晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

宮本輝 『海岸列車』

2010-04-28 | 日本人作家 ま
先日、なにげなく手にとった宮本輝の「優駿」を読んで、こりゃ面白い
とハマッてしまい、ほかの作品もぜひ読みたいという衝動にかられて、
書店へダッシュ。
そうして、突然訪れた「宮本輝マイブーム」の第2作目は『海岸列車』
という作品です。

手塚かおりとその兄の夏彦は、子供のときに父を病気で亡くし、母は
男とできて出奔、よってふたりは伯父のもとで育てられます。
伯父は銀行を退職して、社交クラブというかサロンのような、お金持ち
の奥様たちの集まる「モス・クラブ」の代表を務め、かおりは学生時代
から伯父の秘書として鍛えられます。しかし夏彦は伯父との関係が良好
ではなく、いつもいがみ合い。

兄妹はたびたび、伯父から聞いていた、母の居場所へと向かうのです。
それは山陰の無人駅を下りた、しなびた漁村。
「鎧」という駅を出て、坂を降りようとするのですが、なぜか母を探そう
ともせず、そのまま引き返します。

伯父が亡くなり、かおりは母に報告しようと鎧へと旅立ちます。しかし、
駅を下りてしばらくベンチに佇んだだけで、帰路へ。

伯父と生前仲の良かった人に、かおりにモス・クラブの代表になるよう
勧められますが、まだ25歳のかおりにとって重荷以外のなにものでも
なく、かといって他人にまかせる気はなく、兄の夏彦に頼ろうとします
が、夏彦は年上の女性の「ヒモ」生活を満喫。

代表になろうか逡巡していると、そこに不思議な縁のある男と再会します。
それは、かおりが鎧へ向かう道中、電車内で出会った男で、名前は戸倉陸離、
国際弁護士だったのです・・・

なんだかんだで代表になったかおりですが、順風満帆というわけには当然
いかず、事あるごとに戸倉に相談します。
一方、兄の夏彦は、年上の未亡人との香港旅行である事件に遭遇、これを
きっかけに「真人間」に生まれ変わります。
なんとなく恋心に近い関係となるかおりと戸倉。しかしかおりには、歳上
の妻子持ちの男と関係を持つことは、19歳の時に経験済みで、これが
かおりのトラウマとなっているのです。

かおりと夏彦にとって、じっさいに母が住んでいるか確認はしていない
けれど、そこへと向かう、山陰の無人駅への電車旅。誰が言い出したか
それは「海岸列車」と呼ばれ、ふたりの依りどころであり、ふたりにま
つわる他の登場人物にもそれぞれ「依りどころ」があります。
依りどころのない人間とは、ブレーキペダルの欠損した車のようで、た
だ速く走るだけの刹那的であり享楽的。
はじめこそ、登場人物たちは道路交通法も車の基本構造も知らずに生き
ているような人たちなのですが、だんだんと知識も経験も増してきて、
そして安全運転で走るようになってゆくのです。

地に足のついた生活をしたいけれど、容易なことではありません。年齢、
社会経験、あるいは、そんな真面目を嘲笑う風潮・・・
しかし、なりたいなあと思い浮かべるだけと、決意を持つのでは、すでに
スタートラインが違います。

文中さまざまな場面で、日本への、あるいは日本人への警鐘が書かれてい
て、一応日本に住む日本人として耳が痛くなりつつも、それでもあまり説教
くさくなく物語に組み込まれていて、読み終わったあとに、カッコイイ大人
にいい話を聞いたなあ、という気持ちになりました。
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パトリシア・コーンウェル 『真犯人』

2010-04-25 | 海外作家 カ
この作品は検屍官ケイ・スカーペッタが主人公のシリーズ4作目で、
訳者あとがきにもあったのですが、コーンウェルは一作ごとに腕が
上がっているようで、前3作を読んでだいぶ日が開いていたのです
が、それでも戸惑うことなく読み進められて、上質のストーリー展開、
状況や心理の描写は見事で、さらに特筆すべきは、登場人物の描写、
とりわけセリフの深みと面白さが増してきたところでしょうか。

