魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

ドラマが好き。

2011-12-30 23:06:04 | 本・映画・テレビのこと

「坂の上の雲」、終わった~

3年がかり?

秋本兄弟の死で、幕を閉じた。

好古、最後に「馬曳け」って・・・実話だそうで

日露戦争がどうやって始まって、どんなものだったか、日本が勝てたのは本当にわずかな勝利を重ねて、極東の小さな島国が世界に示したものはなんだったのか。

明治という時代がどんなもので、どう昭和につながっているのか、または太平洋戦争につながったのか。

そこはまた「99年の愛」につながるところもあるので興味深い

(橋田先生はやっぱりすごい見ごたえのあるドラマでした

日露戦争の戦闘シーン・・・むごたらしいけど、ああいうことがほぼ実際あったんだろうな・・・と。

実際、日露戦争で大切な方を亡くされた方は、観ていてつらいだろうな、と思うくらい。

戦争はいやだ。単純にそう思う。

「99年の愛 ジャパニーズ・アメリカン」で、日系人だけのアメリカ部隊の活躍が、その後の日系人の運命を変えたという。

大きな犠牲の上に、今があるって、月並みだけど映像で本当に分からせてくれたドラマだった。

 

わたしはドラマが好き。

だから1クールに何本か決めて観ている。

今年は「仁」が素晴らしかった。

最終回、泣けた

仁が読んだ手紙は、大沢たかおさんが実際初見の手紙で、あの涙は本物。

原作のコミックは違う結末だったけど、あの切ないラスト、大きな江戸の夕日。

そして「家政婦のミタ」。

松嶋奈々子さんは名女優になったと思う

原作がないオリジナルでの快挙でもあった

大河も一応観ているのだが、「江」はちょっと漫画?というノリで

「それでも、生きていく」の大竹しのぶさんの演技・・・ワンセグで録画したのだけど、娘を殺された母親の独白シーン、消せないでいる。

犯罪の被害者と加害者、その家族がどんな境遇に投げ込まれるか。

よくこんなドラマを制作したなあ、と思うほどだった。

心に残るシーン、セリフ。

ドラマって短い間で終わってしまうけど、心に残るものがたまにある。

それに会いたくて観ている

蛇足ですが、イチローさんに蟹をむいている方、すごいと思います

AKBがレコード大賞受賞、嬉しい

大島優子ちゃん、ロングの方がいいな彼女は演技しているより、彼女のままが一番魅力的だと思う。

わたしは秋元さんが好きなのですでもみんな可愛くて好き

元気をありがとう

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夫の買ってきたもの

2011-12-30 22:20:46 | 夫のこと

先日、帰省したユウコに会いに行ってきた

その日は夫がお休みだったのですが、ショーコがこの日が都合がいいということで約束したのだけど、ショーコの娘ちゃんが体調悪くなってしまったので、この日はユウコとユウコの娘ちゃん2人と一緒に。

