね」と。
「でもさ、携帯忘れたからって、殴られることはないと思うんだよね、わたしは」
と思わず言ってしまいました。でも、仕方ない、自分が悪いんだ、と彼女は言います。そして
「私、発達障害みたいなんだ。だから、旦那はそれを治そうとしてくれて10年以上付き合って、私のこういうところを分かった上で結婚したんだ。
だから旦那に会うまで本当に生きづらかったのが、こうやって普通に友達が出来て話せるようになったんだ。
旦那はずっと我慢してきたけど、もう付き合いきれないって言われて」
意外な話が出てきました
彼女の娘ちゃんも、うちの娘と同じくらいやんちゃ。それで彼女の娘ちゃんも発達障害かもって思っていて、心配になったと。
わたしは自分の娘が発達障害かもって思っていろいろ調べていて、夫のおかしなところが思い当たり、遺伝の可能性を知って腑に落ちたこと。
彼女は自分のことを考えてくれているのはとても分かるから、離婚は全く考えてない。
ただ2人目も欲しかったけど、こんな状態なので最近お下がりにと取っておいた赤ちゃんのものを全部処分したと。
旦那さんが自分のことを考えてくれているのはよく分かるので、「洗脳されてるのかもしれないけど」自分が悪いと思っている。(もちろん旦那さんもそう言う)
旦那さんは仕事も住む所も変えて、結婚してくれた。そのストレスがあるとも思う。
ただどこで怒りのスイッチが入るのか分からない。だから怯えてしまう。怒らないときは優しい・・・
彼女の話を聞いていて、わたしには、彼女の気持ちも、不思議と旦那さんの気持ちも分かってしまったような・・・。
ただ「暴力はいけない」ですよ
いかなる場合も、暴力はいけない。それをきちんと教育しないといけない。基本がそこ。それをハッキリしないと、今問題の体罰も暴力事件も、いつまでたってもなくなる訳はない。
わたしも、「暴力」という一線を超える気持ちは分かりました、夫との生活の中で。
だからこそ、日常に「暴力」を入れてはいけない、と思います。
彼女も「これが娘に向けられたらこわいな、と思う」とは言っていました。
娘ちゃんの目の前で、だったので「どうしてパパはそんなに怒るの?」と言っていたそうです。
少し長い電話になりましたが、わたしも自分のことを話したら、
「会いたい、会って話したい」
と彼女からの申し出。急遽、次の日に会うことになりました。
続きます。
先日、娘がいなくなりました
見つかったのですが、本当に目の前が真っ暗になりました
あんな絶望感って、あまりないですね。ぞっとして、後悔、焦り・・・。
居場所がわかった時、涙が出ました
それは私がベランダで洗濯物を干していた時。
干し終わって部屋に入ったら、DVDを観ていた娘の姿がありません。
寝室の方に行って本を読んでいる時もあるので、おかしいな?と思ったのですが、部屋のなかのどこにも見当たらず。
玄関の鍵は開いていて、靴もありません。
日が当たってあたたかな部屋にはDVDの音声が流れてる。でも娘だけがいない。
ぞっとしました。
鍵を開けて出て行くなんて、今までなかったこと。
でもそうかもしれない。
あわててマンションの各階、上から下まで走って名前を呼んで捜しました。
階段を駆け降り、管理人さんに話しました。
マンションなんて、なかに入ってしまえば分からない。ファミリータイプのマンションだけど、全員顔を知っているわけではないし、どんな人が住んでるかなんて分かっているのはわずか。
駅前なので、ロータリーに車はたくさんあるし、ぱっと連れて行かれても分からない。
踏み切りも近い。
ああ、どうしよう。
そう思って、携帯で夫に連絡して帰ってきてもらわないと、と部屋に携帯を取りに戻りました。
そしたら夫から不在着信とメールがありました。
夫は休みで、床屋に行っていました。
40分前くらいに出て行ったので、まだ帰ってこないはず。
夫からのメールは
「りおと一緒にドーナツ買いに行きます」
・・・
あったまに来て電話しました、即。
「なんで一声かけて行かないのよどれだけあたしが心配すると思ってんの」
夫はよく「いたずらっ子でおちゃめな、少年のようないたずらをする自分」みたいなことをすることがなんかイイ、と思ってやることがあります。
「ママにはナイショで怒られちゃうかもだけど、りおちゃんの大好きなドーナツを買いにいっちゃおう☆」
みたいなノリで連れ出したのだと思います。
娘は虫歯があり、甘いものは若年性糖尿病になるかもしれないのでなるべく控えるようにしています。
だから娘に甘いものを与えるのはやめてほしい、と頼んでいます。
ドーナツは、娘が大好きですが、自分で作って甘さ控えめにして、市販のものはなるべく与えないように工夫していました。
それなのに・・・。
そして、ベランダにいて、防音サッシを閉めたら声が聴こえないのに、なんで一声かけないのか。
「声かけたよ」
としれっとして言います。
声をかけたって、伝わってなければ何の意味もないわけで。このあたりの言い訳は、まるで子供です。
部屋の中の娘の姿がない。何も分からないなら、探し回るに決まっている。
それがなぜわからないんでしょうか?