バージニア州の刑務所で、地元の人気女性キャスター殺しで死刑判決
となった、ジョニー・ワデルという黒人に、死刑執行が下されます。
遺体はただちに検屍局に届けられてきたのですが、ワデルからは鼻血
が出ています。不自然に思った検屍局長ケイは搬送してきた隊員に
訊ねますが、はじめから出ていたとのこと。
さっそくワデルの検屍にとりかかろうとすると、主任のスーザンの様子
がおかしく、仕方がないので休んでもらうことに。

ちょうど死刑囚が電気椅子に座っていた夜に、ある少年が大型ゴミ処理箱
にもたれかかるようにして瀕死の状態で発見されます。
この被害者の様子がちょっと変なのでケイに見てほしいと、リッチモンド
市警の刑事ピートが連絡してきたのです。
病院に向かうケイ、その少年の容態を見ると、肩にまるで肉食獣に齧られた
ように肉が抉り取られて、発見時には、少年の服は脱がされていたとのこと。

さらに数日後、閑静な住宅街に住む霊能者の女性が車の中で死亡している
のが発見されます。そして、驚くべきことに、先の少年とこの女性の犯行
現場からは、死んだはずの死刑囚ジョニー・ワデルの指紋が検出されたの
です。

この不可解な出来事と同時進行的に、ケイのオフィスのコンピュータに
何者が無断でアクセスした形跡が。不安に思ったケイはフロリダに住む
姪のルーシーに来てもらって、コンピュータに詳しい姪に見てもらうことに。
母と関係の良くないルーシーは、昔から叔母のケイを慕い、ケイもルーシー
を我が娘のように愛してきたのですが、17歳になるルーシーの成長ぶりに
ちょっとケイは戸惑い気味。

前作の3作目くらいからだいぶ仲良くなったケイとピート。4作目でピートは、
長年連れ添った妻と離婚し、高血圧など体のあちこちにガタがきている彼
を心配し、たびたびケイは家に食事に招くのですが、ルーシーはかつての
傲慢で叔母を見下していたピートに嫌悪を抱いていて、ピートもルーシーを
「マイアミのガキ」とあしらいます。

そして、いつのまにか、という感じで、ケイの恋人でFBIのマークがロンドン
の爆弾テロに巻き込まれて死んでしまいます。
そのせいか、他人に心を閉ざしがちになるケイ、さらに追い討ちをかけるよう
に、ワデルの検屍に問題があったと文句をつけてくる弁護士は、ケイの大学の
恩師で、この教授には苦い思い出しかなく、そして事態は、ケイを陥れようと
する何者かの計略、陰謀があり・・・

こんな複雑怪奇なトリックに、最後にどうやって収拾をつけるのかと思って
いると、意外な人物が関わってきて、相変わらず、なんとなく後味の悪い
結末、しかしケイの周囲の友情や愛情が光明を見出してくれて、止まない雨
はないと感じさせてくれるのです。

それにしても、ケイのまわりの人物がつぎつぎに逮捕されたり死んでいったり、
果たしてこの先どうなってしまうのか!と、ちょっと心配。

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曽野綾子 『天上の青』

2010-04-22 | 日本人作家 さ
シンクロニシティ、日本語訳だと「共時性」となるこの言葉は、意味のある
偶然の一致のことで、「因果」とは異なる出来事を指すのですが、先日、
30歳の男性が、父親名義でインターネットで買い物をし、家族がインター
ネットを男性に無断で解約したとして家族を殺傷、逮捕されるという、なん
とも恐ろしい事件が報じられていて、『天上の青』に登場する、仕事もせず
に親から金をせびって出歩いてた男が、次々と自分勝手な理由で殺人を
重ねてゆくのを読んで、現実世界と小説世界の「偶然の一致」を体験した
のです。
もっとも、この小説は実際にあった連続殺人事件を題材にしているのです
が、殺意の対象が家族か他人かの違いで、身勝手な犯行には違いあり
ません。