夏に2人に会う予定だったのだけど、家出のためにお流れに

ユウコと会うのは春休み以来。娘ちゃんたちも大きくなって、可愛いこと可愛いこと

菅野美穂似の美人のユウコに似て、2人とも大きな瞳が可愛らしい

ユウコに家出の顛末や義理実家のことを話したら、

「孫のことを可愛がってくれるならいいじゃん~うちなんて、この間遊びに行ったら忘れられていたよ」

もちろん、前もって言ったあったのに、忘れられてたらしい。

うちはそれはないな~・・・。

やっぱりユウコはしっかりしている

2人の子どもをしっかりしつけていて、2人とものびのび育ってるってかんじ

ママ友以前のお友達って、やっぱりいいな

ユウコはママとしての先輩だし、いつも話すと楽になる

そんな感じで夕方家に帰ったら、夫が得意げに

「いいもの買ってきたんだ

と言うのですが、それは断熱シート。こたつとか、ホットカーペットの下に敷いて、床からの冷機を遮断して熱を逃さない節電グッズ。銀色のシート。

しかし、それは節電を考えたときにわたしも考えたものだ。

でもやめた。

なぜかというと、うちは床暖房だから。

ホットカーペットも使うけど、床暖房も使うから意味ないよなと思ってやめたもの。

床暖房の熱をさえぎってしまうことになるから。

しかも、夫はそれをホットカーペットとカーペットカバーの間に挟んでいる。

さらに意味ねー

それを説明すると、夫は逆切れ

ネットで調べていたみたいだけど、意味ないことがわかったのか、

「北側の自分の部屋に持ってく」

と言って敷いて

「あったか~

と喜んでいた。

さらにさらに、夫は発泡スチロールで出来た、窓の前に置くシートも買ってきてすでに設置していた

こういうの、嫌なんだよね・・・

それも夫の部屋にGО

まあ活用されています。

先日、シャンプーが切れそうなので、ユウコと会うついでに駅前に買ってくればいいか、と思っていたら、夫が

「ネットで買っといたよ

と言うのですが・・・リンス2個とシャンプー4個も買っていて

ネットで買い物するの、好きなんですよ、夫。

放置するとかいものしちゃう

シャンプーこんなに置いておくところが・・・それにカードで支払いだけど・・・夫に

「買い物する時は相談してね」

と言っておいたのに

小さいことなんですよ、ほんと。

経済的にゆとりがあるお家なら、ほんとささいなこと。

でもうちはそうじゃないから・・・。

今回もシャンプー今日来たばっかりなのに・・・。

必要で生きるものだったら、お金がかかっても納得できる。

でもさ・・・わたしは「安いから、タダだから」といらないものを貰ってくる夫もいやなのだ。

「余計なストックは逆に節約ではない」と聞いたこともある。

 

「相談してねって言ったじゃない、それに考えれば床暖房じゃ意味ないことわからない?」

ときつめに言ってしまった

「相談する時間がなかったんだよ

と怒り出す始末・・・携帯あるんだから、ちょっとかければいいじゃない・・・通話無料なんだからさ

ちょっと放置するとすぐ買い物をする夫。

生きているお金をつかってもらいたい。

なんでそんなに馬鹿なの?

前もすぐ故障したサーモマグを、おまけが付いてくるからって同じの3個も買うし

何回も同じことする、何回も同じこと言ってる・・・と思ってムカムカしていたら、なんか同じこと考えた・・・。

2歳の娘にも、何回も同じことを叱って、何回も同じことされて・・・夫と娘が同じだ

テーブルの上に上る、叱る、下ろす、また上る、叱る、下ろす、たまに「ごめんなさい」と謝るけど、またする・・・この繰り返し。

夫もほぼ同じことをしている・・・。

ママは倍疲れる

でも、娘は成長している。だんだんしなくなることも出てきた。

夫はどうか?

悪い癖のように無駄な買い物をする。

以前は夫のお菓子代とインスタント食品代で6000円もしていた。今はお小遣いから出してもらっている。

夫も変わったけど、なるべくこの癖も治して欲しいものである

 

 

 

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ドラマ「家政婦のミタ」

2011-12-24 12:21:46 | 本・映画・テレビのこと

出来る限り観ていましたが「家政婦のミタ」、なんと最終回40%の視聴率をたたき出したとは・・・

みなさんは観てましたか?

「どうなるのか・・・」と思って観ていましたが、最終回、脚本のちからってすごいな・・・と。

「ミタさんってサンタさんって読めるから、サンタさんだったのかも」とか。

「一生笑わないで!」と言われてそれを守っていたミタさんだったが、言った当の本人の義母はまったく忘れていた・・・とか。

番組宣伝に松嶋奈々子さんは出ない、続編など一切やらない、伝説のドラマになる、という戦略もアタリでしたね

それに、最終回のミタさんが微笑んで、家族一人一人を見つめながら・・・花が開いたというか、光が見えた素晴らしいシーンでした。

「笑顔の力」というものの素晴らしさを実感したシーンでもありました

微笑むだけで別人に、旦那さんと息子さんが亡くなる前のミタさんに・・・「ママ」と呼ばれていた頃のミタさんに戻った瞬間・・・ミタさんがどんなに幸せで美しく賢い人だったか、そしてその失ったものの大きさ、絶望・・・。

それを一瞬にして感じさせた、松嶋さんの演技力に目を瞠りました

夫と黙って真剣に観ていました

うららちゃんを滅多打ちにするシーン。

本当に、大きなものを失った者だけが言える言葉。

「私のようになってはいけません」

不覚にも、ドラマで泣いたのは久々でした

 

今期、他に観ていたドラマ(といってもワンセグで録画できたら、携帯で観ていたのですが)ではクドカン好きなわたしは「11人もいる!」、単純に笑える良いドラマでした

「蜜の味」、禁忌の恋という盛り上がる展開でしたが、ふたりが結ばれるシーン、菅野美穂さんの美しさと怖さ、最後の許しが印象的でした。

「私が恋愛できない理由」、最後に「恋愛だけがすべてではない。仕事がある」という結末とヒロインに好感が持てました。AKB大島優子さんは、歌っている時の方がすっごい魅力的あまり前半良い役ではなかったからかな?

