晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

高村薫 『リヴィエラを撃て』

2010-07-31 | 日本人作家 た
少なくとも、真夏の猛暑と熱帯夜には、高村薫の小説は合わない、
ということがわかりました。
暑苦しい、というわけではなく、重厚な文体、重厚なテーマは、寒い
季節に、布団やこたつにもぐり込んで、熱い茶でもすすりながら読む
のがふさわしいなあ、と。

単行本を買ったのですが、よく表紙裏に書かれている「おもな登場人物」
が無く、読んでる途中「あれ、これ誰だっけ」というのが多々あり、序盤
から主だった登場人物を紙か何かに書き記しておけばよかったと軽く後悔
しつつも読み進み、後半も後半、ほぼラストでようやく物語の全貌というか
いくつもの謎の点が線で結ばれて、流れを把握できた、という感じ。

1992年1月、東京の首都高トンネルで、外国人が死んでいるのが発見
されます。この男は、ある女と2人連れで、殺される少し前に、イギリス
大使館に入っていくのがカメラで捉えられており、ほぼ同じ時刻に、匿名
の女から「大使館から来た女がジャックを連れて行った。ジャック・モーガン
が捕まった。《リヴィエラ》に殺される!」という電話がありました。

名前から、イギリス人かアメリカ人と判断し、両国大使館に問い合わせてみた
ところ、該当者なしという返答、偽造パスポートで入国しているらしく、電話
にあった「大使館の女」という人物も、イギリス大使館からは情報は得られず。

さらに、恵比寿のアパートで、銃で撃たれて死亡している女性が発見、住人
の話によると、背の高い金髪の男といっしょに住んでいたというほかは、話を
した者もなく、出身地、本名は不明。

そんな中、警視庁公安部外事一課にCIA香港支局から電話が。「《リヴィエラ》
の件なら協力できることがある」と。
しばらくして、外事二課から、「大使館の女」は、レディ・アン・ヘアフィールド、
あるイギリス貴族の夫人である中国人女性に似ているとの情報がきますが、その
夫人はロンドンにいるということが調べでわかります。

この事件は、被害者の身元確認のできないまま、公安の未決事項ファイルに収まり
ます。
しかし、件の《リヴィエラ》という電話を受けた公安部外事一課の手島修三は、後輩
を連れて、恵比寿のアパートへ行きます。
特に身元のわかりそうなものは何もありませんでしたが、あるピアニストのレコード
が数十枚あり、それは、ノーマン・シンクレアという世界的著名なピアニストだったの
です。
たまたま手島と同行していた後輩は音楽に詳しく、シンクレアのファンで、シンクレア
の所属エージェントを思い出します。「ヘアフィールド・プロモーション」という
マネジメント会社で、ダーラム侯爵の取り仕切るグループの一企業。
「大使館の女」は、ダーラム侯爵の夫人レディ・アンによく似ていた。殺された
身元不明の死体の部屋には世界的有名ピアニスト。これは何かの符号なのか・・・

その日の夜、手島の家にイギリスの製薬会社社員で、手島の卒業したイギリスの大学
の同窓生を名乗る男が訪ねてきます。
サイモン・ピークスというこの男は、先日殺された男女の遺体を見せてほしい、と
頼んできたのです。
そしてサイモンは一通の手紙を手島に渡します。それはイギリスのロンドン警視庁、
副総監の署名入りの紹介状でした。公的ではない、例外的な「私人」として、男女
の遺体を確認したいとのこと。

サイモンと手島は、恵比寿のアパートへ向かいます。そこで、男女の出身が北アイル
ランドであることを手島は知ることとなります。
翌日、手島は上司から、懲戒処分を言い渡されるのです。実は手島は、サイモン某が
訪ねてきたことを上司に嘘の報告をしていたのです。このサイモン某の本名はキム・
バーキン、イギリスのMI5(情報局保安部)エージェントだったのです・・・

手島は日本とイギリスのハーフで、イギリスの大学卒業後、日本の国家公務員試験に
合格、警視庁に入庁が内定した秋に、生まれ育ったイギリスに戻り、アイルランドを
旅行します。その時に、イギリス情報部、MI6(秘密情報部)の《ギリアム》と名乗る
男から、東洋人エージェントにスカウトされます。
返事は保留しますが、この《ギリアム》という名前、サイモンことキム・バーキンが
あるコードネームを確認したがっていた際に出した名前だったのです。

北アイルランド出身とみられる日本で殺された男女、そして《ギリアム》と出会った
のもアイルランドで、日本人エージェントを求めていた・・・

ここから、ジャック・モーガンと、日本で殺されることになった妻リーアンの子供
時代の話を北アイルランドの悲しい実情とともに描き、そしてジャックがのちに
ロンドンに住むことになり、ピアニストのノーマン・シンクレアと出会い、そして
ジャックがIRAに入り、名うてのテロリストになり・・・