三浦半島にある一軒の家。そこに住む波多雪子が朝顔の手入れをしてい
ると、そこにひとりの男が道に立って、朝顔を見て「きれいですね」と雪子に
言います。
そして、また来るから種を分けてほしいと言い残し、男は去ります。
雪子は正確には一人暮らしではなく、週の半分は東京で働く妹が家に泊ま
りに来ます。雪子は家で和裁の仕事をし、つましく暮らしています。

数日後、種を分けてほしいと言った男が訪ねてきます。男は宇野富士男と
いい、セールスマンで離婚暦あり、歳は雪子の少し下。
採ってあった朝顔の種を宇野に渡し、男は帰っていったのですが、翌日、
家の前にその種を入れた袋が捨てられてあったのです。
後日、ふたりはドライブに出かけるのですが、食事をしてドライブという
だけの味気ないデートでした。

宇野は、横須賀にある青果店の息子なのですが、雪子に話した仕事などは
しておらず、屋上のプレハブを自分の根城にして、家の仕事を手伝いもせず、
青果店で働く富士男の義兄は彼を見るや冷たい視線を投げ、しかし両親は
甘やかし、何もしない息子に給料を払い、あげく出かけるといってはそのつど
小遣いをあげているのです。

宇野は出かけるたびに、女性の物色にいそしみます。人妻や女子高生など、
手当たり次第に声をかけては食事などに誘います。離婚した妻に浮気されて
いたせいか、女性に対して屈折した見方があるのです。

そして、先日ホテルまでついて来た女子高生とふたたび会うことに。この女の
子はあるアイドルのファンで、宇野はそのアイドルを知っていると嘘をつき、そ
の嘘がばれたようで、女の子は宇野に金銭を要求。車のナンバーも覚えている
ので警察に突き出すと脅迫します。
相談しようと女の子を車に乗せ、道中、宇野は女の子が車のナンバーを覚えて
いないことを知り、形勢逆転。
海近くで車を停め、女の子は車から出て、林の中へ逃げようとします。宇野は
あとを追い、女の子の首を締めて・・・

ここから次々に出会う人を宇野は殺していきます。家では義兄と口論し、心の
安寧を求めに、雪子の家に行くのです。なぜか宇野は雪子に対しては、身勝手
な自分をさらけ出すことはしません。

宇野という人間が形成されるに至ったプロセスというか、なぜ人を殺すことに
なったのかというまで細かく言及されてはいませんが、それよりも、宇野の裁判
費用を肩代わりすることになる雪子の心境が重く深く描かれていて、クリスチャン
である雪子は、聖書に出てきた、イエスの「罪人を招くのです」について考えます。

「わたしは他人を憐れむ」という気持ちは慈悲ではなく、たんなる自己満足では
ないのか。そんなことを読了後に布団にもぐりながら考えさせられました。
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宮本輝 『優駿』

2010-04-20 | 日本人作家 ま
この小説が出版されたのが、1986(昭和61)年の秋、それから
数年後には空前の競馬ブームがやってきて、オグリキャップでしたか、
人気を牽引して、競馬場には親子連れやカップル、若い女性同士が
目立ち、それまでの競馬ファンにとっては「にわか」の急増で内心苦々
しく思っていたことでしょう。

そんな古参の競馬通たちはよく「ああ、そんなの素人の買い方だよ」と、
初心者に教えたりしますが、そもそもギャンブルで素人も玄人もないだ
ろう、長年やってるのか知らないけど、損得は差し引きでチャラかむしろ
マイナスだろ、というのが普段ギャンブルをしない者の考え。

文中でも「あくまで遊びの範疇で競馬は楽しむもの。負けを取り戻そうと
思ったその時点でおしまい」というセリフがあり、足元に落ちているハズレ
馬券を見ると、1着3着だったり、2着3着だったり、あるいは単賞でも
2着だったりといったのが多いのだそうで、まるで悪魔がイタズラでもして
いるかのよう。