将来のことを考えると眠れないので、ドラマを観ていたのですが、まだわたしには余裕があるかな?

心に残ったドラマって、今まで「あ・うん」「思い出にかわるまで」「抱きしめたい!」「ロング・バケーション」「殴る女」「木更津キャッツアイ」とかいろいろありました。

「家政婦のミタ」はわたしの中でそのひとつになりそうです。

 

 

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子どもを叩くか叩かないか

2011-12-24 11:37:14 | 日々のこと

わたしは子どもを叩かない、と決めた。

入院していて帰ってきたら、夫が娘を叩いていた。それまで娘を叩いたことはなかったのに。

でも「叩くことも必要」という夫の持論に「そうなのかな」と思い始め、叩いた。

そしたらわたしのことを叩く様になった

悩んでいろいろ育児書などを読んだりして、自分でも調べて考えて、叩くのはやめようと決めた。

けど、先日サークルで娘がぐずり、役員の仕事もあり、いらっとして手が出た。頭をぺちんとやってしまった

ぱっと手が出たことは初めてで、正直これが「気が付いたら手が出ていた」状態か、と思った。

ママ友でびしびし叩く人がいるのだけど「口が出る前に手が出てしまう」と言っていて、その時は「そんなことってあるのかな」と思っていたのだけど、それがこれか、と。

最近特に「自分でやる」が出てきたからなのか・・・自我が強くなってきて、いらっとすることが増えた。

わたしは人の目が気になる。娘と2人のときはそういうことがない。叱らないと、と思ってしまう自分がいる。

サークルの役員を1年した。サークルに行っても打ち合わせや役員の仕事で楽しめなかった。

今月でやっとお役御免だ。

その間、目が届かなくて、娘はサークルをやっている児童センターから毎回脱走した。

止めてくれる人はいつも同じで、助かった同じくやんちゃな女の子がいる役員さんだった。

これからは幼稚園まで、サークルに行って娘とたくさん遊んであげたい。

 

