魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

やっちまった2

2011-07-16 11:02:23 | 夫のこと

一昨日の夫、やっちまった。

洗濯ネットが二枚、破れてしまった。

もともと、うちには洗濯ネットが大きいのが1枚、中くらいが2枚、小さいのが1枚。

そのなかの大と中が1枚ずつ壊れた。

それで夫が100円ショップで買ってきた。

・・・5枚も

なんで5枚も買ってきたの?と聞いたら、

「前に洗濯ネットを買ってきたら、リツコがとても喜んでいたから」

・・・そりゃあ結婚してすぐのことだろう。たしかにわたし用に買ってきてくれて嬉しかった。気がきくと思ったものだ、当時は。

しかし5枚はないだろう。

なんか、ドラム式のをピンクと青、毛布用を2枚、小さめを1枚、買ってきたのだが、どう考えてもいるのは破れた分だけでいいだろう。

そう言ったら、次の日別なものと返品交換してきた。

しかし、交換してきたのは、車の窓に着ける日よけ。サンシェードってやつ。すべてのフロント以外のすべての窓に着いている。

しかも、後ろの窓に着けたらほとんど外が見えない

買い物するとき、野放しにしてはいけない、うちの夫。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっちまった

2011-07-16 09:23:40 | 夫のこと

やっちまった、夫編。

昨年、今頃の時期、車を買ってもらった(主人の叔父さんに)。

納車一ヶ月早々で、バックモニター付いてるにも関わらず、後ろを見ずに夫は後ろに停車していた車にバックでぶつけた

その時の夫の言い訳。「トイレ行きたかったんだ」でした

ぶつけた相手は、お嬢さんが点滴中。そこに行って謝罪して、夜、ご主人がいらっしゃる時間にお電話することになった。

なにしろ、お嬢さんも具合が悪いなかだし、ご主人もお仕事で8時過ぎないと帰ってこないし、電話も「別にいいですよ」とのことだった。

その間、夫は「ちょっとトイレに行っていいですか?」

私と奥さんの間で話がまとまって、連絡先と電話する時間を決めて別れた。

自宅に帰ったのだが、車を停めて来ると言ったきり、夫は帰ってこない。

電話してもでない。

しばらくたってからやっと通じたら「自分の気持ちが済まないから、菓子折り買ってご自宅まで謝りに行ってきた」と。

・・・だからさ~、こっちで話して、先方も迷惑だから、段取り決めてんのに、なんでそういうことするわけ?

でもそれが夫。自分が「やりたい」と思ったら、相手がどう思おうと、迷惑だろうと、やるまで気がすまないのだ

 

こういうこともあった。

義理実家に行くために、車に乗って出発、という時に駐車場で夫はいきなり、娘のおもちゃの携帯電話の電池の交換をし始めた。

なんで今やる?

そう、いつも「なんで今やるの?」という時にやるのだ。

「自分がやりたいから」。

嫌な予感がした。

やっぱり、彼は電池をサイドブレーキの溝に落とした。

それから磁石を買ってきたり、ガムテで吊り上げようとしたりしたが取れず、結局販売店に行き、取ってもらった。

義理実家に行ってから後日取ってもらったら?と言っても「故障したら困る」。

しね~よ

義理実家には3時間遅れて到着。

当然、詳しく説明しないから心配していた。

義理実家に行く前にボールペンのキャップを捜し始めたこともある。

「リツコさんと喧嘩したのかしら」と義理実家では心配していたようである

 

昨日のこと、夫が朝、早く起きて(休みの日だと6時くらいに起きる。いつもは7時半とか8時起床)、チキンラーメンを食べていた。(私はインスタントは食べないのだが、夫は料理を一切しないのに、インスタントラーメンなどは作ってひとりで食べる)

卵がもうなくて、使われてしまったので冷やし中華の卵を買いに行かなくてはならない。

夫が娘を連れて、自分のクリーニング店のついでに買いに行ったのだが、帰ってきてハンガーにかけられたクリーニング済みのシャツを渡すので、それを受け取ったら、夫が一緒に持っていた卵が落ちて割れてしまった

