魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

里帰り③

2013-08-11 18:21:01 | 夫のこと

目の前が海の旅館に泊まった夜、母と夜中まで話をした。

母は自分が舟をこいでいるのに、私の肩や腕をマッサージしてくれた。

長い時間話をした。

両親と会えなかった間に、夫との間にあったこと。

これからの仕事のこと。

たくさん、話した

母と話して、夫と離れたところに来て、はっきりわかったこと。

「わたしはいつまた殴られるか分からない人と一緒にいたくない。そういう人と一緒にいるのは怖い」

「わたしが働いて、何とかしても、夫は変わらないだろう」

「わたしがずっと、頑張っていくしかないんだろう」

「わたしは夫に信頼されてないし、わたしも夫を信頼していない。築き上げられなかった」

そして思うのが

「なんでわたしはこの人に出会ったときからずっとこんな扱いをされないといけないんだろう?」

ということ。

もし、わたしの娘がわたしと同じ目にあっていたら、わたしは娘を引き取るだろう。

結婚する時に、母は反対した。

母の見る目があったのだろう。

わたしには、見る目がなかった。

これは本当だ。

ちゃんと見てなかった。

目をそらしていた。

目が眩んでいた。

そして、目が覚めた気がした。

「夫から逃れよう」

いや、時には逆に

「夫との生活を、自分がどうにかしなくてはいけない」

と、自分ひとりでどうにかできる筈もないのに、ひとりでどうにか出来ると思い上がって、馬鹿なことをたくさんした。

もがいてもがいて苦しんでいた。

義理の兄も一緒に旅しているのだが、夫のような付き合いづらさを感じない。

なぜなんだろう?

夫とわたしは、決定的なところが違うのだ。

大事にしているものが違う。

それでやっていけるのだろうか?

海から実家に移動して、着いたのは夜。

実家の玄関はうちのリビングより広い・・・田舎のうちは広いのだ。

高い天井は、冬には寒いそうだ。

長い廊下の先のトイレを、娘は怖い、と言う。

田舎の夜は真っ暗だ。

夜は両親の間に、娘と寝た。

次の日にはもう東京に帰る。

朝になったら、父が庭の菜園からトマトやきゅうり、とうもろこしなど姪と娘に取らせてくれた。

庭の池の鯉に、並んで餌をあげた。わたしも小さい頃、たくさんのいとこたちとやっていた。

昨日、市場で買った海の幸と、父が作った野菜の朝ご飯。

たくさん食べ過ぎて、義兄は人生最大体重になった、と笑った

両親と別れる時に、メロンやブドウなどたくさんお土産をもたせてくれた。封筒に入ったお金も。

涙が出た。帰りたくなくて、切なかった。

「なにかあったら、すぐに連絡しなさい」

と父が言ってくれた。

さよなら、また会える日まで。元気で。

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身につけたもの。奪えないもの。

2013-08-11 18:03:56 | 日々のこと

子供の頃は毎年この海で泳いでた。

わたしは海に潜るのが得意で、

「海女になって、尼になろう」

とちょっと本気で考えていた。

海は、にごっているとよく見えない。雨が降ったり、波が高かったりするとすぐに濁ってしまう。

だから澄んだ海に潜り、水底から水面を見上げると、太陽の光が射して、とても美しい。

そんな海に潜れるのはなかなかない事だと、今なら分かる。

今回の海は、濁っていてよく見えなかった。

姪に平泳ぎを教えた。

私は小学生の頃、ずっとスイミングに通っていた。

身についたもの。それはずっと消えない。こうして教えることも出来る。

娘にも、身につけさせてやりたい。

お金を残すより、そういうものをのこしてやりたい。

夫にお金が足りない、と言った時

「りおの習い事をやめさせろ」

と言われた。

出来なくて、娘が泣いていると

「無理にならなくていい、いやだったら辞めろ」

と言う。でも娘は繰り返して、出来る様になる。その時の笑顔。

私は自分が働いても、習い事はさせてやりたい。

親が続けさせて与えてくれたもの。

ピアノ、水泳、書道、弓道、茶道、お琴・・・。

出来なかった事が、練習を重ねて出来る様になる。その喜び。

ひとつのことを続けることの大切さ。

言葉ではなく、自分を表現できる術を身につける。

それを娘にあじわってほしい。

 

 

 

