晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

佐伯泰英 『夏目影二郎始末旅(三)破牢狩り』

2021-11-27 | 日本人作家 さ

この作品は「夏目影二郎始末旅シリーズ」。読むのはずいぶん久しぶりです。いつぶりかと当ブログで確認しましたら2018年。ざっと説明しますと、父親は幕府の勘定奉行で常磐豊後守秀信。秀信と女中の間に生まれたのが本名瑛二郎。表現は悪いですが「妾の子」。母が亡くなって秀信の本宅に引き取られるも義母にいじめられ、無頼の道へ。それでも剣術の修業は続け、鏡新明智流の桃井道場で師範代を務め、付いた呼び名が「桃井の鬼」・・・とまあ、バックグラウンドだけだと(「鬼〇犯〇帳」の長〇川〇蔵)に似ていなくもないのですが、それは置いといて、女性をめぐり十手持ちを殺してしまい、遠島の罪になりますが、父親が「自分の仕事の隠密をやるなら釈放してやる」といって、関東取締出役「八州廻り」の腐敗や汚職を成敗する旅に出る・・・といった話。

 

時代は江戸末期で、関八州とくれば、この当時のアウトローの有名人、国定忠治。ちょくちょく登場します。

江戸の伝馬町、牢屋敷で火災発生、囚人どもは嬉しそう。なぜなら「切放(きりはなし)」といって、囚人たちは一時開放されるのです。ただし、その期限は三日。三日後に浅草溜に集合しなければなりません。もしちゃんと来れば減刑、来なければ罪が重くなります。江戸市中のあちこちで盗みや押し込みなどが発生している中、夏目影二郎は自分の住んでる長屋の井戸端で住人たちが騒いでいるので聞いてびっくり、伝馬町の切放を知ります。

ちょうどその頃、勘定奉行常磐豊後守秀信の配下で監察方の菱沼喜十郎は、両国広小路の番屋で七人の切放の囚人の死体と向き合っています。そしてその中には牢名主も。そもそも伝馬町の火災にはおかしいところがあって、牢屋敷の外は大した火事にならなかったのに、牢内では半焼するほどの被害でした。その日、殺された牢名主の牢に新入りが入ったのですが、通常行われる新入りへのいたぶる儀式が無く、この新入りが放火のなんらかの役目をしていたか。そして名主が殺されたのは口封じのためか。

菱沼は影二郎のもとを訪ね、この一件について話します。じつは先述の新入りとは幕府の役人で御勘定所道中方の伊丹主馬という人物で、道中方というのは江戸五街道の監督行政の部署で、つい先日、道中方組頭が不正が行われた疑惑の責任で自刃して、その部下である伊丹を捕えようとしたところ、先手が入って些細な罪で伝馬町に入ることになって、その直後に切放が発生したのです。菱沼らは道中方の帳簿を調べていると、物流の交易の量は増えているはずなのに、ここ十年のご禁制(密輸品など)の没収品は減少しているのです。これには絶対なにかしら裏があると踏んだ菱沼は影二郎に明後日の切放の刻限に一緒に行ってもらうことに。刻限になって、十三人が戻ってきません。うち七人は切放直後に殺されたので、実質六人。その中には伊丹主馬が。他に浪人、虚無僧、女掏摸、渡世人二人というラインナップ。

 

ご禁制の没収品は各街道の主だった宿場に集められ、江戸に搬送されます。その途中に横流しが行われていたとすれば、これは伊丹ひとりの犯行ではなく組織化されているはず。その謎を探るため、影二郎は中山道の下諏訪宿へ、飼い犬の(あか)を連れて、旅に出ます。

途中、女旅芸人のおこまと合流、下諏訪宿から船で天竜川を下って東海道の浜松宿、そしてまた船に乗り那珂湊まで行き、日光街道の宇都宮宿へ・・・

 

文中の「伝馬町の切放」はフィクションではなく実際にあったことで、最初は明暦の大火のときに牢奉行の石出帯刀の独断で行われたという話。ちなみにこのときは本当かどうかわかりませんが全員が三日後に戻ってきたそうで、これに感動した石出帯刀は全員に罪一等軽減を言い渡したとか。まあ考えてみれば普通に戻ってきて感動されるって不良がちょっと良いことしたらすごい褒められる例のアレかと。

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葉室麟 『乾山晩秋』

2021-11-21 | 日本人作家 は

ここ最近のプライベート話。仕事に行くときに水筒にお茶など入れて持っていくのですが、500ミリのやつなんですけど、家から車を運転しながら飲んで職場に着いて仕事してる最中や食事の時に飲んでまた運転して家に帰るまで飲んでってやってると500ミリじゃとうてい足りないので、途中のコンビニに寄ってペットボトルのお茶を買ったりしてこれじゃイカンということで、今使ってるのは車内用、あと仕事のとき用にと新しい500ミリのマイボトルを買いました。なぜ前のは「水筒」で新しいのは「マイボトル」なのか。前のはホームセンターで買ったやつで、新しいのはイギリスのブランドで、ステンレス製のオシャレなデザイン。

 

はい、鼻持ちならないブランド野郎です。

 

この作品は短編集で、共通しているのは、主人公が、テレビのお宝鑑定番組などで聞いたことのある、戦国・江戸時代の画家や陶工。この時代の主流といえば狩野派ですので、5話中3話は狩野派にまつわる話。

 

有名過ぎる兄、尾形光琳。その弟も、後世になって有名にはなるのですが、どうにもくすぶっている尾形乾山。野々村仁清に弟子入りした陶工。お兄さんは生前、超有名人でしたが内証は豊かではありませんでした。ある日のこと、京の乾山の家に男の子を連れた女性が来ます。ということは、光琳の子なのか。という悩みの種がある中、乾山の焼き窯が廃止されるという知らせが・・・という表題作「乾山晩秋」。

 

狩野源四郎が出かけようとしたところに、土佐光元が絡みます。土佐家は朝廷の絵師。一方、狩野家は幕府御用絵師。「近衛の家に向かうなら急いだほうがいいぞ」と意味深な言葉を投げかけます。源四郎が近衛家に着くと、織田信長の命令で家が破壊されています。襖絵や屏風絵を収めたばかりで、この所業に腹を立てますが、じつは、御邸が壊される前に、信長のお付きの小姓が絵画を持ち出していたのです。「ならず者の田舎大名にわたしの絵の価値がわかるもんか」と思っていた源四郎のもとに、その小姓が訪ねてきます。これからは信長様の天下になるので、ぜひ信長様の絵師になっていただきたい、というのです。ですが、この当時、信長および将軍の足利義昭は土佐家を重用しています。

数年後、源四郎は永徳と改名します。永徳は信長に呼び出され、近江の安土山に城を築くので、その障壁画を書いて欲しいと・・・という「永徳翔天」。

 

甲斐国の武田信玄のもとに、越前朝倉氏からの使者がやってきます。その中に絵師がいるというので、信玄は肖像画を描いてもらいます。絵師の名は長谷川又四郎信春。のちの長谷川等伯です。信春は能登の武家の生まれでしたが染物屋の長谷川家に養子に出されます。武田家から肖像画の報奨金をもらった春信は能登に帰る道中、一緒にいた侍に報奨金をよこせと脅されますが逃げて谷を転がり落ちます。猟師に助けてもらい、家に連れてってもらいます。するとそこの娘が「わたしを能登に連れてって」と・・・という「等伯慕影」。

 

京は島原の遊郭で宴会が開かれています。招かれていたのは井原西鶴。西鶴は宴会にいた花魁の着物に目を留めます。花魁に聞くと、その着物の絵を描いたのは「清原雪信さま」というではありませんか。幕府の御用絵師で狩野探幽の姪の娘である雪信がなぜ京にいるのか。花魁にたずねると「長い話になりますえ。恋の話どす」というのですが・・・という「雪信花匂」。

 

絵師の多賀朝湖は、知り合いから「面白い儲け話がある」と聞きます。朝湖はのちの英一蝶。遊びが過ぎて狩野派を破門され、絵師というよりは幇間みたいな暮らしの朝湖はその話に乗ります。なんでも、吉原の噂話をするだけで金がもらえるというのです。ところが、その話す相手というのが、大奥の奥女中というのですが・・・という「一蝶幻影」。

 

現代風にいえば「アーティスト」が主人公の話ですが、身も蓋もない言い方になると生きていくのに特に必要のない職業、職種ではあります。まあそれをいったら武士も江戸時代の元禄あたりからぶっちゃけ無用な存在ではあったのですが、この人たちのもがきながらも必死に生きてる様は傍から見てる分には面白いです。手先は器用でも身過ぎ世過ぎは不器用な人たちですから家族にしたらたまったもんじゃありませんけどね。

 

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宇江佐真理 『髪結い伊三次捕物余話(九)今日を刻む時計』

2021-11-18 | 日本人作家 あ

いつの頃からでしょうか、季節の食べ物、いわゆる「旬」を食べないとなー、という意識が芽生えてきたんですね。といって、もう秋もそろそろ終わるんじゃないかっていう11月も半ばになって今年まだサンマを食べてないことに気づいてしまい、悲しみに打ちひしがれております。あ、柿はたべました。よく旬のものを食べると75日寿命が伸びるといいますが、逆に食べないと75日死期が早まるってことはありませんよね。

 

そんな与太話を書き込んだところで。

 

髪結い伊三次です。しばらく読んでなかったので話の続きがどんなだったかちょっとうろ覚えだったので、登場人物の年齢が「あれ、こんなだったっけ?」と頭上にはてなマークをいっぱい浮かべながら読んでいましたが、あとがきで作者が「10年ワープした」と書いていて、この違和感は間違ってなかったのねと安心しました。

 

ざっとおさらいを。

もともと流し(フリーランス)の髪結いだった伊三次は、町奉行の同心、不破に目こぼししてもらって(流しの髪結いは犯罪でした)、不破の手伝いをすることに。といっても十手持ちの岡っ引きではなく、あくまで手伝い。伊三次の妻は深川芸者のお文。二人の間には男の子が。

といったところから、一気に10年後。伊三次とお文の間に女の子が誕生してます。さらに、不破の息子の龍之進はもういい年齢になっていて、同世代はみんな結婚していて独身は龍之進だけ。お見合いしても相手方から断られますが、それを、母の(いなみ)が元吉原女郎だったことが原因だと己の器量のなさを棚に上げて自暴自棄になって芸妓屋に入り浸ってます。そんな中、日本橋で包丁を振り回している男がいると伊三次に知らせが入って、龍之進のいる芸妓屋へ急行し、叩き起こして「さ、行きますよ」と・・・という表題作の「今日を刻む時計」。

 

ある日のこと、龍之進が見回りをしていると、急に雨が降ってきたので、雨宿りに酒屋の軒下に入ったのですが、店の娘らしき女の子が立呑の客と勘違いして店主を呼んでしまいます。そこで店主と話をしていると、さきほどの娘は「ちょいと訳ありで預かっている」とのこと。翌日、同僚に酒屋のことを話すと、あの娘は(おゆう)といって日本橋大和屋という廻船問屋の娘だというのです。訳ありというのは、お見合いが破談になってしまったそうなのですが・・・という「秋雨の余韻」。

 

「秋雨の余韻」からの流れで、不破家でおゆうの行儀見習いをすることになったのですが、龍之進はおゆうを結婚相手と意識し始めます。そんな話とは別に、伊三次は鋏を修理に出そうと、二十年以上前に鋏を買った刃物屋に行きます。後日、その店にいた若者を見かけて声をかけます。若者は青物の棒手振りで千吉といい、刃物屋の主人は千吉を気に入って、よかったら刃物職人にならないかと誘ってくれています。ところが、千吉は過去に盗みで捕まって、腕には入れ墨が・・・という「過去という名のみぞれ雪」。

 

松太郎という龍之進の友人がいるのですが、重い労咳を患ってもう長く、龍之進はお見舞いに行きます。すると、松太郎から頼まれごとが。じつは松太郎には婚約者がいたのですが、労咳になり婚約破棄。ですが、死ぬ前に婚約者に会いたいと・・・という「春に候」。

 

龍之進の後輩で同心見習い中の笹岡小平太がどうしようもないトラブルメーカーなので指導役から龍之進に面倒を見てやってくれと押し付けられることに。そこで小平太の親に話を聞こうと家に行くと、家には小平太の母と姉が。小平太は養子で、小さい頃から母代わりで懐いていた姉の徳江と離れるのは嫌だと駄々をこねたので徳江もいっしょに笹岡家に住んでいるのですが・・・という「てけてけ」。