いつもお友達にやられっぱなしの娘だが、先日ついにお友達にやりかえして叩くことがあった

よく遊ぶ、同じマンションに住んでいる同じ歳の女の子。

その子はとても賢くて、娘より遅く産まれたのだけどぺらぺら喋り、手先も器用だ。

娘はその子が好きで、ふたりで走り回っている

でも、その子はおもちゃの取り合いなどなったとき、娘を叩く。髪を引っ張る。

最近は強くではなく、かするくらいの間合いで、おもちゃを取られないように手を出す。

娘はやり返さないし、他のお友達を叩いたりすることがなかった。

大きい男の子に突き飛ばされたりすることもあるが、泣いているだけである。

その子のママは「うちの子はりおちゃんを子分みたいに思っているから」とも言っていた。(これはちょっとカチンときた

そのママは、その子を叩いているのだ。

先日も娘の髪をひっぱったその子の髪を、ママが怒ってその子の髪を引っ張って、「やられたら痛いでしょ」と叱ったのを見て、周りのママ共々ドン引きしていた

いつも毎回叩かれて泣いている娘だが、そういうことはこれからもあるし、それもお互い様と思ってきた。

叩く、叩かないはそのうちの教育方針、しつけだし、うちは叩かないし、そのうちは叩く、という違いだけだ。

しかし先日、また支援センターでおもちゃの取り合いになった娘とその子。

また娘が叩かれて、娘が泣き出した。

そうしたら、ついに娘がその子を叩いたのだ

1年以上叩かれ続け、ついに娘が反撃に・・・

正直、驚いた

あわてて止めたけど、頭を一発、ばしっと叩かれたその子はびっくりして呆然としていた。

保育士さんも「泣くわけでも、ママに助けを求めるわけでもないから、大丈夫よ」と言っていたけど、子分に反撃されてびっくりしたのだろう。

わたしは「やられてもやり返さない子だ」と思っていたのだけど、ついにやり返してしまったわが子にとまどった

母としては「よくやり返した!」という気持ちもちらっとあって「はっいけないいけない」と思ったり

やっぱり「やり返さない子」でいて欲しかったなあ、という気持ちが大きく・・・。

その後、いろいろ忙しかったりしてその子と2週間ほどふたりで遊ばなかったら、娘は私を叩かなくなった。

サークルで会うことはあったけど、ふたりで遊んでいないので、また叩く・やり返すがあるかは分からない。

でも、やっぱり叩く子になって欲しくないし、やり返す子にはなって欲しくない。

だからわたしは叩かないで言って聞かせたい。

しかしこれがやんちゃくれで・・・ごめんなさい、を覚えたら、やたら外で怒られると「ごめんなさい」を連発する。

わたしがすごいうちで虐待してるみたいじゃん・・・それなのに、スパゲティを散らかしたときはぜったい「ごめんなさい」を言わないのだ

育児は難しい

助けがない、一時保育で預けるお金も出せない(夫曰く。たった2600円なのに)状態で、夫が土日が休みではないので娘と2人だけで過ごしている。

正直、行き場がない気持ちがすることが多々ある。以前は車に乗るな、と夫に言われていたので、本当に行くところがなかった。

今はどんどん出ているけど、夫が「雪が降ったら車で出るな」とまた言ってきた

でも娘もずっとこのままではないので、気を長く持ってやっていきたい。

娘はたった一つ、この結婚で得たもの、それも人生最高の宝物だから

 

 

 

 

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2011年

2011-12-24 11:17:17 | 日々のこと

あと一週間足らずである。

今年は東北の大震災、福島の原発事故という大きい災害で揺れた一年だった。

わたしにとっても大きく変化があった年だった。

去年の今頃は、夫に対して離婚したい、という気持ちでいっぱいだった。

離婚しようと動いていた。

それが3月の震災で一変した。

それからいろいろな変化があった。

もう逃げられない。行くところがない、帰る場所がない状態になった。

ここで腹をくくってやってくしかない、と

自分では、サークルの役員を一年間通してやったこと、もうひとつのサークルの代表として表立った活動があったこと、ボランティアを始めたこと

もう、ここから逃げられない。ならば自分を、この場を変えていくしかない。

そしてたくさんの出会いもあった。人脈を作って、いつかこれを収入に結び付けられたら。

お金がないなら、お金がかからない方法で娘に習い事をさせていこう。

市で運営しているものや、安いレッスンを捜して通い始めた。

来年はもっと娘と一緒にいろいろなことをしたい。

段々車や電車に長く乗れるようになってきたので、幼稚園までの一年、いろいろな体験をさせてあげたい。

友達をたくさん作って、きょうだいがいないハンデを埋めてあげたい、と思っていたが、ママ友といろいろあり、やっぱりわたしが娘と遊んであげよう、一人っ子は一人っ子なりに・・・と思うようになった。