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シュウカツの結果。

2013-08-11 17:13:43 | 日々のこと

40歳、シュウカツの結果。

里帰りの前に連絡が来て、お陰さまで採用されました。

お盆明けから、4年ぶりの職場復帰です

始まってみないと分かりませんが、とても好条件な会社ですから、このチャンスを逃さないよう頑張りたいです

夫に採用されたことは言わず、求人票を見せて

「この会社どう思う?面接行ったけど、すごく感じいい会社だったよ」

と聞いてみました。

「すごい良い条件だけど、電車とバスかな。(←すごい時間かかる。でも車通勤は車ぶつけられたくないからイヤ)」

「りおのお迎えあるから、車じゃないとダメだよ。心配なら休みのときは送迎してよ」

「時給も高いね。お前、前やってた仕事だからいいんじゃない?」

「働いて欲しい?」

「まあこれで働けば結構いいね」

「じゃあ協力する?」

「まあ、採用されたらね」

「でも、20人も応募者いるんだって」

「じゃあ難しいな」

「・・・採用されました

「・・・ええっ

夫はすっごく驚いて、しばらく声を出しませんでした。

目をすごく見開いて、

「・・・お前、すごいな」

と。

「私はやるって言ったらやるんだよ」

とふざけて言ったら、

「おめでとう」

と握手されました。

何度もそれからも「おめでとう」と言ってきて。

まあ働けば、月にいくらか入ってくるわけですから、夫も嬉しいでしょうね。

私も、一週間たって電話がなかったので「ダメだったか」と思っていたのですが、次の日、お電話いただきました。

ちょっと信じられなくて、着信記録を見直してしまいました

次の日にハロワのおじさんから

「これ、20何人も応募があったやつ、蹴らないでしょうね」

電話いただきました。本当だったんだ・・・。

何を評価していただけたか、その仕事をしたことがあったということもあるでしょうが、面接の際に

「今日は実際にお会いできたし、良かったです」

と言われた事を思い出しました。

後日、メールをしたのですが、丁寧なあたたかいメールをいただきました。

せっかくいただいたチャンス、頑張ります

光が、見えてきました

 