「卵頼まれたから買いに行ったのに」(だから卵を渡すに決まってる、と言いたいらしい)と言う。

でも差し出されて私から見えたのはクリーニングだけ。

一言言えばいいじゃん?以前もそういうことがあって、落としたことがあったなあ・・・。

そのうえ「卵、10個入りの方が割安だから、電話して聞こうと思ったのに出ないし」と怒る。

しかし、私の携帯には着信がない。

電波が悪いところに置いてあったらしく、入らなかったみたいだが、ならない電話を取ることは、私には出来ない

夫は簡単なお使いを頼んでも、必ず電話してくる。今回は「卵を小さいパックの買ってきて」ということ。

彼は必ず、お菓子を買ってくる。頼んだもの以外のものを買って来なかったことはない。子供か

ほんと~に、40過ぎの男子かと思う。

2歳の娘のほうが役に立つのではないか。

ほんと~に、毎日ストレス。

勝手に風呂の水抜いてそのままになっているし。水ぬいてそのままにしたら、汚れがかぴかぴになってしまうだろう!

しかもまだお風呂、昨日入替えたばかり・・・。

なんか、ひとの領分に入ってくるんだよね。

勝手に私と娘が寝ている寝室のタオルや枕カバー洗ったり(それも私が留守のときのみ)、本とか整理していたり。

自分の部屋はぐちゃぐちゃでホコリだらけなのに。

キッチンのマット、洗っていたり(昨日洗ったつーの)配置を換えたり、ゴミ片付けたり。

それで「疲れた。お前がちゃんとやらないから、俺がやってんだ!」と。

いや、そんな疲れてんだったらやらなくていいからキッチンの配置、いじられたくないし、ゴミはまだ余裕があるからそのままにしてるし、ゴミ袋高いし。文句言うくらいならやってもらわなくていいし。

夫は「妻を助けよう」と思ってやっているのではなく、「自分が片付けたいから」やっているのだ。

だから、わたしが「今、これやってほしい」と頼んでも「今、俺はこれをやっているからできない」と断られる。

 

まいったのが、娘がもう少し小さいときに、毎日、朝起きるとオムツとお尻ふきを入れたボックスとゴミ箱の配置が違っていること。

オムツ替えようとすると、「あれ?ない」イラッ

夫が毎日夜、片付けているのだ(といっても夫の片付けは縦に積み上げる・並べ替える・紙袋に入れて置く)。

それで「なんで毎日配置かえるの?意味あるの?」と聞いたら「ない。その時の気分」と言う。

だから「あなたの仕事場の机の上のペンや書類の配置が、朝来たら毎日違うところに置いてあったらどう?それと同じ、ここは私の仕事場と同じなの。」と例えを出して説明した。

そしたら「それは困る。嫌だ。」と分かったらしく、以後は余りやらない。(でもゴミ箱はたまに変わってる)

例えを出さないと分からないんだな

そしてよくあるのが、しまいには「そんなに言うなら、もうやらないよ

書いてて、小4男子のこと書いているみたいに思えてきた

 

・・・まあ家事育児をまったくやらない旦那さんも多いだろう。

その点「やってくれるんだから、いいじゃないの」という奥様も多いであろう。

しかし、子供が寝ているのにがちゃがちゃ片付けられたり掃除機かけられたり、わたしがご飯の支度をしているのに、娘を見てくれず、片づけをしていられたり、実は全部自分のやり方で片づけをしたかったり・・・困る。