北海道のトカイファームという、10頭ほどしかいない小さな牧場で、
牡馬が産まれます。それは、この牧場で飼われている、それなりの戦績
だった母馬に、冒険ともいえる良血統の父馬をかけ合わせたのです。
牧場の息子、博正はこの産まれた仔馬になみなみならぬ愛情を持ちます。
誕生の日、大阪から馬主の和具工業社長の平八郎と娘の久美子が北海道に
やって来て、娘は出産に立ち会います。

平八郎はこの仔馬を買うことになり、社長の秘書に名前を考えさせます。
この仔馬の名前は、スペイン語で「祈り」を意味する「オラシオン」に
決まります。

しかし、平八郎はオラシオンを娘の久美子に譲り、父はもう競馬から
身を引く考えとのこと。その話の裏には、平八郎のもとにかつての愛人
が訪ねてきて、ふたりの間には息子がいて、その息子が重い病気にかか
ってしまい、父親の腎臓を移植しなければ命はないと告げられます。
その話を平八郎は久美子に話し、久美子は口止めとしてオラシオンの
オーナーになりたいと申し出たのです。

トカイファームの息子博正の成長、和具平八郎と娘の久美子、久美子
の義弟にあたる誠、平八郎の秘書である多田、そして厩舎の調教師、
騎手といったさまざまな人間のドラマが、オラシオンという将来有望な馬
を中心に交錯し、美しいと形容するにふさわしい構成で、文体や描写は
臨場感溢れ、レース前のドキドキ感や、レース中の騎手の心境などは
手に汗握るくらい。

そもそも人間の都合で作られた競走馬という生き物ですが、その神秘
は人間が介入しているという事実を忘れさせるほど奥深く、けっして
計算どおりにはいかないもので、そこに面白さを見出すのですが、純粋
に馬を愛するために関わるもの、ビジネスと割り切って関わるものが
いて、その善悪は文中では結論付けてはいません。

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遠藤周作 『王妃マリー・アントワネット』

2010-04-17 | 日本人作家 あ
先日、「美の巨人たち」という番組のスペシャル企画で、ヨーロッパ
の3大豪華宮殿を紹介するという内容が放送されて、パリのヴェル
サイユ宮殿、ウィーンのシェーンブルン宮殿、サンクトペテルブルグ
のエルミタージュ宮殿の豪華な内装や美術品、間取りを見ることが
できました。
感想は、そこに実際に人が住んでいたという生活の跡というか、息
遣いのようなものがまったく感じられないといった、空虚といえば
いいのでしょうか、そう、舞台セットのように見えたのです。
つまり、当時の貴族たちは貴族という「役」を演じていたと思えてきて、
一抹の侘しさというか悲しさをおぼえました。

『王妃マリー・アントワネット』は、オーストリアを収めるハプスブルグ家
の女帝、マリア・テレジアの末娘が、わずか14歳でフランス皇太子ルイ
十六世のもとに嫁いでから、やがてフランス革命が起こり、国王と王妃が
断頭台の露と消えるまでを描いた作品で、この革命前後、三部会であった
り、ジロンドとジャコバンクラブの対立、その後の恐怖政治の説明は、なぞ
る程度に書かれてあり、詳しく知りたい方は、藤本ひとみさんの「バステ
ィーユの陰謀」「聖戦ヴァンデ」を読むことをお奨めします。

この作品の、もうひとりの主人公として、貧しい少女マルグリッドが登場
します。フランス東部ストラスブールの靴屋の女中として働かされ、みじめ
な思いをしている中、オーストリアのお姫さまがフランス皇太子に御輿入れ
の道中、ストラスブールに寄ることになり、マルグリッドは、同じ時代に
生まれて同じ女性なのにという、理不尽な格差にふつふつと怒りが沸き、
その怒りは豪華な馬車の中にいるマリー・アントワネットに対する憎しみと
なります。

やがてマルグリッドは靴屋から逃げ出し、パリでいかがわしい宿屋のママ
に拾われます。ここから、面白い登場人物が出てきます。サド侯爵という、
女性に対する変態的行為で投獄されるも脱獄し、また捕まった、この時代
の有名人物が登場します。脱獄の際に、マルグリッドが関わっていたという
のは作者の創作。あと、史実に沿うかたちとして、マリー・アント
ワネットの名前を騙った詐欺「首飾り事件」や、この事件の首謀者とされる
詐欺師カリオストロも出てくるのですが、じつはこの事件の裏にマルグリッド
が関わっていたというのも作者の創作。