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里帰り②

2013-08-11 17:00:40 | 日々のこと

娘が40度近い熱を出した夜、ついに初の解熱剤をお尻からイン

熱、下がりますね~、すごい効果だ。

次の日の朝には36度台に下がり、娘元気に

良かった良かった・・・でも元気になると、夫が怒るんですよね~

「片付けろ、散らかすな、そんなとこに上るな」ってね。

もう一度、喉の様子を診てもらいに小児科へ。

喉が治っていればヘルパンギーナとかじゃないから・・・お医者さんも熱が下がれば遠出も大丈夫って言ってたし・・・

なんてまあ、まず無理なんですよね、40度近くの熱出してたんだから

「あ、喉赤いの広がってるね~、ヘルパンギーナだわ、これ」

はい、終了~

姪に伝染るといけないので、海で合流することにしました。

首都圏まで出てから車で姉一家と海へ行き、そこで両親と合流するはずだったのですが、日程的に無理なので、2回新幹線を乗り継いで、海まで娘と2人旅

それまで治るか・・・いや、もう娘すげー元気

念のため・・・のインターバル4日間、つらかったですよ・・・

最後の日はFP2級の講習も、託児して行ってきちゃいましたよ。

そして朝八時半の新幹線で出発

しかし娘、起きたの4時半でした・・・前の日は早く眠たくなってて、7時半に寝てて。

新幹線のなかで寝ちゃって、乗換えで叩き起こして、5分で乗り継ぎ飛び乗って。

やっと着いて、両親と姉夫婦、親戚とお寿司食べて

娘は初めての海

怖がることもなく、浮き輪でぷかぷか浮いて楽しそう

姪と遊んでもらって、楽しくて楽しくて仕方ない。

旅館のご飯も美味しかった

両親と久々に会えて、嬉しかった

40になっても、やっぱり親と会えるのは嬉しいものですね

日本海の夕日は、とても綺麗でした

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エピソード2・DV相談に行ってみた。

2013-08-11 16:36:56 | 夫のこと

面接の前に、市の無料DV相談に行って見ました。

もう、シュウカツもそうなんですが、とにかく動かないと欝っぽくなって、どんどん動けなくなって、夫にまた怒鳴られて・・・

それが怖くて、とにかく動けるうちに動かなくちゃ、と。

すぐ面接の時間だったので、スーツを着て行きました。

冷房の効いた部屋に通されて、中年のふくよかな女性と話を始めました。

「ここで話したことは一切他に出ることはありません。ここだけの話です。」

と前置きをはなしてくれて。守秘義務ですね、カウンセラーの。

わたしは思いつくままに話しました。

暴力の程度、そこにいたる経緯・・・。

結婚前におかしいな?と思ったこと。

最初に手が出たこと。

おかしい、なんかおかしい、と思い続けて、もしかしてアスペルガーなのかもしれないと疑問に思ったこと。

夫の特徴を話すと「うーん、アスペルガーの特性がありますね」と。

ざっと何があったか、日付と出来事をメモしてきたのですが、まあよくこんなにあったなあ・・・

という奇行が次々と出てきますね。

出産手伝いに来た母をうちに泊めない、授乳中の娘を奪って部屋に篭城、娘の髪をいきなり切ってしまう、

ものを落とすと検証する、ひとより車が大事・・・などなど。

カウンセラーの方はうなずき、繰り返し、話を聴いてくれます。

最近の「履歴書を書いてみて」と言ったら「じゃあ働かなくてもいいよ」というくだりで初めて

「自分の都合でやれと言ったり、やらなくていいと言ったり、矛盾ですね」

と言われました。

本当に、そう。

ずるいなあって思う。

話しているうちにこう思ってきた。

「もしわたしがこれで働いてなんとかしても、夫は変わらないだろう。

これからもそれがずっと続くのだろう」

と明確に分かりました。

「殴られたあとに『暴力を誘うのが上手いよね』って言われました」

と言ったら

「それは違いますよどんなことをしたって、暴力を振るわれるようなことなないんですよ

と強く言われました。

そう、だから戦争はいけないのだ・・・なんて涙が流れる頭でぼうっと考えてました。

「義母はアバラにひびが入るほどの暴力を受けても離婚しないでいるし、もっとひどい暴力を受けている人もいるし。

夫は『自分にたて突くからだ』って言うので、私が悪いのかもしれません。私も完璧な人間じゃないから」

と言ったら

「それが洗脳なんです。暴力を振るう人間は、『自分は悪くない、怒らせるお前が悪い』と言うんです。典型的です。

いいですか、あなたは悪くない。暴力を振るわれるような悪いことはしてないんです。それだけは分かってください」

と言われました。

「光が・・・見えないんです。頑張っても頑張っても、光が見えないんです」

と私は泣いてしまった。

「仕事さえ決まれば、何か突破口になるかもしれない・・・夫も働けば文句を言わなくなるだろうし。

とにかく今は仕事を決めたいんです。」

と言ったら

「今は頑張って頑張って、ちょっと疲れているように見える。心療内科でカウンセリングを受けてみては?」

とアドバイスされました。

そして、暴力を振るわれたときは警察に連絡すること。

なにかあったら逃げること。

私は、いつも8月は何かあるので、怖くなっているのです。

一度だけでなく、何度もあったわけだから、またあるかもしれない。

エスカレートするかもしれない。

そしてわたしの中の気持ちが、夫が憎い、帰ってこなければいいのに、というマイナスの感情があふれて来ている。

自分が変わっていくのも怖い。

追い詰められていました。

早く、姉のところへ、両親の元へ行きたい。

「久しぶりの里帰りをして、ご両親にも話してきたら良いのではないかな。

充分あなたは頑張ったのだから、ちょっとゆっくりしていらっしゃい」

カウンセラーの方はそう優しく言ってくれました。

話し始めて、3時間近くたっていました。

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7月エピソード1・シュウカツしてみた。

2013-08-11 15:47:40 | 日々のこと

ここで7月の出来事をエピソード1、語らせていただきます。

実は私は7月あたまから職探しを始めていました。

その頃、私が何を言っても夫は

「働いてから言え

と怒鳴るようになって。

私だって資格取ったりして仕事につながるようになってるよ、って言っても

「それで金取ってないだろ

と。結構、心折れましたね・・・

その頃、私が何を言っても夫は

「働いてから言え

と怒鳴るようになって。

私だって資格取ったりして仕事につながるようになってるよ、って言っても

「それで金取ってないだろ

と。結構、心折れましたね・・・。

この人にでも折れていてもなんもならない。

だから「やってやる

とチャリで炎天下をハローワークに通い、新聞折込の就職情報をママ友からもらい(我が家は新聞とってないのです、人生初)、そのなかでめぼしい求人を夫に見せても

「ここに掲載されているのはいつも載っているとこだから、すぐ辞めるから募集かけているんだ」

などと屁理屈を言い(もちろん就職情報なんて夫は見ていません、だって新聞とってないから)、一向に動かない。

私がせっせと昼はハロワに通い、夜は職務経歴書や履歴書を書いていると

「そんなの昼間書けよ!」

というので昼はハロワに自転車で行ってるよ、資格の勉強もしているよ、と言うと黙り。

「あなたも一度履歴書書いてみたら?結構大変だよ」

と言うと

「じゃあ働かなくていいよ!」

と怒鳴る。

「資格を取るなり、転職活動してみて欲しい」

と言っても

「資格は金がかかる、資格取っても転職なんて出来ない」

と言うだけ。

そういう毎日の中で、一社受けてみたのですが、そこに来たのは6名。

私は営業アシスタントで時給800円で昼間の4時間だけの仕事に3人。私以外は20代独身らしき若い女性。一人はスーツでさえなく。

同じ会場で筆記試験をしていた月給14万の契約社員の仕事に3人。そのなかの2人が話していたのが聴こえてきた。

一人はスーツを着ていない女性でわたしに話しかけてきた「33歳独身」の人で、もう一人は子供がいる主婦のようだった。

「わたし、派遣1月で切られて、ずっと決まらないんですよ。今まで二ヶ月も活動したら決まってたのに。

どうも30代独身だと、結婚してすぐ辞めちゃうって思われるみたいで」

「私は12月に辞めてから決まらない。厳しいよね」

など・・・。うわ・・・独身でも決まらないのか・・・。14万の仕事なのに。

そして私の仕事なんて日給にして3200円、月に5万ちょっとなのに、なぜ20代独身の女性が来るのか?

夢を追いかけてるのか?掛け持ちするのか?

などとぐるぐる考えてる間に、面接をしている隣室では笑い声が聞こえ、和やかに進んでいる模様。

自分の番になった時は、一転して硬い面接官の表情

うーん、20代のあとの40歳では、お肌の輝きもちがうか?うん?

まず言われたことは

「職務経歴書拝見したけど・・・正社員の方がいいんじゃないの?」

ええ、そりゃあ正社員がいいですよ?同じ仕事しててもボーナスももらえちゃったりするだろうし、働けるものならバリバリバリバリと働きたいですよ、稼ぎたいですよ、働くの好きですよ、でも今は子供がいるんですよ?そして誰も助けてくれる人なんていないんですよ、子供熱出しても近くに住むおばあちゃんに「お願い」って言える人とは違うんですよなどとは答えず、

「結婚してからブランクも長いですし・・・」

などと答え・・・話もそう弾まず、聞いていたところ、わたしと一緒に働くアシスタントは子供がいるそうで・・・。

あー、これはちょっと無理かな~と思いました。

「ご縁がなかった場合は応募書類も返却いたしませんし、連絡もないので」

とのこと。一週間たっても連絡がありませんでした。

「厳しいなあ・・・

と子供がいて働くことの難しさっていうか、まず採用してもらうことの難しさを実感。久々に着たスーツの暑い事・・・

それからまたハロワに通うのですが、そこのおじさんが「これどうかな?」って政党の事務所とか、外郭団体の事務仕事とか、見せに来てくれたり、メールくれたりして、気にかけてくれて。

「子供いる人っていうと、どうしても事務になるんだよね。サービス業だと土日出勤だったり、19時までだったりするからね」

とのこと。そうなんだよな~

わがまま言えないんだけど、子供になるべく負担をかけたくないから、

まず時間が8時半から17時半くらいまで。土日祝日はお休み。

家から30分くらいのところ。

もう仕事内容とかじゃなくて、これが一番に優先順位。

そうすると、正社員はまず無理。ない。

夫からは「扶養の範囲内でやって」とえらそうな支持だけは出てるし

しかし時給が750円とか、地方じゃざらです。首都圏じゃ高校生の時給だわ~と思いつつも、これが現状。厳しい

そんななかで

「は!」

っとする求人を発見

9時から16時。土日祝水曜日お休み。

「お子さんがいてもお休みを相談しやすい職場です」というコメント。

これなら、出勤4日のうち、夫が平日2日休みを取って、2日だけ延長保育で対応出来る。

早速紹介状出してもらい、応募しました。

その頃、一回落ちているし、夫の「働け、そこのスーパーでレジ打ちしろ」「資格取ったって、実際働いてから言え」攻撃もひどくて、気が付くとぼーっとしてたり、夫の食事を作りたくなかったり、光が見えなくて、ちょっと欝っぽくなってきてました