ショーコは「子供は嫌いだから、ぜったい一人しか要らない」と宣言していたのだけど、その通り、子供は一人だ。

「ママ友はわずらわしいからいらない」と言い、子供とママで過ごしている。

実に上手く子育てをしていて、強く怒ることもないし、叩くこともないそうだ。

わたしもショーコを見て、考え方を変えた。

来年は、娘のことをちゃんと見ていこうと思う。

そして辛抱強く、夫との関係を強くしていこうと思う。

優しくなりたい。

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めまい

2011-12-24 10:44:54 | 日々のこと

この間、また義理実家に行きました

行くのに1時間・・・やっぱり若干遠いよなあ~

暖房はこたつと灯油のストーブのみだし。

夫は寒さのためか、義母が作った料理がなにか古かったのか・・・(よく聞く話。)お腹を下した

わたしも次の日、お腹下したから揚げが脂っこかったのか・・・義理実家では揚げ物がごちそうなので、揚げ物が必ず出る。

あとは賞味期限が行ったその日のものとか。

なんか疲れてしまったのか、次の日の夜、なんか目眩がするなあ~と思っていたのだけど、朝起きたらちょっと立ってられないくらい目眩がした。

天井のライトが少しずつ移動しているように見える。かたつむりみたいに。

それで横になっていたら、娘がリビングいっぱいにスパゲッティを撒き散らしていた

少し使ってあった一袋、全部である。

これがまた片付けるのが大変ポキポキ折れて拾いにくいずいぶん時間がかかった。下を向くとめまいがひどくなるし。

それで今度はリビングに横になっていたのだけど、少しうつらうつらしていたら、またどっかから麺を拾ってきて散らかしていた

またすんのか?なぜに?でもそれが二歳児。

それでも夕方まで横になっていたら、ようやく治ってきた。

床暖房のリビングで、毛布をかけてほっかほかになっていたので、ようやく身体の冷えが取れたのか。

ほんと、疲れてうとうとしていた一日だった。

先日、夫にボーナスが出た。

でもそれはローンと税金で飛んでしまう。

月々は足りないし、生きることで精一杯。

わたしが働かないと、幼稚園代も出せない、どうにもならないこの生活。

だれも助けてくれる人はいない。

夫婦でなんとかするしかないのだ。

こうやって、どちらかが動けなくなったらアウトだ。

本当に、空恐ろしくなる

今までは収入が低かったら、仕事に不満があったら、転職したりスキルアップするなり努力してなんとかしてきた。

自分でなんとかしてきた。なんとかしてこれた。

でも、今は自分ではどうにもならない

収入が少ない配偶者を選んだ自分がいけないのだ。

自分が頑張っても、今のこの状態では出来ることは限られているし、娘のことを第一にしたい。

切り詰めればなんとか娘が幼稚園に上がるころまでやっていける。

幼稚園に行ったら延長保育で働く。

月に10万も稼げないかもしれないけど、こうしないと生きていけない。

夫は仕事の評価を下げられ、来年からボーナスが5万減るそうだ

今月から貯金をやめた。

貯金していたら、生活できない銀行残高になったからだ。

夫は出世コースからドロップアウトした。定年時の年収も見えた。私の父の年収の半分にも満たない。

本当に、将来のことを考えると不安で眠れない。

自分が、経済的な理由で子どもをひとりしか持てないなんて、思いもしなかった。

自分の家族のために、大学時代は姉と弟と住んで家事をやり、自分で生計を立て、親に援助してもらうこともなく(当たり前だけど、姉は家賃も出したことがないし、弟は4留年、仕事をしてからも両親に仕送りしてもらっていたし、車も買ってもらっていた。)、姉の子どもを育てるサポートをして、両親がどっちか一人になったときのためにマンションも買って、出来ることはしてきた。

でも、今だれも助けてはくれない。

夏の騒動で、母親からも「もう連絡してくるな」と言われた。

姉も、電話してもほとんど出てくれない。

自分の家族ではなく、夫の家族に頼ってやっていこうと思っていたが、あっさり「出て行け」と切られた。

身から出た錆なのだろうけど、なんでこうなってしまったのか・・・自分では分からない。

ただ、今は家族三人で頑張っていくしかないんだな、と思う。

娘だけが希望だ。

 

 

 

 

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義理実家に行きました。

2011-12-10 22:16:08 | 日々のこと

先日、約三ヶ月ぶりに義理実家に行きました。

夫が一日家事育児を換わってくれたことが、背中を押したと言うか。

夫のお願いも聞く気持ちも出てきたので

すっごい気まずかったけどね

用事があって行ったのが当初の予定から遅れて到着。

義母にメールしていたのですが、義母は庭に出て待っていたようでした

そして到着するなり(いつのもことですが)娘を抱いてうちのなかに。

一応「リツコさんも早く」とは声をかけてもらいましたが。

しかしうちのなかが寒い

エアコンがないので、暖房は灯油のストーブひとつとコタツ。

しかもストーブの上にヤカン。そして去年はサークルを置いてくれていたのですが、今年はなく。

「いいわよね~?」

と微笑む義母。いや、あぶないっすよ

早々に近くのショッピングセンターへ行き、アカチャンホンポで娘の服を1万円分ほど買ってもらいました。

車に乗り込んだのですが、わたしが一番後ろのシートに一人で座り、その前にチャイルドシートの娘、隣に義父・義母。

しばらくしたら娘が

「ママ~

と騒ぎ始めたのですが、その時義母のいった言葉。

「おじいちゃんもおばあちゃんもいるんだから、ママはいいでしょ!」

・・・はあそうですよね、「離婚するならりおちゃん置いて出てってください!」って言うんだもんね、本音が出るね

義父にいたっては、娘が「かんぱ~い」とやった時も、わたしだけグラス合わせず、目も合わせなかったしね

まあいいんですよ、孫が可愛くて、孫さえ産めば誰だって良かったんでしょうから。

しかし今まで一ヶ月に2回は来ていた義理実家は、改めてみるとやっぱりすごかった。

夏は暑いし冬は寒い。

お夕飯をいただいてきたのだけど、お料理の湯気がすごくて、娘に食べさせるためにふーふーして冷まそうと思ったんだけど、あまり熱くない。

そう、寒くて湯気がすごかっただけなのだ

帰りに夫が

「季節が良い時はいいけど、夏と冬はなるべく行かないようにしたい・・・」

あなたが産まれたときから住んでいる家ですが?

