晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

池波正太郎 『江戸の暗黒街』

2019-12-28 | 日本人作家 あ
これが今年最後の投稿。

2019年は21冊しか投稿できませんでした。とはいっても投稿してない分の再読を含めたら本じたいはヒマさえあれば読んでた気はします。

あと、今までは本を買うのは基本的に書店でして、ですが来年はオンラインショッピングで買ってみようかと。ただそうすると書店に行って買いたい本が無かったときに普段読まなそうな、聞いたことのない作家さんの本を手に取ってみて読んだら「大当たり!」という新しい出会いみたいなのができなくなっちゃうのかという寂しさもあります、もちろんその逆、つまり読んだら全く自分の趣味に合わなくて後悔、というケースもありますが。

池波さんの三大シリーズものといえば「鬼平犯科帳」「剣客商売」そして「仕掛人・藤枝梅安」。藤枝梅安といえば殺し屋。その梅安のもとに(殺しの依頼)を持ってくる人がいて、その人たちは表向きは料理屋などをしていて、裏では、江戸の(後ろ暗い裏世界)の顔で、汚れ仕事も引き受ける「香具師の元締」なのですが、あとがき解説によれば香具師の元締は影の権力はあったもののさすがに(殺し)まではやっていなかっただろう、とのこと。

そんな香具師の元締から、金で殺しを請け負う殺し屋、はたまた一般の人で殺人を犯してしまった、そんな人々が主人公の短編集です。
藤枝梅安シリーズだけでなくその他の作品にもちょくちょく名前が出てくる「羽沢の嘉兵衛」も登場します。

(青堀の小平次)という殺し屋が、香具師の元締(羽沢の嘉兵衛)の依頼である大店の主人の妾を殺したのですが、それを妾宅で奉公していた小娘に見られてしまい・・・
という「おみよは見た」。
三人の武士を簡単に倒した凄腕の浪人に親の敵の殺害を依頼する夏目半五郎。しかし半金は渡したもののいつまでたっても敵は殺されず・・・
という「だれも知らない」。
浪人の下男、寅松は(知恵遅れ)の若者。そんな寅松がある日、二人組の男に襲われてる女性を助けようとしてひとりの男の頭を石で殴り・・・
という「白痴(こけ)」。
(黒股の弥市)という(羽沢の嘉兵衛)の右腕だか左腕が、(おきよ)という商売女のもとに今日もやって来ます。が、おきよは嫌で嫌でたまらず、とうとう寝ていた弥市の首を絞め・・・
という「男の毒」。
(聖天の元締)の娘(お長)と夫婦になってくれと頼まれた手下の伊三次。元締の義理の息子となるわけですが、聖天には(船形の由蔵)という筆頭の手下がおり・・・
という「女毒」。
殺し屋の市五郎という浪人は、井筒屋徳兵衛という男の殺しを依頼されるのですが、この徳兵衛、かつては盗賊で・・・
という「殺(ころし)」。
(三の松の平十)という江戸のアンダーグラウンドの大物が病死します。平十後継に、ふたりの男が名乗りを上げますが、平十のふところ刀だった(岩淵の又蔵)という殺し屋は(船戸の権)という、これもまた別の殺し屋につきまとわれ・・・
という「縄張り」。
玉屋平兵衛という老人の女房になった元・娼婦のおきん。ところがおきん、若い恋人がいて平兵衛が邪魔になり殺し屋に依頼。ところが平兵衛、じつは元武士で・・・
という「罪」。

このような江戸時代を舞台にした悪漢・悪者小説、暗黒小説を読むと、現代のように科学も発展していないので捜査も難しかったでしょうし、江戸の人口は膨れ上がる一方なのに当時の警視庁であった町奉行の人数は変わらず、江戸って治安悪かったのかなと思いますが、武士が実権を握っていた「軍事政権」であったので、幕末は別にして、ある意味治安は良かったらしいです。

この短編集は初期の作品ですが、のちに出された長編のもととなっているのがいくつかあって、順番はバラバラではありますが、それを見つける楽しみというのも、池波さんの作品を読むときの、まあ「一興」といいましょうか。

これで今年最後の投稿。ありがとうございました。良いお年を。
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五味康佑 『薄桜記』

2019-12-22 | 日本人作家 か
あれは数年前でしたか、この作品がテレビドラマで放送することになったら、ネットの一部界隈で「パクリだ」と騒ぎ、よくは分かりませんが、タイトルが酷似といいますか(「記」が「鬼」)、時代も「記」のほうが古く昭和、「鬼」のほうは21世紀に入って。さらに内容も「記」のほうは元禄の赤穂義士関連、「鬼」のほうはゲームが原作で新選組だとか。

ま、この手の騒ぎは古今東西使い古されたネタといいますか、ボン・ジョヴィやエアロスミスを聴いた若い子が「B'zのパクリだ」と言ったとか、なんとかかんとか。
「無知は怖いね」というよりか、ネット、特にSNSのような不特定多数が閲覧できる場合はよく調べてから書き込みましょうね、ってことですか。

そんな与太話はさておき。

ここ最近は時代小説・歴史小説を読むのが優先といいますか、文庫の「あとがき」を読んだりしますと、名前は聞いたことがあるけどまだ未読の作品というのがゴロゴロありまして、その中でも特に「近いうちに読まなければ!」と興味を持ったのが、笹沢佐保さん、柴田錬三郎さん、そして五味康佑さん。

どうせ読むならこの人たちの代表作をはじめに読みたいと思っていても、まあなかなか書店にはおいていませんね、大きいところなら別でしょうが。オンラインショッピングとかフリマアプリで探そうかななんて考えていたところ、この『薄桜記』が鎮座してる(ように見えた)じゃありませんか。五味康佑さんの最初に読む作品としてはこれ以上ない出会い。

チャンバラ劇の有名キャラ「丹下左膳」と、『薄桜記』の登場人物「丹下典膳」は、名前こそ似てますが、(隻腕)という設定のほかはすべて別。典膳は隻眼ではありません。もっとも丹下左膳が世に出た(原作は小説)のがだいぶ先ですからモデルにしたことはしたんでしょうね。

時は元禄、江戸に一刀流の「堀内道場」があって、そこに「旗本随一の遣い手」と噂の丹下典膳という侍が通っていました。典膳は幕府の命により大坂に出張中。
この堀内道場には、越後新発田の出だという中山安兵衛という浪人もいます。ある日のこと、中山はただ今道場にはいない「丹下さん」のよからぬ噂話を耳にします。
それは、典膳の奥さんが旦那の単身赴任中に・・・

この「噂話」に端を発して典膳が隻腕の浪人剣士となるわけですが、ここは作品中の序盤の大見せ場なので割愛。

一方、堀内道場ではまったくパッとしない中山安兵衛ですが、例の「高田馬場の義理の叔父の助太刀」で一躍有名に。じつは安兵衛、越後時代に別流派で名手だったのです。
で、なんだかんだで播州赤穂藩・浅野家の家臣、堀部弥兵衛の家に入ることになって、名を「堀部安兵衛」とします。

この、まったく違う境遇のふたりが、どんなことがあったのか、いつの間にかふたりの間には友情が・・・

中山安兵衛は赤穂藩の人間ではなかったのに、運が悪かったのでしょうか、たまたま浅野家家臣に婿入りしたらすぐに例のアレ。
文中では、作者の視点による忠臣蔵分析があって、とても興味深かったですね。
そして、丹下典膳も、運命のいたずらといいましょうか、吉良上野介の身辺警護に・・・

まず、「史実に基づいて」書かれている作品は、大筋は正しいです。しかし、その当時の人々の会話や日常生活の部分はおおいに創作です。隻腕の浪人剣士と飲んだくれの十八人斬りの交流なんて時代小説や講談やチャンバラなどが好きな人からしたらそりゃもうタマラナイでしょうが、「んなの有り得ん」と避けていたらこの作品に出会えないと考えたらそれはとてももったいない話です。
まあ時期的にあれですが、サンタクロースが世界で一番「実在か架空・虚構で論じられてる」のではないでしょうか。
虚構は虚構として楽しむ。
やっぱりこれって人間が神さま(仏さまでもいいですが)から与えられた「特権」だと思うのです。