(以前は押入れをわたしが片付けたら、次の日夫がすべて自分でもう一度入れなおして片付けていた

そして結局、やり直さないといけないことが多々ある。

「俺のうちだから」

夫はよくこう言う。でも、わたしの、娘の住まいでもある。これを言われるとかちーんと来る。

そんなに家事やりたいなら専業主婦になればいいのだ。そしたらわたしが働きに行くから。

夫のボーナス、ついにほんの気持ちほどになってしまった。

年間での支出は完全に足りない。ではどうしているか?義理両親が援助してくれているのだ。

夫は言う。「もらえばいいじゃん」。

・・・一家を成す男の言うことか

なーんかおかしい、夫の言動。

わたしにはとってもストレス。小さいことかもしれないけど

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Let it be

2011-07-10 14:56:34 | 日々のこと

久々にビートルズを聴いた。

日曜の午後。

娘の耳に英語を聞かせるのもいいかな、と思ったし、何より自分も聞きたかった。

東北の両親から送られてきた讃岐うどん(わたしの好物)を茹でて、CMに影響されて味の素を振った卵にうどんと万能ねぎ、創味のつゆを少したらしていただきます。

節電のため、日中はエアコンをつけない。午前中にエアコン、換気扇、空気清浄機のフィルターを洗いまくる。

風が通って気持ちよい。

娘は2歳になって、フォークを使ってうどんを食べている。野菜スープのなすやキャベツを口に入れてやる。

ポールの声が響く。「ありのままで、そのままで」

ふと思う。何が足りないものがあるというのだろうか。

過不足のないこの日曜の、娘とふたりの午後。二度とない、人生のこの時間。

月並みだがビートルズのベスト盤のラスト、「The long and winding road」。

人生は続く。来年は四十路に入る。ひとは死に向かって生きている。

そんなことをふと考えた午後。

 

さて、続きです。

結局、代表の方から連絡はなく、もう一週間をきったのでこちらから電話した。

「今、おこたえしなくちゃいけませんか」

というのが答えだった。

しかし来てもらえないのだったらもう一週間切っているので、こちらも手をうたないと困る。

そしたらこういう答えだった。

要約すると、私が書いた手紙を、今まで派遣したシッターさん7名のうち、半分(これも3名なのか4名なのかはっきり言わない)に読ませた。

そしたら全員「伺いづらい」ということだった。だから派遣できない。来週は派遣するが、これで最後にしてほしい。

そしてわたしが聞いた「託児がいらないと判断したのはなぜか」などという答えには一切答えない。

ただ「あの手紙がすべてです」「リツコさんのお幸せを心からお祈りしております」(←ちょっと気持ち悪い)と繰り返すばかり。

とにかくはっきり言わないのだ。

例えばわたしが「何人の方に見せたのですか?3人ですか、4人ですか?」

「・・・」

「3名ですか?」

「そのくらいですね」

みたいな感じ。

「来てもらったシッターさんたちは資格を持っているのか、保険はどうなっていたのか」

と聞いても「お答えする義務はありません」とのこと。(でも最初に聞いているのだ。4回の講習を受けさせて派遣しているので、保育士の資格を持っている人と持ってない人がいる)

まあ話していても仕方ないな、と思ったのだが最後にわたしはこう言った。

「だからなぜ見てもいないのに『託児が必要ない』と判断したのか分からないのです。」

「それは最初に伺ったときに、レッスンしていないほかのお母さん達が見てくれていたからそう思ったのです」

と言う。しかし、他のお母さんがずっと責任持ってみていてくれるわけではない。だからこそ託児を頼んでいるのだ。

それをわかっていながら、この人は言っている。ふと、この人はお金もらってないのかな、と感じた。

わたしが「託児してもらいたいんです、お願いします、そちらの仰るとおりにしますから来てください」と言うと思っていたんじゃないかな?それなのにクレームまで言ってきて、頭にきたんじゃないか?

「お会いして、筋が通った方と思ったし、知人もあなたのことをそう言っていた。そのギャップが納得いきません。」

「・・・」

「しかしもうここまで来てしまったらお聞きしてもせんないことですね。」

それで今までのお礼を言って電話を切った。

それから思ったのだが、普通、代表個人に宛てた手紙を、クレームを付けられた本人を含めて見せるなんておかしくないか?

