もう十月も終わりですね。今年もあと二ヶ月「しかない」のか「もある」のか、コップの中に水が半分ってやつですね。物事を悲観的に見るのも楽観的に見るのも結局は自分次第なんだってことですか。とはいえ精神的に余裕がないと気持ちの切り替えすらできないというケースもありますので「結局は自分次第」って人によっては重い言葉になってしまいます。気をつけないといけませんね。
以上、はりきっていきましょう。
さて、井上靖さん。今年の大河ドラマが紫式部で、この作品はそのちょっと後になりますね。『後白河院』は歴史だと後白河法皇という名前で出ていることが多いと思いますが、まずその前に天皇が存命中に譲位したら上皇になります。で、上皇になって出家したら法皇になります。法皇が上皇より上というわけではありません。
後白河院の六代前の後三条天皇の前までは、貴族の藤原氏が天皇家と縁戚関係になって天皇が幼いときに摂政、大人になると関白となって「摂関政治」と呼ばれ、政治の実権を握るようになります。しかしその栄華も続かず親戚関係が途絶えてしまうと、後三条天皇は藤原氏の権力を天皇の管轄にしていきます。そして後三条天皇の皇子の白河天皇が即位、さらに白河天皇は皇位を譲ったあとに上皇になります。この時代あたりから、摂関政治から「院政」へと政治形態が変わります。
そして鳥羽天皇が崇徳天皇に譲位して上皇になり、ここからがものすごく複雑でめんどくさいのですが、長期実権を目論んだ鳥羽上皇はまだ三歳の近衛天皇を即位させて崇徳天皇が譲位して崇徳上皇に、そして鳥羽上皇は鳥羽法皇になります。近衛天皇というのは鳥羽法皇の実子なのですが崇徳上皇にとっては異母弟で、崇徳上皇の養子になります。しかし病弱でわずか十七歳で亡くなると、鳥羽法皇の四男の雅仁親王が後白河天皇になります。こうなると崇徳上皇はいつまでたっても自分に実権が回ってこないので後白河天皇と対立します。これが「保元の乱」で、このときに実際に対決したのは武士で、それまで政治のゴタゴタは時間がかかってドロドロしたものでしたが、武士の対決だとあっという間に勝敗が決まって崇徳上皇側が負けて島流し。勝った後白河天皇側についた平清盛と源義朝は存在感が増していきます。
ところが、後白河天皇が守仁親王に譲位して後白河上皇、守仁親王は二条天皇になると今度は後白河派と二条派が対立。これが「平治の乱」で、日本史でおなじみの、平清盛が勝って源義朝が負けて息子の頼朝は伊豆に流され、清盛は太政大臣に出世、自分の娘を天皇に嫁がせてとかつての藤原氏みたいなことになります。例の「平家にあらずんばズンバドゥビドゥバー」でしたっけ、ちなみにこのとき清盛は二条派になって後白河上皇は寺に逼塞します。
しかしここで終わらないのが後白河、二条派の政権が危うくなると清盛がさらに力こそパワーとなりますが、世間ではアンチ平家の機運が高まってきて「鹿ケ谷の陰謀」と呼ばれるクーデターが起きますが首謀者が後白河院で幽閉されてしまい・・・と、まあツラツラと書いていくときりが無いのでここらへんにしますが、この作品はあくまでも後白河院が中心ですので、清盛の死、木曽義仲の都入りや頼朝が東国で力をつけてきて、そして義経が逃げる平氏を追いつめて、その義経が頼朝に追われ・・・というあたりはサラッと紹介しているくらい。
物語の構成は、近くにいた人たちの証言というか回想といった形式になっていて、途中で一人称が変わって「あれ?」となったのですが、証言者が変わったと気付きました。皇室は「禁裏」というくらいですから何重にもベールに覆われて実情みたいなのは知らされていませんし、さらに千年前。徳川家康とかもそうですが、最終的に生き残るのってすごいですよね。