《リヴィエラ》の名のもとに、多くの血が流れます。ジャックの父は、なぜイギリス
に亡命してきた中国人の殺害を《リヴィエラ》に頼まれたのか。シンクレアが東京で
見た《リヴィエラ》の正体とは。そして、《リヴィエラ》に関係することになる
あらゆる人物を消そうと企む《ギリアム》とは。ここにアメリカCIAも絡んで・・・

国のエゴといいましょうか、とにかく「国益」を守ることが第一義で、人間の命など
は取るに足らない存在となってしまいます。
しかし、その「国益」こそがじつは取るに足らないクズみたいなものだったりする
わけで、でもそれも守る側というのはたいてい強迫観念にとらわれています。
国というのは物質的なものではなく、単なる概念であって、その概念を作った人間
が国を「使う」のはいいですが、国に「使われる」ようになっては概念の奴隷。

とにかく面白いです。面白いですが、かなり複雑です。本を読み始めのころ、まだ
読書の耐性があまり無かったころにこの本と出会ってたら、おそらく途中で投げ出して
いたことでしょう。

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ジェフリー・アーチャー 『運命の息子』

2010-07-28 | 海外作家 ア
『運命の息子』は、ジェフリー・アーチャーお得意の「サーガ」と
呼ばれる、主人公(ふたりの)が生まれてから、年代記のように
書かれているもので、「ケインとアベル」や「チェルシー・テラスへ
の道」なども同じくサーガ。

保険外交員のマイケルと教師のスーザン夫婦に、待望の赤ちゃんが
できます。そして、産まれてきたのは元気な男の子の双子。
両親は、ナサニエルとピーターと名付けます。

同じ日、同じ病院では、製薬会社役員ロバートも、我が子の誕生を
心待ちにしていました。というのも、妻のルースは過去に流産し、
おそらくこれが最後のチャンスと医師に告げられていたのです。
どうにか男の子を出産し、安堵するルースとロバート。
しかし、数時間後の夜明け頃、新生児室に見回りに行った看護婦の
ヘザー・ニコルは、ルースとロバートの男の子が息をしていないのを
発見。そして、「魔が差した」のか、同じ日に産まれて、同じく新生児室
にいた双子の片方を、ロバートとルースのほうに入れてしまった
のです。

マイケルとスーザンは、双子のひとりピーターの夭折に嘆き悲しみます。
そして、残ったひとりナサニエル(ナット)を大事に大事に育ててゆく
のです。

ロバートとルースのダヴェンポート夫妻の待望の男の子フレッチャーも、
元看護婦で乳母のヘザー・ニコルの愛情こもった世話のおかげですくすく
と育ちます。

ナットとフレッチャ-は、やがて別々の高校に進学、そしてフレッチャーは
名門イェール大に、ナットはコネチカット大に進みます。
ここに、やがてふたりにとってのライバル、ラルフ・エリオットという人物が
出てきて、ナットがイェールに進学できなかったのはラルフのせいで、その後
フレッチャーとも関わりが出てきます。
こいつが、まあ嫌な男でして、なにかというと二人の足をすくうような行動を
影に日向に、ネズミのように狡猾にしやがるのです。

アーチャーの人物描写があまりに上手なせいで、登場人物に容易に感情移入でき、
喜び、怒り、悲しみを共有するといいますか、ラルフが憎憎しく思えます。

時はベトナム戦争。ナットのもとに召集令状が届き、彼は志願します。しかし、
世論もそうですが、同世代、特に大学生たちの間ではこの戦争に疑問視する向き
が大勢となりつつあったのですが、ナットはベトナムへ派遣され、名誉の負傷を
受け、帰国後つかの間ですが地元の英雄となります。

フレッチャ-のもとには召集はこなかったのですが、新聞に勇敢な兵士が記事に
なって、なぜかフレッチャ-はこの青年兵士が気になります。

その後、ナットはニューヨークの金融関係へ、フレッチャ-は大手法律事務所へと
就職。しかし、ふたりとも、ほぼ時期を同じくして、キャリア途中で辞職します。
そしてナットは地元に戻り、学生時代からの親友トムの父親が会長の銀行に入社、
フレッチャ-は、妻の父で上院議員ハリーの引退に伴い、州選出の上院議員選挙に
出馬するのです・・・

大河ドラマのようなふたりの男の年代記あり、ナットにかけられたある男の殺害容疑
の裁判での法廷サスペンスあり、1冊で2度3度おいしい気持ちになります。

なんといっても、ラストの、「ん?」というような締めくくり方。物語を、よーく、
よーく読んでないと、このオチは不完全燃焼で終わってしまうでしょう。
それにしてもイジワルというか、人を食ったようなというか・・・

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東野圭吾 『探偵ガリレオ』

2010-07-25 | 日本人作家 は
この作品のシリーズ続編「容疑者Xの献身」を先に読んでしまい、というか、
実は「容疑者~」が続編で、第1作があるということを後で知り、またもや
スターウォーズのエピソード1を後で見る状態といいますか、まあそれはそれで
登場人物の背景がシリーズ続編だと、そんなにしっかりと描かないので、前編を
読んで、ああなるほど、このキャラはこうなのか、と知る楽しみもあるのです。

「容疑者~」は長編でしたが、『探偵ガリレオ』は短編が5作品。
いずれも、現場には不可解な「謎」が残り、捜査に行き詰まった警視庁の草薙が、
大学の同期で、現在、帝都大学理工学部物理学科助教授、湯川のもとに相談に
行くというパターン。

一見、幽霊の仕業?と思わせるも、サイエンスの力をもってすれば人為的に
できると実証あるいは証明していく過程は、ニューヒーロー探偵誕生?と思
いきや、歴代ヒーロー探偵のようなダンディズムは無く、また、あまり捜査
そのものに興味はなく、ただ、その謎の解明のみに興味がわく、という、こう
言ってはあれですが、ドライな探偵。

しかし、警視庁の草薙とのコンビネーションは絶妙で、これが熱血すぎず、
時たまユーモラスな掛け合いもあり、前に読んだ「白夜行」「手紙」「さまよう刃」
といった、暗くて悲しい旋律とはちょっと離れた、どこかコミカルな旋律で、
東野圭吾の幅の広さに敬服。

深夜、ただ騒ぎに集まる数人の若者。週末にまたいつものようにバス停留所に
たむろしはじめ、バカ騒ぎをはじめます。すると、そのうちの一人の頭から
突然炎が上がり、そして停留所は爆発・・・「燃える」

釣りに出かけた中学生が、池に落ちていたある物を、文化祭の展示に使います。
しかし、そのある物を見た人は、失踪した家族の顔だと言うのです。中学生が
拾ってきたものは、精巧にできた、人間のマスクだったのです・・・「転写る」

風呂場で死んでいた男は、当初心臓発作と思われていましたが、検死によると、
体のある一部分のみが壊死していることが分かります。行きつけのクラブホステス
に話を聞いてみようとしたのですが・・・「壊死る」

突然、海中から水柱があがる爆発で、女が死亡。そして、アパートの一室で男が
殺されているのが見つかります。男は、帝都大の卒業生で、海の爆発があった日に、
現場の海岸近くに訪れていたことがわかり・・・「爆ぜる」

マンションで女性の死体が。容疑者として、見合い相手の男に聞き込みをしますが、
犯行日にはマンションに行ってなく、遠く離れた川べりで車を停めてサボっていた、
と言います。そして、警察に、一枚の絵が届けられます。それは、川沿いにある赤い
車の絵。じつは、病気の少年が、幽体離脱をして、上空から描いた絵だというのです。
少年の住まいからは車の停車場所は見えず・・・「離脱る」

これが、犯人の殺すに至る動機がきちんと人間くさく描けていないと、たんなるカラクリ
の解明に終始してしまい、別になんとも感想のない作品になるところを、サイエンス絶対善
とはしていないのが素晴らしいですね。


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A・J・クィネル 『トレイル・オブ・ティアズ』

2010-07-21 | 海外作家 カ
海外ミステリーあるいはスリラー系を読み始めて数年、そうしますと、
あとがきなどで、他の作家だったり、有名な作品だったりを目にする
機会も増え、たとえばジョン・ル・カレは、F・フォーサイスの小説の
あとがきで知ったりしました。

で、このクィネルという作家なのですが、名前はよく目にするものの、
どうにも今ひとつ「買いたい読みたい」というふうに心動かされる何か
が足りないというか。まあそれでも読まず嫌いはイカンと思い、購入。

ジェイソン・キーンという、世界的に有名な脳外科医が、ある日ニューヨーク
の街中で誘拐されます。彼はつい最近離婚し、それが原因か毎夜の酒量も増え、
いきつけのバーの店員も心配していたほど。
それからしばらくして、大西洋上に一機のセスナ機が墜落したとのニュースが。
その飛行機を操縦していたのは、ジェイソン・キーンとの情報。

警察によると、彼のアパートからは遺書が見つかり、その遺書を元妻リサに
渡しますが、リサはその文面を見て、違和感をおぼえるのです。
それは、ジェイソンが嫌いな言葉が使われているのです。
さらに、リサは、第六感というか、テレパシーというか、何かの「直感」で、
元夫は死んでいないと確信、最寄の警察に相談に向かいます。

そのリサの直感は当たっていて、ジェイソンは偽装自殺によって、この世には
もういない人間とされて、ある施設に幽閉されていたのです。
脳外科医がそんな大芝居で誘拐されて連れてきられたということは、何者か
公にできない人物の手術をしなければならないのか・・・

リサの相談を受けたニューヨーク市警の女性警部補ルース・カービーは、ある
知り合いの筆跡鑑定士にお願いして、遺書を鑑定、すると、これは100パーセント
偽物だと断言されます。
そこでルースは、もう自殺と片付けられたジェイソン・キーンの捜査を継続、
ビングというあだ名とパートナーを組み、ジェイソンの居場所を突き止めようと
しますが・・・

はたして、ジェイソンはどこに、そして何の目的で連れ去られたのか。
一方の話、アメリカ上院議員のルシエル・リンの娘が、ある情報を母に教えます。
娘アグネスは獣医で、ある犬のコンテストで優勝した犬が、前にコンテストに出場した
犬とあまりに似ている、「似すぎている、同じ犬のよう」と思い、もしかしてあの犬は
クローンなのではないかと訝ります。その犬の飼い主は、NAHR(国立人間資源研究所)
の所長で、この研究所は不明な予算を使っているとのことで、リン上院議員は調査を
はじめるのですが・・・

ジェイソンが幽閉されている施設に、ある日本人コンピューター技師がいるのですが
なんというか、好意的に描かれているのです。海外の小説に登場する日本人といえば、
大勢で移動する観光客、怜悧な、あるいはカモにされるビジネスマン、いずれにしても
ステレオタイプなのですが、このコンピューター技師は、ちゃんと「日本人」として
人物描写がされていて、あとがきで知ったのですが、クィネルは仕事で日本に滞在して
いた時期があるそうで、情緒的なセリフを言わせるあたり、なるほどな、と。

ジェットコースターとまではいきませんが、それでも読み終わるまでドキドキして、
なかなかスリルを味わえました。
そして、このタイトル、意味は「涙の行進」なのですが、じつは本筋に密接という
わけではありませんが、ああ、このタイトルは正解だよ、と思わせてくれます。
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宮本輝 『彗星物語』

2010-07-19 | 日本人作家 ま
これで、書棚に残る未読の宮本輝作品は1冊となり、補充するか、
ひとまず間を置こうか考え中なのですが、いずれにしても、本気で
この作家の作品をコンプリートしたいと思ったのです。

大阪と神戸の中間に位置する、兵庫県伊丹市の北側に住む、城田一家。
主人の晋太郎、妻の敦子、長男の幸一、長女の真由美、次女の紀代美、
末っ子の恭太、晋太郎の父福造、そして、晋太郎の妹で、離婚して
(出戻り)のかたちとなっためぐみが、4人の子を連れて実家に帰って
きて、これで総勢12人。
さらに、この家には、フックというビーグル犬がいて、城田家の年長者
福造の座る定位置がお好みのようで、しょっちゅうポジション争い。

なんとそこに、晋太郎がかつて知り合ったハンガリー人の青年が日本の
大学に留学することになり、ただでさえ家計の苦しい中、その青年の身元
保証人となって城田家に住まわせ、さらに学費まで出すことになったのです。

しかし、それは父晋太郎が貿易会社を経営していて羽振りのよかった時に、
日本に行って勉強したいという夢を持つ青年に一肌脱ごうと思ったわけで、
晋太郎はその貿易会社を倒産させ、現在は知り合いの会社で肩身の狭い「窓際」
社員といった状態。

そんなこんなで、ハンガリー人ボラージュが城田家に来ることになり・・・

この作品は平成四(1992)年に刊行されたということで、すでに冷戦は終結、
89年にハンガリーは国外旅行の自由化を制定、オーストリア国境の鉄条網が撤去
され、大勢の東ドイツ人がハンガリー経由で西側に堂々と入国できることになった、
いわゆる「ヨーロピアン・ピクニック」があり、東西ドイツの壁も撤廃のきっかけ
となったわけですが、作品中でボラージュは母国ハンガリーの実情を嘆き、この先
50年も100年も変わらないのではないかと諦めていたりします。

国から正式に留学許可が下りたとはいえ、ボラージュは3年間という期間は絶対
に守らなければならず、それを過ぎれば強制帰国させられるので、日本語の勉強
でノイローゼ寸前にまで追い込まれます。
ボラージュはもともと語学の才能があるようで、みるみる日本語が上達、しかし、
それにより、互いの文化の違いや価値観の違いなどが表面化してきて、城田家と
ぶつかります。
加えて、家族間の問題も多くあり、家庭を一手に引き受ける敦子は静まるヒマも
ないほどで・・・