こちらは個人情報や子供の顔を知られている。改めてこわくなった。

この人は素人だ。そう思った。

その後、もう一度シッターさんの人数を改めて伝えるため電話した。そしたらいつも聞かれなかった子供の年齢を聞かれた。普通ちゃんと聞くよね~。急にちゃんとしてきた感じ。

しかし、レッスンの日に遅れてきたシッターさんが1名。その方は以前来てくれたことがある方で、その時11時からだったので、そう思っていたらしいが、遅刻は遅刻。

ちゃんとしろよな~やっぱり素人だ。

その方に、一応今までお世話になった感謝の手紙と、菓子折りを代表に渡してくれるように言付けた。

しかし夕方、遅刻シッターさんから電話がかかってきて「代表は『今までこういうものは受け取っていないから、返してくれ。手紙ももう電話で話したからいい』と受け取らないから、住所を教えてください。返しに行きます」と言う。

わたしも返されても困るし、受け取ってください、と遅刻シッターさんに言い、ちょっと聞いてみた。

彼女の話。

「代表はシッターから月々経費として200円もらうだけである。自分がシッターとして行ったときは報酬はもらうが、NPOである。

シッターは1時間800円と200円の交通費はそのまま貰っている。だから代表はほとんどボランティアである。

手紙はクレームの部分だけファクスで送られてきた。」

やっぱりな~。

「今までのシッターさんには感謝している」という部分や、電話でいきなり『託児必要ないでしょ』と言われたという部分とかは見せてないわけだ。

そう話したら「それは知らないわ~」と遅刻シッターさん。

会社だと思って話していたし、管理者だと思ってこっちは話していたから。

ただの仲介だけだったわけだ。だからシッターさんを教育する義務も責任もないし、サービスという概念はない。

「保育サポーター保険」というものに入っているらしいが、なんかよく分かっていないみたいだった。

あらためて、何かあったときこの代表だったら、責任はどこにいくのだろうか、と思った。

シッターさんは「直接お金をいただくママの意向に添った託児をする」気持ちがあるが、この代表はそんなサービスを提供する義理はないわけだ。だって自分の利益にはならないから。

「自分はほぼボランティアでやってやってる。だから自分に逆らうような人には提供してやらない。」

そんな気持ちがあるのじゃないかな、と思った。

まあ気持ちはわからないでもないな~。

多分、なんか虫の居所が悪いところにわたしが電話をしてむかついていたので意地悪を言った。

しかし謝るどころかクレームをつけてきた。手紙までよこしてきた。頭にきたので、もう助けてやらない。

そんなとこだろう。

わたしは、母親くらいの年齢の女性が苦手。

自分が母親と上手く関係を築けてないということもあるんだと思う。

礼を尽くしたつもりなので、これはもう縁がなかったということで、終わりにすることにした。

ヨガレッスンの仲間と相談して、代わりの保育士さんを捜し、今、徐々に確保出来ている。

保険の点とか、とても面倒くさいのだが、以前、保育サポーター養成講座を受講したことがあったので、市の保育支援課の方に相談したりしてなんとかなりそうだ。

これをきっかけにわたしも託児ボランティアをすることにした

また新しいステージに出て行くきっかけになった。

 

村上春樹の「沈黙」では、主人公がたまに妻の胸で慟哭することがある、と書かれている。

自分を同級生や教師から無視される存在、卑怯な存在と見られるように貶めた一人の同級生。そしてその策略のままに、彼を判断し、避けたたくさんの人たち。

顔がない、世間の人々。「みんな」と言われる人たち。

あの代表の女性は、成人した子供が2人いる、多分社会的には信用されていて、彼女に感謝している人もたくさんいるだろう(事実、わたしの知人は彼女を『第二の母』と言っていた。それなので、今回の経緯は『とても信じられない』そうだ)。

人にはいろいろな面がある。それは私にも。夫に対してなんてとても人には言えない。

わたしは顔がない「みんな」とならないよう、せめて自分の会ったその人、自分が感じたその感覚でその人を見たい。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする