晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

池波正太郎 『人斬り半次郎』

2021-06-26 | 日本人作家 あ
いきなりプライベートの話題で恐縮ですが、学校の課題(必修科目のひとつ)で基礎的な統計学を学ばなければいけなくて、ボーントゥービー文系にとって「数学」などとは高校卒業以降、極力関わらずに生きてきたのですが、まさかこの歳になって勉強すると思ってもみませんで。
人生なにがあるかわかりませんね。

以上、中年の主張「勉強とは」。

前の投稿からだいぶ間ができてしまいました。上記のとおり勉強があって、さらにこの小説、文庫本の上下で1,000ページ超。面白いのでスラスラと読めましたが、いかんせん長い。

池波さんの長編小説「その男」で、主人公が幕末に京で出会って仲良くなって東京で再会して最終的に鹿児島までいっしょについていくのですが、それが薩摩藩士の中村半次郎、明治維新後に陸軍少将になったときに桐野利秋に改名します。

中村半次郎は、天保年間といいますから幕末、鹿児島の城下から北へ4,5キロのところにある吉野という地域に生まれます。徳川将軍を頂点とした封建制度の時代にあって、たいていどこの大名家でも身分には厳しかったのですが、特に薩摩藩は上級藩士と下級藩士の身分の差が大きかったそうで、下級藩士(郷士)などは平時には農業従事者となるわけですから、鹿児島は地理の授業でお馴染み「シラス台地」で肥沃とは言えず、米の収穫は少なく、米は年貢で納めますので、郷士は畑作で麦やヒエ、アワ、唐芋(サツマイモ)などを栽培し、城下に住む藩士から「唐芋侍」などとさげすまれていたそうな。

吉野の村をひとりの城下の藩士が馬に乗って通ったときに、むこうから男が歩いて来ていきなり馬のしっぽを切ります。藩士の佐土原英助は「わりゃ、中村半次郎じゃな!」と叫びます。名指しされた男は「半次郎ならどげんするが!」と言い返します。城下ではこの半次郎という「唐芋侍」に喧嘩を売られてコテンパンに叩きのめされたもの数多く、英助も「われの首、斬っちゃる」と意気込み・・・、と、こんな出だし。ちなみにこのふたりは幕末の動乱を生き抜きます。

半次郎の口癖は「今に見ちょれ」で、いつの日か必ず出世してやると、薩摩示現流の剣を学びます。才能があったのか上達が早く、道場の城下藩士をかんたんにやっつけるのですが、「唐芋が剣など学んでもどうなるのじゃ」などと嘲笑われ、道場通いをやめてしまいます。
さらに半次郎の父は横領の罪で島流しされ、(罪人の子)ということで、村人たちからも避けられています。

そんなある日のこと、半次郎は(大男)の城下の侍に出会います。身体が大きいだけでなく、顔の輪郭もつくりも大きく、服装は質素、そして「おいどんは、西郷吉之助いうもんごわす」と名乗ります。

じつは半次郎、名前だけは知っていて、城下の下級武士から先代の殿様(島津斉彬)に見出され出世した有名人。このたび流刑から戻ってきます。
後日、吉之助の家に呼ばれた半次郎は、「このお人な、大久保市蔵さアでごわす」と紹介され、西郷と大久保の前で剣の腕を披露し、殿様や西郷、大久保らと京へ行くことに。半次郎は同じ村に住む幸江と将来を約束していたのですが、「待っててくれ」と言い残します。

この時代、黒船襲来から安政の大獄、桜田門外の変、公武合体、禁門の変、薩長同盟、そして大政奉還と大忙しで、半次郎は、寺田屋事件ののち、青蓮院衛士という役目につき、伍長に抜擢され、どんどん出世していきます。このころの活躍ぶりから「人斬り半次郎」と呼ばれ、敵味方双方から恐れられる存在に。

史実をつらつらと書いてもあれなので、あくまで「小説の書評」として。京で半次郎はふたりの女性と出会います。扇子問屋の娘(おたみ)と、尼僧の(法秀尼)。おたみとの関係は進展せず、半次郎はおたみに好意を持ちますが(叶わぬ恋だ・・・)とあきらめ、じつはおたみは半次郎を好いていたのに半次郎は気付かずに別の男との仲を取り持つといった甘酸っぱい青春ラブストーリー。一方、法秀尼のほうはといいますと、こちらは(オトナの関係)。さらに半次郎、無学を恥じて法秀尼から書を習います。

戊辰戦争での活躍が認められ、半次郎は「桐野利秋」に改名します。この名前の由来は、「桐野」は西郷の母の旧姓、「利秋」は西郷がその場で考えてくれた名前。明治四年、江戸が東京となり、江戸城が皇居になり、西郷が陸軍大将になり、そして桐野利秋は陸軍少将になります。