 

伊三次の家にいる(おふさ)という女中がいるのですが、不破家で中間を務めている松助を結婚相手にどうかという話がある中、事件現場に駆けつけた伊三次は、野次馬の中に徳江がいるのを見つけます。すると背後にいた笹岡の妻が徳江の頬ををいきなり平手打ちし・・・という「我らが胸の鼓動」。

 

最終話で、龍之進と徳江が結婚します。けっこう唐突に。ラブストーリーは突然に。

 

 

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五木寛之 『親鸞 第三部 完結編』

2021-11-13 | 日本人作家 あ

さて、親鸞。

第一部を読んだのが、当ブログで調べたら2015年、第二部を読んだのが2017年。だいぶ、というかかなり時間が経ってしまいました。まあどうでもいい話ではありますが、第一部は単行本で、第二部と三部は文庫で買いまして、もちろん書いてある内容はいっしょなんで別に問題はないんですが、どうせならどっちかに統一したかったですね。

 

個人的な話をさせていただきますが、現在、通信制の学校で勉強しておりまして、その学校の経営母体がなんと浄土真宗系のお寺。というわけで、なにかの「縁」を勝手に感じながら読みました。

 

第一部では、少年時代に比叡山に入って修行をはじめ、山を下りて法然の弟子となって、法然の提唱する念仏が禁止となって親鸞は越後に流罪となります。ちなみにこの頃に親鸞は結婚します。

第二部では越後で布教活動をしていて、刑期が終わったのですが京には戻らず、関東の常陸に行きます。

で、六十一歳になった親鸞は京に戻ります。親鸞が少年時代に伯父の家にいたときの使用人で、のちに商売で成功した犬麻呂の後を継いだ申丸に住む家と生活費を世話してもらっています。親鸞は特にこれといって何もせず、一日中何かをせっせと書いています。外出するのは月に一回、法然の法要のときに出かける程度。

その申丸に会いたいという人物が。覚蓮坊という僧なのですが、このお坊さん、なにやらすごい権力があるようで、どんな悪そうなやつも覚蓮坊の名前を出すだけでビビるというほど。先代の犬麻呂の使用人で今は使用人を束ねる係の常吉という老人は「あの方とお付き合いするのは遠慮なさったほうが」と心配しますが、じつは犬麻呂の遺言で「覚蓮坊との付き合いを絶やさぬように」とあり、たとえ悪そうなやつとだいたい友達でもニューヨーク生まれヒップホップ育ちでも先代の教えは守ります。

さて、申丸と覚蓮坊が会ってる時に、常吉はある場所へ向かいます。そこは竜夫人という女性の屋敷で、なんでも幕府や公家あたりに大金を貸しているそうで、もとは遊女で宋の竜大人という富商に身請けされてのちに日本に戻ってきます。常吉は自分の主人の行動をなぜ竜夫人に報告するのか。

覚蓮坊の用事とは、親鸞のことについて聞きたいとのことで、じつは親鸞がまだ比叡山で修行中、覚蓮坊も修行していて、親鸞はとても優秀な修行僧で、覚蓮坊たち後輩はみんな憧れていたそうで、それがいきなり下山してご禁制の念仏僧の法然に弟子入りしたということで未だにひどく親鸞のことと念仏を憎んでいる様子。そこで、京に戻ってきた親鸞は一体何を企んでいるのか、それと、親鸞の持っている書を見せてほしい、というのです。そこで申丸は「貸しがある」という親鸞の長男で善鸞に頼もうとしますが・・・

このことを、常吉は竜夫人に報告します。すると、手紙を持たせ「この文を印地御殿の党の長老、弥七どのに渡してほしい」というのですが、「印地」とは石を投げる技、その技術者をいい、ある時期に(白河印地の党)という集団が結成され、私兵や用心棒をやったりします。その本拠地である印地御殿に住む長老というのが、かつて親鸞が少年時代に出会った、あの「ツブテの弥七」だったのです。竜夫人と弥七はどのような関係なのか。

 