本作は文庫で700ページ弱。けっこうあります。ただ、久しぶりに読んでて「早くこの物語の結末までたどり着きたい、いやいやまだこの文中の世界観に浸っていたい」とふたつの思いに揺れ動かされました。

あれ、ひょっとして今年最後の投稿になりますかね。いやいや、まだ読んで投稿します。努力目標で。
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浅田次郎 『天切り松闇がたり(五)ライムライト』

2019-12-15 | 日本人作家 あ
基本、テレビはニュースと旅番組、自然や動物のドキュメンタリー、あとは体の健康系番組はたまに見たりしますが、楽しみにしているといえばもっぱらBSプレミアムの火野正平さんの「こころ旅」と、「グレートトラバース」の再放送。

先日の夜、テレビをつけて地上波をザッピングしてたのですが、あまりに自分の見たい内容や趣味に合わず、消してネットで音楽聞きながら本を読んで
いました。あ、(つまらなかった)わけではありません。そのテレビを見て(面白かった)と思った方がいらしたらそれはそれで、あくまで個人の感想で。

さて「天切り松」シリーズの五巻です。まさか出ていたとは知りませんでした。

説明しますと、時は大正時代、松蔵という少年が、盗賊集団の仕立屋銀次の子分、通称「目細の安吉」に預けられます。そのいきさつは一巻にあります。

「目細の安吉」一家には「説教寅」こと説教強盗の寅弥兄ィ、、「黄不動の英治」こと夜盗の英治兄ィ、「振袖おこん」こと女掏摸のおこん姐ェ、そして「書生常」こと詐欺師の常次郎兄ィがいます。

で、今やすっかり白髪のおじいさんになった松蔵が、ふらりと警察署に寄って、留置場にいる人に、あるいは若い警察官だったり、自分が見聞きした一家の(武勇伝)を「闇がたり」といって、六尺四方にいる盗賊どうしにしか聞こえないヒソヒソ声で話して聞かせるのです。

一~四巻を読んで、もう涙、涙。電車の中や病院の待合い時間に読んでると「なにこの人泣いてんの」と思われたら恥ずかしいので、まだ未読という方は、なるべく自分の部屋、ひとりになれる場所で読んだ方がいいですね。

六作の短編です。

安吉親分の親分、松蔵にとっては大親分の仕立屋銀次が収監先の網走刑務所で亡くなったという知らせが。そこで安吉一家はかつての仕立屋一門に銀次の葬式のお知らせをしてまわることに。その葬式とは、大晦日に通夜、告別式が正月、場所はなんと・・・
という「男意気初春義理事」。

拘置所にいる女のもとに、白髪の坊主頭の老人が。その老人つまり(天切り松)が話し始めます。なんと松蔵の姉貴分のおこん姉ェがプロポーズされるのです。そのお相手は慶應義塾ご卒業でアメリカ留学帰りという若き財閥の当主なのですが・・・
という「月光価千金」。

寅兄ィはかつて日露戦争に出征し、かの二百三高地での生き残り。しかし部下は全滅し、終戦から二十年以上過ぎても、寅はかつての部下の家に行き線香を立て、相手が恐縮する額の香典を置いてまわり続けています。寅と松蔵は関東大震災の後に実家に戻ったという未亡人を探しに汽車で信州へ。すると寅が「箱師がいるぞ」と。箱師とは列車内専門の掏摸のことなのですが・・・
という「箱師勘兵衛」。

とある外国人女性が「人を殺しました」と警察署に自首します。その女性に天切り松が語り出したのは千代子という女性の話。千代子は教会のステンドグラスを眺めることで心が救われています。千代子を匿っている教会の神父は、近所に住む安吉に相談をします。じつは千代子は愛人を殺害して逃げているのです。しかもその愛人というのが口入れ稼業の大親分・・・
という「薔薇窓」。

(黄不動の英治)の義父は大工の棟梁。その棟梁が「一世一代の仕事をした」と。その仕事とは「花清」こと花井清右衛門の隠宅。じつはその清右衛門というのが英治の実の父親なのです。なぜ義父の棟梁が英治にそんな話をしたのかというと、息子の稼業は知っており(夜盗)、病気で休業中の英治に「俺の建てた家に忍び込めるもんならやってみろ」と・・・
という「琥珀色の涙」。

昭和七年、喜劇王チャップリンが来日します。浅草の映画館の映写技師の娘は父親が出征していて、きっとチャップリンさんは新作を持ってきてくれたので、お父さんもじきに帰ってくると信じています。それを聞いた寅は、帝国ホテルに(東京帝大教授)になりすまして住んでいる弟分の百面相こと書生常に頼むのですが・・・
という「ライムライト」。

「天切り松シリーズ」の四巻だったかな、当ブログで「浅田次郎さんの時代小説と暴漢(ピカレスク)小説がとりわけ面白く、このふたつが合わさったこの作品はいわば(面白くないわけがない)」と生意気にも評したのですが、全作ヤバイです。もちろん肯定的な意味ですよ。特に「薔薇窓」はもうヤバくてさらにズルイ。
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池波正太郎 『まぼろしの城』

2019-12-11 | 日本人作家 あ
読書が趣味になりはじめのころ、速読やってみよう
かな、なんて思ったものです。
というのも、本をたくさん読みたくて、月に30冊
近く読んでますという人を羨ましい、なんて思った
こともありまして、ですが、たぶん平野啓一郎さん
でしたっけ、なにかのテレビで「遅読のすすめ」と
いうことを話されていて、まあ確かにそうだよな、
何か月も何年もかかって書き上げて時間かけて出版
されたものをパララララとものの数分だかで読み終
わられてしまったら書いた方もショックですよね。

てなわけで、気に入った文章に線を引いたりはしま
せんが、まあゆっくり読もうかと。

そこをいくと池波さんの本は「面白過ぎて」あっと
言う間に読み終わってしまうので、じっくりゆっく
り読みたい派にとっては買う時にどうしようかなと
ちょっとためらうのですが、結局買ってしまうので
す。

『まぼろしの城』は、戦国時代の上州・沼田城のお
話です。戦国時代は中盤以降となって、中央のほう
では尾張の「うつけ」とかいう暴れ者が今川義元に
数の上で圧倒的不利にもかかわらず勝ち、その勢い
そのままに美濃から近江へと、そして京にのぼって
足利将軍に会い、戦国の世もそろそろ終わるのかと
ちらりと思うようになります。そうなると地方の弱
小戦国武将たちは「自分は誰についていったらよい
のか」と、おのが天下を獲るという夢よりも生き残
るために考えます。

現在の群馬県である上野国、利根郡・追貝(おっか
い)村の地侍、金子新左衛門の娘(ゆのみ)は婚約
者の男と逢引き中。ところがこの婚約者、いきなり
殺されます。
ところで、追貝村は沼田の城主である沼田万鬼斎の
支配を受けていて、その万鬼斎が追貝の領内にある
温泉に来るというので、新左衛門ははりきって湯治
用の宿所を急造させます。
万鬼斎が湯治に来て酒宴があった夜、新左衛門は娘
に水差を殿の寝室に持っていくように命じます。
しかし万鬼斎は寝ておらず・・・

(ゆのみ)を気に入ってしまった万鬼斎、なんと沼
田に連れ帰るというではありませんか。そして城内に
(ゆのみ)の居住スペースを新築し、正夫人がいる
にもかかわらず万鬼斎は(ゆのみ)にべったり、そ
して男の子が生まれ、金子新左衛門は屋敷と家来と、
さらに(金子美濃守)という名前まで与えられるこ
とに。

ところがこの頃、関東管領の上杉憲政が北条氏との
戦に敗れて越後に亡命します。憲政は越後の長尾景虎
に助けを求め、その後、景虎は(上杉謙信)と名乗り
ます。さらに甲斐には武田晴信(のちの信玄)、小田
原の北条氏も力をつけてきて、信越から関東、さらに
会津への交通の要所となっている沼田は、近いうちに
勢力あらそいの渦中になるだろうと・・・