「NOと言えない日本人」という言葉はまさに日本人を表すのに適しているのですが、
しかしこれこそが日本人の美徳でもあり、逆に、自分が悪くても絶対に謝らないという
文化もあり、それはそれで見苦しくも感じます。
ところが、外国人との交流となると、自分の気持ち、特にしてほしくないことだったり
を我慢していると、相手のペースに流されるままになってしまい、言葉は悪いですが、
「いてもいなくてもどっちでもいい」立場にされてしまいます。

生まれ育った環境が違えば、考え方が違うのは当たり前の話で、人間に限ったことで
はなく、あらゆる種類の動物も、その環境に適した体つき、知能を持つことになって、
それが、「人間に近い」ことが利口かそうでないかの線引きとなるのは、人間側の
傲慢にほかなりません。

昔のイギリスの議会で、ある議員が「きみの意見には死ぬまで賛成しないが、きみの
意見は死ぬまで尊重する」という言葉を残したというエピソードがあります。
これこそが、真の国際化のカギとなる考え方なのではないか、と。

そんなことを考えさせられました。
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スティーヴン・キング 『呪われた町』

2010-07-15 | 海外作家 カ
思えば、つい数年前まで本を読む習慣が無かったのが嘘のように、
ある日を境に突然本をむさぼり読むようになり、それまでは年に
せいぜい1,2冊読めばいいほうだったのが、1月に5冊、やがて
1月に10冊前後に増え、去年はだいたい150冊くらい読んだ
のですが、キングは去年はじめて読んだのでした。

宮部みゆきのあとがきなどを見ると、キングが小説の師匠的存在だ、
などとあり、いつか読もうと思っていたのですが、ずいぶんと先送り
してしまい、そして去年から今年にかけて、遅れた分を取り戻す勢い
で、キングを読み漁っている状態。

『呪われた町』は、デビュー作「キャリー」に続く2作目の作品で、
次の作品、3作目がキングを不動の売れっ子作家ならしめた「シャイニング」
でということで、いわばこの『呪われた町』は、3段跳びでいうところの
「ステップ」にあたるのでしょうかね。

舞台は、アメリカ北東部、メイン州にある、セイラムズ・ロット(正式には
ジェルーサレムズ・ロット)という小さな町。ここで、ある不可思議な出来事
が起きます。それは、突然町の住人がいっせいに姿を消したのです。

アメリカには、金やオイルを求めて一攫千金を狙おうと、各地に小さな町が
できては消え、できては消え、一般に言う「ゴーストタウン」がたくさんあり、
さほど珍しくもないのですが、セイラムズ・ロットは20世紀に入ってからの
話で、地域限定の伝染病というわけでもなし、町から出た住人で、その行方が
わかっているのは、ほんの数人だけ。まさに「忽然と」消えてしまったのです。

ここに、アメリカ各地を転々と旅し、メキシコに入った男と少年の2人連れが
います。彼らは、メキシコの教会で、ある告解をするのです。それは・・・

ベン・ミアーズという作家が、久しぶりに故郷セイラムズ・ロットに戻って
きます。彼は少年時代、この町で叔母と暮らし、不幸な事故で愛する人を失って
からは、足を踏み入れませんでした。
車で町内を走り回ると、変わらない街並みが目に入ってきます。そして、変わらない
といえば、高台に建つ、不気味な館もそう。

この館はその持ち主の名から「マーステン館」と呼ばれていて、住人は家の中で
死んでいるのを発見、それから借り手もいなく、不気味な様相でたたずんでいます。
少年だったベンは、年長の仲間に入れてもらいたくて、度胸試しにと、マーステン館
に忍び込み、家の中の何かを持って帰ってこいと言われ、館に侵入。
ベンは、ガラス製のペーパーウェイトを持ち帰ろうとしますが、そこで見たものは、
とっくに片付けられているはずの、館の主人だったマーステンの死体だったのです。

あれは幽霊だったのか、幻覚だったのか、大人になっても分からず、次の小説の舞台を
生まれ育った町セイラムズ・ロットにしようと、旅館に泊まって、原稿を書くことに。

彼が町に戻ってきた時を同じくして、ある一人の男が、マーステン館を買います。
ストレイカーと名乗るこの男は、セイラムズ・ロットで骨董家具屋を開きたいと
いうのです。