ところで親鸞の息子の善鸞なのですが、いちおう親鸞の弟子というか親鸞のもとで念仏の勉強をしていますが、親鸞パパの中に家族というか親子の情愛といったものはあまり無く、そこで善鸞はなんとしてでも認めてもらおうと唱導という歌うように説法をするもので、これを真剣に学んで極めたいといい、さらに関東のある寺から招待されてるので関東に行くと決めます。ところが関東では念仏の間違った解釈が蔓延っていて、弟子の唯円を関東に向かわせます。さて善鸞ですが、親鸞から「お前は私の名代として関東に行くわけではない」と念を押されますが、関東についたら「わては親鸞の息子でっせー名代でっせー」と振る舞います。これに嘆いた親鸞は善鸞に義絶を申し渡し・・・

竜夫人は嵯峨野にある寺を建造します。名前は「遵念寺」といい、唱導の名手といわれますが朝廷により処刑された安楽坊遵西の「遵」の字をつけたというのですが、竜夫人とどのような関係があるのか。完成したらぜひとも親鸞に導師をやってほしいとお願いしますが・・・

 

この第三部では、それこそ「激動」で、あれやこれやと書ききれないほどの出来事が満載。最終的に九十歳で入滅します。

誰でも「なむあみだぶつ」と唱えれば極楽に行ける、だったら生きている間に悪いことをしまくってもいいじゃないか、という解釈があったようです。あとは「他の宗派はブルシット!念仏のみが真の教え!」と喧伝。法然ら念仏宗一派が罪になったのもこれが危険思想とみなされたからですね。

かの有名な悪人正機説、「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と歎異抄にあるフレーズ、自分の力で幸せになれる人、これを善人つまり「自力本願」ですね、こういう人は阿弥陀様の助けを別に必要としなくても往生つまり極楽に行けるからいいんですが、ところが「親ガチャ」でしたっけ、生まれた境遇が悪いなど、さまざまな理由で他人を傷つけたり他人の物を奪ったりするような人生を送るようになってしまった人つまり悪人は、いわば不幸なので、こういう人こそ阿弥陀様の救済が必要なのです。阿弥陀様はこういった不幸で悲しい生き方をしている人たちをも慈しんでくださります。これを「慈悲」といいます。阿弥陀様の力でもって救われるから願いましょう、これが「他力本願」です。「すべての衆生(生きとし生けるもの)とは煩悩具足の凡夫(悪人)である」から結局はこの世はみんな悪人なんですね。そして親鸞は南無阿弥陀仏(阿弥陀様に帰依します「私を救ってください」)にプラスでこれを唱えることで阿弥陀様の声(あなたがたを救ってあげます)を聞くことができる、と加えます。つまり、どうせ極楽に行けるんだから悪いことやりまくるぜヒャッハーというのは、その時点で阿弥陀様に帰依してないので、救われません、残念。

キリスト教の賛美歌である「アメイジング・グレイス」も、That saved a wretch like meの部分は「私のような惨めで哀れな者でも救ってくださった」ということで、南無阿弥陀仏にどこか近いものがあります。この歌詞を書いた人はもともと奴隷貿易に携わってたそうですね。

 

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佐伯泰英 『吉原裏同心(二十五)流鶯』

2021-11-01 | 日本人作家 さ

この「吉原裏同心」シリーズ、第一巻を投稿したのがいつだったかと当ブログを調べますと、2017年の5月。それから4年半ですか、読み始めた頃はこんな日が来るとは思わなかった、といきなり杏里の「オリビアを聴きながら」が登場してしまうてなもんですが、「吉原裏同心抄」という新シリーズが控えてまして、さらに「新・吉原裏同心抄」という新シリーズもあって、ところでどんな話なんだろうと、ちょっとあらすじを見たら「あれ、うーん、ちょっと」といった展開でして、今のところは新シリーズに手を出すかどうかは考え中。

 

いつものように吉原に(出勤)した幹次郎、会所に入ると客が。しかも女性。はてなんだろうと座敷に入ると、二十歳前後の女性。澄乃(すみの)というこの女性、なんでも吉原で働きたい、とのこと。しかも遊女ではなく、会所で。剣の道場の師範だった父が亡くなって、遺言に「なにかあったら吉原会所にお世話になりなさい」といわれていたそうですが、さしあたって働けそうなところといえば、髪結か茶屋。しかし、本人は「会所で働きたい」そうで、これには頭取の四郎兵衛も番方の仙右衛門も困惑。しかも「女裏同心になりたい」ときました。まあ、遊女が男の格好で足抜けしようとしたら、同じ女なら見抜ける、というのですが、肝心の剣の腕の方は、会所の若い衆なら太刀打ちできないほどの強さはあります。