やっぱり義理実家とは適度な距離を置いてお付き合いするのがいいのかも

いずれ夫と娘で行ってもらうようにしようかな・・・なんて思いました。

義父と義母が結婚したとき、義父の両親はもう亡くなっていて、実家にはお兄さん夫婦がいらしたのですが、義母は夫が小学生くらいから義理実家に行かなくなったそうです。

今もお葬式の時のみ、わたしたち家族が義父と一緒に行ったときも行きませんでした。

だからわたしが行かなくなっても、理解(?!)はあると思います。

でも、娘が小さいうちは、70の義両親には預けられない心配で

相変わらず薬や、以前義父が見ていた時に娘が飲んでしまった植物の栄養剤も片付けられてなかった

うちの両親は、孫が来る前には全部片付けてくれているんだけどなあ・・・。

しかし今年、年越しが夫の家族と一緒に旅館に泊まる、というプランだったのですが流れてよかった

夫は1日のみの休みなので、ゆっくりしたかったので・・・。

今年はあと1回行く予定ですが、義理両親は娘とのクリスマスを楽しみにしていて、プレゼントも用意してくれているそう。

本当に娘のことは可愛がってくれている。ありがたいことである。

まあこの距離感でお付き合いしていけばいいかな・・・と思います

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ありがとうございました

2011-12-04 11:52:06 | 日々のこと

「リツコの結婚できるかな?」

ブログを始めたのが2006年10月。

約5年がたちました。

「結婚するためのモチベーションを上げ、目標に到達するための記録として」始めたブログ。

そうは言えど、本当に結婚できるのか?当初は迷いが見られますね

今は主に夫の愚痴

変われば変わるもんです

というか、人は変わるものなんですね。

33歳、婚活中(この言葉、なかったですね~)マンション買っちゃった女子だったわたし。

いまや39歳、専業主婦、育児真っ最中のわたしになったわけで。

少し読み返してみると、ちょこちょこ夫のことが書かれていたり。

結婚する時、その「人生で一番好きだった人」と結婚できて本当に幸せだったんだな、とか。

いつからこんなに夫への気持ちが変わったのかな?と自分でも不思議なくらいで

今なら

「そんな何十万もするベッド買う年収じゃないのよ~

とか

「ちゃんと貯金通帳見せてもらって結婚しなさい

とか

「婚約指輪にそんなに使うなら、新婚旅行行っときなさいもう海外なんて行けないから

とか

「そんなに外食しないでお金貯めなさい

と言いたいことがたくさんある。なんかお金関係ばっかりだな・・・

「ちゃんと正社員で就職して、産休取れるようにしといたほうがいいよ。それか資格取る勉強しなさい」

といってあげたい

それと

「義理両親とは上手くやったほうがいいよ~」

とか。(義理両親とのその後は、また次回に

独身の頃に住んでいたマンションより狭い今の我が家。小狭いマンションでも掃除も楽だし冬はあったかいですわ

三人で寝ればあったかいし

外に出て働かなくても、カツカツで夜眠れないほど厳しい経済状況だけど、なんとか娘のそばにいられる。

何より、今は娘がいる

育児は難しくて、日々悩むことばかりだけど泣いてしまう時もあるけど。

昨日やっていた湊かなえさん原作のドラマ「境遇」。

原作のなかに陽子が「裕太が生まれたときから幸せというものは、自分の幸せでなく裕太(息子)の幸せになった。」という一文があるのですが、母親ってそういうものだと思います。

夫も「もう自分のものはいい」(といいながら、結構細々買ってますが)と大きな買い物は一切せず。わたしも自分の着る物なんてどーでもいい・・・と思ってしまうまあ見苦しくないようにはしていますが。

5年前のわたしとは大きく違ってます。

このブログは、わたしのなかで救いでした。

つらいとき、誰にも言えないことがあったとき、ここに綴ることで吐き出させてもらっていました。

描くことによって整理できたり、客観的に見ることが出来たり、過去のことにしまうことが出来たり。

コメントいただくことはめったにありませんが、見ている方々がいる、ということが嬉しかったです。

無関心ではなく、見ている人がいる。好意だけでなくとも無関心ではなく。

数字として出てくる、PCの向こうにいる誰か。誰かが見ていてくれている。

それが嬉しかったです。

本当に落ち込んだときには暗闇のなかに灯る小さな蝋燭のように、こころのなかをあたたかく照らしてくれる支えでした

これから、当初の婚活とは全く違ったブログになっていきますし、なかなか書けない期間もあるかもしれません。

でもよろしかったらリツコという一人の人間を見守ってください。

今までありがとうございました

これからもよろしくお願い致します

 