そして午後からの面接の前に、午前中、無料のDV相談に行ってみたのです。

そこで泣いて泣いて、すっきりしてから「気持ち切り替えましょう」と言われて、綱渡りな時間帯で面接に臨みました。

と~っても感じの良い職場でした。

すぐに仕事内容を説明され、「難しいことないので、リツコさんなら大丈夫かと思います」にこっ。

「心配な点はありますか?」

と聞かれたので

「子供が小さいので、急にお休みいただくこともあるかもしれません。

しかし自分の体調管理はしっかりして、なるべくご迷惑おかけしないように致します」

と言いましたら

「他のスタッフもお子さんいるので、急に熱出したりしてもうちは大丈夫ですよ。

ちゃんと期限にまで間に合えば構いません」にこっ。

・・・ええここで働きたいです

「お陰さまで応募者の方が多数なので、お返事まで一週間ほどかかってしまいますが、よろしいですか?」

ええ、待ちますとも

紹介状発行してもらった時点で「応募者7人いるね~」って言ってたしね・・・。

「お子さんいても大丈夫」なんてコメントついてたら、殺到するでしょう。

あまりにも印象が良くて車のなかで

「ああ、ここで働きたい・・・

って心底思いました。

それからまたハロワからメールが来たので、紹介状出してもらいに行ったら、おじさんにどうだった?と聞かれました。

「まだお返事こないんです」

「ああ、あそこ20人こえてたからね、応募者。面接するのも時間かかるんだろうね」

・・・20人か

無理か~って思って、コンビニのオープニングスタッフが就職情報に載っていたので、そこの早朝か昼間で応募しよう・・・と思って履歴書書いてました。面接の日程も決まり・・・でもおじさんがくれる求人票も、その結果が来てから、だめだったらお盆開けてからまた捜そうと思ってました。

40歳のシュウカツ、予想通り厳しそうです。

 

 

 

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5年ぶりの里帰り①

2013-08-11 14:56:49 | 日々のこと

毎日暑いですね~もう溶けそうです

今、室内で31度、それでもエアコンはつけてません。扇風機ですませてます

夫と娘は義理実家は行っています。

先日、5年ぶりに実家に帰りました両親に会ったのも2年半ぶり。

わたしは久々の帰省にわくわくしながら指折り出発の日を数えていたのですが・・・

なんと出発前夜にまさかの娘・発熱

幼稚園からの呼び出しが1学期の間に2回、お休みは3日ありましたが、夏休みに入ってからは一度も体調不良にならず、絶好調だったのに・・・

でも仕方ない。連休を取ってくれていた夫には「ごめんね、せっかく連休とってくれたのに」と謝りました。

「仕方ねーじゃん、具合悪くなっちゃったんだから」

と言ってくれた夫。

病院に連れて行ったら

「喉に水泡がひとつあるなー。これ、増えてきたら手足口病かヘルパンギーナか。」

との診断。

どちらにしても、伝染っちゃうじゃないですかー小学生の姪に伝染ったら、日本海の海水浴に行けなくなっちゃう

薬飲ませたらまずくて吐いちゃって、たくさん痰が出ました。

娘はよく吐く子で、吐くと一緒に痰が出てすっきりするようなのですが。さすがに高熱でぐったり動かない娘。

いつも元気なので「あー、具合悪くなる子ってこんな感じで動かないんだな」なんて思ってました。健康ってありがたいね

夜になって夫が

「見てるから、シャワー浴びて来いよ」

と言われたので、10分ぱっと入って上がったら、部屋は真っ暗、娘がそのなかで

「ママ・・・」

と。夫は・・・自分の部屋で寝てました

娘は暗いのが怖い子なので、電気を付けて、様子を見て

「なんで10分見ておいてくれないの?!自分が見てるって言ったんじゃん、さっき吐いてるんだから、吐いたもので窒息することもあるんだよ!」

と言うと夫は

「わかった!しつこい!」

と私を部屋から追い出そうと押します

私は言い方を変えよう、と思ってトーンを落として話しました。

「これから私が仕事をして、幼稚園から呼び出しが来た時に、パパはちゃんと看られるの?