やがて、この町で、奇妙な出来事が起こりはじめます。墓地の門扉に、犬の死体が
吊られていたのです。それから、住人が姿を消す、ある住人は謎の死因で亡くなり、
検死にまわされて安置所に置かれた死体が消え、そして、深夜、亡くなったはずの
人間が窓の外に・・・

ベンと、町で出会った恋人のスーザン、高校教師のマット、マットの教え子で医師の
ジミー、そしてオカルトに詳しい少年マークが、この町で起こる事件は、あの高台に
建つマーステン館の新しい住人、ストレイカーが怪しいとにらみ・・・

もう、読み始めてからとまらず、時期の悪いことにワールドカップも見たくて、
おかげで読み終わるまで、寝不足。
翻訳された永井淳さんの解説では、キング作品は明快でも流麗でもないけど、型どおり
のエンターテインメント路線とは異なる別な文体の魅力がある、と評しています。
ここに、永井さんの流麗な日本語訳が加わり、さらに面白い、というわけ。

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三浦綾子 『細川ガラシャ夫人』

2010-07-12 | 日本人作家 ま
歴史というものは単純に勧善懲悪ではなく、視点が変われば評価も変わる
というもので、この前読んだ、遠藤周作の大友宗麟を書いた小説では、敵方
である毛利元就を「狐」と嘲り、人間性も良くないような描かれ方をされて、
でも一方では、織田信長、豊臣秀吉も彼には一目置いていた、という側面も
あったのです。

主人公である細川ガラシャとは洗礼名で、実名は「お玉」。お玉の父親は誰
あろう、歴史教科書では悪臣、謀反人として名高い明智光秀。
しかし、これまた別の側面から見ると、たとえば主君の信長が仏教を徹底して
弾圧してきたのですが、その後始末というかフォローに光秀は奔走したり、
彼の領地であった地域では、今でも(つまり400年間)続いている、領主光秀の
祭事があり、それからなんといっても有名な、家康のブレイン、天海はじつは
光秀ではないのか説。

まあ天海の説はちょっと無理もあるのですが、この説の出所は、彼の汚名返上、
名誉挽回のためなのではないか、特に仏教関係者からではないか、との考えも
あるそうです。

まず、物語では冒頭、光秀の素晴らしい人柄を表すエピソードからはじまります。
お玉の母は、妻木家という小さな豪族出身で、なんとしても名門明智家との縁を
持ちたいのですが、結婚前に疱瘡にかかってしまい、美しい顔には痘痕が残って
しまうのです。そこで、妹を明智家に嫁がせようとしますが、光秀は「このような
替え玉ではなく、どんな面変りをしようとも、もとの許婚と一緒になりたい」
と妻木家に書状を送るのです。

そうして生まれたのが、お玉。幼いころから美しく、周りの人間は私を褒めそやして
当然とばかりに振る舞い、そして母の痘痕についてからかい、それを聞いた父光秀は
激怒、お玉を呼びつけ、人間の価値は外の顔形ではなく、心で決まる、謙遜は美しく、
思い上がった心ほど醜いものはない、と叱りつけます。

時は戦国、親兄弟とも殺し合いをしなければならず、休戦協定には人質として、領主の
肉親を相手方に差し出さねばならず、いわば女性は体のいい「政略の道具」なのです。
当然お玉も、年頃となり、光秀の盟友、細川家の忠興との縁談があり、嫁ぐことに。
先に嫁いでいた姉は、お玉に「女が嫁ぐとは、死ぬこと」と言い残し、それがお玉の耳に
残っていて、忠興との結婚に反対こそしませんが、どうにも釈然としない気持ち。

ここから話は、父光秀が信長を討ち、お玉の嫁ぎ先の細川は、家を守ることを最優先
として、どっちともつかずの状態を決めこみ、しかし明智の血をひくお玉にも危険が
迫り、丹後の海沿いの、断崖を分け入ってようやく着くような集落に匿われ・・・

史実と脚色が織り交ざっているようで、どこまでが本当か分かりませんが、とにかく
美しかったというお玉、忠興の弟も一目惚れしてしまい、まあとにかく忠興は悋気が
ものすごく、なるべくなら人前に出したくなかったほどで、自分に自信のない男なら
よくしてしまう、いわゆる「束縛タイプ」となるのですが、家柄、伝統こそあれ弱小武将
の細川忠興は、いつお家滅亡の危機が訪れるか知れず、こんな時代に自信家であるには、
それこそ信長のような暴君のようにならなければいけなかったのでしょう。

そして、お玉は、侍女のお佳代の、またはキリシタン武将、高山右近の影響で、
洗礼を受け、キリシタンとなり、洗礼名は「ガラシャ」となります。英語でいう
ところの「グレース」で、意味は神の恩寵、恵み。
しかし、キリスト教の布教に協力的だった信長から秀吉に天下は移り、はじめこそ
静観していたのですが、突如秀吉は、キリスト教の弾圧をはじめるのです。

