池波さんの「真田太平記」という作品があって、文庫で全十二巻という大長編なのですが、まだ読んだことはなく、老後の楽しみにしているのですが、老後になってそのような大長編を読むだけの気力が残っているのかという不安がちょびっとだけありまして、もちろんご高齢でもすごい読書家という方は個人的にも知っていますし、そんなの「人による」といってしまえばそれまでなんですけど。
以上、老いを考える。
さて、『熊田十兵衛の仇討ち』のもう一冊のほう。
織田信長がいよいよ天下統一までマジックナンバー点灯といったときに明智光秀に裏切られて果てます。さて、このとき本能寺には忍びがいまして、明智側に忍ばせていた松尾九十郎から報告がなかったと信長側にいた忍びは悔しがりますが時すでに遅し。その松尾九十郎は、中国地方に向けて急いでいました。じつはもうひとり、松尾伝蔵という忍びがいて、光秀は「毛利へ行け」といって書状を伝蔵に持たせます。光秀は、信長亡き後に毛利と連合で天下取りという計画があり・・・という「鬼火」。
甲賀忍びの岩根小五郎は「明智光秀を見た」と助七という別の忍びのから告げられます。じつは山中で山賊の格好で光秀に竹槍でとどめを刺したのは小五郎。そんなはずはないと疑いますが、今では別名を名乗ってる、とまで具合的なことを聞き、小五郎は確かめに向かいます。しかし、助七から光秀を見たという場所の小屋に近づいた時に矢が・・・という「首」。
豊臣秀吉がいよいよ小田原の北条を攻めることとなり、籠城するか戦うか意見が二分します。鉢形の城主、北条氏邦ははじめは籠城派だったのですが出撃すべきと言い出したのは、忍びの小出寅松の裏切りのせいだと気づいた別の忍びが。じつは寅松は秀吉が北条側に放った忍びだったのです。寅松は鉢形の武将、山岸主膳之助の娘婿になっていて、はじめこそ秀吉側となって動いていたのですが、なんと寅松が義父の主膳之助と風呂に入っていると「おぬしはいずこの忍びなのだ」と・・・という「寝返り寅松」。
服部小平次は播州赤穂藩の浅野家、京都屋敷に務める藩士の次男坊。学問も武術の稽古もせず遊び歩いていて両親もさじを投げています。ある日、小平次が遊郭をふらついていたところ、船頭と揉めていたところにある武士が助けてくれます。その武士は「なんだ、服部小平次ではないか」というのです。その武士の正体は浅野家御家老、大石内蔵助。蔵之介は小平次ろいっしょに遊郭で遊ぶことに。そんなとき、小平次の兄が急死し、小平次が家の跡継ぎに。しかも江戸屋敷詰めを申し付けられ・・・という「舞台うらの男」。
宴会の席で熊田勘右衛門が山口小助という下役をみんなのいる前で罵ります。じつは小助は女癖が悪いのでまったくの言いがかりとはいえないのですが、小助は怒りのあまり帰りに勘右衛門を斬って、そのまま逃げます。勘右衛門の息子、十兵衛は父の仇討ちとして小助を探しに出かけます。二年後、ボロボロの坊主の格好をした小助は、茶店で十兵衛を見かけ、そのままあとを付いていくことに。仇討ちに出て五年。十兵衛は小助を見つけることができず、しかも目の病にかかって・・・という表題作「熊田十兵衛の仇討ち」。
小林庄之助は、弟の伊織と家来の原田定七とともに、父を殺した大葉勘四郎を探しています。ところが伊織も定七も乗り気ではなく、ある日、定七は岡場所の女を連れ込んでいたところを庄之助に見つかり、怒った庄之助は定七を斬りますが命に別状はありませんでした。という話を別の客にしていたその岡場所の女なのですが「その男は原田定七さんといってねえ」というのを聞いて顔色が変わります。その夜、小林庄之助が斬られていたのが見つかります。伊織が駆けつけ、斬ったのは大葉勘四郎ですかと聞きますが、なんと「さ、定七に・・・」といって・・・という「仇討ち狂い」。
「舞台うらの男」は、以前読んだ記憶がありますね。この二冊の文庫は総集編ですので、おそらく他の作品もどこかにあるのでは。あと池波さんは昔の作品を後年になってセルフリメイクすることもありますからね。