そして、マリー・アントワネットを語るうえで欠かせないのが、スウェーデンの
貴族フェルセン。王妃と相思相愛になるも、騎士道精神をつらぬき、ただ王妃を
慕い、見守ることに徹します。

やがて、国の財政は厳しくなり、財務担当は王妃や貴族たちに乱費を抑える
ように説得するも徒労に終わり、国内は麦の不作でパンの値段は急騰、庶民
は苦しみにあえいで、とうとう怒りが沸点に達し、世界史でおなじみの「バステ
ィーユ監獄襲撃」となるのです。

ヴェルサイユに住めなくなった王一家。貴族はちりじりに逃亡し、王一家は
使われていなかった古い城をあてがわれます。そこでフェルセンは王一家の
国外逃亡を企てますが、あえなく失敗。

議会は、ロベスピエール率いるジャコバンクラブが優勢となり、国王ならびに
王妃の処刑を行おうとします。
幼い王子は処刑を免れますが、父母から引き離されます。ここから、ルイの夫
であり、子を持つひとりの母としてのマリー・アントワネット像が描かれます。
そして最期まで毅然として王妃たらんとする姿勢は美しくもあります。

物語の締めくくりとして、元国王ルイ十六世、元王妃マリー・アントワネットは
大観衆の中、断頭台によって短い、波乱の生涯を終えます。
それを群集の中で見ていたマルグリッドの心中はどうだったのか。
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宮部みゆき 『誰か』

2010-04-15 | 日本人作家 ま
はじめの1ページ目の情景描写で、すでに読者の心をつかん
でしまうというのは、そんじょそこらの小説では到底できない
技術なのですが、そこを宮部みゆき作品はサラリとこなす、
そんな印象を強く持ちます。

もちろん、それがいわゆる人気作家であったり実力作家の
必須条件かというとそうでもなく、名作と呼ばれるなかには、
100ページくらいまで読み進んで、ようやくエンジンが暖まっ
てきた、そんな感じの作品もあって、こういった立ち上がりの
遅い作品は、強いわけではないけれど、でも負けない。そんな
潜在能力(ポテンシャル)の高さを読み終わり頃に見せつけ
られる。サッカーでいうところのドイツ代表みたいな。強烈な
スター不在でも、最後に勝つのはドイツ。

あるサラリーマンが、住宅地の大型マンションの近くにある
立看板(タテカン)の前でたたずんでいます。
半月ほど前の八月十五日の昼過ぎ、男性が自転車に撥ねられ、
当たりどころがわるく男性は死亡。自転車に乗っっていた人物
は少年であったとの目撃情報もありましたが、いまだ見つからず。
そして、タテカンには「自転車による死亡事故が発生、情報をお
寄せください」とあり、管轄警察署の電話が書かれています。

死亡した男性は梶田という職業運転手で、ある大手企業の社長
の非常勤運転手をしており、その社長の娘婿が、事故現場にたた
ずんでいたサラリーマンの杉村三郎。
梶田氏死亡を聞いた三郎は、面識はあまりなかったものの、葬儀に
参列します。後日、会長から梶田氏のふたりの娘に会ってくれと話
があり、ふたりの娘から亡き父の本を書きたいという相談を受けます。

ここから、三郎は梶田氏の人生をたどってゆくのですが、思いも
よらぬ過去があったことを知り・・・

事故現場は、梶田氏には縁のない場所。ではなぜそこに梶田氏が
いたのか。本を書くことに、妹はやる気があるのですが姉は消極的。
それには妹の知らない姉の思い出したくない記憶が・・・

ミステリーらしいミステリーといった構成ではなく、梶田氏を撥ねた
犯人が見つかったとしても、その犯人探しが物語の終着ではなく、
ここからまた新たな謎が三郎の前にあらわれます。