これ以降も史実をつらつらと書いてもあれなので、ざっと説明しますが、なんだかんだで西郷は新政府の職を辞して鹿児島に帰ります。桐野もいっしょに帰ります。そして西南戦争へ・・・

物語のラスト、官軍の大佐の佐土原英助が桐野利秋の最期に立ち合うシーン、そして「桐野どん、おはんな、この世に遅く生まれすぎた人ごわすなあ・・・おはんな、豪傑ごわす。もしも秀吉や信長の時代に生まれちょったら、賊将の汚名も着ずにすんだろうに・・・」のセリフ、そして佐土原がラッパ手に「吹けい」と命じ、ラッパ手が葬送の曲を吹くと「違う、葬送の曲じゃなか、桐野どんの好きな進軍ラッパを吹いてやれ」に涙腺決壊。

ところで、元薩摩藩士で明治政府の軍人になるも西郷や桐野とともに鹿児島に帰り西南戦争で亡くなった篠原国幹という人物が登場しますが、明治政府の近衛長官だったときに、軍事演習の指揮が見事だったのを明治天皇が感激し「篠原に見習うように」と述べられ、その演習地の名前が「ならしの(習志野)」になったという千葉県トリビア。
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浅田次郎 『おもかげ』

2021-06-05 | 日本人作家 あ
なんだか、あっちゅう間に6月に突入してしまったような気がします。まあ身も蓋もない言い方をしてしまうと、まだこうやって本を読んで読書ブログに投稿できている、ということはつまり今のところ無事なので良かったなと。

さて、浅田次郎さんです。

会社の社長、堀田憲雄は社用車の運転手に「病院に寄ってくれ」とお願いします。自身の具合が悪いのではなく、入院している知り合いのお見舞い。

患者の名は、竹脇正一。

同期入社で、堀田は社長、竹脇は本社から関連会社に転出したいわゆる「天下り」で、5年ほど前に会話をしてから会っていません。が、竹脇が定年退職の送別会のあと、地下鉄の車内で倒れて入院した、と聞きます。
堀田の乗った車が竹脇が入院している病院に着くと、面会の手続きをして、集中治療室へ。竹脇は意識不明。すると堀田は、竹脇の妻がベッド脇にいるのも構わず「あー、何だってよォ、タケちゃん」と号泣します。

竹脇の妻、節子は送別会に出席せず、それで自分を責めても困るので堀田は「セッちゃんのせいじゃないよ」と話しかけます。かつて竹脇家と堀田家は同じ社宅に住み、家族ぐるみの付き合いでした。

竹脇の娘、茜の夫のタケシが見舞いに来ます。タケシは高校中退で少年院を出て、建設業の親方の世話になることに。この親方と竹脇が幼なじみの親友で、茜は親方の事務所でアルバイトをしていたときにふたりは出会い、そして結婚。茜の父親つまり竹脇は国立大を出て有名商社に勤める、いわゆるエリートですが、茜との結婚はすんなりオーケー。はじめタケシは自分はちゃんとした家でもないし婿入りさせてくれとお願いするのですが竹脇は「(タケワキタケシ)なんて婿養子丸出しだろ」といって娘をタケシの籍に。
そんなタケシは、節子に家に帰って休んだ方がいいと言います。

節子が帰った後に、永山徹が見舞いに来ます。徹は竹脇の幼なじみの親友で大工。つまりタケシの親方。徹は看護師に「二人とも、親がなかったものでね」と言います。竹脇と徹は同じ施設で育ったのです。

そんな竹脇ですが、夢を見ます。いや、夢にしてはリアル。目が覚めると、ベッドの横に老婦人が座ってます。名前はマダム・ネージュ。竹脇はこの女性とは面識がありません。ひょっとして妻の友人か。夢か現実かよくわからないまま竹脇は起きて、マダム・ネージュと外に出て、食事へ。

気が付くと竹脇はベッドの上に戻ってます。傍らには幼なじみの徹。徹は「お前、セッちゃんに話してないんだろう」と話しかけます。そう、竹脇は妻に両親がいないことは伝えてあるのですが、細かくは話していません。

竹脇はまた夢か現実化わからない場所へ。今度は、海辺。竹脇と同年代の女性といっしょにいます。この女性は竹脇の(幼くして死んだ息子)のことを知っているのですが・・・

それから、隣のベッドで寝てる患者と出かけたり、また新たな女性が登場したりと、さまざまな人物が竹脇といっしょに人生を振り返ります。
これは、人が死ぬ前に見るという「走馬灯」とかいうやつなのか、あるいは、まだ死んではだめだということなのか。

人生も折り返し地点を過ぎて、さすがにこういった内容の話は心にズンと来ますね。久しぶりに「良い小説」を読んだ、というよりは、「良い話」を見た、といった気分。
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