 

 

 

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眠れぬ夜

2011-12-04 10:32:28 | 日々のこと

久々に女友達のショーコが遊びに来てくれた

ショーコはわたしより1年くらい早く結婚・出産していて、娘ちゃんは3歳

もうぺらぺらですっかりお姉さんになった娘ちゃんママと一緒にロングヘアをポニーテールにしている

ショーコは1年前くらいに家を建てた

その前に旦那さんを、自分のお父さんが勤めている会社に転職させた。

勤務時間は短いが収入が低かった仕事から、夜勤はあるが倍近くの収入の仕事に転職させてもらった。

それから家を建てたのだが、土地もショーコのお父さんが買ってくれた。

旦那さんは大変な仕事になったのをきっかけに、今までもあまり参加してなかった家事・育児を一切やらないと宣言した。

ほんと~に、一切やらないそうだ。

彼女が「娘は幼稚園までは働かないで自分の手で育てたい」と言って仕事をやらないことを選択した。

旦那さんは「お前がそう言ったんだから、お金がないと言うな文句言うなら働け」と言うそうだ。どっかと似てるな・・・

土日の休みになると、趣味のサーフィンやボードに行って夜は飲みに行ってしまう。

お金がないから控えて欲しい、と言ったら「遊びや飲みに行かないと死んじゃう」と言われたそうだ

まあ気持ちは分かるけど・・・

長い人生のたった3年程なんだから、自分のことより子供のことを考えられないものだろうか?とわたしは夫達に対して度々思う。

ショーコは旦那さんの転職前は月2万円で食費をまかなっていたそうだ。

わたしもみならって頑張ったけど、2万では足が出てしまう・・・本当にショーコは頑張っていた。

(あまりにも収入もないのに彼が使うので、彼のお母さんを呼んで、その月の献立と食費などの出費をノートに書き出して「これでやっているけどここから削れるところがあったら言ってください」と迫ったそうだ。

それを見た義母は「これ以上は出来ないだろう」と認めたらしいが、その次に言われたのが「ショーコさんの実家から援助してもらえないの?」だったそうで

「あの親にしてこの子あり」byショーコ)

今はゆとりもあり、旦那さんの晩酌のアテもあるからそれではやっていないそうだが。

そんな旦那さんでも、最近はすっぱりスロットをやめたらしい

ショーコがつましく家計をやりくりして、家事・育児を完璧にやっている姿を見て、彼も変わった様だ。

結婚当初、ショーコの稼ぎを当てにして、彼が自分の給料を全部スロットですったこともあったが、

「離婚すればいいのに・・・」

なんてわたしもアヤナたちと話したりしたんだけど(余計なお世話よね)

ショーコは行動によって彼を変えたのだ。

すごいことだと思う

ショーコは彼の実家の農家も手伝っていて、土日呼び出されるらしい。彼は行かなくても彼女だけ行くそうで。

ほんとに良い奥さんだ。

8月、私が家出したときも次の日ショーコに会う予定だったので連絡したら電話をくれて一緒に泣いてくれた

そのショーコとお金の話をした。

ショーコは主人と同期なので、会社のことや給与のこともよく分かってる。

ショーコのとこは車が2台車検が同じ年にありそれが2年ごとに25万。

そして一戸建てだと保険が高額。

来年幼稚園に入れたらパートに出る予定なので、幼稚園は自分の実家の近くでショーコも行っていたところに決めたそうだ。

全面的に実家に頼れる環境にあるので、そこは救いだ。

(でも彼女のご両親はショーコが遊びで子どもを預けることは絶対に許さないので、ショーコは出産してから一切飲みに行ったりせず、

娘ちゃんと離れた時間は「最大2時間くらい」だそうだ。

先日も健康診断なのに旦那さんは知らん振りだったので、娘ちゃんを連れて病院に行ったそうだ。

娘ちゃんは採血とかレントゲンとか、目を丸くして見ていたそうで

実家が近いからといっても、甘えた環境ではないのだ)

うちも保険や税金関係はボーナスで補填するような家計状況だ。

「お金のことを考えるとこれからどうしたらいいんだろうって考えると、夜眠れなくなる」

とショーコが言った。

そうそうなの

わたしも眠れなくなる。

このままのペースで貯金していったとしても、主人が定年になる頃に貯まる額では、老後暮らせない。

再来年娘が幼稚園に行ったら働きに出ることは必須だ。

わたしの肩に足りない分がかかっている。

でも娘が具合が悪くなったら・・・とか不安がある。

実家に頼れない我が家はどうしたらいいのだろうか?

