我が家の本のラインナップで舞台設定が古い時代の小説といえば市井の人々が主役の時代小説がほとんどで、歴史上の実在の人物や出来事を描いた歴史小説はあまり多くありません。
別にキライとかそういうわけじゃないのですが。
さて『のぼうの城』ですが、戦国末期、秀吉がいよいよ全国制覇となる前、関東の北条氏と戦をするのですが、本城である小田原を攻めているあいだに、石田三成らは支城である、現在の埼玉県行田市にあった忍城を攻めます。
この地域を治めていた武将の成田氏は、北条氏と組んだり上杉氏と組んだりと、のらりくらりと生き延びてきたという過去があり、北条の城主からはあまり信用されておらず、小田原には成田家の当主、氏長らが援軍に向かい、忍城に残ったのは成田泰季とその息子、長親。
この長親、ふだんからボーっとして、武士らしいことはできずに、しょっちゅう城を出て農民といっしょに野良仕事をします。いや、それも正確には違って野良仕事もまともにできず、ここでもただボーっとしているだけ。
いつしかついたあだ名は「のぼう様」。いちおう城主である成田家の血筋なので「様」はついてますが、「のぼう」とは「でくのぼう」のこと。武士の末端階級である足軽はおろか農民ですら彼を「のぼう様」と呼びますが、普通に考えれば他人に「でくのぼう」とは悪口ですが、どうやら長親の場合はそうではなく「まったく、のぼう様ったら、これだからしょうがねえなあ」といった感じで、むしろ親しみといいますか、そういうニュアンス。
三成率いる二万とも三万ともいわれる軍勢は忍城を包囲、まともに戦っても勝てるわけはなく、実は成田家は秀吉サイドに内通していて、無条件降伏しますから助けてくださいと事前に言ってあるのです。忍城に残ったうちでこれに不満なのが坂東武者の誇りを持って戦おうとします。そんな中、城代(城主が留守中の責任者)の成田泰季が倒れ、臨時の城代になんと長親が。降伏のタイミングはいつにしようだの会議をしていると、長親は「三成軍と戦う」と言い出すではありませんか。
この石田三成という武将、有名な話があり、彼がまだ少年のころ、秀吉が茶を所望して、飲んでみるとお茶がぬるく、二杯目はちょっと熱かったのです。はじめの一杯は喉が渇いているだろうとぬるめにしたこの配慮が秀吉の気に入り、家臣となります。
ところが、頭脳明晰で戦の費用計算などは素晴らしいのですが、武士として戦での功績となるとからっきしダメで、他の家臣から軽く見られ、これにはもちろん本人も気にしていているところで、今回の忍城攻めではなにがなんでも成功させたいと意気込みますが・・・
成田氏側は秀吉に戦わないと内通していて、しかし三成は知らされておらず、一方、城代の長親は「やっぱり戦う」となり、関係者の目論見は大きく崩れます。さて、どうなるのか。
史実どおりに描いているのですからネタバレでもないんですけど、三成の作戦(全包囲攻め、水攻め籠城)はことごとく失敗し、いよいよ三成軍の総攻撃となるところ北条氏は降伏し、それにともない忍城も明け渡します。
圧倒的不利でありながら城代の長親は、はたしてどのような作戦で抵抗したのか・・・
最近の日本史では、それまで悪く書かれていた、例えば徳川綱吉、吉良上野介など、汚名返上の動きがあるようですが、歴史家がどんなにがんばっても石田三成の名誉回復はまだのようです。
別にキライとかそういうわけじゃないのですが。
さて『のぼうの城』ですが、戦国末期、秀吉がいよいよ全国制覇となる前、関東の北条氏と戦をするのですが、本城である小田原を攻めているあいだに、石田三成らは支城である、現在の埼玉県行田市にあった忍城を攻めます。
この地域を治めていた武将の成田氏は、北条氏と組んだり上杉氏と組んだりと、のらりくらりと生き延びてきたという過去があり、北条の城主からはあまり信用されておらず、小田原には成田家の当主、氏長らが援軍に向かい、忍城に残ったのは成田泰季とその息子、長親。
この長親、ふだんからボーっとして、武士らしいことはできずに、しょっちゅう城を出て農民といっしょに野良仕事をします。いや、それも正確には違って野良仕事もまともにできず、ここでもただボーっとしているだけ。
いつしかついたあだ名は「のぼう様」。いちおう城主である成田家の血筋なので「様」はついてますが、「のぼう」とは「でくのぼう」のこと。武士の末端階級である足軽はおろか農民ですら彼を「のぼう様」と呼びますが、普通に考えれば他人に「でくのぼう」とは悪口ですが、どうやら長親の場合はそうではなく「まったく、のぼう様ったら、これだからしょうがねえなあ」といった感じで、むしろ親しみといいますか、そういうニュアンス。
三成率いる二万とも三万ともいわれる軍勢は忍城を包囲、まともに戦っても勝てるわけはなく、実は成田家は秀吉サイドに内通していて、無条件降伏しますから助けてくださいと事前に言ってあるのです。忍城に残ったうちでこれに不満なのが坂東武者の誇りを持って戦おうとします。そんな中、城代(城主が留守中の責任者)の成田泰季が倒れ、臨時の城代になんと長親が。降伏のタイミングはいつにしようだの会議をしていると、長親は「三成軍と戦う」と言い出すではありませんか。
この石田三成という武将、有名な話があり、彼がまだ少年のころ、秀吉が茶を所望して、飲んでみるとお茶がぬるく、二杯目はちょっと熱かったのです。はじめの一杯は喉が渇いているだろうとぬるめにしたこの配慮が秀吉の気に入り、家臣となります。
ところが、頭脳明晰で戦の費用計算などは素晴らしいのですが、武士として戦での功績となるとからっきしダメで、他の家臣から軽く見られ、これにはもちろん本人も気にしていているところで、今回の忍城攻めではなにがなんでも成功させたいと意気込みますが・・・
成田氏側は秀吉に戦わないと内通していて、しかし三成は知らされておらず、一方、城代の長親は「やっぱり戦う」となり、関係者の目論見は大きく崩れます。さて、どうなるのか。
史実どおりに描いているのですからネタバレでもないんですけど、三成の作戦(全包囲攻め、水攻め籠城)はことごとく失敗し、いよいよ三成軍の総攻撃となるところ北条氏は降伏し、それにともない忍城も明け渡します。
圧倒的不利でありながら城代の長親は、はたしてどのような作戦で抵抗したのか・・・
最近の日本史では、それまで悪く書かれていた、例えば徳川綱吉、吉良上野介など、汚名返上の動きがあるようですが、歴史家がどんなにがんばっても石田三成の名誉回復はまだのようです。