日本のような高温多湿で水も豊富な土地に住んでいると、キリスト教、ユダヤ教、
イスラム教の誕生した中東エリアの、水も乏しく、限界的な状況がいつ訪れるやも
しれない中で、特別な「存在」を見出す、という理解は難しいと思うのですが、
しかし、そんな日本にも、明日をも知れぬ極限状態という時代はあったわけで、
とりわけ、戦国時代はまさにそれで、仏教は金儲けで堕落し、キリスト教にすがる
ことで、心の均衡を保つことができたのでしょう。

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宮部みゆき 『長い長い殺人』

2010-07-09 | 日本人作家 ま
今まで、トータル何冊宮部みゆきの作品を読んできたかわかりませんが
(本棚を見ればわかるけど面倒くさいのです)、しかしすごいのは、どれ
ひとつとして「ハズレ」の作品がない、ということ。

まあ、人によって向き不向きもあるでしょうけど、この『長い長い殺人』は、
ある意味、冒険心にあふれた、といいますか、着眼点が斬新といいますか、
物語の語り手は、登場人物の「財布」なのです。そう、お金とかカードを
入れておく財布。

一人称が財布、ということで、その持ち主の金銭事情がもっとも当事者とも
いえる財布によって語られてゆくのです。
金銭事情だけではなく、よもやまのプライベートな、あるいは「事件」(タイトル
に「殺人」とあるだけに)を目撃する財布。自分に入ってくるお金は、はたして
きれいな金なのか、汚い金なのか。

第1章は、刑事の財布。娘も成長し、薄給なのに無理をして買った家のローンで
毎日が「きゅうきゅう」の生活。もうボロボロになった財布を持ち、仕事に出かけ
ます。新しい財布を買えばいいのにとの妻の言葉にも、身分不相応な家を買った
ばかりに貧乏風情だなと皮肉を言います。

ひき逃げの犯行現場に到着し、目撃者の談を嘘と見抜く老練の刑事・・・

それから、物語は、ひき逃げされ死亡した男の妻、男が通ってたスナックの
ホステス、妻の愛人、愛人の婚約者、その婚約者の甥、等々の登場人物の
財布が語り手となって、一連の殺人事件をなぞっていきます。

あれ、なんだかこの展開、どこかで読んだことがあるな、という既視感があり、
それは、同じ作者の「模倣犯」なんだ、と。
具体的にどこらへんが展開が似てるのか、とぢらもあるいは片方しか読んでない
という方のために明かすことはできませんが、その、なんというか、「策士、策に
溺れる」とだけ書いておきましょうか。

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アーサー・C・クラーク 『2010年宇宙の旅』

2010-07-07 | 海外作家 カ
あれはいつのことだったか、高校生のときに買って、読まずにそのままに
していた「2001年宇宙の旅」の文庫を押入れから見つけ出し、読み始めたら
グイグイ引き込まれて、気がついたら窓の外は白んでいた、なんてことが
あったのですが、そしてとうとう、何年越しになりますか、続編の『2010年
宇宙の旅』を読むことに。まさに今年2010年、地球外小惑星イトカワから
物質を採取してきた「はやぶさ」が地球に帰還する、といった重大ニュースが
飛び込んできて、ようやくアーサー・C・クラークの創造に少しでも近づいた
のかな(人類が木星まで行ける技術は到底先のこと)なんて、宇宙に思いをはせ
ながら読みました。

『2010年宇宙の旅』は、いちおう前作「2001年~」の続編ということになるのです
が、どちらかというと小説版といよりは、スタンリー・キューブリックの映画版の
「続編」というほうがふさわしい、と思えるくらい、あとがき解説にもありましたが
説明過多といいますか、そもそもSF小説に「明確な答え」を求めるのは無粋な
気がするのです。
確かに「2001年~」では、月と木星にある黒い物体とは一体何なのか?ボーマンは
どうなってしまったのか?ハル9000の暴走の原因は?という疑問が残ったのですが、
『2010年~』では、明確とまではいわないまでも解き明かしてはいます。が、そこには
まだ多くの謎があり、それが読者の想像力と創造力をかきたたせてくれます。

時は2010年、宇宙船レオーノフ号は地球から飛び立ちます。
10年前、木星の衛星に存在する謎の黒い物体「モノリス」の謎を突き止めようと
宇宙船ディスカバリー号が木星に向かう途中、乗組員4名死亡、1人が行方不明と
いう原因不明の「事故」が起こりました。
それは、ディスカバリー号に搭載されていたスーパーコンピュータ「HAL9000」
が、乗組員ならびに地球の管制を無視し、突如命令にない行動に出てしまい、船長
のデイビッド・ボーマンは小型遊泳用ポッドに乗りディスカバリー号から脱出して、
その後消息は不明のまま。