その時の私は、「血相変えて」という言葉がぴったりだったと思います。
泣きながら怒鳴りつけていました。
「あたしがどれだけ捜したか分かってんのなんで声かけていかないのよ」
夫は、私が了解していないことを知っているからあとから電話とメールをしたわけで。
怒れることをなにより嫌がり、そのためには嘘も平気でつく人なのです。
「声かけたんだよ~」
と繰り返す夫。
帰ってきて娘の顔を見たら涙が出てきました。
鍵も開いていたので、娘が勝手に靴を履いて出て行ってしまったのかと思った。せめて施錠しておいてくれたら、パパが帰ってきたのかも、と思ったかもしれないのに。
大げさかもしれないけど・・・託児をする事があっても、娘の行き先が分からない、なんてことは、今までなかったのです。産まれてからずっと、側にいたのです。
子供の行方が分からなくなった親御さんは、どんな気持ちだったのか・・・忽然と姿を消した子供、誘拐、拉致・・・長い年月、どんな気持ちで過ごされてきたのか・・・少しだけど分かった気がしました。
すごい剣幕の私に、夫は最初はごまかして言い訳をしていましたが、「悪かった」と言いました。
でもさ・・・なんで普通に出来ないんだろう?
普通、娘を連れ出すならそれをちゃんと言えばいい。振り向きもしないのだから、聴こえてないって分かるのに。そしてどんなに心配するか、分かるだろうに。
ただ一言「出かけるよ」ってなんで言えないのか。
それで、たったそれだけで済む事なのに。
なんで普通に出来ないんだろう?
後日、ママ友に話したら
「それはないわーだってすごい心配するでしょ、ご主人、それは良くないわ」
と口々に言う。
昨夜もいつもより遅く帰宅して、わたしが寝かしつけている間、夫は入浴し、私がそのまま少し寝てしまったら起こしに来ました。
起きていってご飯を出して、夫は食べてからテレビをつけて横になりました。
私は片付けをしてから資格試験の勉強を始めたのですが、夫がうたた寝し始めたので
「ねえ、疲れてるならちゃんとベッドで寝た方がいいよ」
と声をかけたら、いきなり
「うるさいないいじゃないか、食休みしたいんだよ、がたがた言うな」
と怒鳴られました。
夫は食べると「何にも出来ない状態になる」のです。
食後、椅子に寝そべるように座って目をとじてしばらくぼーっとする。
その時、話しかけても「今何も考えられないから」と言われる。
お腹がいっぱいになると、しばらくダメなのです。今は異動したので出来ないようですが、以前は会社にいても食後空調がきいた和室で横になって休んでいたみたいです。
いいよね、食休みなんてしたことないよ。そもそも食べることに興味のない娘に食べさせるためにおちおと味わって食べられない毎日だよ。
寝ていた私を起こしたよね。自分も同じことしてんじゃない。
疲れているならさっさと寝たらいいのに。
別に自分の食べた食器を片付けるでもない、歯を磨けばすぐ寝られるわけでしょ?
私はこれから勉強するの。来年から仕事しろって言われているから、正直、幼稚園代も出ない我が家の家計、働きに出ないとやっていけない。
だからそのために来年早々にある資格試験に、安い講座を見つけて通って、娘を寝かしたあとに勉強している。
いろいろ、言いたいことは、たくさんある。
でも一番は
「怒鳴らないで普通に言えばいい」
ということ。
なんで穏やかに言えないのだろう。
疲れて帰ってきて、お腹いっぱいで、寝てしまった、それは分かる。
私は冬にごろっと横になって寝たらどんなことになるか分かっているし、体調崩すと寝込んでいられないし自分が大変なので、疲れているときはさっさと休む。
文句を言い続けていた夫に、いつものが出た。
「じゃあもう夕飯いらないよ。そんなに大変ならもうオレは弁当買ってくる」
・・・毎回、出るこのセリフ。
でも一度だって、そんなことをしたことは、ない。
いつもいつも口だけ。
そこまで悪態をついていながら、よく手ぶらで帰ってくるなと思う。
家計が苦しい、と言えば
「じゃあオレが夜も働くよ!」
・・・でも転職に動いたことも、夜働くようなアクションも起こしたことは一度もない。
なんでその場で軽く、やりもしないことを言うのだろう?
そして朝になったらにこにこして、何もなかったような顔している。
メールで「ベッドで休んだから疲れが取れました。夕飯よろしく」
どの口が言うんでしょうね?
昨日より早く夫が帰宅しましたが、入浴している時に娘を寝かしつけて、そのまま寝てしまいました。
シンクには、炊き込みご飯など食べた食器がありました。しかも炊き込みご飯、ほとんどなくなってました
夫は大好きなのです、炊き込みご飯。
あーあ。
悪い人ではないですし、わたしが勉強に通う時は娘を連れて義理実家に行ってくれます。
自分がやりたい家事だけですが、やらないわけではありません。
でも・・・普通にしてくれればいいのに。
私には、夫に対する愛情はもうありません。
結婚当初、本当に優しく、愛情あふれる接し方をしていました。
でも5年の間に、それはなくなってしまいました。
夫はそれに応えてはくれなかった。
心が冷えました。
それでも、娘はパパが大好きです。
甘いものがいけないと分かっていても、娘が喜ぶから与える。
目に悪いし、どんな影響があるか分からないから与えないで欲しいと言っているのに、喜ぶからと使わないアイフォンを落札してそれが赤ロムですったもんだして、それでも手に入れて与えてしまう。
娘はユーチューブに釘付けになり、ほっとくとずっと見ています。取り上げると泣き叫ぶし
知らなければ、そのままいくのに、なぜ強い刺激を与えてしまうのだろう。娘に悪いと分かっているのに。
それは「娘が喜ぶのを見たい自分」が優先だから。
「娘が喜んでいることをしてあげている自分」になりたいから。
「娘に良くない」ことより、「自分の快」が大事だから。
・・・なんかなあ。本当に疲れるのです。
この人と関わりがなかったら、私の人生はもっと違っていたのにな、って。
もちろん、この道を選んだのは自分です。だから、今、苦しんでもがいています。
もし、仮にもう一度人生が選べるのなら、わたしは夫がいない人生を選びます。