三郎の妻、菜穂子とひとり娘の桃子、さらに菜穂子の父つまり三郎の
舅である今田コンツェルン社長の今田嘉親、三郎の勤務する今田コン
ツェルンの同僚たちと、作品ににぎやかさを添える脇役のキャラクター
がきちんと描かれ、ムダのない配役というか、ここも宮部みゆき作品の
特筆すべき「面白さ」の妙味(スパイス、隠し味)でしょう。

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夏目漱石 『坑夫』

2010-04-13 | 日本人作家 な
文庫の解説(三好行雄さん)によると、『坑夫』は、漱石宅にヒョックリ
やって来た青年が、自身の経験を題材に小説を書いてほしく、その
報酬を求めてきたそうで、はじめは自分で書いたらどうだと断ったの
ですが、漱石が小説の連載を書いていた朝日新聞で、島崎藤村が
連載をスタートさせるはずが原稿が上がらず、漱石がピンチヒッター
として連載を書くことになりました。

ここで、件の青年の話していたことを題材に書きはじめたのです。
それはそうと、この当時の朝日新聞の連載小説のラインナップは、
まず漱石の「虞美人草」後に二葉亭四迷が、さらに島崎藤村と続く
予定でした。今考えてみたらかなり豪華なオーダーです。

というわけで、この『坑夫』は漱石の着想ではなく、「聞いた話」
をアレンジして書かれていて、登場人物の一人称「自分」の背景
として、それなりの家柄で、女性問題で出奔し、あてどもなく彷徨
っているうちにひょんなことから鉱山で働くことになった、という
のは漱石のオリジナル人物描写となります。

「自分」は、東京のさる家柄として生まれ、不自由なく学生生活を
送るはずでしたが、二人の女性の間で揺れ動き、家族からは不誠実を
詰られたかなにかで、自分の味方はもういないと思い家を飛び出し、
死に場所を探すも死にきれず、街道の宿場でポン引きの甘い話にのって
しまい、鉱山に連れてゆかれます。
途中、ポン引きは「赤毛布(あかげっと)」や「小僧」も拾い、彼らを
引き連れて山を登ります。
書生風情の若者を小ばかにする坑夫たち。「自分」も彼らを蒙昧な
半獣と見下します。
飯場で平たく寝るだけの男。「ジャンボー」という葬式。炭鉱の穴で
出会う男。痛烈なカルチャーショックを受けます。

そもそもはなから小説として書きたかったわけでもないので、小説
の技法を使っておらず、構成もありません。一応「ルポルタージュ的」
とされてはいますが、それでも完全に構成を排除するまでにはいたって
いないように思うのです。
三好行雄さんの解説にもあったのですが、「自分」の東京での人物
相関は、「虞美人草」の男女関係に近く、考え方によっては「虞美人草」
の続編あるいはスピン・オフ作品とみることもできます。

ここでは、『坑夫』以降に書かれる、苦悩に満ちた明治青年というほど
には「自分」はあまり深く考えてはいません。しかし、彼を代弁者として
漱石が日ごろ思っていたことや感じていたこと、ひらたくいうと「ムカつい
ていたこと」が文中に書かれているように感じられます。
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東野圭吾 『容疑者Xの献身』

2010-04-10 | 日本人作家 は
今さら?あるいは今時?というくらいなのですが、読んでいな
かったので仕方ありません。まあいずれにしても、東野圭吾の
作品にはハズレが無く、安心して読めるのですが、作風という
か、文体の雰囲気が、ひたすら灰色の空の下を歩いているよう
な、なんというかそんな感じがするので、どうしても読了後の
スッキリ感を味わったという経験がありません。

つまり、心にゆとりがあるときにしか読まないということなのです。
そんなわけで、東野圭吾を読む(ゆとり)があると認識できたので、
読んでみることに。

東京の隅田川沿いに暮らす高校教師の石神は、勤務先の学校へ
向かう途中にいつも立ち寄る弁当屋があります。
その店では、石神の住むマンションの隣の住民でひとり娘を育てる
女性、靖子が働いており、弁当屋でも、かならず立ち寄るあの男に
好意を寄せられているとからかわれますが、ただの隣人で、挨拶程度。