それから幾年か過ぎ、万鬼斎は隠居し跡継ぎは正夫人
の息子になったのですが、あらぬ疑いがかけられます。
その蔭には今や(御曲輪の御前)と呼ばれている(ゆ
のみ)が、さらに父・金子美濃守が・・・

下請けや系列にとって取引先や親会社が合併だ倒産だ
となったら「うちはどうなるんだろう」「どうやって
生き残っていこう」と心配になるでしょう。
まあ今も昔も変わりませんね。現代ではさすがに殺さ
れる心配はありませんが。
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五木寛之 『青年は荒野をめざす』

2019-12-05 | 日本人作家 あ
先月は「週に1回は投稿する」という自分に課したテーマを
遂行することができてホッとしています。

ですが12月。お坊さんも走っちゃうくらい忙しいらしいです。
個人的なアレですが、12月からまた環境が変わるので、とは
いっても10月のような大きな変化はないので、まあまた週に
1回は投稿できるようにがんばります。別に週2回でもいいん
ですが。

五木寛之さんです。そういえばBSでやってた「百寺巡礼」
好きで観てました。

『青年は荒野をめざす』を手に取って、裏表紙の解説を読む
と「~60年代の若者の冒険を描き、圧倒的な共感を呼んだ、
五木寛之の代表作」とあり、これは読まねば!と。

いわゆる青春小説です。ロシア行きの船から話はスタート。
あ、まだソ連です。ソ連のナホトカ行きの船。(ジュン)こ
と北淳一郎は、なぜこの船に乗ってるのかというと、ありて
いに言えば「自分探しの旅」。

ジュンは20歳。新宿のジャズクラブでトランペットを吹いて
います。が、将来は本格的にプロになりたいかどうか、周り
は「きみは上手なんだけど音が(ジャズ)じゃない」のよう
なことを言われたりして、大学に落ちて浪人中という身では
ありますが親に「旅に出る」と宣言。

一応予定としては、ナホトカまで船で行ってフィンランドの
ヘルシンキに向かいます。そこから先は未定。

船内で麻紀というサンレモの音楽祭に行くという自称歌手の
女性に出会うのですが、この麻紀は今後さまざまなかたちで
ジュンと関わってくるのですが、それは物語の核心になるの
で書けません。

さて、ジュンはいきなり衝撃的な出会いをします。数年前に
突然姿を消した伝説的なサックス奏者のアンソニー・フィン
ガーとひょんなことから話をするようになり、さらに船内で
行われるアマチュアのコンサートに飛び入りで参加します。

自分探しの旅に出て、そんないきなり伝説的なジャズメンに
出会えて順風満帆、と思いきやアンソニー・フィンガーは「
ある問題」を抱えていてジャズどころではありません。

ジュンは麻紀と飛行機でモスクワへ。まあモスクワでもなん
だかんだあって、というよりジュンにとっては人生初のうん
たらかんたら・・・そして麻紀と別れてジュンはフィンラン
ド、スウェーデン、デンマーク、フランス、スペイン、ポル
トガルと旅をします。はたしてジュンは自分なりのジャズを
見つけることができるのか。
そして、船でアメリカをめざすのですが、船内でジュンは父
宛てに手紙を書きます。その内容とは・・・

ジュンはこの旅でさまざまな人と出会います。(さまざまな
人)というのは、人種もそうですが、思想、生き方、過去と
(さまざま)。

旅の途中でジュンは新宿のジャズクラブで知り合いだった(
プロフェッサー)という謎の老人と再会します。このプロフ
ェッサー、とてもいい味出してくれます。青春小説にこうい
う大人よく出てきますよね。

「若い時はことに、これでおしまいだなどと考えたがるもの
さ。だが、そうじゃない。人生は何度でも新しくなる。青春
は、その人の気持の持ちようで、何回でも訪れてくるんだよ」

プロフェッサーは文中でこうジュンたちに話します。

あるていど年齢を重ねてから青春小説を読んで、なんだコイツ
等の考えの青いこと、と笑うのもいいですが、プロフェッサー
の言葉のように「あ、そうだ。自分の青春はまだこれからかも
しれない」と思えるのも、いいですね。

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