呼び出されて、様子見て、病院連れて行って、水分摂らせて・・・私が仕事するってそういうことなんだよ?」

夫には無理だろう。

「分かったよ、こうやって、コンビニみたいにずっと監視してればいいんだろ

夫はそう言って、リビングを見渡せるキッチンに入って調理台に手をついて怒鳴りました。

・・・夫が、冗談でやっているのか、本気で言っているのか、私には分からないです。

「違うよ・・・だから近くにいて様子を見て・・・」

「りおが『パパあっちいって!』っていうから、自分の部屋行ったんだよ」

「子供に言われたからって言うとおりにしてどうするの?」

「じゃあお前が他の子供と遊ばせて伝染るようなところに行かすから悪いんだろ

と、夫得意の逆切れ攻撃が始まりました。

前日遊んだ男の子が、病院に連れて行くときに偶然会ったのですが、その男の子のママの事を

「あのババア見てむかついたよ!あいつはぴんぴんしてんのに!」

と罵倒。

そこで「ヘルパンギーナや手足口病は潜伏期間が2~5日だから、別に彼から伝染したわけではない」と説明したところ、黙りましたが。

それにしても「ババア」とか、言いますかね・・・

夫は、私の事故の先方への修理代が浮いた、とブルーレイレコーダーを購入したあと、今度は一眼レフが欲しくてたまらないらしく、寝ても覚めても一眼レフのことをネットで調べています。

娘が具合悪くても、背を向けて一眼レフの検索をしている夫。

「ちょっとは病気のことも調べてくれてもいいんじゃないの?」

と言ったら

「調べてるよ」

と言うので「じゃあ履歴見せてよ」と言ったら強硬に抵抗。履歴は「一眼レフ」ばかりでしたけどね

その上、一眼レフをオークションで落とすために、私のIDを使わないで、と言ったら、自分のIDを作成していたのですが、それがまんま、本名まるわかりというIDで、

「それだめだよ、本名わかっちゃうじゃん」

と言ったら、相当考えてつけたらしいのだけど、がっかりしてまたIDつけるのに一昼夜くらい考えてやっていました

これ、ネタじゃないですよ?

結局

「遠出の時はわかってんだから、一週間くらい家にいろよ!」

などと言い、延々と責められました。

娘が具合悪くなると、いつも責められます。

先日の連休では、

木曜日に呼び出し

金曜日 幼稚園おやすみ

土曜日 義理妹とお出かけ(うちで夕飯)

日曜日 義理実家へ電車で往復3時間

月曜日 うちから出ずに休養

火曜日 朝36度9分の熱・遠足で炎天下の公園で噴水遊びのため、幼稚園の先生と相談しお休みにしたところ、

夫が休みで激怒。「なんで連休なのに休んでおかないんだ!」と比較的元気な娘が騒いだら、娘を怒鳴りつける始末。

わたしも遠足じゃなかったら登園させるのだけど、遠足なのでお休みにしたのですが、夫は自分の休みの予定が計画通りにいかないのに腹がたったのでしょうね。

行ったのは自分の親族の用事なのに・・・。

「じゃあ朝『具合悪くなるのは仕方ない』って言ったのは?」

と聞いたら

「じゃあ海外旅行行くって言っててそうなったらどうするんだ?」

(いや、海外旅行なんて行くお金はないから一生そんな心配いりませんよ)

「みんなちゃんと体調管理してやってるじゃねえか」(みんなってだれのこと?)

「みんな会社や仕事行ってるだろ!」(いや、これ仕事じゃないし、娘年少さんですから)

そもそも「里帰りできなくて一番がっかりしてる」のは私ですほんとに涙出てきました。

昼間も、とにかく食べられるものを、と娘の好きそうなものを選んで急いで買い物に行ったときも夫は昼寝してたし、

買ってきたお惣菜を「おいしそうだな~」とウキウキしてご飯も水に浸さず炊いて食べようとしていたし

まったく親も米くらい30分浸して炊くってこと教えてくださいよ←そっちじゃない?

思えば、ゴミだしも「俺ルール」で、ご飯も炊けず、包丁も持てず(今も持てない)、洗濯もまともに出来ない人を5年間かけてやっとまあフツウに生活できるか?ってとこまで来るのに5年かかりましたよ・・・

わたしも言い返しすぎなんでしょうか?

すごく悲しい気持ちだった、里帰り延期でした。

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