ある日、靖子のもとに歓迎されざる男がやってきます。それは前夫で、
失職し生活が荒れ、暴力をふるうまでになり離婚したものの、その後
もしつこく付きまとってきて復縁を迫ります。
仕方なしに家に上げて、金を渡して二度と近づくなと言いますが、前夫
は逃がさないと脅します。すると娘が花瓶で後頭部を殴りつけ、哀れ
前夫は息をせず動きません。

すると、隣の石神から電話が。ことの次第を説明する母娘。それを
聞いた石神は、自分に処分はまかせろと言うのです。

数日後、江戸川河川敷で男の死体が発見。顔は潰され指紋は燃やされ
衣服も燃やされています。そばにあった自転車についた指紋や遺留品
から被害者は靖子の前夫とわかり、死亡推定時刻は3月10日の夜。
警察は靖子のもとに聞き込みに来ますが、母娘とも3月10日夜は
ふたりで映画に行き、ラーメンを食べ、カラオケに行ったとアリバイ
があります。

捜査担当の刑事は、知り合いの物理学者、湯川のもとへ。湯川は理論
的解釈もしますが天才的な探偵の才能もあり、刑事は助言を求めに、
よく湯川の研究室に訪れるのです。
事件や操作の進捗を話す刑事。すると母娘の隣人が石神だと聞き、
湯川は「あの天才数学者が」と驚きます。
じつは湯川、石神、そして刑事は同じ大学の同期で、湯川と石神は
ともに認めるほどの天才。しかし石神は家庭の事情と学会の複雑さ
で数学の研究を諦め、教師の道へ。
湯川は石神のもとへ向かいます。旧友との再会に喜ぶ石神。そして
隣の部屋には件の母娘が・・・

天才数学者が諸般の事情で研究を諦めて、というのはフジテレビ系
ドラマ「やまとなでしこ」で堤真一演じる魚屋を思い出してしまった
のですが、たんに数学の才能だけでは当然食べてはいけず、金銭的な
フォローであり、または巧みな世渡りも必要不可欠。
数学は天才的でも日常生活では不器用。そんな不器用がゆえの物語
の展開は、涙を誘います。
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ジョン・グリシャム 『テスタメント』

2010-04-08 | 海外作家 カ
松下電工(現パナソニック)の創業者、故松下幸之助さんが
亡くなった時の遺産総額が約2,500億円という天文学的
な金額だったのですが、『テスタメント』に登場するアメリカ
の大富豪の総資産が100億ドル、現在の日本円にすると、
約9,000億円くらいですか、この遺産を巡って繰り広げら
れる骨肉の争い、それに弁護士が絡んできての法律関係
あるいは法廷ドラマと展開してゆきます。

アメリカの大富豪、トロイ・フェランが、自社ビルから身を投げ
て自殺します。おりしもその日は、遺産をめぐって、フェランの
精神鑑定をしようと、息子たちが医者を連れて、遺言状の無効
化を図ろうとしていたのです。
しかし、80歳を過ぎてもフェランの頭はまったくの衰えを見せ
るどころか、医者たちも舌を巻くほどの回転の早さ。
精神鑑定が終わると、突然、遺言状の破棄を付き人に命じ、
新しい遺言状に署名をします。そして、車椅子から立ち上がると、
立会いの弁護士や付き人の目の前で、窓から飛び降ります。

最新の遺言状には、3人の前妻たちとのあいだに生まれた6人
の子供たちには、現時点での負債を完済するだけの金額のみが
遺産として分配され、前妻たちには、離婚の時点で相応の金額
を支払い済みなので分配なし、そして残りの全ては、「宣教師
レイチェル」というなぞの女性に渡すとあったのです。

フェランの顧問弁護士のスタフォードは、フェランの残した調査書を
見て、レイチェルはフェランの隠し子で、現在は世界の先住民族に
布教活動をする団体に属して、ブラジルのアマゾン奥地に住んでいる
というところまで判っているとのこと。