というわけで、幹次郎が澄乃の面倒を見ることに。

 

ところで、幹次郎は薄墨太夫から「伊勢亀の大旦那に渡してください」と文を預かります。伊勢亀とは御蔵前の札差で、筆頭行事も務める、ご隠居の半右衛門。薄墨太夫のご贔屓客で、薄墨も信頼を置く人物。札差の乗っ取り騒動の際に幹次郎とも親しくしています。が、具合が悪いらしく、ここ数ヶ月、薄墨に連絡もよこさないというので、見舞いがてら薄墨の文を届けようとします。店に着いた幹次郎ですが、大番頭と半右衛門の息子で現主人が対応します。そこで、店にはいないことを聞かされ、船で出かけましょうといってどこぞの別邸に。そこで、半右衛門が重病で余命幾ばくもないことを知るのです。もしそれが知られると、札差の間で少なからずゴタゴタが起きることは想像に難くないし、かといって、筆頭行事を任せられるほどの人物も今の所いません。

半右衛門は、二通の文を幹次郎に渡します。これは遺書だ、というのです。一通は薄墨に、もう一通は幹次郎に。幹次郎への遺書は半右衛門が死んで後に初めて開封してくれ、とのこと。幹次郎は、これからも見舞いに来てもいいかと聞くと、半右衛門は喜びます。

この話はどこから漏れるかわからないので、四郎兵衛にも伝えることはせず、薄墨にのみ伝えます。会所には「吉原に関係のある向きでちょくちょく外に出かける」とだけ伝えて、半右衛門の療養している別邸へ・・・

 

薄墨と幹次郎への遺書の内容とは。

 

といった感じで、吉原裏同心シリーズ全二十五巻これにて終了。

 

テレビなどで「江戸時代、吉原は流行発信地だった、花魁は今でいうインフルエンサー」という花街とは別の側面もあったという紹介があったりしますが、やはり本質は遊廓で、つまり「女性が体を売る」場所で、ごくまれに自分の意志で遊女になった人もいたのでしょうが、大半は親の借金のカタに、あるいは食い扶持で遊女になったのです。吉原は四方を「鉄漿溝(おはぐろどぶ)」と呼ばれる堀に囲まれ、出入り口は大門のみ。ここに三千人の遊女がいたといわれています。無断脱走を別にして吉原を出られるのは、年季を終えて借金を完済できたときか、落籍といって見受けしてくれる男性が現れたときか、死んだとき、この三つのみ。たいていは、年季(だいたい十年間)を終えても完済できず、あるいは吉原の外に出たところで小さいうちから廓に入って世間知らずで育ってしまって町人として暮らしていけないということで、メインストリートにある「籬(まがき)」と呼ばれる見世から裏道の安宿に格下げすることに。そこは「浄念河岸」「羅生門河岸」というエリアで、ここの遊女は白粉でシワを隠した年増女郎か病気持ちの鉄砲女郎(当たったら死ぬから)しかいません。この物語に登場する「薄墨」や「高尾」といった「太夫」の位(歌舞伎「助六所縁江戸桜」の揚巻もそうですね)は、大身旗本や大商人の要求も「いやでありんす」の一言で拒否できるほどで、吉原の中の頂点ですが、しかし「籠の中の鳥」、決して自由ではありません。

「吉原裏同心」シリーズでは、吉原会所の四郎兵衛に「私らは所詮遊女の生き血をすするもの」と言わせたりしていて、吉原という場所、制度を肯定はしていないように思います。そして、幹次郎と汀女の夫婦も「上役の妻を連れて逃げた」という永遠に消せない後ろめたさがあってか、仕事があって、雨露が凌げる家に住めて、ご飯が食べられてと当たり前な生活を送れてはいますが、「こんな満ち足りていいのか」「幸せとはなんだろう」と考えたりします。

 

とりあえずは、続編ではなく、別のシリーズ作品を読みたいと。ていうかもうすでに買ってあります。

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