ファミリーサポートくらいしか考えられない。

うちは主人が家事育児に協力する姿勢を見せてくれているから、なんとか頑張って働きに行こう、という気持ちになっている。

でもそう思えるようになったのは最近だ。

夫のために、夫の収入の補填をするためには働きたくない。

夫に憎い気持ちだった時は絶対嫌だ、と思っていた。

働くのは好きだ。スーパーに行っても、レジ打ちもいいな、と思う。わたしだったらこういう工夫をしてサービスをしたい、と考えが浮かぶ。

でも、夫のために働きたくない。そう思っていた。

夫は変わった。全面的に家事育児をしてくれるようになった。

わたしもこのペースなら共働き出来るかも、と思うようになった。娘のお世話に集中できるようになったし、夫が休みの日は娘を預けて買い物に行き、食費を抑えた食事を考えて、また新しいメニューも作る余裕が出来た。

夫はとても気が利くようになり、びっくりするほどだ。

今まではなんだったの?というくらい、こちらのニーズをくめるようになって助かっている。

以前は自分がやりたいことをしていて、こちらのニーズなんて考えないのでいらいらすることばっかりだった。

ショーコの旦那さんも変わった。わたしの夫も変わった。

4年の時間をかけて、変わって行った。

生活への不安は一緒。

一部上場優良企業、倒産の心配なんて絶対無い会社に旦那さんが勤めるユウコは、化粧品は基礎からディオールだし、新しいカルティエの財布を「ここ数年分まとめてのパパからの誕生日プレゼント」と笑っていた。さりげなく良いものを持っているし、里帰りに帰ってくる彼女はとても垢抜けている。

今年神奈川の人気の地区に4LDKの家を建てた。子供は2人。

「プレゼントなんてもらったことないよね~

と声を合わせるショーコとわたし

多分ユウコの旦那さんの年収は、うちの夫の倍くらいだろう。

2倍の収入がある生活・・・いいなあ~どんなんだろう。

そんなに収入があったら、夜も眠れないなんてこと、ないんだろうか。

ショーコの旦那さんも、うちより収入は多いし、ローンも少ない。

3人のなかで一番きつい生活だと思うけど。

家族で頑張っていくしかないんだ。

 

 

 

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指輪の復活

2011-12-04 10:12:38 | 夫のこと

先日、4回目の結婚記念日でした

記念日や誕生日には特になにもなく、たまに小さなホールケーキを買ってきてくれるくらいで

結婚前の誕生日に1回アクセサリーをくれたくらいで。

な~んにも期待してないし、そんな余裕もなく。

そしたら先日、喧嘩した際に結婚指輪のサイズを直していることが発覚

ついに2年以上外していた結婚指輪が返って来ました。

夫が薬指にはめてくれたんだけど。

・・・ちょっと複雑な気持ちで。

「直す前のサイズは6.5だったんだって」

そして今は・・・9号に

そうだよな~すごい痩せてたからな~

購入する時にジャストサイズにしたのは、夫がそう言ったからだったなあ。わたしはちょっとゆるめにしようと思っていたのだけど、

彼に言われて「サイズが変わらないように頑張ろう」と彼への愛に誓って買ったのに(これはわたしが買ったんだよな~思い出した

ちょっとゆるめにしてもらったのは、「歳を取るときつくなってくる」からだそうで

ちょっと外していたら、夫に「ちゃんとしてて」とはめられた。

なんか枷みたいな感じ・・・

それでもちょっと余裕がある指輪は、寝るときもずっと外すことなくしっくりはまっている。ちょっとむくんでも平気なサイズ。

いつも寝るときに外していた夫も、ずっとしたままに習慣をかえた。

が。

先日ビール一本で酔っ払える夫が、寝て起きたら「指輪がない」とやりだした

ベッドの下までマットを上げて捜し回り、ないない、と騒いでいたのだけど。

結果は無意識のうちに自分の部屋で外してちゃんと置いておいたのが見つかった

人には外すなって言ってるくせに~

 

年賀状の製作にとりかかり、写真を選んでいたのだけど、夫とわたし、去年からまた変わったなあ・・・。

完全にパパとママになってる。

「お前変わったなあ~」

なんて言われるけど、夫も老けた

もちろん私も。

来年は四十路だ。

毎年家族で写った写真を使っていたけど、もう今年から娘の写真のみにしよう。

ゆるめの指輪。

ゆるめのわたしたち。

それを許容して生きて行く。

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