そして、レオーノフ号にはソビエト宇宙飛行士と、元アメリカ宇宙飛行学会議長
ヘイウッド・フロイド、ハル9000製作者のチャンドラ、そしてディスカバリー号
の専門家カーノウの3人が加わり、木星の軌道衛星となりはてた宇宙船の回収ならび
に調査、そしてモノリスの調査という任務のため、木星への旅がはじまるのです。

人工知能スーパーコンピュータ、ハルはなぜ乗組員殺害という暴挙に出たのか、
消息不明のボーマン船長はどこに行ってしまったのか、モノリスの正体とは何なのか、
そして、レオーノフ号に先回りして木星の衛星に着陸した某国の宇宙船から届いた
「エウロパには生命が存在する・・・」というメッセージとは・・・

文中に、チャンドラ博士に他の乗組員が「HALという名前はIBMに一歩先んじる
意味で選んだのですか(アルファベットでIBMのひとつ前がHALになる)?」
という質問に、
「それはもう何年も前から否定してきた話なんだ。H・A・LはHeuristic ALgorithmic
(発見的、算法的)の略だ!」
というくだりがあり、この説はどこからきたのかは不明なのですが、作者は否定して
いるようで、さらに、当のIBM社がこの説を名誉としていることで、作者自身「もう
それでいいよ」といったことを述べています。

現実の世界で、人類が木星衛星群に着陸できる日は来るのでしょうかね。


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宮部みゆき 『鳩笛草』

2010-07-05 | 日本人作家 ま
そういえば、久しぶりに宮部みゆきの作品を読んだなあ、と思い、
今回読んだ「鳩笛草」は短編3作なのですが、その中の「燔祭」は、
この続編として「クロスファイア」という作品があり、中表紙には
「まず『燔祭』を買って読んで、立ち読みでもいいから」といったような
前置きがあり、大変申し訳ないのですが、そのご忠告を無視して、先に
「クロスファイア」を読んでしまいました。
ちなみに「クロスファイア」は、念力で人や物に火を放つことのできる
能力を持つ女性が登場する物語です。

というわけで、スターウォーズでいうところの「エピソード1」的な
「燔祭」あり、予知能力を持つ女性を描いた「朽ちてゆくまで」、他人の
心を読む能力を持つ女性刑事を描いた「鳩笛草」と、いずれも「超能力」
の持ち主(そしていずれも女性)が主人公。

「朽ちてゆくまで」は、両親を幼いころに事故でなくし、祖母とふたり
暮らしをするも、その祖母も急死し、孤独となった智子を中心に描かれ、
長い間祖母と暮らした一軒家を売りに出そうと、家の中の荷物を整理し
ていると、そこから、幼少時代の智子が撮影されたビデオテープが出て
きたのです。
その映像は、愛娘を撮影する両親といったほのぼのとしたものではなく、
頭痛で泣く智子に両親が何かを訊き、智子は夢でみた「何か」を答える、
といったもので・・・

「燔祭」は、会社員の一樹が新聞に載ったあるニュースの見出しに心穏やか
ではいられなくなる、という場面からはじまります。
一樹にはとても可愛がっていた妹がいて、しかし何者かにくるまで轢き殺され、
犯人はいまだ捕まらないでいる時に、同じ会社の手紙を預かる部署
(メイル部)の、あまり印象の無い女性、青木淳子が、代わりに復讐する、と
一樹に告げ、淳子は会社を辞めて行方をくらまします。
それから数年後、「荒川河川敷で男女4名の焼死体」というニュースが・・・

「鳩笛草」は、他人の心を読むことのできる女性刑事、本田貴子の話で、
彼女は対象の人物の直接、あるいはその人の触れた物から、心の中を読み
とる能力があり、その能力のお陰か、女性にしては珍しく刑事課に配属
されます。
しかし、ここ最近、その能力が鈍りはじめていて、そしてついに、管轄下で
重大事件が発生したその時、突然貴子は意識を失い・・・

「能力」を持つ者の、優越感みたいなものはあまり書かれず、むしろその能力
を持ってしまった「煩わしさ」のような気持ちが描かれているようで、能力を
中心に描くというよりは、周りの人間関係、機微を多く盛りこむことによって、
能力は物語におけるいちアクセントであり、やはり人間ドラマなんだなあと
感じるあたり、SFやモダンホラーに区分けされてもいいような、でもちょっと
毛色が違うんだよなあ、と宮部みゆきという小説家の「能力」に感嘆するのです。

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