6人の子供たちは、いずれ劣らぬ「大ばか者」たちで、成人の記念
としてそれぞれ500万ドルもらったものの、全員すぐに使い果たし、
フェランの子会社に入社させるも、どこでも能無しぶりをいかんなく
発揮するといった始末で、この6人はつまり遺産を実質もらえない
ことになり、それぞれが弁護士を立てて、遺言状の無効を訴え裁判
に出ます。

一方、スタフォードは、このレイチェルを探して、遺言状にサイン
をしてもらうために、弁護士事務所で元パートナーだった、今は
アルコールと薬物依存のリハビリ施設にいるネイトをブラジルに
向かわせることに・・・

やはり、というか、グリシャム作品にはおなじみの、アクション、
法廷、法律、人間の堕落からの這い上がり、善悪のわかりやすい
構図などが出てきて、画一的というか、あまり変わり映えのない
同じような登場人物たち。
それでもそんなにマンネリとは思えず、さらに新作のたびにベスト
セラーになるのは、人間がしっかりと描けていて、物語の核には
有限のものではない、普遍性を持ったテーマが挙げられているの
です。
『テスタメント』では、アマゾンの奥地の湿地帯に住む原住民たち
に混じって、文明生活を捨てて暮らすアメリカ人女性(レイチェル)
と、アメリカで金の亡者と成り果てた遺産相続人たちと弁護士たち
の対比を描くことによって、この人間の両極ではあるけれど、しかし
どちらも同じ人間なんだ、という表面的でも形式的でもない、人間
の本質が時にユーモラスに、シリアスに、シニカルに小説というか
たちで表現されているからこそ支持されるのでしょう。

個人的な意見としてですが、歴代のグリシャム作品の中で、ベスト3
に入ります。
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川上弘美 『蛇を踏む』

2010-04-06 | 日本人作家 か
すこし前に、新聞のコラムで「川上弘美の小説に出てくる人物は
よく食べる」という一文を目にして、さらにタイトルのインパクトに
興味を引かれて、さっそく読んでみました。

まず、のっけから、主人公の女性が公園で蛇を踏みます。踏んで
から蛇を踏んでしまったと気がつき、そして「踏まれたらおしまい
ですね」と蛇は言い、溶けて煙となり、人間に形づくられて、そして
「踏まれたので仕方ありません」と、50代くらいの女性の姿になった
蛇はそう言うと、女性の住む部屋の方へと歩いていきます。

それから、女性の働く数珠屋での話となります。主人のコスガさんは
外回り、奥さんのニシ子さんは数珠の製作、女性はもっぱら店番。
とまあ、背景はこのくらいで、あとは女性が家に帰るとさきほど踏んだ
蛇が夕飯の支度をして待ち、あなたの母だと言うのです。
ここから母と名乗る蛇と女性との奇妙な生活、数珠屋の奥さんもどう
やら蛇となにかある様子が描かれていきます。
女性は、母と名乗る蛇にこっちの世界においでと誘惑され、しまいに
体内に蛇が侵入までしてきます。

そして話はズバッと、まるで落丁かのような唐突な終わり方。

他にも、短編が2作収められているのですが、こちらも不思議な世界。
煙につつまれているような化かされているような、あるいはふざけて
いるのかまじめなのか、読み終わってモヤモヤが胸につかえていた
ところに、作者のあとがきで、これは「うそばなし」で、「うそ」の
国に入り込んでしまったことを書いているのだそうです。

とにかく固定概念を捨てて、川上弘美ワールドに浸ることを解説など
で薦めてはいるのですが、そもそも個人的にこういった系統の「ザ・
純文学」みたいのはどうしても体が脳がうけつけないというか、読ん
でいて息苦しくなってしまいます。
これを読み解く才能が無いといってしまえばそれまでですが、わかった
ふりもしたくないので、どうにも構成の無い随筆や散文形式は苦手。

ただ、それでも読んだことを否定したくはないので、作者の「これは
うそなんですよ」という言葉に一筋の救いを見出します。
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